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第18話 黄昏が手招く

 首が絞まって、息ができなくなる。苦しいけれど、その程度ではこの身体が死ねないことを知っている。だから、平気。


 こんなのはいつものことだからあたりまえだ。


 むのうだから、あたりまえ。


 ギリギリと、首が、締まって──。


「ッ、はぁっ、はぁっ……」


 脂汗まみれで楓は飛び起きた。抱き締めていた刀を殊更に強く抱いて呼吸を整える。息を吸って吐く度に、刀の鞘に触れた手から順繰りに身体の感覚が戻ってくる。


 朝の澄んだ空気が部屋の下に沈殿していた。畳まれたままの真新しい布団は、置いたときからシワの位置ひとつ変えていない。


「……はぁ」


 溜息。朝には似合わない鼠色の息をついた。


「こんな、つもりじゃなかったのになあ」


 五星結界の中の日が巡る世界に連れてこられた日に、何もかもが変わるのだと、変われるのだと信じた。けれど、まだ──冷たい夜の足音が聞こえる。





 楓にはそう縁のないことではあるが、部活動の新歓──新入生勧誘期間が始まった。パレードでも何かが始まったみたいに仮装した生徒たちが校内外に溢れかえり、勧誘活動──もとい勧誘戦争が勃発していた。授業が終わり、とっとと帰ろうとしていた楓には人でゴミゴミとしている廊下は最大の障害。


 ピエロに扮した生徒が鈴付きの頭を揺らしてさまよっている。首に掛かっているのは『ピエ研部員全力募集! キミもピエロになろう!』とか書かれた蛍光色のプレートだ。見るからに弱小そうな部活……、と思った側からバスケットボール部のユニフォームを来た生徒の一軍によってどこかへ弾き飛ばされていった。その後から白い道着姿の武術系と思しき部活が団体様で廊下の角を曲がってやって来る。さすが普段から鍛えているからなのか、筋骨隆々なみなさま多し。


 鞄を抱え、教室のドアから楓は慎重に出て行くタイミングを見定める。ちらと横を見れば、教室前方のドアから出たばかりの光希が人混みに呑まれて消える瞬間が見えた。思わず静観すると、各部活の生徒に引っ張られて揉まれて、光希はボロ雑巾みたいになっていく。


「ははぁ、学年首席も大変なこって……」


 楓は呟いてから、あの放課後の出来事を思い出す。気分が憂鬱になってしまいそうだったから、慌てて頭を振って記憶の底に沈めた。


「ボクには、関係ないだろ」


 気配を殺して人の海を渡った。正門へ続く道はやはり部活勧誘の生徒たちで埋め尽くされているし、裏手に回って寮に戻るのが最善か。こつ、と楓の靴音が硬い床を叩く。足を進め、階段へ向かった。


 すると、部活動の勧誘による喧騒は校舎裏までも広がっていたことに気づく。枯れる寸前の声で「一年、初心者、大大大歓迎ッ!」なんて叫んでいるのも聞こえる。どこもかしこもお祭り騒ぎだから、避けようなどと考えること自体がおそらく無意味だったのだ。


「やれやれだ……」


「あ! 楓いたー!」


 バタバタと夕姫と夏美が走ってくる。何事かと目をしばたたかせると、二人は笑った。


「部活の勧誘期間が始まったワケなんだけど! 仮入とか行かない? 部活に入らなくても見学とかしたら楽しいよきっと!」


「お祭りみたいなものだし、参加しなきゃ損だよ!」


「行こ行こーっ!」


 行く行かないを答える前に、楓はもう夕姫に引きずられていた。しょうがないなあ、と相好を崩して気持ちを切り替える。


「お祭りだもんな! さっさと寮に帰っちゃうのももったいないかー!」


「そうだよ! れっつらごー!」


「おー!」


 三人は拳を突き上げて、校舎外の人混みに突撃していく。入口付近からは新入生勧誘用のブースがずらりと並んでいた。色とりどりに飾られたブースの前では、二年生や三年生が声を張り上げて一年生の奪い合いをしている。


「ひぇっ、こわっ」


 思わず呟いて隣を見ると、夏美が料理部の勧誘に腕を掴まれているところだった。


「入りません? どうです? 好きな人に媚薬入りのチョコとかどうです? 作りたいですよね? ですよね?」


「…………話聞かせ──」


 ふらっと夏美が傾いた瞬間に料理部の女子生徒はニタリと邪悪に嗤って、一名様ご案内ですなどと言い始めた。というか、夏美は料理部に攫われた。夕姫は、と左を見ると影も形も見当たらない。


「まじか」


「そこの一年、どうだい、熊と戦うことに興味はあるかい?」


「いや、な、なんで?」


 反射的に返事をすれば、三年生と思しき男子生徒が白い歯と立派な上腕二頭筋を見せて笑う。


「俺たちは登山部だ。通称、死にサバイバル部。共に人体の限界、いや魂の限界まで──」


「先輩っ! 一年にその口上やめろって何度言ったら分かるんですか! 逃げちゃうでしょ! こういうのはあまーいコトでも吹き込んでおいて、地獄に叩き落とすのがいいんです!」


 うん。これは関わってはいけないやつだ。


「えっと、ボクは、そういうの、結構です!」


 慌ててその場を離れる。けれど、どこまでも人混みは続いているので、ひしめく人々に揉まれに行くのと同じだ。


 ちり、と首筋に嫌な感覚が走った。殺気とは少し違う。ほんの微かな違和感。楓はひとり、人混みの中で足を止める。


「無能。無能がこの学校にいること、許しがたいことだ」


 耳元で声がした。またか、と目を閉じる。楓に向いた視線の数はひとつ、ふたつ。


「無能と共にいる者もまた同じ。安良城に、笹本、神林──」


「……」


 無言で振り返る。腹の奥に重い石ころでも詰め込まれたような息苦しさがあった。昏い目をした男子生徒がニタリと嗤う。


「──あれらは愚かだ。それとも、愚か者同士で傷を舐め合っているのか──」


「……それ以上言うな」


 唸るように楓は呟く。自分が無能と罵られるのなら構わない。だって、事実だ。けれど、夏美たちを悪し様に言うのは許せない。と、思わず手が刀に触れた。


「ああ、笹本は元々愚かだったか。学習能力も低ければ、強い術者でもない」


 そう言って濁った目をした男子生徒は嘲笑した。かっと楓の頭は沸騰する。黙らせなければ、と刀の柄を握った。


「……おまえに、夕姫たちの何が分かるって言うんだ!」


 きん、と鯉口を切る音が響く。悪意に満ちた淀んだ瞳がきゅうっと三日月の形になった。


「抜いたな?」


 気づけば楓の周りの生徒たちは異様な空気の中で楓を凝視している。停滞した時の流れにあって虚ろな目をした生徒たちは楓を見て、同じ表情で嗤った。


「……っ!?」


 考えるよりも先に身体が動く。紫電が楓の頬を掠め、白刃が楓の脇を通り過ぎる。頭上から落ちる刃を抜き放つ一閃で弾いた。そして、楓の中で何かがぷつんと切れる音がする。感情のタガが外れて、なにも考えられなくなって。


「あぁ」


 溜息のような声が喉を震わせた。


 地面を蹴って、跳ぶ。追いすがるように放たれた風の刃を躱す。虚ろな顔の生徒たちによるてんでばらばらの攻撃を踊るように捌き切る。術式を放とうと霊力を練ろうとするならば、楓の鋭敏な感覚がすぐにその兆候を察知した。


「……遅い」


 呟く。この距離、間合いは楓のもの。術式が発動する須臾すら、楓には遅すぎる。届く範囲の術式はすべて、発動する前に術者の意識を落とすことで封殺する。殺しきれなかった炎の渦が生んだ熱風は楓の髪をじりと炙った。けれど、刹那に一歩踏み込んだ楓は刀の峰で術を編んだ女子生徒の背中を叩く。ただそれだけで炎は火の粉を風に撒いて雲散霧消した。意識を失った彼女はくずおれて、楓の足元に糸の切れた人形さながら沈黙する。


 旋風と舞うように楓は刀を振るった。無造作でいて、無駄のない美しい太刀筋。そして、何よりも誰よりも楓ははやい。仄かに赤みがかった刀身は残影を閃光のように中空に描き出す。それでもなお、虚ろな顔の生徒たちは楓に手を伸ばして引きずり倒そうと蠢く。恐怖する心も失っているかのようで哀れだと、そう思った。すべてが異常だと感じながら、刀を握る手は決して緩めない。気づけば、周りでは多くの生徒たちが重なり合って倒れていた。楓のいる空間だけ、戦場いくさばのように変じている。


 灰色の空を楓は無表情で仰いだ。だらりと握られている刀には、血の一滴も付いていない。


「何なの!?」


「なんで、あの天宮が──」


 新入生動勧誘期間のさなか、多くの生徒たちが集う場所で起きた鮮烈な出来事だ。茫然と、生徒たちは屍のように転がる生徒たちの中心で曇天を仰ぐ剣鬼の姿に見入る。無力だと噂した無能の天宮。弱きものと断じたはずの少女は、けれどたったひとりで大勢の霊能力者たちをかくも容易く屠ってみせた。


「楓っ!?」


 聞き覚えのある声の方に、楓はゆるりと首を回して視線を向ける。夕姫と夏美の顔が、見えて。その顔が深い驚愕に染まっているのを目にした瞬間に楓の頭は冷え切った。どくどくと心臓が早鐘を打つ。頭を冷やした感覚は頭から肩へ、肩から手へ、霜が降りるように楓の身体を音もなく支配する。


 ──見られた。


 この場のすべての人に見られてしまった。唇が震える。突き刺さるすべての視線が痛くて痛くてたまらない。逃げたい。だって、思い出してしまった。


 ──天宮楓は、醜いバケモノだということを。


 ここにはもういられない。新しい場所、新しい世界でなら、バケモノ以外の何かになれると信じた。何もかもを棄てて変われると信じた。でも、やっぱり、駄目なのだ。


 刀を振って付いてもいない血を落とす。刀を鞘に納める前のクセはそう簡単には抜けない。楓はそして、その場から逃げ出した。夏美と夕姫を含めた生徒たちの視線に背を向けた。


「……変われるだなんて、思ったボクがバカだったんだ。戦うことしかできないバケモノだって、分かってたのに。……わかってたのに」


 何を間違えた? バケモノでもヒトになれるのだと錯覚して、焦がれたから? 誰かに見てもらいたい、誰かと友達になってみたい、なんて身の程知らずにも願ったから?


 嗚咽を噛み殺して地面に膝をつく。けれどそれはほんの一瞬。人気のない校庭の隅なんて場所ではすぐに見つかってしまう。だから、もっと、もっと、遠くに。


「なら、私と来ませんか? 誰の手も届かない場所にあなたをお連れします」


 膝に土を付けたままの楓に、緑色の瞳をした少女が手を差し出した。


「ほんとうに?」


「はい。本当です」


 霞浦亜麻音の後ろでびくびくしていたはずの少女は冷ややかに微笑んだ。決して親切でなされた提案でないことくらい楓にも分かる。むしろ、その逆だろう。以前佐藤から聞いた話を不意に思い出す。天宮の姫を狙う八咫烏やたがらすという組織がある、と。ともすれば、桜木花蓮は八咫烏やたがらすなのかもしれない。


 だから。


「それなら、ちゃんと、()()()()()()()


 楓はその手を取った。望みを掛けて。


 花蓮は虚を突かれたように目を見開く。それから、こくと首を縦に動かした。


「もちろんです。元よりそのつもりでした」









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