メイソン領の保養地で
「嫌! こんな顔で誰にも会いたくない! 帰って!」
完成した白粉を持ってジークさん達が滞在する別荘を訪問したのだが、残念な事にシアちゃんは私と会おうとはしてくれなかった。
顔に怪我を負った彼女の心の傷は深いみたいで、部屋のドアを閉じたまま、客人を紹介しようとしてくれたジークさんの声も途中で遮られてしまった。
「わざわざ来てくれたのにごめん、ティナさん」
「いいえ。それだけショックな事だったんでしょうから」
拒絶された私の後ろでクリスも残念そうな顔をしている。
うーん、直接渡せなさそうだけど、しょうがない。一応使ってもらう予定の色白粉は持って来られたからよしとしよう。
でも、人前にも出られないってかなり深刻よね。お医者さんとかに相談はしてるのかな? と心配になったけど、部外者の私が聞く事じゃないわね。
「シアの事は残念だったけど、それとは関係なく、二人共私の友人として歓待させてくれないかな」
「ええ、喜んで」
サロンルームのような所に案内されると、そこにはすでに三人分の席の用意がされていた。クリスと一緒にテーブルについて、思わず周囲をそわそわと見回してしまう。
……お屋敷を外から見た時からずっと驚きっぱなしだけど……とんでもないお金持ちよねぇ……。
だって、こんな大きな板ガラスをたくさん使ってる部屋、この世界で初めて見たもの。我が家の窓はほとんど板戸で、ガラスを使っているのは応接にも使う執務室だけ。それも、丸いガラスと三角形のガラスを金属の枠で繋げて無理矢理一枚のガラスにしているもので、前世だと外国の古い建物でしか見ないようなものだ。
それと比べてこのつなぎ目のない板状のガラスがどんなに高価な物か想像もつかない。前世ではガラスとはありふれたものだったが、この世界の常識で考えるとどんなにすごい事かよく分かる。
ここに来るまでの廊下にずっと敷いてある絨毯が豪華すぎて土足で上を歩いていいのか尋ねたくなるほどだったし。その辺に飾られてる壺を一つでも割ったら、我が家の財政なんて吹き飛んでしまうでしょうね。
私は伸ばしていた背筋にさらにピンと力を入れた。
「彼女はレナ。二人を迎えにも行ったライの妹で、主に妹の世話をしてもらっている」
お茶とお菓子をワゴンで運んできた背の高い女性の獣人さんをジークさんが紹介する。
「私はニール狼族のレナ。シア様の侍女をしております」
クリスと一緒に自己紹介をしながら、私はレナさんの姿に見入ってた。
わぁ……素敵な女性。手足が長いからパンツルックが似合いそう。褐色の肌を生かしたホワイトやラメを使ったメイクをしてみたいわ……! シンプルなメイクに大ぶりのアクセサリーを付けるのも素敵ね。
私は、クリスティーナとして生まれてから初めて見るタイプの女性と出会って、メイク欲が刺激されていた。うーん、やっぱり光沢やラメになる素材が欲しいわね。
「あの、クリスティーナ様。ハンドクリーム、使わせていただきました。あれは、とても良い物で……ありがとうございます」
「役立てていただいたのなら嬉しいです」
私は嬉しく思ってそう返事をしつつも、違和感を抱いて内心首を傾げた。侍女さんなのに何で手荒れに悩んでいたのかしら? このくらい大きな家だったら細かく仕事が分かれてて、侍女は水仕事を普通はやらないと思うのだが。
多分私が疑問に思ってる事が分かったんだろう、ジークさんが補足説明をしてくれた。
「今この屋敷には、私とシア、それにライとレナの四人しかいないんだ。二人共優秀だけど、大分負担をかけてしまっている」
「……いいえ。問題ございません、ジーク様」
私とクリスはその言葉にびっくりしてしまった。このお屋敷を立った二人の使用人で?! でも、確かにライさんとレナさん以外の人、見てない……。
これだけ裕福な家なら便利な魔道具もあるでしょうけど……それにしたって無茶に思える。侍女のレナさんの手が荒れる訳だわ。
でも、絶対変よね。お金はあるでしょうに、わざわざ人を雇わないなんて。
私は隣に座っているクリスとアイコンタクトをした。うん、分かってるわよ。事情がありそうだから触れないわ。
「えーっと、そうそう。シアちゃんに使ってもらう新しい白粉について使い方を説明したいんです。レナさんにお話しするのでいいかしら?」
「はい、承ります」
私は不自然なくらい急に話題を逸らした。仕方がない。黒髪がコンプレックスでずっと人前を避けてた私は、お茶会で養うはずの社交スキルが低いままなのだ。
断りを入れた上で、私は白粉の入った壺を三つ取り出してテーブルに並べる。
「三つも用意していただいたんですか……?」
「ええと、これ、三つで一つの商品なんです。今説明しますね」
不思議そうにしているレナさんに、壺の蓋を開けて中を見せていく。
「これは、従来の物の代わりになる、薬にも使われている安全な成分で作った白粉です。これだけで使うなら従来の白粉と使い方は変わりません」
ふむふむと頷いているレナさん。ジークさんも興味深そうにしている。
「それでこっちが……」
「え?! 赤に……黄色い粉?!」
「はい、そうなんです。この三つを混ぜると、その人の肌に馴染む色の白粉が作れるんです」
私は、自分の肌の色に合わせて調整した色白粉の入った別の壺を取り出すと、一つまみ程手に取る。それを手の甲に乗せて、指先でくるくると伸ばして見せた。
「すごい! 小さな黒子がありましたけど、見えなくなりました」
「今までのお化粧のように顔を真っ白にするんじゃなくて、これなら……シアちゃんの傷だけを隠してあげられるんじゃないかと思って」
胸を張って色白粉の事を自慢していた私だったが、「肌の色」と口にして気が付いた。レナさんみたいな褐色の肌の人の事、頭から抜けていたわ。この先でもし売る時は茶色い粉も用意しないと。
そしてジークさんがあまりにも興味津々で首を伸ばして色白粉を見るものだから、私は彼の前に自分の肌色に調整した色白粉の入った壺を置いてあげた。どうぞご自由にご覧下さいと手のひらで指し示す。
私がやったように一つまみの粉を取り出して自分の手の甲に塗ってみたり、ひとしきり試した後ジークさんは感極まったように声を漏らした。
「何て……素晴らしいものを作ってくれたんだ、ティナさん」
「ええ、本当に。これなら、塞いでいるシア様のお心を慰める事が出来るかもしれません」
ジークさんもレナさんも、とても喜んでくれているみたいだ。良かった、今回の目的は果たせたみたいで」
「あの、シアちゃんの怪我って……そんなに目立つ傷が残っちゃったんですか?」
私が気になってそう尋ねると、ジークさんは表情を曇らせた。
「正直、私の目には薄い傷痕しか見えない。余程近付かないと分からないだろうとも思う。医者も成長と共にもっと目立たなくなると言っていたが……でもシアはとても気に病んでいるから、何とかしてやりたいんだ」
「そうなんですね……」
「以前は良く笑う子だったんだ。庭に出て花を育てるのが好きで……怪我をしてからは、外に出るどころか……笑顔を見た覚えもなくて」
寂しそうに俯くその横顔を見て、私は気付いた。
そっか。ジークさんは、ただシアちゃんの傷のためってだけじゃなくて。シアちゃんに笑顔になって欲しくて、お化粧品を作って欲しいって私に依頼したのね。
「ジークさん、お願いします。シアちゃんと話をさせてください」
「しかしシアは誰にも会いたくないと……」
「ドア越しに手を見せてもらうだけでもいいんです。シアちゃんが傷痕を忘れてまた笑顔になれるように、肌の色に合わせて白粉を調整させて欲しいんです」
「シアのために……そうか、分かった」
私はジークさんの許可を得て、再びシアちゃんのお部屋の前に向かった。