ヘクソン伯爵家のお茶会
今日はいよいよ茶会当日。私は馬車の中で自分に気合を入れていた。
しかし、ジークさんちの竜車を知ってしまうと、我が家のボロい馬車の振動が余計につらいわね。振動だけでなく音もうるさいので、走ってる途中はろくに会話もできないし。
私はそっと、同じように口を閉じているクリスとお母様の方をちらりとうかがった。
うん、やっぱりお母様って美人よね。今朝お化粧してた時もしみじみ思ったけど、クリスを生んだだけあって素材はいい。これはこの先も、お化粧品を実際に使った広告塔として期待できるだろう。
しかし将来忙しくなるかどうかも全ては今日にかかっている。しっかり作った化粧品を宣伝しなくちゃね。そのために、配って数回試せるくらいの試供品だって用意したし。
きんちゃく型のバッグの中に入ったそれらの手触りを布越しに確かめると、ほんの少しだが自分の作った化粧品に勇気づけられるような気がした。
大丈夫、絶対問い合わせが殺到して、クリスの学費がすぐ稼げるくらいにすぐ売れるわ。この化粧品は本当に素晴らしいものなのは事実だし……。
心を落ち着けようとするが、やはり緊張は拭えない。ガタガタうるさい馬車の外から、「ヘクソン伯爵のお屋敷が見えてきましたよ」と臨時で雇った御者の声がして、私はハッと意識を現実に戻した。手汗がすごいわね……。
車体に開けられた窓から外を見ると、たしかに見た事のあるお屋敷が進行方向に見えていた。やれやれ、やっとついたわね。
家の序列に従って正門から少し離れた位置に停めた馬車から三人で降りると、馬車に揺られてくたびれたなんて見えないようにシャンと背筋を伸ばして茶会が開かれている伯爵家の庭園に向かった。ここら一帯の貴族家の婦人と子女が集まっているヘクソン伯爵家の茶会というだけあって、すごい賑わってるわね。
「よし、頑張らなきゃ……!」
しかし会場に降り立った瞬間、私は思わず立ち止まってしまっていた。
招待状に書かれていたように、今日の茶会は立食形式で行われている。会場の隅に休憩用の席は設けられているが、まだ使っている人達はいない。
各々、自分の友人や知り合いと固まって自由にお喋りをしている……そこに入れてくれそうな知り合いに、全く心当たりがなかったのだ。
どうしよう、そういえば私……友達がいないんだったわ。
一応、名前と顔くらいは分かる。でもそんな薄い知り合いがいきなり話しかけてきて、とつぜん化粧品の宣伝を始めるって……どう考えてもダメよね。少なくとも、私だったらそれで紹介してきた商品を買おうとは想わないだろう。
商品を売り込むセールストークはバッチリ準備してきたのに、こんな根本的な事を忘れてるなんて。
「どうしたの? 姉さん。ヘクソン夫人のとこに挨拶行かないと」
「え? あ、ごめんなさい、ちょっとボーッとしてたわ」
私はハッと意識を取り戻すと小走りでお母様達に追い付いた。
そうだわ! 挨拶!
挨拶をきっかけに、この化粧品に興味を持ってもらえばいいんだわ。何で思いつかなかったのかしら。
そうね……ヘクソン夫人がお母様のシミが消えた事に気付いたら、さりげなく私が開発したお化粧品だって言えばいいかしら? それとも私の口紅が、今までにない色をしてるって気付かれるのが先かしら。
茶会の会場の奥、ひときわ美しく整えられた庭木を背景にこの茶会を主催したヘクソン夫人が立っていた。その前にはすでに長い列ができており、彼女と挨拶を交わそうとする貴族夫人や令嬢たちで賑わっている。
さすが、王都でも影響力のあるヘクソン伯爵家よね。こんなに大きい茶会を開く財力と広い庭のあるお屋敷があるなんて。
順番が回ってくると、ヘクソン夫人は私達の前に挨拶していた方から視線をお母様、クリス、私の順番に向けた。
「ヘクソン夫人、ごきげんよう。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ごきげんよう、ルミリエ夫人」
「いつもながら、大変美しい庭ですわね」
お母様に引き続き、クリスと私も挨拶をする。それを見てヘクソン夫人は穏やかに微笑み、軽く頷いた。
「ご挨拶をありがとう。お二人共、是非茶会を楽しんでらしてね。あらビールマンス夫人、お久しぶり」
「ヘクソン夫人、ご無沙汰しております」
しかし、さて、と意気込んだ私が口を挟む間もなく次の人の挨拶が始まってしまったのだ!
ヘクソン夫人の視線もすぐに私の後ろに移り、それ以上食い下がって話し続ける事なんて出来ず、私達は一礼してその場を下がるしかなかった。
私とお母様のお化粧に気付く事もなかったし、紹介する暇もない。……いえ、冷たいわけじゃないのよ。大きなお茶会を主催されてるのだから、仕方ないわよね。過去のお茶会を思い出しても、いつも挨拶なんてこんな感じの流れ作業だったわ。
「……まあ、そんなものよね」
ヘクソン夫人にお化粧について尋ねられて、紹介して注目されて……なんて随分都合よく考えすぎていたみたいね。私は現実を見つめ直した。
まともに知り合いがいないから話しかけづらいとか言ってる場合じゃないわ。このままじゃちゃんと宣伝できずに終わっちゃう。
「それじゃあ、私は知り合いのご婦人たちに挨拶をしてきますから」
「お母様」
「ええ、分かってるわ。新しい白粉と口紅もバッチリ宣伝しておくわよ」
お母様の方は、打ち合わせ通り任せておいていいわね。
欲しい、買いたい、という人がいたら私を呼ぶ事になっている。さて、気を取り直して、私の方もそれまで自分の力でお化粧品を宣伝しておかないとね。
「それで、姉さんは……作った化粧品の宣伝をするんだよね」
「ええ」
「協力するよ? 同年代の人なら僕が一緒にいた方が話をしやすいと思うし。特別親しい人はいないけど、紹介くらいは出来ると思う」
「え? 本当?!」
クリスの申し出は正直ありがたかった。じゃあお願い、そう言おうとして私は思いとどまった。
ダメだわ。いい加減、クリスに頼るのをやめなくちゃ。今までだって、茶会の度に、クリスが優しいからって甘えすぎていた。
友達がいないから茶会の間は苦痛でしょうがなかった。それを気遣ってくれたクリスが何も言わなくても隣にいてくれて独りぼっちを回避できたけど。いつまでも弟の背中に隠れていてはダメだわ。前世も含めたら私の方がずっと年上なんだし。
「……いえ、クリスに頼らずに、一人でやってみるわ。クリスは友達のところへ行ってきていいわよ」
クリスは心配そうな表情を浮かべて私を見た。
「姉さん、僕は別に気を使ってる訳じゃないよ。一人でいると僕の方だって、縁談に繋がる話とかされて困るし……」
「ううん、女性にお化粧品を宣伝するのに、殿方の目があると気にする人もいると思うの」
クリスは同世代の中で目を付けられてるものね。家は貧乏な男爵家だけど、頭は良いし優しいしこんなに可愛いし、魔力も強い有望株だから。でも私がいなくたって、頭が良いクリスはそういったものを上手くあしらえるのを知っている。
「クリス、お兄さんがいる子から来年入学する学園の事を聞くって言ってたでしょう? だから目的に合わせて、ここからは別行動にしましょう」
「……でも。……いや、うん。分かったよ」
「心配してくれてありがとう、クリス。今日は一人でも大丈夫」
私は軽く胸を張ってそう告げた。そう、私がやりたくて作った商品なんだから。自分の力で売らないと。
クリスはまだ何か言いたげにしていたが、分かってくれたようだった。
「何かあったら呼んでね」
「もちろん」
ようやく納得した様子のクリスは、それでも何度か振り返りながら男の子たちが固まっているあたりへと向かっていった。私はその背中を見送り、小さく笑う。
「さて、私も頑張らないとね」
そう呟きながら、私も令嬢たちが固まっているあたりへ向けて足を踏み出した。
前世の記憶が増えただけで、この世界でクリスティナとして生きてきた記憶もしっかりある。茶会に出てる人々が遠巻きに私を見つめている気がした。顔を上げた先の人に目を逸らされたらどうしよう。そう思うと視線すら動かせなくなる。
魔力がない黒髪の令嬢。誰もお前と仲良くなんてしたくない、口をきいてやるのは俺くらいだ。クラウディオにそう言われた記憶が一瞬にして蘇り、胸が苦しくなる。
自分を叱咤しながらも、足が止まりそうになる。
私は内心とんでもなく緊張しながら声をかけた。彼女たちとは、私が初めてお茶会に参加した時に挨拶したきりで、ろくに喋った事もないけど、一応同年代の顔見知りではあるし、お互い名前と顔は知っている。
「ごきげんよう、皆さん」
私が声をかけると、その場にいた令嬢たちは驚いたように一瞬目を見開いた。怪訝そうな顔をしている方もいる。しかしそこは貴族令嬢、すぐに穏やかな笑みを浮かべて取り繕っている。
「まあ。……ルミリエ様ですわね。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
皆一様に驚きを隠しきれない顔をしているのを見て、私は内心苦笑を浮かべた。
まぁそれも当然ね、私って最低限の茶会にしか出なかったし、出たとしてもクリス以外の誰とも話さず会場の隅で人の視線から隠れるように身を縮こまらせていたから。それに、魔力なしという事が一目で分かるこの黒髪の事をとてもコンプレックスに思って、いつもボンネットのような頭巾を被ってずっと俯いていた。
魔力なしの黒髪をバカにされるのでは、と思って人と接するのが怖かったのよね。実際、クラウディオにいつもバカにされてたし。
それが突然黒髪を隠さなくなって、こうして自分から話の輪に入るなんて、以前の私の事を知ってる人からしたらどうしたのかと思うのも仕方がない。
正直、私の顔をちゃんと覚えてる人いなかったんじゃないかしら。貴族には他にいない黒髪のおかげで誰だか分かったみたいだけど……。それくらい、私は人とちゃんと交流を持てていなかったから。
「今まできちんとご挨拶ができていなくて申し訳ありません。私、自分が魔力なしの黒髪だって事がずっとコンプレックスで、閉じこもってましたの。これからはぜひ仲良くしていただけると嬉しいです」
私は正直にそう言うと、その場にいた一人一人の目を見てから頭を軽く下げた。
令嬢たちは意外そうにしがらも、「こちらこそ、ぜひよろしく」と好意的な言葉を返してくれる。やはり貴族には珍しいのか黒髪に向けられる視線は感じるが、私が怖がっていたような嫌な感情を持つ人も、黒髪をバカにしてくる人もいなかった。
……ずっと怖がって友達も作れずにいたけど、何だ。こんなに簡単な事だったのね。
私は気負い過ぎていたせいか、肩の力が抜けたような気がした。
「以前のルミリエ様とは見違えましたわ。もちろんドレスも素敵ですけど、とても明るい表情をされてて」
「ありがとうございます。自分を見つめ直すきっかけがありましたの」
「まぁ、素敵なお話ね」
「せっかく親しくなれたのですから、甘いものをいただきながらお話をしましょう」
「あちらのテーブル席があいてますわ」
新しい化粧品に気付いて声をかけてもらおう、なんて甘い考えを捨てて自分から声を掛けて良かったわ。
シアちゃんもレナさんも年が離れてるから、同年代の女の子の友達ってこの世界では初めてだし。化粧品の宣伝はひとまず置いておいて、彼女たちと仲良くなれるかも、という期待で私はそわそわしながら皆さんと一緒に移動して、生まれて初めてのガールズトークに加わった。
「ヘクソン夫人が主催するお茶会はやっぱり華やかね。参加者だってとても多いですし」
「ほんとに。流石ヘクソン伯爵家だわ。こんなに大きな庭も、いつ来ても見事に管理されてて」
「そうだ、こんなに大きくはないけど、我が家も今度茶会を開く予定なの。雪が降る前にと思ってるので日にちが近いのだけど、皆さんをお誘いしていいかしら?」
「まぁ、ぜひ」
「ルミリエ様にも招待状を送っても?」
「お招きいただけるのですか? とても嬉しいです、ありがとうございます」
以前の私は最低限のお誘い以外は全部お断りしていたから、次第に招待状も届かなくなっていた。これからは周りや家族に気を使わせる事がないようにしたい。
「……あら?」
既に友人同士である彼女達の会話に耳を傾けつつ、時には意見を言う。そうやって会話に参加していると、令嬢の一人――エレノア・ベルトラン子爵令嬢が私のカップを覗き込んだ。
「ルミリエ様、さっきからお茶を飲んでいるのに、口紅の跡が全然ついてないわね」
「本当ね! 普通ならカップに口紅がつくものだけど……どうして?」
全くの予想外のタイミングで化粧品の話が飛んできて、私は思わず顔を輝かせた。
「そうなんです! 実は、これ……我が家が扱い始めた、全く新しい口紅なんです」
「新しい口紅?」
興味を持った四人は私に注目した。彼女達の視線を受け止めた私は、話す内容に気を付けながらセールストークを始める。
しばらくの間は、この化粧品を開発したのも作ってるのも私だとは明かさずに売っていくつもりだからだ。
「はい。この口紅は特別製で、カップに口を付けても物を食べても、石鹸で洗うまで落ちないのです」
「まぁ、それは便利ね」
「そうね、付け直さなくていいし、カップを汚さず紅茶を飲めるのはとても優雅だわ」
予想通り、貴族令嬢としてこの口紅の利点にすぐ気が付いた彼女達は目を輝かせる。
「それに、この口紅は赤以外の色もあるのですよ。私がつけているのはピンク色ですが、お母様はダークレッドを使ってて……他にオレンジ色もあります」
「まあ、そんなに色があるの?」
「ルミリエ様の家が扱い始めたという事は、私達も購入できるのかしら。詳しく聞かせていただける?」
待ってましたとばかりに私は口紅の説明を始める事にした。巾着を開けて、中から口紅の入った貝殻を取り出す。
「もちろん! これは、今までにない色がある上に、落ちにくいという素晴らしい口紅なんです。私こそ、皆さんにもぜひ試していただきたいですわ」
中には二回分は使える量の口紅が入っている。コーティング用のスライム液は乾いたら使えなくなってしまう事など注意事項を伝えた上で、私は彼女達に口紅を一種類ずつ渡した。
「わぁ、すてき」
「こんな色の口紅、見た事がないわ!」
「欲しいと思ったら、我が家までご連絡くださいね。商品の方は、このくらいの瓶に入って、コーティング液とセットで四万エメルで売り出す予定です」
「私、お母様におねだりしてみるわ」
「わたくしも! ねぇルミリエ様、品切れになる前にわたくしの買う分を取っておくようにお伝えしてくださる?」
「私も! 絶対に買ってもらうわ」
今までに見た事がない化粧品を見た彼女達の熱意はすさまじかった。私もたじたじになるくらいの勢いで予約が申し込まれて行き、慌ててそれを巾着の中から取り出した紙束に書き付ける。
周囲にいる他の令嬢や夫人達だけでなく、化粧品になんて触った事もない少年たちまでが「何事か」と聞き耳を立てるくらいに賑やかになっていたようだ。
「ねぇ、もっと他の色も作れるの?」
「はい。もっと赤味の強いピンクとか、黄色に近いオレンジ色も出来ますよ」
「素敵! 私春先のバラみたいな淡いピンク色がいいわ」
「わたくしはほんの少しだけ大人っぽい暗めの赤がいいかしら」
私はそんな話を聞いて商機にピンときた。そうだわ、口紅の色展開をする時は「春先のバラ」とか「午後のガーベラ」とか素敵な商品名を付けたらもっと人気が出るかもしれない。
どんなドレスを合わせるか、各々お母様にどうおねだりするか、化粧品について話が盛り上がる彼女達を見て私は大きな手ごたえを感じていた。




