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武器を手に入れた私はいよいよお母様と本格的に対決する事を決心した。陽が沈まない明るい内にしっかり見てもらわないと。
一度部屋に戻って交渉に使うもの達を取って来ると、私はお母様の部屋の前に立つ。大きく息を吸い込み、何度もシミュレーションしたプレゼンの流れを頭の中で反芻してからお母様の部屋の扉をノックした。飾り気のない、見慣れた室内。しかし今日はその何の変哲もないいつもの光景が私を緊張させた。
「お母さま、お時間をいただけますか?」
「なぁに? ティナ。改まって」
「私が作った化粧品を見ていただきたいの。結婚なんてしなくても私が生きていけるってお母様も分かってくれるはずよ」
お母様は私の方を振り返ると、大きくため息を吐いて見せた。
「ティナ、あなたは女の子なんだから、そんな事言わないで。どうして結婚して幸せになりたくないなんて言うの」
「幸せにはなるつもりよ。ただ、結婚はしたくないだけ」
「貴族令嬢が結婚もしないで幸せになるなんて、無理よ」
私はぐっと拳を握った。お母様の価値観が、この国では普通なのだろう。それは分かっている。だが、私は違うって事を今日こそ分かって欲しい。
いつもはお父様やクリスの前で話していたため、決定的な話までする前にヒートアップしてしまい二人が仲裁に入ったりして結論を話合えていなかった。
でも今日こそはお母様にしっかり分かってもらわないと。
「私は、いい結婚相手が見つからなさそうだからヤケになって結婚しないっていってるんじゃなくて、結婚自体したくないの」
「どうしてそんな事ばかり言うの」
「別に、両親を悲しませたいわけじゃないわ。結婚したら、働く事なんて出来ないじゃない。私は一生お化粧品を作って暮らしたいの」
もちろん、お母様貴族夫人達も仕事はしている。けど商会を持って、経営して、化粧品開発して……なんて認めてもらえないだろう。この国の貴族夫人の立場は、夫や婚家にかなり左右される。
「今から諦めなくても。ティナの言う通りそのお化粧品がとても良い物なら、それに目を止めて評価してくれる方もいるでしょうし」
「ねぇお母様、そんなの目当てにする男と結婚して私が幸せになれると思う?」
「それは、その……」
ただでさえ、私は「魔力がない」という事になっている。この化粧品達は社交界の常識を塗り替えるくらいにすごく売れるから、さぞ注目を集めるでしょう。でもそれで私に申し込まれる縁談って、「魔力はないみたいだけど、商売で儲けてるみたいだし結婚してやってもいいかな」って事じゃない。実は魔力持ちだったって公表するのもそうだけど、絶対に嫌だわ。
さすがにこれはお母様も反論が思いつかないようだった。いかに、私が結婚で幸せになれないかを熱弁し終わった所で、本題に入る。
「お母さま、これを見てください。話はしてましたけど、実物を使ってもらったことはなかったですよね」
私は手に持っていた色白粉の容器をお母様の前に差し出した。ジークさんから届けてもらったばかりの、素敵な白い陶器。リボンの持ち手を摘んでそっと中身を見せる。
今日はこれを、実際にお母様の顔に使って商品説明を行うつもりでいた。
商品を開発してる段階の試作品を使って「こんなもので商売をして生きてくなんて無理よ」なんて言われたくなかったから、実はお母様が私の作った化粧品を使った事はまだないのよね。あのハンドクリーム以外は。
絶対に結婚しないと言い張る私にお母様も意地になってたのか、私が作ってるものを見せてとか使いたいとか言ってこなかったし。モニターになってくれてたマーサとかにそれとなく聞いたり、気にしてる様子はあったけど……。
「まずこちら、見てください。今までにない、肌の色に合わせた白粉です」
「そう、こんなものを作ったの」
お母様は最初興味なさげにしていたが、私が自分の手の甲に塗って実演して見せていると、何だか待ちきれなさそうにソワソワしだした。
「お母様の顔に塗って見せてもいいですか?」
「え、ええ。いいけど」
お母様は私と同じくらいの色白だから、私の肌色に合わせた色白粉がそのまま使える。さらに私はもう一つ、秘密兵器が入った軟膏壺を取り出した。
この中には粘性の高い油脂で色白粉を練り上げた、簡易コンシーラーが入っている。これはお母様が悩んでいる「顔のシミ」に対して、素晴らしい訴求能力を発揮するだろう。
私はこの簡易コンシーラーを、をお母様のシミに上にチョンチョンと乗っけていく。それを指の腹でトントンと優しく叩いて馴染ませて、仕上げにパフで色白粉を顔全体に薄くつけた。
丁寧に作業した私は、仕上がりを見てひとり満足感たっぷりに深く頷いた。
出来上がった、という私の言葉に鏡を覗き込んだお母様の、表情が一変する。
「な、なにこれ!? えっ、ちょっと待って、私のシミが……ない!? どこに行ったの!? 魔法!? あなた、こんな魔法が使えたの?!」
「魔法じゃないわ、お母様。これが私が新しく作った色白粉の力なのよ」
「今の流行りとは違うし、白粉で顔を真っ白くするのは不自然だから諦めてたのに! こんな、肌の色と同じ白粉があるなんて!」
うちはお化粧品を買う余裕はないからお母様もお茶会の時もいつもノーメイクだけど、この世界のスタンダードなお化粧はいつも見てるし、逆に言うとそれしか知らない。
この世界には真っ白い白粉しかなくて、お化粧の技術も発達してない。真っ白になるほどたくさん塗るのは古い、って感覚はあるけど、前世のメイクで培ったセンスのある私から見るとこの世界の貴族夫人のお化粧はまだ歌舞伎の役者さんの白塗りを連想してしまうものだ。肌の色に合わせた白粉を使って、まるでお化粧をしてないキレイな肌に見せる私のメイクはとても新鮮で、驚くだろう。
前世の化粧品を知ってる私からすると、塗った時の使用感とかシミの隠ぺい力にまだまだ不満がかなりあるけど、まともな化粧品が存在しないこの世界では「とんでもないもの」だろう。お母様の興奮も分かる。
私は胸を張って、自分の作った化粧品の力をお母様に披露した。
お母様は震える指でそっと頬に触れると、顔を色々な方向に向けて自分のシミがあった所を穴が開くほど見ていた。
我が家はお父様も畑仕事をするくらい困窮した貧乏貴族だからなぁ。もちろん、お母様も同じく。日に当たる時間が多いせいか、お母様はずっとシミの事気にしてたもんね。色白だから余計に目立つのもある。
「ちょっと、これすごいわよ! 何これ!? 何でこんなに肌がシミ一つなく綺麗に見えるの!?」
「ふふふ。私が作った化粧品はすごいでしょう?」
私は満足げに頷き、今度は口紅の入った貝殻を取り出した。あらかじめ、お母様に似合いそうな色を持ってきている。
「そして、これが新しい口紅です」
「まぁ! 今までに見た事がない色の口紅だわ!」
「そうでしょう。色白のお母様に良く似合う、深い赤にしたわ」
お母様は既に白粉に興奮しきっていたが、そこに追い打ちのように口紅を見せる。すると、まるで生まれて初めておもちゃを見る子供みたいにキラキラした目をして口紅を見ていた。
「これも試しに塗ってみていいかしら?」
「ええ、もちろんよ!」
完全に乗り気になったお母様はされるがままになっていて、大人しくスライム製のコーティング液まで塗られていた。
完全に乾いたのを見計らって鏡を見るよう促すと、その見た事がない綺麗な色味と発色に感動しきりだ。
「ねぇお母様、その唇を自分の手の甲に押し当ててみて」
「え! そんな事をしたら、せっかく塗った口紅が落ちてしまうわ」
「そうならないから大丈夫」
私が言うと、恐る恐るお母様が言われた通りに自分の手の甲に口付ける。そこにべったり着くはずだった口紅の色を想像していたらしいお母様は、キレイなままの手の甲を見て驚きに眼を見開いた。
「えっ、えっ!? 口紅が全然ついてないじゃないの!? どうして!?」
私は得意げに微笑んだ。
「お母様。これが、私がこれから売って行こうと思っている化粧品なんですよ。どうです、すごいでしょう?」
「す、すごいなんてものじゃ……」
「すごく売れるし、生活の心配なんてなさそうだって分かってもらえました?」
お母様はそう言われると、しぶしぶながら私の言葉を認めた。そうよね。売れない訳がないわよね。
「これを茶会で広めるために協力していただけますよね?」
お母様は一瞬だけ、「商売が上手くいったら結婚が遠のく」とでも言いたそうな顔を浮かべた。けどそれを無視して、私は返事を迫る。
「……ま、まぁ、こんなに素晴らしいものですから、もちろん協力は惜しまないわ」
「良かった。じゃあ茶会で同じお化粧をしますから、当日はお知り合いの貴族夫人達にしっかり宣伝してくださいね」
私が想定してたより三倍くらいは簡単に話が進んで良かったわ。やっぱり、この世界ではこんな化粧品今までになかったからかしら、私が思ってたよりすごい衝撃があったみたいね。
お母様はすっかり気を良くしていた。手鏡を熱心に覗き込んで、そこに映ったシミのない肌をした自分の顔に見惚れているように見える。
「ティナ、これは素晴らしい発明よ」
「え、ええ。それは自分でも分かってるわ」
「いいえ、ティナはまだ若いからこれがどんなにすごい事かよく分かってないのよ。私みたいな、年齢的にお肌の悩みがある人には絶対に流行るわ! いえ、すべての女性が欲しがるわね!」
お母様の急激な態度の変わりように私は若干の戸惑いを覚えたが、まぁ協力してもらえるならいいだろう、とひとまず置いておいた。
「それと、お茶会で協力してくれるお母様にプレゼントがあるの」
「あら、この化粧品以外に?」
私が持って来た色白粉と口紅をしっかり手元にキープしてる抜け目のないお母様に、話を切り出す。物で釣って協力をねだるような形にならないように、わざとこの話の前に出さなかったものだ。
「次のお茶会で、ぜひこれを着て欲しいの」
「ま、まぁ……!」
私は、部屋の外に置いておいた箱を持ってきて、目の前で開けてドレスを広げて見せた。深緑色の布がパッと部屋の中で広がる。
それを見て、お母様が目を白黒させていた。私と同じように、お母様もいつも古いドレスをちょっとずつ手を加えて着回ししている。これも古着をサイズ直ししたものだけど、それとは比べ物にならないだろう。
「こんな素敵なドレス、どうしたの……?!」
「メイソンの港街で買ったの。お化粧品の宣伝をしてもらうなら、ドレスも素敵なものを着てもらわないといけないでしょう」
最初は戸惑っていたお母様だったが、ドレスを目の前に口元を抑えてほうと感嘆のため息を吐いた。
この家の財政が苦しい事は分かってる。お母様のドレスも私のドレスも、色あせてるし着すぎて裾や袖が擦り切れ始めてるものしかない。素敵なドレスが着られるってなったら、やっぱりときめいちゃうわよね。
私は、感動してるお母様の顔を見て満足感を抱いた。喜んでくれて良かったわ。
「こんなに素晴らしいプレゼントばかりたくさんもらっちゃって、本当にいいの? ティナ」
「宣伝のためって言ったでしょう? 安心してお母様、次の茶会で着る予定だったものと同じ色で選んだから」
他の参加者との色被りなどはちゃんと配慮していある。まぁお母様が着ていく予定だったドレスは、緑色が色あせて茶色の方が近い色味になっちゃってたけど……。
けど私が化粧品を作り続けるために結婚しないってしっかり主張できたし、作った化粧品の素晴らしさも分かってもらえた。知人の貴族夫人達への宣伝も約束してくれたし、めでたしめでたしね。
お母様は手鏡を覗き込みながら、私がプレゼントしたドレスを体にあてて嬉しそうな顔をしていた。プレゼントしたものを親が喜んでくれるって、やっぱり嬉しいわね。ちょっと予算オーバーだったけど、このドレスにして良かったわ。
「そうそう、お母様……その口紅は石鹸で洗わないと落ちないから、今日寝る前にしっかり石鹸で顔を洗ってね」
「え?! これ、落とさないといけないの?」
何を当たり前の事を、と思いながら私は頷いた。
「時間が経ったら崩れてくるし、何よりきちんと化粧を落とさないと、お肌に悪いわよ」
「でも、せっかくこんなにきれいにお化粧してもらったのに、もったいないじゃない! それに、何回もお化粧したらお化粧品がすぐになくなっちゃうわ」
お母様は大げさに悲しそうにして見せた。
「なくなったらまた作ってあげるし、お茶会の日も私が同じようにお化粧してあげるから」
「ほんと? 約束よ?」
お母様の瞳は真剣そのものだった。私は思わず笑いそうになりながらも、その気迫に押されて頷く。
「絶対よ。今日と同じくらいに綺麗にお化粧してちょうだいね」
念を押してくるお母様のその様子は、まるで小さい子供みたいだった。まぁ、こんなに感動してくれて、作った本人としては誇らしい。
ひとまずこれで、お化粧品の事業にかまけてないで結婚相手を探せってうるさかったお母様も黙るだろう。
目的を達成した私は、部屋に戻るとにんまりと笑顔を浮かべたのだった。