第2話「縫い針と灰の石けん」
澪が村に来て二日目。
まだ周囲の視線には警戒と好奇心が混じっていたが、昨夜のドングリ団子のおかげか、村人の態度は幾分やわらいでいた。
「ねえ、昨日の丸いの、また食べたい!」
子どもがはしゃぐ声に、母親たちが「こら、先生に無理を言うんじゃない」とたしなめる。
――先生。
まだ慣れない呼び名に、澪は少し頬を赤らめながらも、悪い気はしなかった。
そんな折、ひとりの若い母親が困った顔で近づいてきた。
「澪さん……お願いがあるのです。子どもの服が、もうぼろぼろで……」
差し出された小さな服は、袖も裾も裂け、布は薄く透けている。糸はほつれ、針目も粗い。
澪は思わず微笑んだ。
「大丈夫。ちょっと貸してみて」
◆
村長の小屋を借り、澪は布と向き合った。
差し出されたのは、刃先が少し曲がった古い縫い針と、より糸のほどけかけた糸。
それでも澪は丁寧に糸を通し、裂け目をひと針ひと針埋めていく。
「ほら、こうして細かく縫うと、ほつれにくくなるんだよ」
不器用な手つきの母親に見せながら、ゆっくりと針を運ぶ。
やがて破れ目はしっかり塞がれ、端には小さな花の刺繍まで添えられていた。
「わぁ……!」
子どもが歓声を上げ、母親が目を潤ませる。
「まるで新しい服みたいです……」
澪の胸がじんわり温かくなった。
――そう。針と糸さえあれば、服は息を吹き返すのだ。
◆
次に澪が気づいたのは、洗濯物の汚れだった。
服は煤と土で黒ずみ、匂いもこもっている。川の水で濯いでいるのだが、汚れは落ちきらない。
澪は竈に残っていた灰を手に取り、水と混ぜ始めた。
「これで灰汁水ができるの。油汚れや染みを落とす、昔ながらの石けんみたいなものなんだよ」
大きな桶に布を浸し、しばらく揉み洗いする。
村人たちは「そんなもので汚れが落ちるのか」と半信半疑だった。
だが、取り出した布は驚くほど白さを取り戻していた。
「見て……!」
光に透かせば、煤の黒が薄れ、布が風に揺れる。
子どもたちが「いい匂い!」と頬をすり寄せ、母親が口元を押さえて泣いた。
「こんなにきれいになるなんて……」
村の空気が少し明るくなるのを、澪は肌で感じた。
◆
その晩。焚き火を囲む席で、村長が澪を見つめて問いかけた。
「娘よ、その知恵はいったいどこから来るのだ?」
澪は少し迷い、けれど正直に答えた。
「私の世界の日常です。特別なことじゃないんです」
村人たちはしばし黙り込んだ。
日常――彼らにとっては奇跡に等しい技も、彼女には当たり前の習慣だったのだ。
やがて村長がうなずき、静かに言った。
「澪よ。お前がいてくれて良かった。村に、久しくなかった灯火が戻ってきた」
澪は焚き火の光を見つめながら、心に小さな芽生えを感じていた。
――もっと多くの人を助けられるかもしれない。
自分の知る「丁寧な暮らし」が、誰かの救いになるのなら。
夜空の星々が澪の決意を祝福するかのように、静かに瞬いていた。