8.大切な幼馴染
土地の起伏が大きく、とにかく山が多かった日本の風景と違い、こちらの風景ではあまり大きな山は見当たらない。働き者の村人が必死に耕している麦畑、そしてその先にある鬱蒼とした森。これが、クラメール男爵領の風景だ。
由紀の記憶を得る前は何とも思わなかった——むしろ、田舎丸出しの風景にうんざりとしていたものだが、今の私の目で改めて見てみると、非常に美しい牧歌的な風景だった。
私が改めて村内の散歩なんぞをしているのは、ずっと閉じこもっていては鬱々とするからでもあるが、父から提示された私自身の今後について、じっくりと考えたかったからだ。私、オレリー・クラメールがずっと生きてきたこの地と改めて向き合いながら。
そして、私の姿を目に入れると、村民たちはお嬢様お嬢様と親しげに声をかけてきた。もう体はいいのかと心配する声や、元気そうで良かったと安堵する声もあるので、私の昏倒は村内でも周知されていて心配されていたらしい。
私は彼らを安心させるために自分の元気っぷりをアピールし、心配してくれたことへのお礼を述べた。
すると、一様に驚いた様子だったのが少し気にかかってしまった。
——そうか、「オレリーお嬢様」はあんまりお礼とか言わなかったかもな。
由紀としての常識から、心配されたらお礼くらい言うのは普通だと思っていたが、元々のオレリーは少々高慢さが隠しきれていなかったような気がする。
とはいえ、家庭の方針から、貴族としては気さくに育てられたと思うのだ。
まあ、使用人も数人しかいないような家で気取っていても仕方がないというのもあるが……。少なくとも「平民なんかと口はきけませんわ」みたいなのはなかった。もっとも、こんな僻地で平民と口をきかなかったら話し相手が家族しかいなくなるのだけども。
私は平民相手でも可愛いくていい子だ利発だとチヤホヤされるのが好きだったので、あからさまに嫌な態度ではなかったと思う。ただ、内心は田舎者の平民風情だと思っていたので、心を込めてお礼なんかは言ってなかったかもしれない。
微妙な違いではあるが、確かに私の態度は少し変化しているのかもしれない。
ちなみに、やっぱり私の態度は多少の変化があるらしく、この前は侍女のソニアからも『洗礼の儀を終えたせいか、お嬢様は少し大人になりましたね』と言われた。
少しでも原作の悪役令嬢オレリーからの変化が出てくるのは、良いことだ。
そして、これまでの私が、内心がひどくとも表面はある程度取り繕うタイプの性格の悪い子供でまだ良かったと思う。多分隠しきれてはいなかったけども。とはいえ、相手は領主のひとり娘。村人からしたら、少々偉そうだろうが、まあ許容範囲といったところだろう。村民を虐げていたわけではないのだから。
ちょっと偉そうだけども、適当におべっかを使っていれば機嫌が良い単純な領主の娘。それくらいの評価ではないだろうか。
これが、村民を虐げ、周りを罵りまくりだったりしたら、再評価してもらうために時間が必要だったかもしれない。
これなら、洗礼の儀からちょっと成長しましたって感じで路線変更できそうだ。
性格が悪くても、猫被りタイプで本当に良かった。承認欲求モンスターだったオレリーは内心見下げている平民であっても褒められることを喜びとしていて、結果的に大人の前ではそれなりに取り繕っていた。
そこまで考えて、私はぎくりとした。
「大人の前では」。つまり。
「オレリーちゃん! もう出歩いて大丈夫なの?」
「……メラニー」
私のもとへと歩き寄ってきたのは、農家の娘であるメラニーだった。淡い金髪に鳶色の瞳、全体に散ったそばかすが印象的だ。丸顔もあって、素朴で可愛らしい印象の子だ。
クラメール領の村民は大抵私を「お嬢様」と呼ぶし、小さい子たちは「お嬢」と呼んでいる。そんな中、メラニーが私の名前を呼ぶのは、私が特別に許可したからだ。
穏やかな気質であり、従順で気がきくメラニーは私のお気に入りだった。
普通なら「仲の良い友達だった」と言いそうなところを、「お気に入り」と評するには含意がある。
——もしかして私の態度、友達に対するそれじゃなかった……?
少なくとも、由紀の友人関係から考えると、私のメラニーとの関係を友達関係とはとても言わない。
態度は常に偉そう。一緒に遊ぶ時も自分の希望を押し付けて、メラニーの意見なんて聞いたことはなかった。
疲れれば、メラニーがいつも気を利かせて細々と飲み物の手配をしたり、座る場所にハンカチを敷いたりしてくれるのを当たり前と思っていた。そのため、彼女の気配りが及ばずに喉が渇いているのに飲み物が準備されていないとメラニーに怒ったりしていた。
……友達というより、これじゃ使用人と主人かな。
しかも、使用人なら給金が発生しているのに、メラニーはあくまで村民の娘なだけなので給金も発生していない。なのに、わがままお嬢様のお守りをしていたのだ。
メラニーからしても、領主の娘相手では腹が立っても文句も言えなかったことだろう。そもそも、控えめで大人しい彼女は、人に強く出られる性格でもない。
それをいいことに小間使いみたいに使ってきたのだ。今まで、メラニーの気持ちなんて考えたことがなかったけれど、普通に考えたら嫌気がさすだろう。
「オレリーちゃん?」
思わず今までのメラニーへの仕打ちを思い出していた私に、メラニーは戸惑ったように呼びかけてきた。それに私ははっとなった。
「あ。うん。ごめんね、考え事をしていて。私はもう大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
引き攣った顔でそんなことを言う私に、メラニーは少し不思議そうな顔をする。
……その不思議そうな顔は何?
私が挙動不審だからなのか、あるいは今まで傍若無人すぎた私の態度が変化したせいなのか。
他の村民が彼女と同じように不思議そうな顔をしていても、ちゃんと自分が変化したからだとプラスに考えられていたのに、メラニーに対する態度が一際ひどかったせいで、何というか心臓に悪い。
繰り返すようだが、メラニーに対する態度は確かに友人に対するそれではなかったかもしれないが、それでもやっぱり「お気に入り」だったのだ。大人相手には多少猫を被っていた私が、メラニー相手にわがまま放題だったのは、気やすさと甘えからであって彼女が嫌いだったわけではない。
——いや、正直に反省しよう。大人しい性格で子供だった彼女を舐め切っていた。
人前では基本的に猫を被っているけれど、一度相手が弱そうだと見るや否や高圧的になる嫌な人は時々いるけれど、何というか私がまさにそれだった。全方位に嫌な奴の方がまだ裏表がない分マシかもしれない。
地味で大人しいタイプだった由紀は、まさにこの手のタイプの人間に高圧的に接されることが多かった。
人前では言わないのに、2人きりになった途端態度を急変させるタイプ、あるあるだ。「それが正当な言葉だと思うのなら人前でも言えや」と思っていたけれど、それを実際に言わずに飲み込んでいたから余計に舐められ切っていたのだろう。
それがどれだけ腹立たしいものであるか知っているから、オレリーはますますメラニーの反応が恐ろしくなった。
というか、こんな「友人」、私だったら絶対友達やめている。でも、多分メラニーからしたら、身分社会で領主の娘なんていう権力者の機嫌を損ねるわけにはいかないだろう。
パワーハラスメントじゃないか……!!
私は今まで、メラニーから嫌われているかもしれないなんてことは考えたことがなかった。メラニーはいつもニコニコと一緒に遊んでくれたし、私を褒めてもくれたからだ。
だけど、内心ムカつきながらも愛想笑いを続けていた由紀の記憶が、笑っているからといって本心から納得しているとは限らないというこの世の真理を私に教えてくれていた。
でも、今まで散々好き勝手しておいて何だが、メラニーに嫌われているかもしれないという考えは私にとってものすごくショックだった。
私にとって、メラニーと遊ぶのはすごく楽しいことだった。私は私なりにメラニーのことが大好きだったのだ。
だけど、その楽しさは、メラニーの我慢の上で成り立っていたのだろうか。そうだとしたら、ショックすぎる。
「良かった。オレリーちゃんが倒れたって聞いて、すごく心配したんだよ」
私がぐるぐると考えている間にも、メラニーは無邪気な笑みを浮かべてそんな優しい言葉を私にかけてくれた。
き、嫌われてない、のかな……?
優しい笑みは、到底嫌いな相手に向けるものとは思えない。だから、あんな酷い態度でも嫌われていなかったのだろうかと希望的観測に縋りそうになる。
本当に、メラニーには嫌われたくない。
「メラニー。ごめんね」
「え、どうしたの?」
「私の今までの態度。本当に酷かったと思って。反省してる。本当にごめんなさい。謝るから、許してくれる?」
変に思われるかもしれないけど、悪いと思ったのなら謝るしかない。だから、私は謝罪をした。
「え、え。オレリーちゃん。何かあったの?」
「えっと、教会で……友達に偉そうにしてたら絶交されたって言ってる子がいたの。私もそんな風にメラニーに友達やめられたらどうしようって思って……。考えてみたら、私、自分勝手なことばかりしてたわ」
もちろんそんな子は実際にはいなかったけれども、由紀の記憶云々言えないので、私は架空の子供を作り出す。
人のふり見て我がふり直せ的な感じにすれば、いきなりの心境の変化も不自然じゃないはずだ。多分。
「そうなんだね。でも、オレリーちゃんはその子とは違うと思うな。私はオレリーちゃんと友達をやめたいなんて思わないよ。オレリーちゃんはむしろ気さくだと思うし。よその場所では、領主様の子供がこんな風に私たちと遊んでくれるなんてないらしいよ? それに、オレリーちゃんっていつも頑張り屋さんだからすごいなって思うんだ」
そう言って、無邪気に笑うメラニーは、まさに。
——聖女。
やばい。私の幼馴染が聖女すぎる。
ヒロインよりメラニーの方がよっぽど聖女なのではないだろうかと、私は真剣に考え込んでいた。これはあまりにも聖女すぎて神殿に囲い込みをされてしまうかもしれない。
メラニーは誰にも渡さない。
無論、実際には聖女判定はスキルの内容のみで決まって、人格は関係ないのだけれど。
人格で判定されるのならメラニーは絶対聖女に違いない。
そもそも、人格ができすぎている。穏やかで心優しく、気配りができて、善良で他者に寛容なんて。
何でちょっと前までの私はうっすらとメラニーを見下していたんだろう。謎すぎる。
確かに、領主の娘の私は社会的立場は上ではあるが、それ以外は完敗だろう。
見た目に対しては、確かに私は美少女と言える範疇だが、悪役令嬢だからなのかどこか性格の悪そうな顔をしていると思う。マシな見方をしたら勝ち気そうとか小悪魔系とかだろうか。
逆に、メラニーは何というか和やかな雰囲気もあって、これは実はめちゃくちゃモテるタイプだ。わかりやすい美少女という感じではないが、小動物のような可愛らしさがあって、素朴さと純粋さが溢れ出ている。いわゆる癒し系だ。この手のタイプはえげつないほどモテるんだ。私は詳しいんだ。
それから人格面では完敗だ。月とスッポンだ。悪女の素質に満ち満ちていたオレリーもだけど、事なかれ主義なだけで人格者でも何でもなかった由紀も完敗だ。
だって、由紀だったら、オレリーみたいなタイプにこんな優しい言葉はかけられない。「ベツニキライジャナイヨ(正直嫌いだけどね……)」が関の山だ。
本当に、こんな可愛くて性格のいい子が私の幼馴染とか奇跡だろうか。
私の中では、かつてないほどのメラニーフィーバーが生まれていた。その衝動のまま、私はメラニーに抱きついてしまう。
「メラニー、ありがとー! 私も、メラニーが大好きよ!!」
「わわ、オレリーちゃん」
メラニーが焦った声を上げる。反応まで可愛い。
私はメラニーを大切にするとこの時心に決めた。
「ね、メラニー。時間があるのなら『お姫様ごっこ』しよ!」
お姫様ごっことは、おままごとみたいなものだ。ただ、おままごとが普通の家庭を演じるものなら、お姫様ごっこは宮殿に住んでいるお姫様の真似事をするというだけの話だ。
お姫様願望の強いオレリーはこれが大好きだったのだ。
「うん、そうだね。じゃあ私はいつもみたいに侍女の役を」
「ううん、今日はメラニーがお姫様をやって。侍女役は私がやるわ」
「ええっ! でも、そんなのおかしいよ。私はお姫様じゃないし」
今まで、お姫様ごっこの時はいつだってオレリーがお姫様役だった。というか、オレリーがお姫様の真似事をしたくて、それに周り——特にメラニーを付き合わせていたというだけだったのだから当然だろう。
今までのオレリーに、「前回は自分が主役のお姫様をやったのだから今回は他の人に譲ろう」だなんて気遣いはなかったのだ。
だからメラニーは当然今回も私がお姫様役だと思っていたようだが、生まれ変わった私は違うのだ。彼女を下僕のように使うのではなく、一緒に平等に遊ぶことにしたのだから。
「メラニーったら。私だってお姫様じゃないわ。男爵の娘はお姫様じゃないんだから。だけど、ごっこ遊びだから何にだってなれるし、だから楽しいんじゃない。今までずっと私がお姫様役だったんだから、今度はメラニーの番よ」
そう説得し、私はメラニーとお姫様ごっこを始めた。
私の中には、成人後の由紀の記憶がある。だから、今までの分のお返しも含めて大人のお姉さんとして、メラニーと一緒に遊んであげよう……といったような意識がどこかにあった。
だけど。だけれど……楽しい!
いつの間にかメラニーと一緒に夢中になって遊びながら、やっぱり私は7歳のオレリーでもあるのだとつくづく実感していた。
由紀としての心を得たからといって、7歳のオレリーが7歳児として生きることを阻む権利はないのだろう。そういうことなのかもしれない。




