第11話:軍神マルスと、鉄格子のカツ丼 〜取調室の攻防戦〜
渋谷警察署、取調室。
殺風景なコンクリートの壁と、スチール製の机。そこには、パイプ椅子に窮屈そうに座る筋肉の塊――軍神マルスがいた。
「……ほう。ここが人間界の『戦士の休息所』か。狭いが、悪くない」
マルスは、両手首にかけられた銀色の手錠を興味深そうに眺めた。
「この輪、私の力を封じるための呪具か? 構造は単純だが、冷やりとした鉄の感触……これが『法』という名の重みか」
対面に座ったのは、定年退職間際のベテラン刑事、権田。
彼は呆れ顔で、調書用のノートパソコンを開いた。
「おい、アンタな。休息所じゃねぇよ。器物損壊と業務妨害だ。名前は?」
「我が名はマルス。戦と勇気を司る者だ」
「はいはい、職業は『自称・神』と……。で、住所は?」
「天界だ。座標で言えば、北緯……いや、貴様らの次元軸では説明が難しいな。あの雲の上、と言っておこう」
権田刑事はため息をつき、「住所不定」と打ち込んだ。
マルスは、権田の指先の動きを観察し、感心したように頷く。
「見事な指さばきだ。貴様、歴戦の勇士だな? その目の下のクマ、背中の古傷……数多の修羅場(現場)をくぐり抜けてきた匂いがするぞ」
「……世辞はいいから。なんでパチンコ台、殴ったんだ?」
マルスは真剣な眼差しで答えた。
「あれは機械ではない。魔獣だ。私が全知全能の計算で放った銀玉を、ことごとく弾き返したのだぞ? 内部に『遠隔』という名の邪悪な精霊が潜んでいるに違いない。私は、正義の鉄槌を下したまでだ」
「……あー、負けが込んでイライラしたってことな」
「違う! 『不条理』への抵抗だ!」
ドン! とマルスが机を叩く。その衝撃で手錠のチェーンが「ブチッ」と音を立てて千切れた。
「あ」
「……」
権田刑事の目が点になる。マルスは気まずそうに、千切れた手錠を指先でつまんだ。
「すまん。人間界の鉄は、思ったより脆いようだ。……弁償しよう」
権田は額の汗を拭い、内線電話をかけた。
「……あー、カツ丼、一丁。……特盛りで」
数分後。湯気を立てるカツ丼が運ばれてきた。
マルスは、黄金色に輝く卵と、揚げられた豚肉の小山を見つめ、ゴクリと喉を鳴らした。
「これは……供物か?」
「食えよ。腹減ってんだろ。暴れる元気があるなら、栄養つけろ」
マルスは割り箸を(奇跡的に綺麗に)割り、カツを口に運んだ。
サクッ。ジュワッ。
甘辛い出汁の味と、豚肉の脂身、そして白米の圧倒的な「炭水化物の暴力」が、軍神の脳髄を直撃した。
「……ッ!? なんだ、この破壊的な旨味は……! 天界の『ネクタル』よりも、遥かに野蛮で、遥かに温かい……!」
マルスは無言でカツ丼をかきこんだ。
戦場で傷ついた心に、出汁が染み渡る。
「……刑事よ。貴様らは、毎日こんな聖なる糧を食らって、悪と戦っているのか」
「たまにな。……アンタ、悪い奴じゃなさそうだが、力加減ってもんを覚えろ。ここは戦場じゃねぇ、街なんだよ」
権田の言葉には、力ではなく「経験」という重みがあった。
マルスは、空になった丼を丁寧に置き、深く頭を下げた。
「……心得た。権田殿、貴様の言葉、軍神の胸に刻もう。この丼の礼、いずれ天界の武具で返させてもらう」
「いらねぇよ。……さっさと身元引受人に連絡しろ」
その時、取調室のドアがバーン! と開いた。
入ってきたのは、高級スーツを着崩し、スマホを構えたゼウス(自称:マルスの叔父)と、その後ろで書類を書いているアストラだった。
「よう、マルス! 檻の中映えしてるー? 迎えに来たぜ、マイ・メン!」
(うっわ、鉄格子越しのマルス、マジでエモい! 『獄中の軍神』ってタイトルで動画回していい? 権田ちゃんも一緒にピースしよ?)
権田刑事は、カツ丼の空き容器を見つめながら、深いため息をついた。
「……どいつもこいつも、キャラが濃すぎんだよ……」




