順風満帆とはいかない
あれから2カ月。
始めて市場に参加した日の私は楽観視していたが……現在、私は焦っていた。森の中、目当ての素材もなかなか見つからない。
もちろん、利益は出ている。現に、同じ時間をかけて作ったとしても刺繍よりはいい収入になってるし。
けどクリスの学費を稼ぐ事を考えると時間が足りない。
もっと大量に作って大量に売らないと間に合わない。でも一人ではこれ以上作れない。材料だって、自分で採取してるから限界があるし自然の恵みにかなり左右される。特にメリアの種。もう拾える場所のは取りつくしてしまってると思う。本当は毎回百個は作りたいのに。……いえ、それは無理ね。さすがにそんなに需要はないし。
それにもう秋も終わりだから、森から材料は採れなくなってきている。乾燥する冬の方が需要が高くなるからと作り溜めたハンドクリームはあるけど、それが全部売れたって必要なお金には届かない。
学校の入学に必要なお金は五百万エメル。パンが一つ百エメルで売られてる事を考えると大体前世の五百万円くらいの感覚だろうか。寮のお金も含まれているとはいえ、我が家にとっては物凄い大金だ。
お父様とお母様も金策はしているが、あと二百万エメルほど足りない。
でもこれ、入学にかかるお金だけで、来年以降は毎年学費もかかるのよ。怖すぎるわね。足りないってなったら残りは寄り親の貴族か、国に借金をする事になる。もちろん利子付きで。
あれから、市場には二週間ごとに商品を売りに行っている。ハンドクリーム以外にも、最下級の魔法薬も結構需要がある。でも採れる材料が少なくなると作れる数も少なくなっていき、今回作れたのは二週間で十八個だけ。しかも完売はしなかった。
一つ千五百エメルのうち、容器代の小さい壺にかかる二百エメルがかなり大きいわよね。でも自分じゃ作れないし、トトラさんの工房で業者にまとめて発注と購入してもらってるからすでに十分お買い得価格になっている。使用済み容器を百エメルで買取もして再利用してるし。
部屋に保管してある、ハンドクリームを売って貯めたお金を思い出した。十四万エメルなんて、以前の自分が見たら驚くような大金よね。でも目標には遠く及ばない。
何より影響が出たのは……街の薬師達がハンドクリームを見て「需要があるんだ」と気付いて最下級魔法薬で似たような商売を始めた事だった。
当然レシピは内緒にしてたけど、プロの薬師が見れば作り方は分かってしまうだろう。別に難しい製法じゃなかったし。
……真似されるとは思ってたけど、こんなに早いなんて。
私……、前世の記憶を思い出した時は、「商品を作ればお金をたくさん稼げる!」って簡単に考えてたけど、商売ってずっと難しいんだわ。
採ってくればタダなんて考えてた材料はあっという間に森からなくなってしまった。当たり前だけど、使ったらなくなるのよね。これ以上採ってしまっては来年以降の森に影響が出てしまう。
一応、材料を仕入れて作っても利益は出る値段だ。でも材料費がかかるようになったら余計に儲けは少なくなる。
それに、作るのにかかる時間を考えるとやっぱり間に合わない。
もっと高く売れる、裕福な人に買ってもらえる化粧品を作りたい。アイディアはあるし、作り方だってある程度考えて……いいえ、そんなの作ったって買ってくれる人なんて知り合いにいないし、伝手もないのに。
「せっかく、私の好きな事を役立てて、クリスのためにお金を稼げると思ってたのになぁ」
森から材料が無限に湧き出てくれたらいいのになぁ。それで、材料を用意して一瞬でハンドクリームが完成してくれたら……せめて、前世にあったような色んな機械があればなぁ。
「……街の薬師達が、ハンドクリームの真似してこなければ良かったのに」
誰かのせいにしたからだろうか。そう考えた自分の心にすごくもやもやして、お金が思うように稼げない悔しさもあって涙がにじむ。
「ダメなお姉ちゃんだなぁ……ごめんね、クリス」
その後、涙を拭いて素材探しは続けたが、ハンドクリームの材料になる薬草はいよいよほとんど採れなくなってしまっていた。
「クリス。ちょっと相談したい事があるんだけど入って良い?」
「うん。どうしたの? めずらしいね」
森から帰ってきた私は、ちょっと気になる事があってクリスを尋ねていた。
私の部屋と同じ広さの――唯一違うのは本棚の存在くらい、そんな部屋に入る。クリス本人の几帳面さがうかがえる、相変わらず丁寧に掃除された部屋だわ。同じ広さのはずなのに、ぴしっと整えられてるから何だか自分の部屋より広く感じる。棚にきちっと整理整頓されて整然と並んでいる本達に、気圧されそう。
こんなに貧乏な貴族家にこれだけの本があるって、すごい事よね。もちろんお父様達が頑張って買ってくれたものだって何冊もあるけど、ほとんどこつこつ自分でお金をためて買ったり、書き写して自分で本を作ったりしてここまでそろえてるのよ。うちの弟はほんと勉強家だわ。
物心ついた時にはクリスは本に夢中だったわね。小さい頃、市場がある隣街に行った時に本屋の店主と仲良くなったそうで、いつの間にか手紙の代筆や写本なんかの仕事を引き受けてきていたのだ。引っ込み思案な子だと思ってたからびっくりしたわ。
クリスは子供らしからぬとても美しい字を書けるから、「なるほどきれいな字はお金になるのか」とあの時は感心したわねー。
そうして写本を作る時に、自分の興味のある分野だったらもう一冊分書き写して、本棚を埋めていったのだ。
だからクリスの部屋には壁を埋め尽くしそうなほどの本がある。そして、それ以上にたくさんの本が頭の中に入っている。そのくらい天才で、本が大好きな子だ。特に好きな分野は「魔法」、それ以外のものも本なら何でも読んでいる。
こう見てみるとさすが姉弟よね。いえ、頭の良さは全然似てないけど、「好きな物」にどれだけ全力になるかって、そういう所が。本や知識が、私にとっての化粧品みたいな感じなんでしょうね。
私はクリスと自分の共通点を改めて感じた。
それよりも、そうそう、相談があったんだわ。
「なんかね、みぞおちの下辺りに変な感じがするというか……違和感があって」
「え? 痛い? すぐにトトラさんを、それか街に行って医者に……」
「ううん、違う、痛いとか具合が悪いんじゃないの」
私はお腹に手を当てながらそう訴える。するとクリスがとても心配そうな声で様子を窺ってきた。立て続けに質問されて圧倒されながら慌てて説明する。
「正確には、何て言うかな……これ、ずっと違和感があったんだな……って最近気付いたというか」
「どういう事? でも具合が悪いわけじゃないんだね?」
「そう。普通だと思ってたけど、これって普通とは違うんじゃないかって気付くきっかけがあって……」
そう思った原因は、やはり前世の記憶だった。前世の自分の体と比べる事で、漠然と「人間の体の構造が違うんじゃないか」感じたのよね。
だって、こっちの世界の人間には魔力なんてものがあるし。違って当然ではある。
私も「魔力なし」だが、正確にはゼロという訳ではない。この世界のものには全て、人間も生き物もその辺の石にも魔力は宿っている。しかし人間で、魔力計測器で数字が出ない……つまり魔法が使えないくらい魔力がない人達を全て「魔力なし」と呼んでいるだけだ。
で、今までは気付かなかったんだけど、みぞおちの下の奥あたりに……なんか「ある」感覚がするのよね、上手く言えないけど。前世の体にはなかったものが。
前世でも走ったら心臓がドキドキするし、お腹を壊したらお腹がギュルギュル言うし、それがどこで起きてるかは分かるじゃない? そんな感じで、「なんかあるな」という感覚があるのよ。
この位置は、魔力操作を初めて習い、魔力を流してもらう時に熱を感じる部分なんだと思うの。「おへその上あたりがあったかくなってくるはずだ」って、アレと無関係とは思えない。
「イライラしたりとか、感情が高ぶる時に、ここに違和感が出るのよね。痛いとかとは違って、ただ『変だな』って感じるだけなんだけど」
「熱いとかじゃなくて?」
「うん。『違和感』としか言えないの」
そしてその違和感は、前世の体では一度も感じた事のないものだった。
上手く言語化できない私だったが、クリスは的確に質問を交えて私の言いたい事を理解していく。さすが双子ね。
「私、魔力を流した事ないじゃない?」
「そう言えば……そうだったね」
魔力を流すというのは、その言葉の通り。魔石を使ったり、指導者と手を繋いだりして「魔力を流す」事をそのまま意味する。
優れた魔法使いは他人の体にも魔力が流せるそうで、そうやって最初魔力の感覚を教えるそうだ。けどクリスに魔法を教えたお父様は身体強化が少し出来るくらいなので、当時魔石を使って最初の「魔力流し」をやっていた。でも、身体強化が出来るだけでも大分便利なのよ。畑仕事とか。
人によっては何個も魔石を使ってやっと魔力が流れる感覚を掴むらしい。幸い、魔石を一個砕いただけで、すぐにクリスは魔力が流れる感覚を掴んで、魔力操作が出来るようになった。やっぱりうちの弟って天才よね。
で、この魔石なんだけど。照明用の魔道具に使うような一番下の等級のものでは流れる魔力が小さすぎて分かりにくいから、一個数千エメルする第三等級くらいの魔石を使うのよ。
当然、私は魔力なしだから、無駄になると分かっていて魔石を砕こうとは思わなかった。お父様は気を使って「ティナもやってみるか?」って聞いてくれたんだけど断ったし。……男爵令嬢としてお茶会に初めて行って、魔力なしだって周りの子供達からかわれてすぐだったのも影響している。
どうせ意味ないし、って思って魔法に関わる事を遠ざけてたのよね。それは今でもそうだけど。
「で、位置が位置だし、魔力が関係してるんじゃないかってふと思ったのよ」
「たしかに、検証してみる価値はあるね」
クリスは頭が良いだけじゃなくて魔法の才能もあるからね。人の体に魔力を流すのだってささっと出来ちゃうのよ。なんたって魔法で水まきが出来るのだ、雨が少ないと特に大活躍している。
それで、その男爵家の子息にしては大きい魔力量と、努力によって身に付けた魔力操作で私に魔力を流してもらおうと思った訳である。
私は双子の気安さで、クリスのベッドにボスンと座って手を差し出す。クリスも私の隣に座って、私達は片手を繋いだ。
「……どう? 魔力を流してみてるけど」
「わ?! すごい、繋いでる手と……さっき言った場所のお腹があったかくなってる?! あと、『変な感じ』が強くなったわ」
体を内側から「何か」が撫でる感覚がする。なるほど、これが「魔力を流す」ってやつなのね。クリスと手を繋いだ方の手から、ぶわーっと温かい風が体中を吹いてるような感じだ。
私は、前世を含めて初めての感触を味わっていた。これが……魔力……。何となく、感動してしまうわね。
「え、ほんとに? なら姉さん、ほんとに魔力があるのかもしれないよ。魔法も使えるかも」
「そうなの?!」
「うん。魔力がある程度ないと、魔力を流した時に温かいって感じないはずなんだよ」
私はワクワクしていた。……魔力なしだからって諦めていたけど、実際自分の手で魔法が使えるかもって思ったら、やっぱり期待しちゃうわよね。
「じゃあ次は、僕が流してる魔力の流れと一緒に、そのお腹の熱を動かそうと意識してみて」
「やってみるわ」
魔力はどうやらあるっぽい。しかしそこから先、魔力を操作する……動かすという事がさっぱり出来なかったのだ。
なんだろう……すごく重い岩を押そうとしてる手応えのなさというか、今まで動かした事がない筋肉を力の入れ方が分からないまま必死に動かそうとしてる感覚というか。
ともかく、やり方が掴めそうにない。トラックを押そうとしてるみたいな気分だわ。固定されてないけど、重すぎて動きそうにない感じ。
「ちょっと流す魔力を強くしてみようか。これはどう?」
「お腹の熱と、変な感じが強くなったわ。あと手もピリピリしてる」
しかし、流れる魔力が強くなった時、おや? と思った。違和感が変わったというか、「このまま強く押したら動きそう」という感触がした。予感とも言っていい。
「本当? ならこれ以上はやめとこう」
「ちょっと待って、何だかもっと強くしたら何とかなりそうな気がするの」
「うーん、でも流す魔力をこれ以上強くしたら手の方は痛く感じると思うよ」
心配そうな顔でクリスは言う。しかし私はここで名案を閃いた。
「今、お腹まで流れる魔力より手に流れてる魔力の方が強いのよね?」
「そうだよ。お腹の方が触れてる場所より遠いから」
クリスは、何を当然な事を、とでも言うような顔をした。
「なら、お腹に手を当てて魔力を流してみましょう」
「……まぁ、姉さんが良いならやってみるけど」
「お願いするわ」
私が、やりやすいように腰に手を当てて胸を張ると、クリスは遠慮がちにみぞおちの下あたりに指先で触れてきた。
「じゃあ、魔力を流してみるよ」
「ええ」
カッ、とから焼けたフライパンか何かを押し当てられたような熱を感じた。
そこから先の記憶はない。