7.両親との話し合い
私が久方ぶりに両親と食卓を共にしたのは、目覚めてから3日後のことだった。
丸3日寝込んでいたこともあり、大事を取って、寝込んでいたのと同じ期間は自室で消化に良いものを食べていたのだ。正直、だんだんと退屈してしまっていたが、皆に心配をかけていたことが分かるだけに、医者の指示に従って行動していた。
だけれど、とうとういつも通りの生活の許可が降り、私はルンルンでダイニングテーブルについた。
「何だかいつもよりも豪勢ですね」
「遅れてしまったが、オレリーが洗礼の儀を無事終えられた祝いだからな」
「おめでとう、オレリー」
「ありがとうございます。お父様、お母様」
こうして、私はシェフが張り切ってくれたであろうご馳走に舌鼓を打った。
我が男爵領は、あまり裕福ではないがゆえに、抱えている使用人も貴族としては多いとは言えない。料理だって、専用に雇っているのはシェフひとり。あとは、全ての雑事を請け負うメイドが適宜手伝ったりする程度だ。
一般論としては、良い料理人は取り合いになるので、辺境の男爵領にまで良い料理人が巡ってくる確率は低いと言えるが、我が家自慢のシェフはかなりの腕前の持ち主だと思える。まあ、当家以外の食事をほとんどしたことがないのでこの世界の比較対象があまりないのは事実だが。とはいえ、由紀の記憶と引き比べても普通に美味しいのはかなりレベルが高いのではないだろうか。
やっぱりご飯が美味しいのは大切だと思うのだ。
「あら、この魚はまたお父様が釣ってきてくれたのですか? 美味しいですね」
「それはよかった。うん、このように酸味を効かせて食べるのも美味しいな。エドモンの腕前はやはりさすがだ」
父が褒めているのは、当家のシェフだ。
ちなみに、父の趣味は釣りだ。このこじんまりとした男爵領の領政を行いながら、暇ができれば領内にある川に赴き、魚釣りを楽しむ。いわゆるスローライフというものに憧れる人にとっては、理想的な生活をしている人かもしれない。
ついでに言うなら、父は釣りに大変な才能を持っている。領主ではなく漁師として生まれてきたら今ごろ大富豪になっていただろう、というのはクラメール男爵領の人間の好む冗談でもある。
そんな冗談はともかく、父がちょっと釣りをすると当家で消費しきれないほどの量を釣ってきてしまうのは事実だ。そして、父はそれを領民に配っている。領主は通常は税として食料を徴収するのみであって、領民に食料を配布する領主なんて聞いたことがないと領民は苦笑しているが、それが好意的な反応であるのは間違いない。
こういったことがあるから、父は領民から慕われているし、おすそ分けとして当家には領民から色々なものが届けられる。それは、領主に媚を売っているというよりも、いつも魚を分けてくれる隣人に対してお返しをするような感覚なのだろう。
当家はそういったスタンスの領主なのだ。
よくもまあ、こんな牧羊的な場所で育って、原作のオレリーはあんな悪女に育ったなと改めて思ってしまうのだが、スキルに振り回されたらそういうことも起こってしまうのだろうか。自分のことではあるが、分かるような分からないような感覚だ。
そんなこともチラリと考えながら、私は両親と料理についてなどを色々と話し合う。
そんなたわいもない会話がひと段落したところで、私は切り出した。
「ねえ、お父様。……スキルを授かれなかったのは残念でしたが、洗礼の儀も終わりました。私は今後、どういったことを目指せばいいのでしょうか? このクラメール領を継ぐことになるのか、それとも他家に嫁入りするのか……」
メモをとりながら今後について模索したのは昨日のことだ。私はその方針に従ってまずは両親と私自身の将来の展望について話し合うことにした。使用人たちの耳目があるので、私は建前である「スキルなし」という前提で話を進めるのだが。
基本的にこの国の人間は洗礼の儀を終えてから本格的な将来図を描き始める。スキルの有無やスキルの内容で左右されるものが多すぎるからだ。スキルの有無によって跡取りが決められたり、授かったスキルによって縁談がまとまったりするケースも少なくない。
それでいうと、私の「スキルなし」は、どの道を探るにしろ、相当に不利な条件になってしまう。
「それについてだが、オレリー。お前の現実的な選択肢は3つある。私は、その中からお前の望む道を選んでほしいと考えてほしいと思っている」
優しい父は、私に選択肢を与えてくれるらしい。私は大きくうなづいて父の言葉の続きを待った。
「まずひとつは、お前自身がこの領を継ぐことだ。その場合、お前は女男爵となり、男爵配を選ぶことになる。
ふたつ目は、お前の配偶者に当家を継いでもらい、お前がその夫人となる場合だ。この場合、法律上、配偶者にできる男性は限られる。当家と血のつながりのある家に限られるからだ。
そして最後に、お前が他家に嫁ぎ、そしてこの領は私が養子として迎えた親戚の子に任せるかだ」
父はそういった後に細かい説明を加えてくれた。血統保護の観点から、全く関係ない人間が後取りになることはほぼできないらしい。そのため、私が男爵夫人になっても親戚——というよりも、遠縁まで含む人間しか当主として認められないし、娘である私が嫁がない場合はもっと当主に迎えらえる人間の条件が限られるらしい。
私が他家に嫁ぐ場合は、伯母方か叔母方の従兄弟のどちらかに跡取りの打診をする流れになるらしい。
もしも私が男爵夫人となることを願うのなら、配偶者候補は9人ほどいるものの、年齢的にあまり適切でないとか家同士の関係で除外するのなら6人に絞られるらしい。
しかし、私自身が当主になる場合は、配偶者は自由に選べるということ。ただ、嫡男は避けて選ぶことが基本的になる。
実は法律上では他の爵位を持つ嫡男であっても、クラメール男爵位を継承することは可能らしいのだ。例えばA子爵がクラメール男爵位を継いだ場合、A子爵はA子爵のまま、クラメール男爵は「予備称号」になる。その場合、A子爵でもありクラメール男爵でもあることになるが、公の場合は上位の爵位であるA子爵を名乗る形になる。そして、クラメール男爵位は跡取りと定めた嫡男に跡を継ぐまでの仮名として名乗らせるか、あるいは嫡男以外の人間に継承させて家を分けるかを選択する形になるらしい。
しかし、そういった場合、大体はA子爵はA子爵領に留まり、クラメール男爵領は代官に任せる形になるのだが、父が言うにはそれは避けたい形らしい。クラメール男爵領は代々領民と近い統治をしてきて、父は当代クラメール男爵としてできるだけその形は維持したいというのが望みらしい。
とはいえそれはどちらかというと、命令ではなく父の願いという形だった。
——あるいは、父の性格からして、状況的にそういった形にならざるを得ない状況になれば、そのささやかな望みですら仕方ないと諦めるのかもしれない。
おそらくだが、父のこの態度は貴族家当主として相当に寛容なものだ。何なら、男爵領のためにこの人と結婚しなさいと一方的に決められるようなことだって珍しくないはずだ。それくらいは、世間知らずだった幼いオレリーの常識でも、おぼろながら分かる。
だからこそ、私はせめて今の領民と領主が近い今のクラメール男爵領の形を変えたくはないという父の望みには沿おうと考えた。
しかしその上で——どういう道を選ぶべきか私は迷ってしまった。
まず、大まかなルートとしてこのクラメール男爵領に留まるか外に嫁ぐか選ぶことになる。私はこの男爵領の外側のことをよく知らない。何度か辺境伯領の領都に行ったことがある程度だ。遠い王都には行ったことがない。
由紀が読んだ小説にしても、物語の筋に関係ない事柄については深く書かれてはいなかったし。
悪役令嬢化を防ぐというか、変に王太子狙いだとか疑われないためには、この領地を継ぐ意思表明をした方が良さそうではある。私が女男爵になるのであっても、男爵夫人となるのであっても、王太子とのルートはなくなるからだ。王太子に興味はないと示すのにこれ以上良い立場はない。
ただ、普通に考えたらそんなことでわざわざ意思表明をしなくても、元々王太子ルートなんて存在しないのが私の立場だ。最初から身分が違いすぎる。他所に嫁ぐにしろ、狙うのは上にいったとしてもせいぜい伯爵令息くらいのものだろう。
それなのに、馬鹿らしいとも言える「疑い」を晴らすことだけを念頭に置いて将来を決めるのも非常に気に入らない。
軽い苛立ちを覚えたが、軽くため息を吐いてその苛立ちを逃す。
感情的になっても仕方がないし、そもそも領を継ぐことを表明して疑いを晴らそうとしても、そこまで効果的というわけでもない。
物事はもっと多角的に考えるべきだろう。これからずっと続く、私自身の人生なのだ。ただただ目先の原作ストーリーのことだけを考えて決めたくはない。
そして私は、父とも会話を交わしつつ、それぞれのメリットデメリットを確認していく。
やはり、この男爵領に留まるか他所に嫁ぐかが大きな分岐点だろう。
原作オレリーは他所に嫁ぐ一択だっただろうけれど、由紀の心が混ざっていて、さらに欲望に塗れた末路まで知っている私としては考え方が異なってくるのも事実。
今は、変に上昇婚を目指しても肩身が狭いだけではないかと思うのだ。
対外的にはスキルがないことにしなければならない以上、人から見ると私はスキルなしの男爵令嬢だ。そんな娘が上位貴族なんかに取り入って結婚しても、相手の実家にいい顔をされるとは思えない。婚家に蔑ろにされるパターンな気しかしない。貴族同士の婚姻では、実家への手前もあって普通は嫁いだ先で蔑ろにされるようなことはないらしいが、家同士の力が著しく違う場合はその限りではない。
家柄の上下だけではなく、都心に行くかどうかというのも割と重要なファクターだろう。この男爵領は、とにかく田舎だ。王宮勤めの男性に嫁げば、身分や生活レベルの上下は別にして少なくとも都会には住める。
日本での価値観で言うと、都会の公務員の男性に嫁ぐか、田舎の実家の農家を継ぐかといった選択に近いだろうか。
以前のオレリーなら、とにかくこの田舎から出て行きたくてたまらなかったのだが、由紀としては都会の煩わしさもそれはそれで知っている。満員電車とか人混みとか本当に由紀は苦手だったのだ。ぎゅうぎゅうに潰されながら、のどかな田舎で山とか見て暮らしたい……とか思っていた。
ここら辺、オレリーとしての価値観と由紀としての価値観が正反対すぎてどう判断していいものかどうか迷うところではある。
ちなみに、私の中ではオレリーであることと由紀であることが本当に両立しているので、例えば転生ものであるような「私はオレリーの記憶を持った由紀である」という感覚、あるいは「私は前世(?)の由紀の記憶を取り戻したオレリーである」という確信はない。なんというか、人格も思考も混じり合っている気がする。
年齢的に人生経験が豊な由紀の価値観が若干優位かなと思うけれど、それ以上でもそれ以下でもない。どちらでもあるのか、あるいはどちらでもないのか——そのへんは、あまり考えないようにしている。深く突き詰めて考えると、心が病みそうな気がするからだ。
それはそうとして、「田舎に住み、都会に憧れていたオレリー」と、「都会に住み、田舎に憧れていた由紀」の心がどちらも私の中にあるので、このままこの男爵領でのんびりと暮らす方がいいんじゃないかという心の声と、せめて王都で華やかに暮らしたいという心の声がどちらもある。
いずれにせよ、私は実際の王都がどういう場所だか知らないので判断材料が微妙ではあるのだが。
「何も今すぐ決めなければならないということではない。これから、じっくり悩んで決めなさい」
「分かりました。お父様」
私のイメージとしては、こういう世界での王侯貴族なんかは幼い頃に許嫁やら何やら決定されている印象だったけども、父が言うにはそこまで早く決定することの方が稀なんだそうだ。
互いに相性というものがあり、早期に決めすぎてもその後どうなるか分からないという考えがかなり強いようだ。それは例えば、相手がギャンブルやら女遊びやらに嵌ってしまうことでもあるだろうし、あるいは病に倒れたり障害を負ってしまうということでもあるだろう。もしくは、家同士の繋がりや情勢が変化するということでもあるようだった。
「貴族の子供に生まれた以上、全てが自由というわけにはいかない。だが、それでも人間だからね。全く気が合わない相手、あるいは信頼できない相手と生涯を共にすることはやはり辛いことだと思うよ。
だから、私はオレリーには是非とも心を寄り添わせられる伴侶を選んでほしいと思っている。
それに、私がアニュスと出会ったように、運命の出会いもあるかもしれないからね」
「まあ、貴方ったら……」
父の言葉に、母が頬を染める。
「懐かしいな。私たちが出会ったのは王立学園のことでね……」
それから私は、怒涛の惚気を聞かされるはめになった。
何でも、母は可憐で愛らしい令嬢としてそれはそれは人気があり、惚れ込みまくった父の猛アプローチの末に口説き落としたらしい。
惚気混じりの両親の馴れ初めなんて、聞かされるこちらが困惑するやつだ。
私はちょっと辟易しながらも、王立学園って婚活市場みたいだという感想を持った。実際、学生時代は婚約が最も決まりやすい時期らしい。
もしかして、国内の貴族子息令嬢を一斉に集わせる王立学園の役割の一つは、婚活パーティ代わりだったりするのだろうか。
私はそんなことを少し考えたりしつつも、父の惚気話に相槌を打っていた私の笑顔は、結構引き攣っていたと思う。仕方がないだろう。




