第3話「パンと保存食」
村に来て三日目。
相変わらず、食糧事情は厳しかった。
畑は荒れ果て、わずかに残った雑穀や麦も、石臼でひいて粥にするのがやっと。だが、それすら底をつきかけている。
「母さん、お腹すいた……」
子どもたちの声に、母親たちは苦しげに微笑むしかなかった。
澪は胸が痛んだ。
――何か、もっとできることはないかな。
ふと、納屋の隅に積まれた袋に目が止まった。
口を開くと、乾いた麦や雑穀が顔をのぞかせる。
「これ……使わせてもらえますか?」
「いいが、粥にしても腹の足しにならん代物だぞ」
村人は半ばあきらめ顔で答えた。
澪はにっこり笑った。
「粥じゃなくても食べられるよ。ちょっと工夫してみよう」
◆
澪は村人たちに、平たい石を持ってきてもらった。
それを竈の火でじっくり熱する。
「さあ、まず粉にしましょう」
石臼で麦をひくと、ざらりとした粉が手に落ちた。
水と混ぜてこね、掌で丸めて平らに伸ばす。
「これを熱した石にのせて……」
じゅっと音を立て、焦げる香りが漂いはじめた。
香ばしい匂いに、子どもたちの目が輝く。
「な、なんだこの匂いは……」
「まるでごちそうだ!」
やがて両面を焼き上げると、こんがりと色づいた薄いパンが出来上がった。
澪が手で割ると、ほかほかの湯気が立ち上り、麦の甘みを含んだ香りが広がる。
「熱いから気をつけてね」
差し出された子どもが小さくかじると、ぱっと笑顔になった。
「おいしい! 夢みたい!」
母親たちも口にして、驚きの声をあげた。
「こんなに香ばしいなんて……」
「ただの麦が、まるで別物だ!」
澪は微笑んだ。
――香りと温かさだけで、こんなに心が満たされるんだ。
◆
さらに澪は、保存の工夫を教えた。
「野菜は干すと長持ちするんです。水分が抜けて、腐りにくくなるから」
畑の端に残ったカブやニンジンを薄く切り、縄に通して軒先に吊るす。
「ほら、風と太陽が調味料になってくれるの」
また、余った野菜を塩で漬け込み、簡易の漬物にする方法も伝えた。
「これなら冬でも食べられますよ」
村人たちは目を丸くした。
「澪さんが来てから、村に笑顔が増えたなあ」
「この人は、まるで神様が遣わした導き手のようだ」
澪は思わず首を横に振った。
「そんな……私は、ただ自分の暮らしを教えているだけなんです」
◆
その夜。焚き火のそばで、澪は今日の出来事を思い返していた。
パンをかじって笑った子どもたちの顔。
保存食を作りながら、未来の冬を少し安心そうに語る母親たちの声。
胸が熱くなった。けれど同時に、不安も芽生える。
――これらの工夫を、みんな覚えてくれるだろうか?
もし忘れてしまったら、また苦しむことになるかもしれない。
「記録しなきゃ……」
ぽつりと澪は呟いた。
自分の知恵を、言葉や形に残していけば、もっと多くの人を救えるはずだ。
焚き火の火花が夜空へ昇り、星々に溶けていく。
その光を見上げながら、澪の胸には新たな決意が静かに宿っていた。