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「ティナさん、本当にありがとう。白粉を作ってくれただけじゃなくて、シアの笑顔を取り戻してくれて」
「お力になれて、本当に良かったです」
シアちゃんが喜んでくれた事、私が力になれた事、どっちも嬉しい。二人が笑顔を浮かべてる光景を見て、私は涙ぐんでしまっていた。だってこんな感動的な場面、何も感じない方が無理よ。
しかし私が目をぐずぐずにしながら喜んでいると、ジークさんから何故かじっと見つめられてしまった。泣き顔をそんなにじっくり見られるなんて恥ずかしくて、私は前髪を直すふりをして顔を隠す。
「お兄様、そんなにティナちゃんを見つめたら失礼よ」
「す、すまない。つい……」
つい、何? そんなに私が涙ぐんでる顔が面白かったのかしら。やだわ。
泣き顔を見られてたかと思うと恥ずかしくて、つい顔を背けてしまう。私を見てきたジークさんの顔も赤かったのには、この時の私は気付かなかった。
シアちゃんが無事部屋から出て来れたので、私達は最初に案内されたサロンに戻って、シアちゃんも交えてお茶の続きを楽しむ事となった。
レナさんと、ライさんも後ろで嬉しそうな顔をしている。皆シアちゃんの事、心配していたのね。
「私、ティナちゃんの隣に座るわ」
なんて可愛いのかしら。懐いてくれて、私も当然嬉しい。
椅子を近付けて座ってくれたシアちゃんは、レナさんが作ったのだというお茶菓子を私に一つ一つ説明してくれた。シアちゃん達の国、ナルガリヴィアの伝統的なお菓子らしい。
当然私もクリスも初めて食べる。すごく美味しいわ! なんかこう、丁度良い感じにサクサクしてて……こっちもサクサクで、匂いも良くて……うん、私に食レポの才能はないみたいね。
私はシアちゃんと楽しくおしゃべりを続けながら、時折クリスにも話題を振る。
けどジークさんはシアちゃんが来てから静かになっちゃって、全然会話に参加してこなくなった。私達を見てるから会話に興味がない訳ではないと思うんだけど……。
妹が元気になって、まだ感動が抜けきってないのかな。私はそう理解した。
「ジーク様」
「あ……そうだ、ティナさん、今回の件の代金を」
「お礼?」
「白粉を作ってくれた事について、感謝の気持ちも含めてどうか受け取って欲しい」
そのままぐるっとテーブルを回って来たライさんから受け取った袋の中身を見て私は仰天した。
「多すぎるわ!」
「いや、そんな事はない。この白粉はシアのために作ってくれたんだろう? 材料を探すところから」
「それはそうですけど、でも……」
そう、その袋の中には私が受け取るのをしり込みするくらいの金額が入っていたのだった。
これ、善意なのよね。それに、シアちゃんの笑顔を取り戻した事をそれだけ感謝しているんだろう、それは本当だと思う。でも、だからって……これはいくらなんでも多すぎなのよ。
チラッと見ただけだけど……我が家の財政問題が解決するくらいの金額は入ってたわね。クリスと目を合わせると、こちらもやはり青ざめた顔をしていた。まぁそう思うわよね。
「こんな大金、受け取れません」
「何故? 正当な報酬だ」
まぁ、生きてきた世界が違うのだろう。ジークさんは心底不思議そうな顔をしている。
ライさんはちょっと気まずいような顔をしているので、この額が大きすぎるというのは分かっているらしい。もう、主人の暴走を止めるのも従者の役目だと思いますよ!
私は頭をひねりながら言葉を考える。お礼をしたいと考えてくれたジークさんの思いを無碍にしたい訳ではない。
「……この金額は、ジークさんにとっては……感謝した相手にポンと渡していいと思えるものなのでしょう。でも、私達からすると、お化粧品を一つ売っただけで手にしていい金額ではなくて……」
「でも、私はシアをまた笑顔にしてくれた事が本当に嬉しかったんだ」
「お気持ちは本当にありがたいです。でも……」
お金持ちの金銭感覚のズレって怖い。
すると、私が困っているのを見かねたシアちゃんが助け舟を出してくれた。
「ティナちゃんは、お礼が多過ぎだって思うのね」
「うん、そうなの」
「だったら、ティナちゃんに白粉をたくさん注文するわ! 商品の予約のお金ならいいでしょう?」
「予約? でも……この金額で予約って言ってら、ティナちゃん一人じゃ一生かけても使い切れない量の白粉を買う事になっちゃうわよ」
「うーん……じゃあ私みたいに顔に怪我とか、痣があって気にしてる人達がいるでしょう? そういう人達にこの白粉を分けてあげるの」
子供らしい、でも夢のある言葉だった。シアちゃんはとてもいい子なのね。心がほっこりするわ。
「それは、良いアイディアかもしれない」
「え?」
私はジークさんの言葉に首を傾げた。……白粉をこれからたくさん買うって名目で私に大金を渡すって事? ちょっと不満げな顔になってしまった。
「ティナさん。商会を作らないか?」
「しょ、しょうかい?」
あまりに突然すぎて、私は言われた言葉の意味を頭で上手く受け止めきれなかった。口をポカンと開けて固まった私に構わず、ジークさんは話を続ける。
「この白粉は実際とてもすごい需要を産むと思う。良い商品だ」
「えへへ……そうですかね」
いきなり褒められて私は思わず照れてしまった。そうよね、真っ白い白粉しかなかったから、これってすごい革命になると思うの。
「だからティナさん、これは投資なんだよ」
「投資……」
「ああ。だから当然私にメリットがある。ティナさんはもっと……例えば前話してくれたような他の化粧品を作ってもいいし」
なるほど、スポンサーになってくれるという訳か。
でも実際、私が考えてる化粧品は絶対に売れるという確信はあった。だって同じような世界だった前世でも、大昔から続いてあんなに大きなコスメ市場が生まれたんだから。
でもそんな大金、売れるから援助してあげるって言われてもらっていいのかしら……。
「もちろん私は資金や人手、場所を提供するだけでティナさんが作る商品の権利なんかを欲しがったりはしない」
「そ、それは心配してませんでしたけど……」
どうしよう、どんどん追い込まれていくわ。私は困り果てて、クリスの方を見た。
「姉さん、僕はすごく良い話だと思うよ。化粧品を作る事を仕事にしたいって言ってたじゃないか」
いや、実際そうなのよ。すごく良い話なのは分かってるんだけど。それに、ジークさんなら信用出来ると思うし……。
それに、こんな良い提案をもらえる事なんて、この先二度とないと思う。
「あの……じゃあ、両親に相談してみてもいいですか?」
「! もちろん、今度改めてご挨拶に伺って、その時商会の計画書も持って行くよ」
ジークさんはパッと笑顔になると、私の手を……握ろうとして、直前で止める。空中で自分の手の行き先を持て余した後、取り繕うように自分の前髪を弄っていた。
握手をするのかと思って手を差し出しかけた私は、それを眺めてる事しか出来なかった。ジークさん、どうしたのかしら。なんかぎこちないというか、様子がおかしいわね。
「こんなに良い商品を世の中に広めないなんて、損失だからね」
店を作ろう、って猛プッシュしてくれると思ったら、なるほど。それだけ白粉の事を気に入ってくれたらしい。
「そんなに惚れこんでいただきありがとうございます」
「ほ、惚れ?!」
お礼を口にした私の言葉に、ジークさんは急に、沸騰したみたいに真っ赤になった。耳の先から花のてっぺんまで色が付く。色が白いからよく分かるわね。……この色のチーク欲しいなぁ。
「え、あ……」
頭から湯気が出そうなくらい赤くなったジークさんがぎこちなく私の方を見る。
何故こっちを見るのか分からなくて、私はまた助けを求めるようにクリスに視線を向けた。
「ジーク様、ティナ様は白粉の事を言ってるんだと思いますよ」
「そうですね。そんなに推していただけるくらいこの白粉を評価していただき、ありがとうございます」
ライさんの言葉に私も頷く。
話の流れ的に、それしかなかったでしょう。何とどう勘違いしたのかしら? と私は内心首をかしげていた。
「そ、そうだね……コホン。……えぇと……クリス君、戦盤をやるって言ってたよね? 良かったら相手をしてくれないかな」
「はい、喜んで」
ああ、あのチェスみたいな奴ね。ふふふ、クリスはすっごい強いのよ。
「逃げましたね……」
サロンの壁際に置いてあったボードゲームに向かう二人を何となく眺めていると、後ろで小さくつぶやく声が聞こえた。
「? レナさん、逃げるって何からですか?」
「ああ、いえいえ。こちらの話です。失礼いたしました。それより次のお菓子はいかがですか?」
「わぁ! 美味しそう!」
「これね、私も大好きなのよ」
ジークさんの発言はちょっと気になったけど、新しいお菓子の登場によってその事はすぐに忘れてしまったのだった。




