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上司に招待されたホームパーティーで起こったざまぁな話

作者: 桜井ゆきな

 「すっげぇ! 店で食うより美味いっす!!」


 土曜日の午後に品川チーフの自宅でチーフの奥さんが出してくれた手料理の数々を食べた同期の多田が、興奮して言った。


 僕たちのチームのプロジェクトが成功したお祝いということで、リーダーである品川チーフがメンバーである僕・僕の同期の体育会系多田と真面目系女子の白石さん、後輩のクール飯田とキャピキャピ系女子の小島さんをホームパーティーに招待してくれた。

 正直最初に誘われた時は、休日にわざわざ上司の家に行くなんて……と少し戸惑った。

 だけど、チーフのデスクに飾ってある奥さんの写真がめちゃくちゃ美人なことと、チーフがいつも持参している奥さんの手作り弁当がめちゃくちゃ健康的なうえに美味しそうだったので、つまりはチーフ自慢の奥さん(チーフより十歳年下で僕と同じ年!)に会ってみたいというミーハー心で参加したのだ。

 それに、白石さんともっと仲良くなれたらという下心もある……。


 「どうぞごゆっくりしていってくださいね」


 そう言って僕達を迎えてくれたチーフの奥さんは、写真よりも更に美人だった!!

 しかも用意してくれた料理(魚のカルパッチョに、カプレーゼ、キッシュにアヒージョにラザニア、ローストポークという女子がいる飲み会で出てきそうな料理のオンパレード!)も、全部めちゃくちゃ美味くて、多田と同じくらいに僕も興奮していた!


 「本当にすごく美味しいです! もし良ければレシピとか教えてください」


 白石さんもキラキラした目で奥さんに話しかけていた。


 「そんなに褒めていただいてありがとうございます。でも一つ一つはそんなに手間がかからないんですよ。キッシュはパイシートを使ってますし」


 チーフのグラスにワインを注ぎながら、奥さんは恥ずかしそうにはにかんだ。……上司の妻がめちゃくちゃ可愛いんだが……。


 「多田も白石も大げさだな! こんな料理くらい作れて当たり前だろ? ほら、多田のグラスが空いてるぞ! まったく気が利かないんだから困るよ」


 そんな風に奥さんに命令するチーフの傲慢な態度に、仕事上では尊敬しかなかったのに少し嫌悪感を抱いてしまった。

 だって、奥さんは席すら用意されていない(自分で用意しなかったのかもしれないが)で、ずっとキッチンと僕達のテーブルを行き来して、熱々の料理を運んだり、食べ終わった皿を片づけたり、誰かのグラスが空いたらお酌をしたりと、一人だけ働き続けていた。

 それにチーフの家は一軒家(純粋にすげぇ)で、キッチンは1階にあるのに僕達は2階の部屋に案内されていた。

 チーフが得意げに「この部屋から見る景色が一番好きなんだ」と言っていたので、きっとチーフの要望だろうけど、行き来する奥さんは大変だろうなと思った。


 見かねた白石さんが「手伝います!」と立ち上がろうとした時にも、ヘラヘラと笑いながらチーフが止めていた。


 「専業主婦で毎日暇して怠けてるんだから、今日ぐらい働かせてやってくれ」


 正直何を言っているのか分からなかった。

 そのトンデモ発言になぜか小島さんだけは笑っていたけど、それ以外の三人は僕と同じように戸惑った顔をしていた。


  

 「こんなに美人で料理上手な奥さんがいて、チーフが羨ましいです」


 僕達が食べ終えた大量のお皿を下げて長い間席を外していた奥さんが持ってきてくれたデザートのティラミスを一口食べたところで、普段はテンション低めなクール飯田でさえもキラキラした目で奥さんを見つめていた。

 

 「こいつの取柄なんて顔と家事能力くらいだからな~」

 

 ワインの酔いが回ってきたのか顔を赤くしたチーフが、ニヤニヤしながら答えた。

 ……妻に対する上司の振る舞いが不快なんだが……。


 「ちょっとお料理が上手なだけで品川チーフと結婚出来たなんてぇ、奥様って運が良いんですね!」


 んっ? なぜか小島さんが良く訳の分からない変化球を投げてきた。

 何が言いたいんだ?


 「ちょっと! 小島さん!」


 慌てて白石さんが止めようとしたけど、相変わらずニヤニヤしたチーフが被せるように言い放った。


 「小島の言う通りだな! お前みたいに何の取柄もない女が俺みたいな出世頭と結婚出来たなんて、ラッキーだったな!」


 何を言ってるんだ、こいつは? 心の中とは言え思わず上司をこいつ呼びしてしまったが、多分小島さん以外全員が同じ気持ちだと思う。


 「本当に感謝しています。私なんかが貴方と結婚出来てとても幸せだわ」


 それなのに奥さんはそう言って、さっきまでと同じ笑顔を浮かべていた。

 ……まぁ、夫婦にもいろんな形があるだろうから、奥さんが幸せならいいのか?

 チーフも部下達の前で亭主関白なところを見せたいだけで、二人きりの時にはもっと優しいかもしれないしな。


 「だって、私なんて、貴方のために家事をすることしか価値がない無能、なんですものね?」


「おいっ! そんなこと今言うことじゃないだろっ!」


「あらっ? どうして? 貴方が毎日毎日何回も何回も私に言わせていることじゃない。それなのにどうして今は言ってはいけないの?」


 ……毎日? 何回も言わせてる? 何を? まさか『貴方のために家事をすることしか価値がない無能』というセリフを? 誰に? 奥さんに? 誰が? チーフが? マジで? 

 思わず周りを見渡すと、多田も白石さんも飯田も完全に酔いが覚めた顔で呆然としていた。

 

 「え~? 優しい品川チーフにそんなこと言わされるなんてぇ、奥様ってもしかして悪妻なんじゃないですかぁ?」


 嘘だろ!? 小島さん! この空気で良く切り込めたな! しかもそんな頓珍漢な解釈で!


 「ほらっ! 分かっただろう! お前が恥をかくだけなんだからこの話はもう終わりだ!」


 チーフが強引に話を切り上げようとしたが、笑顔の奥さんは止まらなかった。



 「どうして? 貴方は間違ってないんでしょう? だったらいいじゃない。栞さん以外の方も同じ意見なのか聞いてみましょうよ? 私はまだ仕事を続けたかったのに、家事に専念してほしいからって結婚する時に辞めさせられた。それなのに結婚したら『貴方が働いてくれているおかげで生活をさせていただけています』って毎日毎日何回も何回も言わされるのって、普通なの? 俺が稼いだ金だからって友達とのランチにも行かせてもらえないのって普通なの? 自分の貯金で行くって言っても、家事が疎かになるからって行かせてもらえないのも普通なの?」



 栞さんって誰だ? あっ、小島さんのことか。あれっ? 僕達奥さんにフルネームで名乗ったかな?

 いや、それよりもチーフのやっていることってモラハラってやつなんじゃ……。


 「おいっ! 止めろっ! 殴られたいのか!?」


 普段のフレンドリーなのにしごでき上司な姿からは想像もできないチーフの怒号に、僕はビビってしまった。

 だけど、目の前でそれを浴びせられた奥さんは、それでも笑顔を崩さなかった。

 その様子が、怒鳴られることに慣れているようで、戦慄した。



 「どうして? だって貴方はいつも『俺が全部正しい』って言ってるじゃない。貴方が言ってる正しいことをどうして他の人に聞いてはいけないの? おかずは毎食三品以上で前日の残り物や冷凍食品はNG、揚げ物は貴方のタイミングに合わせて揚げたてで出して、ワイシャツはしわひとつなく仕上げて、靴はいつもピカピカに磨き上げて、生理が辛くて家事が出来ないのは『女の怠慢』で、飲み会で朝帰りになる貴方を待たないで寝るのは『専業主婦の堕落』なんでしょう?」



 ……尊敬していた上司がモラハラ野郎だった件……。

 ヤバい。ヤバすぎる。僕達四人はドン引きだったし、さすがの小島さんも引いていた。


 「おいっ! いい加減にしろっ!」


 チーフが叫ぶように怒鳴ったけれど、奥さんは少しも動じなかった。……その様子が、やっぱり怒鳴られることに慣れているようで胸が痛んだ。


 「今日はせっかく栞さんもいらしているし、職場の皆さんの意見も聞きたいと思っていたの。でも顔を見ただけで聞くまでもなさそうね。それに実はもう第三者に意見を聞いているのよ。弁護士先生なんだけど」


「……はっ? 弁護士……?」



「私ね、貴方が不倫しているのを知っても、怒りや悲しみなんて湧かなかった。これでやっと貴方から解放されるーって、喜びしかなかったの。その時、気づいたわ。もう貴方のことなんて、ほんの1ミクロさえも愛していないんだって。だから待ってたのよ? 貴方がいつ離婚を切り出してしてくれるのかなぁって、ずっとずぅっと待っていたのに。どうして離婚してくれないの? 貴方はたとえ愛人が出来たって私を解放する気なんて無くて、便利で無料の家政婦として一生使い潰す気なんでしょう?」



 マジかよ。チーフ。モラハラだけじゃなくて、不倫まで……。

 僕達は全員ドン引きが止まらなかった。

 そんな中でもさっきまでチーフを擁護していたはずの小島さんが、なぜか顔色まで悪くしていた。


 「お前! まさか俺と離婚したいだなんて考えてるんじゃないだろうなっ! いいか!? お前なんか俺と離婚なんかしたら、生きていけないぞ! 両親も死んでいて帰る家もなくて、仕事も辞めさせたし、友達とも会わせてないんだ! お前には俺しか、頼る相手なんていないはずだ!」


 さっきの奥さんの言葉がすべて事実だったとチーフ本人が認めた件……。

 仕事も辞めさせて友達とも会わせないって、軟禁かよ。



 「頼る相手がいなくたって、私は生きていける。仕事だってまた探せば良いだけ。貴方と離婚することに何の問題もないわ。少なくとも貴方との生活を続けるよりも、ずっと未来は輝いている」



「……っ……。そうだ! 弁護士費用は、俺の金だろ!? 俺の金で勝手なことはさせないから、すぐに契約解除しろ!」


「私の! 結婚前の貯金で! 支払ってるわ。まぁ、最終的には貴方と不倫相手からの慰謝料も使うことになるかもしれないけど、それは私のお金だものね?」


 奥さんは相変わらずの笑顔だった。

 美人が笑顔でキレッキレに旦那を追い詰めるって、すごい迫力だなぁ。……あまりの急展開に思考が追い付かなくて、思わずそんなことを考えてしまった……。


 「慰謝料って……噓でしょ……」


 なぜか小島さんがブツブツ言って震えだしたけど、どうしたんだろう? 不倫したら慰謝料が発生することなんて当たり前なのに。目の前でドラマみたいな修羅場が発生してるから、動揺してるんだろうな。



 「皆さん、突然夫婦の話でお騒がせしてしまってすみません。貴腐ワインをお持ちしますので、デザートを楽しんでくださいね。……白石さん、お手伝いしていただいても良いですか?」


 沈み切った空気を切り替えるように、奥さんが明るい声を出した。

 突然指名された白石さんは驚いていたけど、すぐに立ち上がった。


 「もちろんお手伝いさせていただきます!」


 部屋から出ていった奥さんを、チーフが追いかけようとしたけれど、白石さんの存在があったからか踏み止まっていた。


 「ごめんな! あいつは妄想癖があって! 言ってることは全部でたらめだから忘れてくれ!」


 取り繕うように大きな声で言うチーフに、誰も何も答えられなかった。

 チーフは、なんとか空気を変えようとどうでも良いことを一人で話続けていた。

 この時間が早く終わってくれと思うのに、奥さんも白石さんもなかなか戻ってこなかった。


 「お待たせしました」


 だから、ボトルワインとグラスを持った白石さんが部屋に入って来た時にはほっとした。


 「皆、ゆっくりしててくれ!」


 白石さんだけが戻ってきたことを確認したチーフが、すぐに席を立った。

 あれっ? これマズいんじゃないか? 今のチーフと2人きりにしたら奥さんの身が危険なんじゃ……。


 「「「チーフ!」」」


 そう思ったのは僕だけじゃなかったみたいで、男三人の声が揃った。

 だけど、チーフはそんな僕達の呼びかけが聞こえているはずなのに、そのままドタドタと階段を降りていった。

 追いかけた方がいいんじゃ……。そう思いつつも逡巡している間に、またドタドタと足音が今度は近づいてきた。


 「白石! あいつはどこに行ったんだ!?」


 もはやいつものしごでき上司なチーフの面影はなくて、その鬼気迫る様子は離婚の危機に面して焦ったモラハラ夫(実際そうなんだが)にしか見えなかった。


 「洗い物をしてから戻るって言ってましたけど……。キッチンにいませんでしたか?」


「どこにもいないんだ!」


「……外出でもされたんでしょうか? 玄関に靴はありますか?」


 白石さんの言葉に、何となく全員で玄関に向かった。

 玄関で、チーフは奥さんの靴があるか確認するために下駄箱を開けた。


 「……無い……。一足どころか、あいつの靴が全部……」


 僕は鈍いと友人から言われることもあるが、さすがに分かった。そして他の全員も思ったと思う。

 『きっと消えたのは靴だけじゃない』と。

 だから、願わずにはいられなかった。奥さんどうか逃げ切ってください、と。


 「ちょっと待ってよ! 私の靴もないんだけど! どうすんの!? 靴がなきゃ帰れないじゃん!」


 小島さんの慌てた声が響いた。驚くとあの甘ったるい喋り方じゃなくなるんだな……。

 玄関を見ると確かに女性用の靴は一足しかなかった。きっとその一足は白石さんの靴ということなんだろう。


 「嫌がらせかよっ!? サイッテー」


 吐き捨てるように小島さんが言った。……キャピキャピ系だと思っていた後輩のキャラが崩壊してる件……。


 「んっ? 自分の靴と間違えて持っていっただけでしょ? だって、僕達五人いるのにわざわざ小島さんにだけ奥さんが嫌がらせなんかする理由がないよ」


 僕は思ったことを言っただけなのに、なぜか誰も何も答えてくれずシーンとしてしまった。


 「……俺のサンダルなら貸せるけど」


「今、真冬ですけど」


 絞り出したチーフの提案を、小島さんはあっけなく却下した。


 「じゃあ私と花澤君で靴を買ってくるわ」


 突然白石さんに指名されてびっくりしたけど、密かに慕っていた白石さんから指名されて嬉しかった。

 僕が頷くと、多田がチーフに言った。


 「俺と飯田はもう帰っていいっすか?」


 あまりの発言に驚きすぎて、チーフより先に僕が答えてしまった。


 「いいわけないだろ! そしたらチーフと小島さんが二人きりでこの家で待つことになるじゃないか! ただの上司と部下なのに、そんなことありえないだろ!」


 何もおかしなことは言っていないはずなのに、なぜかまたシーンとしてしまった。なんでだ?


 「……そう……だな。じゃあ飯田と俺も一緒に待つっす。いいよな? 飯田」


「……はい」


 なぜか微妙な空気の四人を残して、僕は白石さんと靴を買うために出かけた。


★☆★


 「近くにデパートがあって良かったね」


 デパートに向かうタクシーの中で、白石さんが僕に顔を向けた。


 「そうだね。僕は女性の靴とか良く分からないから、白石さんが選んでくれるとありがたいな」


「もちろん私が選ぶわ。ふふふっ。絶妙にダサくて高い靴を選ぶの!」


「はっ!? なんで!?」


「……花澤君ってさ、めちゃくちゃ鈍感だよね」


「……それはたまに言われるけど……。別に今日は何も……」


「チーフの不倫相手って、小島さんだよ」


「えぇーーー!? そうなの!?」


「もともと一部では噂あったし、今日の様子見てたら間違いないでしょ。多田君も飯田君も絶対気づいてたよ」


 あっ。だから俺が発言するたびにシーンとしてたのか……。いや、マジか……。もしかして残ってる四人の空気、地獄なんじゃ……。多田と飯田よ、すまん。 


 「だけど、チーフはデスクに奥さんの写真を飾ったり手作り弁当を持って来てたじゃないか。誰が見たって愛妻家なのに、小島さんはなんでそんな相手に……」


「あのね、世の中には、人の物だからこそ欲しくなる人間がいるのよ。絆が強そうに見えれば見えるほどそれを壊したくなる人間っているの」

 

 白石さんの言っている意味がよく分からなくて、微妙な顔をしてしまった。


 「……花澤君は、好きになった人が結婚してたらどうする?」


「結婚してる時点でその人は僕にとって、すでに運命の相手がいる女性、になるから恋をすることはないよ。チーフの奥さんに対するみたいな推し的な感情になるんじゃないかな」


「じゃあ好きになった後で、結婚していることを知ったら?」


「告白する前にフラれただけで、ただの失恋と一緒だよ」


 そんな僕の回答に、白石さんは嬉しそうに笑った。


 「花澤君らしいね」


「……何が僕らしいのか、自分じゃよく分からないけど……」


「分からないままでいいよ。不倫するような人の、人の物だからこそ欲しくなるような人の、そんな考えなんて分からないままでいい」


「うーん。確かにあんなに素敵な奥さんがいるのに不倫するチーフの気持ちも、愛妻家だと思ってたチーフと不倫する小島さんの気持ちも分かる気がしない」


「うん。花澤君はそれでいい。……なんかまっすぐすぎて相談女とかに引っかかりそうで心配だけど……」


「相談女?」


「なんでもないの。そろそろ着きそうだね」


 白石さんは、本当にデパートの靴売り場で絶妙にダサいのに信じられない値段の靴を買っていた。

 そしてその領収書を当たり前のようにチーフに渡していた。


 「えっ? なんかダサくないですか……?」


「せっかくチーフがプレゼントしてくれたのに失礼よ」


 不満げな小島さんをサラッと交わしていた白石さんがカッコよすぎた件……。

 

 「じゃあ俺達もう帰っていいっすか?」


 疲れたように言う多田の隣で、クール飯田も死んだ魚の目をしていた。

 

 「……おう。今日は妻が悪かったな。帰ってきたら注意しとくから。くれぐれも今日のことは、会社の奴らには言うなよ」


 チーフがガチの顔して言ってきたので、とりあえず頷いた。

 もちろん会社で言いふらす気なんてないけど、多分奥さんはもう帰って来ないだろうなぁと思いながら。


★☆★


 「せっかくの土曜日に、こんな死んだ気分で帰りたくないんだ! 俺は!」


 駅で小島さんとクール飯田と別れた後で、同じ路線に向かって歩いていた僕と白石さんに向かって多田が叫んだ。

 土曜の午後5時。正直疲労感はもう0時を越えていたが、確かにこのまま帰ってもモヤモヤするだけな気がする。


 「このまま行っちゃうか!? 同期飲み!」


「さすが、花澤! 白石さんはどうする?」


「うーん。そうだなぁ。明日も休みだし、私も行っちゃおうかな」


 というわけで、チーフの家から一番近い僕の家で急遽家飲みをすることになった。


 「「「かんぱ~い!」」」


 途中のコンビニで買いこんだ缶ビールで乾杯して、僕達はやっと一息ついた。


 「なんかすっごい濃いホームパーティーだったよね」


「な~! 奥さんの手料理めっちゃ美味かったのに、もう食えないんだろうなぁ」


「プハッ! 多田! 今日の感想、それかよっ!」


「いや! だってよ! めっちゃ美味かったよな! 俺の人生で一番の手料理だったかもしれん!」


「それは確かに。めちゃくちゃ美味かった……」


 肉汁滴るローストポークを思い出して思わず涎が出そうになった僕達を現実に戻したのは、白石さんの一言だった。


 「あのお料理、午前4時起きで準備したんだって」


「「えっ!?」」


「しかも昨日チーフが帰ってきたのが午前2時過ぎで、先に寝ると怒られるからそれまで寝られなかったんだって。そんなに遅くなるって分かってたら待ってる間に料理の下ごしらえを進められたのにって、奥様笑ってた……」


 ……チーフ。マジでモラハラだな……。


 「奥さんが逃げ切れることを願うよ……」



「きっと奥様なら大丈夫だと思う! 私ね、奥様に誘われて一緒にワインを取りに行ったでしょ? あれも部下と一緒ならチーフが追いかけてこないって見越してたんだって。それでその時に今の話とか色々教えてもらったの。チーフが絶対に開けない奥様のクローゼットとかの中身は事前にもう配送していて、チーフがもしかしたら開けるかもしれない下駄箱とかの中身はデザートまでの長時間席を外していた時に手配していた宅配業者に渡してたんだって。それで『今から手荷物だけ持って家から出ていくので迷惑をかけてしまうと思うけどごめんなさい』って謝ってくれたんだ」



「すげぇ! 奥さん! 手際良すぎっす!」


「それにね、チーフと小島さんにきっちり慰謝料請求するだけじゃなくて、社内不倫が原因での離婚になるから弁護士経由で会社にも連絡するって言ってた。だけどそれは正当な報復だから、今日はちょっとだけ二人に嫌がらせをしてやるのって笑ってた」


「嫌がらせ? あぁ! それで小島さんの靴を……」


「靴がなきゃ帰れないし、地味に効く嫌がらせよね」


「だけどチーフには? 俺達の前で事実を暴露したのが嫌がらせってか?」


「チーフへの嫌がらせは、大量の食器だよ」


「……食器?」


「奥様が下げてくれた私達の使用済の食器ね、そのまま流しに放置してあったの。前に奥様が『食洗機がほしい』って相談した時にチーフは『俺が働いた金をお前が怠けるために使う気か』って激怒したんだって。きっと今頃大量の汚れた食器を前にして途方に暮れているんじゃない? せめて食洗機があればって後悔してるかもね」


「おお! すげぇ! 奥さん、さすがすぎっす!」


 多田はひたすら感心していたし、僕も奥さんの嫌がらせのセンスにクスっと笑ってしまった。


 「あれっ? じゃあ、奥さんはチーフの不倫相手が小島さんだって知っていた? あぁ! だから栞さんって……」


 フルネームを名乗っていないのに小島さんの下の名前を知っていたのは、もともと小島さんのことを知っていたからだったのか……。


 「チーフの携帯に『しおりたんとの愛のメモリアル』フォルダがあるらしいわよ」


 ビールをグイっと飲みながら真顔で言った白石さんの言葉に、僕も多田もビールを噴き出してしまった。


 「「しおりたんとの愛のメモリアル!!」」


 尊敬していたしごでき上司がただの変態不倫野郎だった件……。


 「でもよぉ、チーフにモラハラされてた奥さんがチーフの携帯なんてどうやって見れたんだ?」


 多田の疑問は、僕にとっても疑問だった。

 だけど、白石さんは相変わらず平然とビールを飲みながら答えを教えてくれた。



 「モラハラされてたからこそ簡単だったんじゃない? チーフは、自分の方が奥様より絶対的に上の立場だと思っていたし奥様もそう思っているって思い込んでいたでしょう? そんな格下の相手がまさか自分に逆らって勝手に携帯を見るだなんて想像もしていないから、全く警戒していなかったんじゃないかな?」



 なるほど。奥さんの行動力もすごいし、白石さんの分析力もすごい。


 それからもチーフの話や、しおりたんの話、全然関係ない趣味の話や、好きな芸人の話で同期会は盛り上がった。


 「ヤベッ! もう23時じゃねぇか!? そろそろ終電がヤバい!」


 多田が気づいて、僕達は玄関に向かった。

 いつも同期会だとしっかり者の白石さんが終電の時間を気にかけてくれるんだけど、さすがに今日は疲れたのかな? 僕がそんなことをのんびりと考えていると、演技がかった白石さんの声が響いた。


 「あれっ? 私の靴がない……。これじゃあ帰れないなぁ」


 ……確か白石さんはさっきトイレに行っていたけど、まさかその時にわざと靴を隠したんじゃ……?


 「おぉっ! えっと……俺は帰るな! 後は2人で話し合ってくれ!」


 僕が困惑している間に、ニヤニヤ笑いながら多田が帰ってしまった。


 「白石さん……これは……」


「不倫相手への嫌がらせだけじゃなくて、好きな人へのアピールにも使えるかなって……」


 なんだそれ? なんだそれ? 意味わからん! 意味わからんけど白石さんが可愛すぎる件!

 それに好きって! 好きな人って! 鈍すぎる僕にも伝わるアピール!!!


 「……靴が無くなってなくても、白石さんのことが好きだから帰らないで欲しい」


 女性にここまで言わせた後でやっと精一杯の勇気を出して告白をしたヘタレな僕に、白石さんは嬉しそうに笑ってくれた。


★☆★


 「花澤先輩! あのぉ、私チーフには騙されててぇ、すっごく辛くて、話だけでもいいので聞いてくれませんか? ここだと話しづらいので、お酒とか飲みながら相談させてくださぁい」


 地獄のホームパーティーの翌週の月曜日、昼休みに給湯室の前で小島さんに話しかけられた。


 「話を聞くだけなら、白石さんと一緒だったら構わないよ」


 なぜか上目遣いで見上げてくる小島さんに伝えた。


 「はぁ!? どうして白石先輩と!?」


 小島さんは一瞬般若みたいな顔をした後で、すぐにいつものキャピキャピした調子で言った。


 「白石先輩には聞かれたくなくてぇ、プライベートなことだから私は花澤先輩にだけ相談したいんです。ダメ、ですかぁ?」


「んっ? どうして小島さんの話になってるの? 僕が白石さんと一緒じゃないと行かないって言ってるだけだよ?」


「えっ? いや……。えぇっ?」


「付き合ってる白石さんに誤解されたくないから、僕は白石さんも一緒じゃないと女性とは飲みに行かないんだ」


 そんな僕の言葉になぜか小島さんは涙目になって去って行った。


 「もういいです! 忘れてください!」


 ……何だったんだ? 嵐のような出来事に困惑している僕の耳に、白石さんの笑い声が聞こえてきた。


 「ちょっ! 花澤君がまっすぐすぎて相談女が瞬殺されてる」


「相談女? この前も言ってたけど、何のこと? それになんでそんなに笑って……?」


「いいの。花澤君は、そのままでいてくれればいいよ」


 よく分からなかったけど、白石さんが楽しそうだからいいかと思った。


★☆★


 あのホームパーティーの後日談を少しだけ。

 チーフと小島さんにはそれぞれ会社から制裁があった。

 チーフは、降格のうえ地方に異動。

 小島さんは、系列子会社に出向。

 2人とも給料がかなり下がるはずだから慰謝料の支払いが苦しいんじゃなかろうか、というのは僕の個人的な見解だ。

 チーフと奥さんの離婚が成立したかは聞けていないが、奥さんが家に帰っていないことは確かだと思う。

 なぜならチーフの昼食がコンビニのパンになり、ワイシャツはしわが寄ってて、靴も汚れたままになっていたからだ。

 それに遅刻をする日もあるので、今まで奥さんに起こしてもらっていたんだと思う。

 夜も飲みに誘われたりするけど、もちろんあの日のメンバーでその誘いにのる人間はいない。

 日に日に太っていくチーフを見て、最終日までに二重あごになるのか多田とこっそり賭けをしていることは内緒だ。



お読みくださいましてありがとうございます!!

少しでも楽しんでいただけましたら幸せです!!

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― 新着の感想 ―
最後はチーフに対してのザマァが良かったです‼︎
よかった、私だけじゃなかった、と感想見に来て安心しました。 私もラザニアにパイシートで首を傾げ、キッシュの間違いだろうなと思いつつ、そのあとがあまり入ってきませんでした。 そして今読み返したら、修正さ…
花澤君の誠実セリフが安いなあ。好きになった人がすでに結婚してたらが、即答で諦める、なのは何も考えずに綺麗事言ってるだけだよ。実際にやるかどうかはともかく
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