兄妹
「シアちゃん、初めまして。私はこの保養地の向こうの村に住んでるクリスティーナって言うの。ティナって呼んでね」
「……会いたくないわ」
私は豪華な扉の前で声をかけた。
会話にはならない。でも返事はあったので、私の言葉は聞こえていると言う事だ。私は一方的に話を続ける。
「私ね、ジークさんに頼まれて新しい白粉を持ってきたの。シアちゃんが、傷痕を気にしてるって聞いて」
「……お兄様が?」
「うん。今使ってるのは真っ白い粉でしょう? 新しい白粉はね、シアちゃんの肌と同じ色で作るのよ。それを使えば、傷痕をもっと隠しやすくなると思うの。ねぇ、ちょっとだけ試してみない?」
私が問いかけると、扉がおそるおそる内側から開いた。これは招かれてると思って良いだろうか。
私は廊下の向こうからやり取りを見守ってたジークさん達に手を振ると、「じゃあ、お邪魔します」と声をかけて部屋の中に足を踏み入れる。
部屋の中は薄暗かった。ドアを開けたシアちゃんを探して部屋の中に視線を巡らせると、お面を被ったように顔を白く塗った女の子がそこにいた。
髪はジークさんより色の濃い銀髪、丸みを帯びて小さいけど似たような角が額の両端から生えている。
本当に、傷痕を隠したいから……そのためにお化粧をしているようで、他のメイク、眉墨や口紅は塗っていない。でも小さな子供が顔の表情が分からなくなるくらい白粉を厚く塗っているのは痛々しかった。
「……本当に火傷の痕が消えるの?」
「ええ、もちろんよ」
シアちゃんは心細そうにそう聞いてきた。
断言したのはやりすぎだったかと思ったが、ここは自身を持っていく。もちろん大きく目立つ傷痕だったら隠しきれないだろうけど、ジークさんは薄い傷痕だと言っていた。だから十分何とかなるはず。
「まずは、今塗ってるお化粧を落とすわね」
「……うん」
こうなる可能性も考えて、部屋に来る前にレナさんから洗面所の使い方は教えてもらってある。
やっぱり便利ね。前世の水道の蛇口みたいに、使いたい時に使いたいだけキレイな水が出て来る魔道具を見下ろしてつづくそう感じる。こういった環境が当たり前だった前の人生って、とても恵まれてたわねぇ。
白粉を全部落とすと、そこにはまばゆいばかりの美少女が現れた。メイクは好きだけど、やっぱりこのくらいの歳なんて何もしないのが一番可愛いって思っちゃうわね。
肝心の傷痕だが、ジークさんが言っていた通りほとんど気にならない。よく見ると、おでこの片側と目の横まで他の肌よりちょっと肌がピンク色かも、と思える部分があるけどそれだけだった。でも結構広い範囲を火傷したのね、可哀そうに。
「今、シアちゃんの傷痕が一番キレイに隠せるように、白粉の色を調整するからちょっと待っててね」
「……うん、分かった」
私はソラメ石で作った白粉の瓶の中に、少しずつ赤と黄色を足していく。色を加えるたびにしっかり混ぜて、何回もシアちゃんの顔の横に持って行って、色味を確認した。
「はい、出来たわ。これがシアちゃん専用の、新しい白粉よ。じゃあこれからつけていくからね」
普段シアちゃんが使っているお化粧の道具も、ドレッサーにあるものは自由にしていいとも言っていただいている。私はドレッサーに置いてあった瓶の中身を確認して、クリームを探し当てる。
「傷痕の上に直接触るけど、大丈夫?」
「うん」
掬う用のスパチュラはないみたいなので……クリームを指で少し取ると、丁寧にシアちゃんの傷痕の上に伸ばしていった。
白粉はほんとにただの粉なので、付けただけでは重力に負けて段々落ちてしまう。なので、こうしてクリームを下地の代わりに使ってあげる。そうするともっとしっかり白粉がついてくれるのだ。もちろん、将来ちゃんとした化粧下地も開発したいけど。
次に、高そうなメイクブラシを手に取る。その先端に今調整したばかりの色白粉をつけると、シアちゃんの肌を優しく、でもしっかりと撫でていく。
いきなりたっぷり付けるんじゃなくて、こうして薄く何回か塗り重ねると他の肌との境目が出づらくなる。
「……出来た。シアちゃん、鏡を見てみて」
「わぁ……!」
恐々とドレッサーに視線を向けたシアちゃんは、そこに映った自分の姿を見ると歓声を上げた。
思わずと言ったように、自分の額に手を伸ばしてそっと触れている。
「ほんとに、火傷の痕が分からなくなってる……!」
部屋が薄暗かったのと、鏡だって私の前世にあったものほどくっきり映る訳ではない、それにも助けられたんだと思う。
嬉しそうに、満面の笑みを浮かべたシアちゃん。パッと笑顔になって、頬にバラ色の赤みが差す。何て可愛いのかしら。
元からお人形みたいに可愛いと思ってたけど、笑顔になったらとんでもない可愛さだわ。クリスの次くらいに可愛いんじゃないかしら。
さっき、子供は化粧しない方が可愛いなんて言ったけど撤回するわ。この子にドーリーメイクしたい! まつ毛にたっぷりマスカラ付けて目を強調して、でもお肌はやっぱり何も塗らないでキレイな素肌を見せた方がいいわよね。ピンク色のリップを塗って……服もフリルとリボンのついたお人形さんコーデにするの。絶対似合うわね。
うーんやっぱり早くアイメイクのアイテムも作りたいなぁ。
お化粧の力によって笑顔を取り戻したシアちゃんの姿を見て、私は前世の記憶の中から大事な事をもう一つ思い出した。
そうだ、私。メイクがただ好きなんじゃなかった。もちろん、お化粧自体が好きだったのも本当よ。
私。素敵な自分になれたとか、そうやって……メイクをした人が笑顔になるのが大好きだったんだ。人を笑顔にしたいって、だからお化粧の仕事をして生きていきたいって思ってたの。思い出したわ。
「あのね……ティナちゃん、ありがとう」
「私の方こそありがとう。シアちゃんを笑顔に出来て本当に嬉しい」
長いまつ毛に水滴がついている。涙の滲んだ大きな目を細めて八歳らしく笑ってるシアちゃんの笑顔を見て、私は改めて「この白粉が作れてよかった」と心から思った。
「良かった……私ね、もう可愛くなくなっちゃったって思って、ずっと悲しかったから」
まぁ、そうね。他人から見た傷痕の大きさなんて関係ないのだ。シアちゃんは現にずっと悩んでたんだから。でもこれだけは言っておかないと。
私はドレッサーに向かった座るシアちゃんの隣に膝をつくと、その手を取って彼女を見上げ、しっかりと目を合わせた。
「シアちゃん。私シアちゃんが傷痕が隠れたのを喜んでくれて、良かったって思うわ。でもね、傷痕があっても、可愛くて素敵な子にはなれるのよ。えっと、見た目の事じゃなくて……」
シアちゃんの手は固く閉ざされている。
「傷痕があったらもうダメだとか、そんな風に考えて欲しくないの」
「……でも、女の子は顔に傷が残ったら幸せになれない、結婚も出来ないって……」
「は?! 誰がそんな事言ったの?!」
思わず大きい声を出してしまったわ。声に涙がにじんでいたシアちゃんがびっくりしてる。まぁ、驚いて涙が引っ込んだみたいだから結果良しとしよう。
「……ヒスイお姉様」
「ジークさんの他にお姉様もいらっしゃるのね」
「うん、たくさん……お姉様も他にもいるし、妹や弟も……ジークフリート兄様以外は、お母様が違うけど」
ジークフリート……はジークさんの事だろう。あー。なんか事情がありそうなのは分かってたけど……。ただの貴族じゃなくて、ややこしい家庭環境をお持ちのようだ。
それに、保護者のジークさんがいるとはいえ親の姿かたちがさっぱり見えないのもかなり不自然よね……。
私はそこには触れないで、話を進めていく。
「絶対そんな事ないわ。性別も、結婚も、傷痕なんてものも関係なく……人は幸せになれるのよ」
「本当?」
「本当よ。そもそも私は別に結婚したくないし、一生しないつもりだけど。こうやってお化粧品作って、人を笑顔にしながら生きていけたらこの先も幸せだし。ねぇ、私とそのヒスイお姉様って人と……どっちの言葉を信じる?」
「……ん、ティナちゃんの方」
シアちゃんはもう一度、心からの笑顔を向けてくれた。
「お兄様、怒ってないかな」
色白粉で傷痕だけ薄く隠したシアちゃんは、部屋から出ると心に決めたようだ。でも廊下にいるはずのジークさんと顔を合わせる決心がつかないみたいで、ドアノブに手をかけたまま動けずにいる。
「ジークさんはそんな事しないと思うわ」
「うん、お兄様は、お優しいから……でも、私の顔に火傷が出来てから、お兄様はずっと悲しそうな顔ばかりで。私の顔が可愛くなくなっちゃったからかなって、ずっと不安で……」
なるほど、ジークさんはシアちゃんを気遣うあまり、本音がちゃんと伝わってなかったのね。
私はシアちゃんの笑顔のために、もうひと肌脱ぐことにした。
「ジークさんがシアちゃんの事を大切に思ってるのは、シアちゃんの顔が可愛いからじゃないわよ」
「……え?」
「逆よ。シアちゃんの事が大切だから、可愛いって思うの」
「ほんと?」
「そうよ。ジークさんがシアちゃんのために新しい白粉を作って欲しいって言ったのは、傷を隠して欲しいからじゃないの。……傷を気にして悲しそうにしてるシアちゃんに、また笑顔になって欲しかったからだって、そう言ってたわ」
「お兄様……」
やっとすれ違いが解消して心配事のなくなったシアちゃんは笑顔のままドアの外に駆け出た。
「シア! 良かった、元気になったみたいで」
「お兄様、心配かけてごめんなさい」
「良いんだ、シアがまた笑顔になってくれて嬉しいよ」
ジークさんが床に膝をついて、シアちゃんを抱き留めた。
二人が抱き合って喜んでるその様子は、大きな窓から降り注ぐ光を浴びて、まるで宗教画みたいに美しい光景だった。
はぁ……なんか良い物見ちゃったわね。