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 水を入れて、刻んだ蝋を入れた軟膏壺を浸した。そうやって蝋を湯せんで溶かすと、赤いスライムの色粉を加えて混ぜる。それを全種類分繰り返していく。


「うーん、口紅っぽい見た目にはなったけど……これじゃあクレヨンだわ。こっちは固まらないで液体のままだし」


 冷えて軟膏壺の中で固まった試作品を指で擦る。指先に色は着くけど、硬い。こんなに強く唇に擦り付けないとならないのはダメね。こっちのさらさらした油を使った方は冷えても固まらず、絵の具のようにしか扱えない。これでは口紅には出来ないだろう。

 色の成分と油が分離したりする様子がないのは良かったけど……。

 もうちょっと良い感じに柔らかく出来ないかしら。筆で塗れるけど滲まないくらいの。


「確か硬いクリームのテクスチャー……感触を柔らかくしたい時はサラサラした油を混ぜて調整するんだっけ」


 私は試作品達をもう一度鍋に戻して湯せんで溶かすと、クレヨンみたいに固まっていた蝋と絵の具みたいにベチャベチャになってしまった油を取り分けて、ちょっとずつ混ぜてみる。それを分量を変えて何パターンか作った。


 冷えて固まるのを待ってもう一度指で触ってみる。どれもさっきより良い感じに柔らかくなっていて、私が知ってる「口紅」の感触に近付いている気がした。柔らかさを出すのはこれで正解だったみたい。

 でもまだ硬すぎたり柔らかすぎたりするので、ベストな柔らかさになる組み合わせと量を求めて何度か湯せんを繰り返して混ぜ直し、細かく調整していった。

 

「柔らかさと、塗った時の使用感も大事だし……」


 そうして試作を繰り返して、ほどよい柔らかさと滑らかさ、私が覚えてる口紅に近い感触になるレシピが何とか決まった。

 手に入りやすさや値段も考えると、口紅に使うのはココ脂が良さそうだ。ココネリアという木の実から採れる油脂である。今まで傷薬の基材としてしか見てなかったけど、手触りとか肌に塗った時のしっとりした感じはシアバターっぽいので、保湿系の基礎化粧品を作る時にも使えるかもしれない。

 やっとひとまずの形になったかな。口紅のベースはこれでいいかしら。ここにさらに「ティーカップにつかなくなる成分」を加える訳だが……。


 口紅に使うために用意しておいた、色成分を取り出した後のスライムの体液を取り出す。しかし、何とか形になった口紅に混ぜようとしても、どうもうまくいかない。

 ムキになって「見えない手」で、前世の機械じゃないと出せないようなスピードで念入りに混ぜたりもしたのだが、一旦混ざったように見えても翌日になると分離してしまった。

 ここにきてようやく思い出す。水と油は混ざらないという常識を私は忘れていたのだ。


「どうしよう、ハンドクリームに使ってた乳化剤は合わないみたいだし……」


 分離する水と油を安定化させる手段は分かる。けど手元には適切な材料はない。今から新しい乳化剤を色々試して探すしかないだろうか? でも次のお茶会で口紅を宣伝したかったのに……。

 うんうんと作業小屋の中でしばらく悩んでいた私は閃いた。そうか、今すぐ完成させなくてもいいんじゃない? 今後たくさん作る時に使う材料は後から探せばいい。


 私は一応形になった口紅を手の甲に塗ると、更にその上に私の魔力を通した後のスライム液を薄く塗った。乾くのを待って指でこすってみたが落ちる気配はない。強くこすると消しゴムをかけたみたいに小さな欠片となって少し取れてしまったが、唇をこんなに強い力でぬぐう事なんてないから化粧品としてはかなりすごいんじゃないかしら?!


 もちろん、石鹸で洗うときれいさっぱり落ちる。完璧ね。

 私は口紅の入った容器と、コーティング用のスライム液の入った壺を見比べてにんまりと笑った。お茶会で宣伝したら、絶対売れるに間違いないわ。


 しかし、ちょっと落としにくいと感じたから、そのうち化粧品を落とすクレンジングも作りたいわね。いや、それよりも、安くて質が良くて臭くない石鹸を作るのが先ね。

 私は片手に持っていた、茶色っぽい石鹸を見下ろした。一応この世界にも既に、いい香りのついた高級な石鹸もある。エルテの屋敷やジークさんちの別荘で使われてるようなものね。


 うちで使ってるような一般的な石鹸は正直質が悪い。……材料は多分植物油だと思うんだけど、古い油臭いと言うか変な臭いがするし、泡立ちも悪いし使うとすごく肌が荒れる。髪だってギシギシになっちゃうし……。

 口紅の次は、シャンプーとボディソープを開発しよう。私は心に決めた。


「ティナお嬢さん、ちょっといいかしら」

「はーい」


 ちょうど声もかかったので、私は作業の手を止めた。ノックの音に返事をして、工房の扉を開ける。


「今日集めた分を確認して欲しくて」

「ケイトさん、ありがとう。今出るわね」


 どうやら口紅の研究に熱中してたら、あっという間に夕方になってたみたいだった。

 私を呼びに来た声の主は、化粧品づくりの素材集めを協力してもらっている村の人だった。農業以外にこれといった仕事のほとんどないわが村では貴重な現金収入の手段になると、希望者が想定以上にいて、皆さん喜んで就業していただいている。今日はケイトさんだけだが、他にも三人ほど雇っているのよ。

 今の所作業内容は、専門知識がなくても出来るソラメ石などの採取くらいだが、口紅のレシピが確定したらもっと仕事が増えるから、また村に仕事を作れるだろう。


 ちなみに、薬師見習の仕事は先日卒業することになった。トトラさんのお孫さんが薬師見習として本格的に仕事を始めたので、私はお役御免になったという円満な形だ。お孫さんが勉強をして薬師になるのは前々から決まってたので、前世の記憶が戻る前の私は焦ってたのよね。化粧品を作り始めた今となっては、自分が働いていた穴をあけずに済んで丁度良かった、なんて都合よく考えているが。

 今では逆に私の方がトトラさんの家に材料の発注をして、感謝されてるくらいだ。

 

 ケイトさんから受け取ったソラメ石を工房の中にしまうと、私も作業を終えてドアにカギをかけて、家に戻る事にした。村の中の開墾されてない土地を眺めながら、ぼんやり考えていた。この村に化粧品の工場でも出来て、たくさんの働き口が生まれたら……街から若い人達が戻って来てくれるかしら。


 クリスの学費や、我が家がこの村の領主だからってだけじゃなくて……。お父様が村の大人達と相談してたような、「クリスの代には村が王国の地図から消えてしまうかもしれない」なんて事態にはなって欲しくない。自分が生まれ育った村だし、後世に残って……いいえ、単に残るだけじゃなくてばっちり栄えて欲しいな。

 立地的には周辺の領のハブ都市にもなれるから、街道さえ整備すれば港と王都の通り道としても良いと思うんだけどなぁ。


「ただいまー」

「お帰りなさい、ティナちゃん」

「ただいま、マーサ」


 家に着くと、ちょうど台所の竈から煙が上っている時間帯だった。出迎えてくれたマーサに挨拶をして、私も一応夕飯の仕度に交じる。

 

「お化粧品を作る仕事は順調?」

「ええ、今日ちょうど新しい化粧品も出来たのよ。素敵な色の、中々落ちない口紅なの」

「あらすごいわねぇ」


 私は台所の中を見渡して、次に必要な作業を見つけて手を動かしながら今日の成果について話した。


「それでね、また村の皆に試しに使って感想を聞かせてもらいたくて」

「お安い御用よ」

「お礼はまた、試してもらった化粧品でいいのかしら」

「それはもちろん」


 マーサを含め数人には、白粉の時にも試してもらっているので話はスムーズだった。

 村の女性達には前回もこうして化粧品自体を報酬にテスターになっていただいた。

 いや、もちろん私はお金を払うつもりだったんだけどね? それよりも、この白粉がもうちょっと欲しいって言われて……報酬は現物支給になった訳である。

 私とマーサが化粧品の話で盛り上がっていると、お母様も会話に入って来た。


「ティナの作ってるお化粧品、上手くいってるみたいで良かったわ、ティナ。でも、そんなに頑張りすぎなくてもいいんじゃない?」


 私は母の言葉に疑問を覚え、顔を上げた。

 何言ってるのかしら。頑張らないとクリスの学費が間に合わないじゃない。さすがにマーサがいるからそんな事言えないけど。

 

「だって、ホラ、もう結婚の事で意地を張らなくても良さそうだし」


 お母様のその言葉に、私は驚いて手に持っていた瓶を落としそうになった。

 幸い、落ちる前に慌てて掴み直して事なきを得たが、彼女は唐突なその言葉に目を丸くしていた。


「結婚? お母様、何の話?」


 私は、本気で心当たりがなくて聞き返した。


「何って、ティナがお世話になってるジークさんのことよ。外国の方だけど、貴族ではあるみたいだし。ティナも色々していただいてるんでしょう、素敵な方じゃない」

「それは……ジークさんが、シアちゃんの事で恩を感じた私の仕事を応援してくれているからで、変な意味じゃないわよ」


 私は少し不機嫌になってそう言った。


「それだけじゃないでしょう。ティナに好意があるんじゃないかしら? だって、普通ここまで色々してくれるかしら。何かしら下心がないと」


 ねぇ、と同意を求められたマーサがちょっと困った顔で笑っている。

 私はこの場の空気が悪くなるのを承知で、はっきり否定しておくことにした。


「お母様、そんなこと言うなんて失礼よ! ジークさんは、私の仕事を評価してくれてるだけよ。私の作る化粧品が素晴らしい物だって……だから支援してくれてるの。そんな純粋な気持ちを、勝手に別の意味に取るなんて……!」


 私は本気で怒りを感じていた。ジークさんは化粧品事業の後援者というだけではなく、友人でもある。年下の私をいつも対等に扱ってくれるし、私がなぜ化粧品を作りたいのかだってちゃんと理解してくれた。


「それに、私、もし結婚を考えるにしても……それなら仕事は中途半端で良いとか、そんな考えで仕事をして生きていくって宣言したんじゃないわ」


 今のは過程の話で、もちろん私だって、ジークさんを結婚相手にとかそんなやましい目で見た事はない。

 だからこそ、向こうは下心があるんじゃないの、というお母様の言葉が絶対に許せなかった。


「でもね、ティナ。お母様はあなたの将来のことを考えてるのよ。ティナの事を評価してくれてるなら、好意はあるんだから、期待できるんじゃないかしら」

「……どういう意味?」

「ティナを気に入ってくれてるんだから、あり得ると思うのよね。やっぱりティナも結婚しないなんて最初から決めつけるんじゃなくて――」

「いい加減にして!」


 私は台所の作業台をバンと強く叩きながら大きな声を出した。

 本気で怒ってる事を理解したのか、お母様はちょっと居心地が悪そうに目を逸らす。


「ジークさんは、私の作った化粧品を良いと思ってくれたから事業を応援してくれてるの! 下心があると誤解するなんて、失礼だし、ほんとにやめて」

「そ、そうかしら……? 前送ってきた時も、ティナを見る目が特別優しかったように見えたけど」


 しつこいお母様の言葉に、私はため息をついた。それは、お母様が「そうであったらいいな」って願望があるからそう見えるだけでしょう。

 はいはい、そうね。お母様は、私に普通の貴族令嬢として結婚して幸せになって欲しいんですものね。


「それは、ジークさん自身が紳士で優しいってだけよ! 私に特別な感情を抱いてる訳ないじゃない!」


 私が腰に手を当ててはっきりそう言い切ると、お母様はやっと怯んだ。


「姉さん、どうしたの?」


 すると、ダイニングにいたクリスが心配そうに台所の入口に立っていた。言い争いの声を聞いて様子を見に来たらしい。


「ねえ、クリスもお母様に言ってあげて。私に下心があって化粧品事業をお金を出してくれてるなんて、ジークさんにすごく失礼よね!」


 私は当然のようにクリスに同意を求めたが、何故かクリスはもにょもにょと何か言いずらそうに口をもごつかせた。


「まぁ……実際……ジークさんは心から姉さんの作る化粧品を応援してると思うよ。下心があってとか、その言い方は適切ではないと思う」

「ほらね!」

「……けど……えっと…………何でもない」


 クリスにしては珍しく、言葉を選んだと思ったら引っ込めた。困った顔してるのが珍しいわね。

 同意を得たは満足げに頷き、お母様の方を向く。


「ほら、クリスだってこう言ってるでしょ。お母様が思い込みで変な見方をしてるだけよ」

「う、うーん……」


 お母様は私と、何だか頭を抱えるクリスの顔を交互に見ると、戸惑ったような表情を浮かべた。


「ジークさんがそんな事聞いたら、嫌な気分になると思うわ。化粧品の後援を打ち切られたら大変。二度と言わないでよ、お母様」

「……分かったわ」


 まぁジークさんは優しいからこれで怒ってどうこうするとかはないと思うけど、お母様はこのくらい脅しておいても良いだろう。


「大体ねぇ、あんなとんでもないお金持ちで、多分貴族と言ってもうちよりうんと位が上の人でしょ。そんな人が私なんて選ぶわけないじゃない」


 ジークさんは中身も素晴らしい紳士だけど、話が長くなるので言及はしない。どれだけ格が違うお金持ちだと思ってるのかしら。お母様はあの別荘見てないから実感がイマイチ湧かないのかしら?

 言い寄られ過ぎて女性が怖いとも言ってたから、そっちの意味でもあり得ないし。プライベートな事だからこの話はもちろん言わないが。


「ほらクリス、席について。私が運んじゃうから」

「分かったよ……」


 まだ私に結婚させる事を諦めてないお母様と、何だか考え事をするクリスを置いて、私は夕食の準備を終わらせにかかった。



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