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「…私には、何もないから。」


 店を後にするつもりだった。

 そのために出入り口の扉に手をかけた。


 だが、弥栄には、自らの劣等感から意図せず口にした言葉で、女店主の矜持を傷つけた自覚がある。


 その罪悪感から、弥栄は、女店主に背を向けたまま、隠したかった胸の内を吐露した。


「…私は、人を傷つけてばかりだわ。…本当に、失礼なことを言ってしまって、すみません。」


 扉に向かいうつむく弥栄の謝罪に対し、先ほどまで笑っていた女店主はなにも言わなかった。


 いよいよ怒らせたと思い、弥栄は急いで店を出るべく足を一歩踏み出した。


 しかし、


「ちょっと待って」


 そんな弥栄の背中に向けて、思いのほかトーンの明るい声が飛んできた。


「!」


 弥栄は驚き振り返る。


「コーヒー飲んでく?」


 振り返った先の女店主は、弥栄の返事を待たずして、いそいそとバックヤードへと引っ込んでいく。その後ろ姿だけが見えた。


「え、あの、」


 困惑した弥栄はしどろもどろになりながらオロオロした。


 しかし姿を隠した女店主は、飲むとも飲まないとも返答をしていない弥栄を気にする様子がないようだ。バックヤードから、コポコポと湯の沸く音だけが静かな店内にこだまする。


「あの、私、」


 もう帰りますから、そう弥栄が告げるよりも早く、


「そこに椅子あるでしょ? 座ったら?」


 奥から顔を出して、女店主はニカッと快闊に笑った。


     ※   ※   ※


「人を傷つけてばかりって、どういう意味?」


 カウンター越しに、派手な器に入ったコーヒーを、座っている弥栄の前に置きながら、女店主は無遠慮に聞いてきた。


 あまりに率直すぎて、目を丸めた弥栄は思わず女店主の顔を見遣った。


 女店主の顔には、先ほどまでの笑みはない。

 ただ真っ直ぐな瞳で弥栄を見ていた。


(…どうして、)


 なぜそんなことを聞かれるのか。

 なぜそんなことを初対面の相手に話さないといけないのか。


 疑念に満ちて、弥栄は自らの眉間にしわが寄ったのがわかった。慌てておでこに手をあてがい、俯いた。


 しかしそんな弥栄をお構い無しに、


「アタシね、当たりがキツいらしくて、相手を怒らせたり不快にさせたりすることがわりとあるんだけど、逆に、傷つけてごめんなさい、なんて、言われたことなくてさ。びっくりしちゃった」

「え、」

「アタシみたいな人間にはさ、何を言ってもいい、きっと傷つかない、みたいに思うやつが多いんだよねー」


 そう言うと、また女店主はゲラゲラ笑う。


 弥栄は、そっと顔を上げた。


 女店主は本当に楽しそうに笑っているが、やはり弥栄には、女店主の声音の奥に悲痛な響きが隠されているように感じられた。


「…あの、」

「だからさ、アンタに謝られて、アタシ、なんかちょっと嬉しかったんだよねー ありがとう」

「え、そんな、酷いこと言ったのは私ですから、感謝なんて、」


 しないでください、と言葉にする代わりに、弥栄の頬に一筋、涙が伝った。

 弥栄は驚き、急いで手のひらで涙を拭う。


 その様子に、女店主は小さく笑った。


「酷いことを言ったって自覚を持ってすぐ謝れる人は意外と少ないよ。素敵な人だね、アンタ」


 それはとても柔らかく、温かな言葉だった。


 そして何より、そんなふうに自分を称してくれる人がこの世にまだ居たことに、弥栄は驚き、途端に涙は止めどなく溢れ出た。


 弥栄は慌てて首を横に振る。


「素敵だなんて… 買いかぶりです! そんなことないんですっ 私は人を傷つけてばかりでっ」

「……」

「良かれと思ったことがいつも裏目に出るから、」


 もう女店主は言葉を紡がなかった。


 ただカウンター越しに、弥栄の向かいに腰を下ろし、頬杖をついて弥栄を真っ直ぐ見つめている。


 その顔は少し微笑んでおり、まるで弥栄を慈しんでいるようでもあった。


「私は、私はっ」


 しかし、もはや弥栄の視界は涙で歪んでいて何も見えない。だが言葉は口をついて止まらない。


「だって、…私は、」


 やがて涙声で、震えながら、絞り出すように弥栄が辛い過去を自ら語ると、女店主は弥栄を「悪役令嬢」に例えて可笑しそうに笑った。

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