4.これからどうすべきか
悪役令嬢として死んだりなんてしない。そう決意した私は、落ち着いてから現場についてや原作についての知識をまとめつつ、これからの方針を改めて考えることにした。
オレリー・クラメールと小早川由紀というふたつの人格が統合されたことは私自身に相当の負荷をかけたようで、体調が戻ったのは、両親との話し合いからさらに2日の療養を取ってからだった。
ようやく体調が戻ったので、机に向かってメモ紙を前に唸っているのが現在というわけだ。
——そもそも、現状自体が謎なんだよねえ。
悪役令嬢として転生する話は、ネット小説を中心に一大ムーヴメントを引き起こしていた。そのため、そういった話を結構読んでいた私としては何となく受け入れてしまっているが、一応そこら辺も考慮した方がいいのだろうか。
私が読んできた転生ものでは、何でそういう事態になったのか最後まで解明されないものも、作中で理由が解明されることもあった。だけど、現状は今まで読んできた作品から何通りか推測だけはできても、どれを考えても決定打に欠ける。
あと、交通事故きっかけで転生パターンは多いように思うけど、祠破壊がセットでついてくる作品は、少なくとも私は知らない。何というか、今考えてもそら恐ろしいというか、死ぬ間際に「死」そのものとは別の種類の恐怖を感じたのは今でもさまざまと覚えている。
——現状自体が、呪いとか祟りとかいうものだということは、ないよねえ……?
ずっと拭いきれなかったその考えを改めて脳裏に浮かべると、私は頭を抱えたくなった。
もしも真相がそれだとすると、私にはバッドエンドを回避する術がないかもしれない。例えば、1度死んだだけでは飽き足らず、悲惨な死を運命付けられた生を歩むことそのものが呪いだとか。
あくまでジャンルの傾向だが、ファンタジーだとわりと勧善懲悪を下地にしているものが多いけれども、ホラージャンルだと本当に理不尽なのだ。だって、作品の目的が基本的に読み手に恐怖を与えるためにあるのだ。それで、正しい行いをしていれば大丈夫だなんて「安心感」があれば、恐怖は半減する。主人公だろうと何だろうと、安全圏などない。そういうものがホラー作品には多い。
そして、単純に悪役令嬢だろうと何だろうとファンタジーの登場人物になるのはワクワクする側面があるが、ホラーの登場人物になるのは純粋に嫌だ。ホラージャンルの作品も由紀は実のところ嫌いではなかったが、ああいうのはある意味で他人ごとだからいいのだ。ファンタジーを読んで「こんな魔法使えたらなあ」と思ったことはあれども、ホラーを読んで「こんな幽霊に祟られたいなあ」と思ったことは1度もない。きっと、ほとんどの人がそうだ。
もしもこの世界が創作物なら、作品につけられているタグを確認したい。「異世界ファンタジー」ならセーフだ。「スローライフ」や「チート」がついていたらわりと勝ち確だ。……だけど、「ホラー」ならもう無理だ。無理無理無理。絶対無理。
そもそも、祠を壊したのは私ではない。それなのに呪われているのだとしたら、初っ端からあまりにも理不尽すぎると思う。何なら、祠は破壊されて気の毒だったけれど、同じ事故で私も死んでしまったのだから被害者仲間として見逃してくれてもよさそうに思える。
本当に、彼らに道を教えてもらえないだろうかとかそういう期待をしたのが良くなかった。いやそもそもが、間違った道を行っていることに気づいたのに引き返さなかったのが、一番の失敗だったのだろうか。いや、創作物のような展開であることを考えると「こ、こんな祠を破壊しそうな奴らと一緒に居られるか! 私は先に山を降りるからな!」ってムーヴをしたのが一番良くなかったのか……。自分の保身だけに走るのはわりと死亡フラグだったりするような気もする。いやでも、10年来の友人とかならともかく、見ず知らずの人の相手の暴走の結果に巻きこまれたくないというのはそんなに悪いかなあと、誰に言うでもない愚痴を胸の内で呟く。
そもそも、1回バッドエンドを回避できなかった私がこの世界でバッドエンドを回避できるものだろうか。死亡フラグは突然に、法定速度を超えた爆速で突っ込んでくるものだというのに。
考えれば考えるほどにドツボにハマってしまって、私は深い深いため息をつく。
しかし落ち込んでいたところで事態が好転するわけではないので、私はとりあえず目下のところの目的を定めることにする。目的とするものがブレると、行動が支離滅裂になってしまう恐れがある。
まず、原作オレリーの死亡エンドを回避する。これは前提条件だ。その上で、家族や周りの人に迷惑をかけないというのも絶対条件に置きたい。
その上で、私自身の処遇についてだけれど。どういう着地がいいのか、イマイチ分からない。
原作オレリーは、王太子を狙いまくっていた節がある。ヒロインに攻撃を仕掛けていたのも、嫉妬なんかもあったけれど、シンプルに王太子狙いのオレリーにとってヒロインが邪魔だったのが大きいだろう。
何でそんなに王太子を狙いまくっていたのかというと、その答えはオレリーである私には何となく分かる。由紀の心を取り込んだ上で自らを客観視してみると、我ながら異常なほどにお姫様願望が強い子供だったように思う。
とはいえ、夢見がちな子供には大なり小なりそういう傾向はあるものかもしれない。いつか伝説の勇者になるだとか、白馬の王子様が迎えにくるだとか。7歳の子供がそう言った願望を抱くのは珍しくもないだろう。
私の場合、クラメール男爵領という、ど田舎領地が嫌で嫌で仕方なかったのだ。このクラメール男爵領ときたら、王都からも非常に遠いし、メインの貿易ルートからも逸れている。本当に畑しかない寂れた田舎の村だ。クラメール男爵家はそんな村の税収から細々やっている、地位も財力もない、吹いたら飛ぶような弱小貴族だ。
つまらない田舎が嫌で、多少裕福な商人にも負けるような貧乏が嫌で、私はそれだけで悲劇のヒロインみたいな感覚を持っていた。だから、例えば素晴らしいスキルを授かり王都に招かれることだとか、王太子に見染められて溺愛されることだとか、そういう下剋上的空想は私にとって慰めだった。
だけれど、7歳の子供の視点だけではなく、二十代の大人の視点を得て思うけれど、それは所詮ないものねだりだ。隣の芝生は青いとかそういう類の。
現に、由紀はどちらかというと、田舎に対する憧れがあった。東京生まれ東京育ちだった由紀は、自然の多い田舎にアルカディア的理想郷を見ていたのだ。だけれど、雑誌の取材を得て見えてきた「田舎の現実」は、けして理想郷でも何でもなく、不便さやままならないことも多くある現実の世界だった。
結局、どちらも理想の世界ではないというのが現実なのではないだろうか。
そもそも、男爵令嬢が必死に下剋上を成して王太子妃に収まったとしても、王太子妃や王妃という立場には華やかな反面、重積や苦悩も多いだろう。その中でどれほど努力をしても、所詮は男爵家出身だという侮りも消えて無くなることはないだろうし。
総合して考えると、洗礼の儀を受けるまでのオレリーの夢に、今となってはそんなに大きな魅力を感じられないというのが私の正直な気持ちだ。
そもそも、私、オレリー・クラメールはひとり娘だ。男爵家の跡取り問題とかはどうなるのだろう。普通に考えて、私が婿取りとかする立場ではなかろうか。それについては、小説の読者の由紀としても、夢物語を追いかけていた子供のオレリーとしても分からなかった。ここら辺は、後で両親に確認をするしかないだろう。
私は紙に「まずは自分の将来について両親に相談」と書き込んだ。さすがに王太子狙いは原作オレリーの暴走としても、将来の展望が分からなければ私の動きとして決めかねる部分も大きい。
もう変に王太子やらヒロインやらと関わらない方がいいのではないかと思うけれど、貴族令嬢としてはコネや人脈を作るとかそういう意味で避けて通れない可能性もある。クラメール男爵令嬢としての理想的な立ち回りは、これから学んでいくしかない。




