第6話「暮らしの知恵、記される」
夜が明けても、澪の胸には昨夜の決意が燃えていた。
――もっと残そう。もっと広めよう。
しかし、手元にあるのは煤で黒く汚れた板切れや石片ばかり。とても他の村へ持っていける代物ではない。持ち運びできて、何枚も作れるものが必要だった。
「紙……作れないかな」
つぶやいた澪の声に、そばで遊んでいた子どもが首をかしげる。
「かみ? 神さま?」
「ううん、書いて残す“かみ”だよ。木からできるんだ」
言いながら澪は、遠い記憶をたぐる。大学で習った「和紙作り体験」。ぼんやりとした断片しかないが、それでもやらなければ進めない気がした。
◆
昼下がり。澪は村人たちを集め、事情を話した。
「知恵を伝えるには、もっと残せるものが要るんです。木や布を使えば、紙のようなものが作れるかもしれません」
年寄りたちは眉をひそめ、若者たちは面白そうに目を輝かせた。
「そんなものが本当にできるのか?」
「やってみる価値はあるだろう。澪が言うなら」
古布やボロ切れを持ち寄り、大きな桶に水を張る。石で叩いてほぐすと、布はどろりと溶けて灰色の繊維になった。
「わあ、泥みたい!」
子どもたちが手を突っ込もうとし、母親に叱られる。澪は笑いながら木枠を作らせ、繊維をすくい上げてみせた。
「こうして……薄く広げて、乾かすんです」
板に張りつけて陽に当てる。風が吹けばめくれ、虫が寄ってきて、思うようにいかない。何度も失敗し、しわくちゃの布屑のようなものばかりができた。
「先生、また破れちゃった」
「大丈夫、次はもっと上手くいくよ」
子どもたちの声に励まされ、村人たちは根気強く繰り返した。数日かけて、ようやく数枚の白っぽい紙が乾き上がった。粗い繊維が透けているが、確かに「紙」と呼べるものだった。
◆
その夜。焚き火の明かりの下で、澪は最初の紙を前に深呼吸した。
炭筆をとり、「暮らしの知恵」と大きく記す。
その下には、子どもと一緒に描いた手洗いの絵、干した野菜、鍋で煮沸する食器の図。
簡単な言葉を添えると、不思議なことに文字が輝きを持ちはじめたように見えた。
「……できた」
粗末で、不格好で、すぐに破れそうな数枚の紙。けれど澪には、宝物のように思えた。
◆
翌日、村人たちが覗き込み、感嘆の声を上げる。
「絵があるから分かりやすいな」
「これなら、遠くの村にも渡せる」
「字も……少しずつ覚えられそうだ」
子どもたちは「ぼくも書きたい!」と騒ぎ、紙の切れ端に拙い字を並べ始めた。
笑い声が広がり、澪は胸が熱くなる。
――ただの実験のはずが、みんなの目が輝いている。
やがて村の長老が、澪に深々と頭を下げた。
「これは、村の宝になる。どうか続けてくれ」
澪は頷いた。
「はい。もっとたくさん残します。もっと分かりやすく、もっと広く」
その言葉に、子どもたちが一斉に声を上げる。
「『暮らしの知恵』、次はなに描くの?」
焚き火の煙が夕空に溶けていく。
小さな紙片に記された拙い文字と絵は、やがて村を越え、国を越え、時代を越えて広がる“雑誌”の第一号となる。
それが、誰もまだ知らない未来の革命の始まりだった。