第14話 歪
学校生活が始まって一週間。
天宮楓が無能であるということは生徒たちに浸透しきってしまい、もはや学校社会の常識の仲間入りを果たしていた。そして、当然霊能力者たちは無能が学年上位二十人のクラスに所属していることが許せないわけで──。
「天宮の名前はやはり過分ではありませんこと?」
「……」
拘束術式で壁に縛り付けられた楓は唇を引き結んだ。霊力で編まれた縄が手首足首を校舎の壁に縫い止めて、楓の動きを封じている。決闘すらもまかり通る物騒な学校でもあることだし、最小限に抑えた霊力量の術式では風紀委員会も動かない。
そして、楓が連れていかれた校舎裏は死角で人目はなかった。けれど、たとえ道の真ん中で同じことをしても止めに入る者は夏美たちを除いて誰もいないだろう。霞浦亜麻音もそれをよく知っているから、夏美たちのいないときを狙うのだ。
「何か言ってはどうです? そのように黙り込むばかりでは張り合いもないですわ。花蓮、少し痛めつけておやりなさい」
亜麻音の付き人なのか、クラスは違えどそれ以外は常に彼女に付き従う少女がひとりいる。花蓮と呼ばれた小柄な少女は、ひっくり返った声で返事をした。黒髪に黒目が一般的な中では異彩を放つ緑の目をギュッとつむって、花蓮は楓に指先を向ける。
「らっ、『雷火』っ!」
バチリと弾けた雷撃が楓を襲う。焼け付くような痛みに楓は悲鳴を噛み殺す。静電気を帯びて髪の毛がふわりと膨らんだ。喘ぐように息をすれば、鋭い蹴りが楓の腹部にのめり込む所だった。顔を上げると、楓の前には亜麻音の他に違う生徒たちがいて、胸ポケットに付いたピンの色を見れば同じ学年でないことが分かった。
「これがウワサの無能か。マジで信じられねぇよ、こんなんがいるっての」
男子生徒が嘲笑し、亜麻音は顔をしかめて花蓮を呼び寄せる。
「好きにやってくださいませ。わたくしはここで失礼いたしますわ」
亜麻音の方は無能が気に入らない上級生たちへの橋渡しを買って出たという話のようだ。もちろん、根底には無能の楓を疎ましく思う気持ちが潜んでいる。最後にもう一度、楓に冷ややかな視線を向けて花蓮とともに去っていった。
亜麻音がいなくなったことで拘束術式が解け、楓は地面に投げ出される。腕を踏みつけられて今度は土の上に縫い止められた。五人ほどの上級生たちの目には異様なまでに獰猛な光が宿っている。
「……本当に、目障りなんだよ」
拳や蹴りが雨のように降った。服に隠された部位ばかりを執拗に殴りつけて、蹴りつけて。武術をかじっているからこそ、壊さないギリギリの加減を彼らはよく知っている。
ここは実力至上主義の学校だ。成果を、力を、示せない者の中には燻る者だっている。こんなふうに、弱者をいたぶることで昏い欲望を満たそうとする人間がいることもなんら不思議ではない。
いつになったら終わるのだろう。
地面に転がって毬みたいに蹴飛ばされながら考えた。土が口に入ってジャリジャリする。それから血の味もした。けれど、黄昏の野にいたときよりもずっとずっと……甘い。
「おい!? おまえ今笑っただろ!?」
ポニーテールを掴まれて、激昂する男子生徒の顔が近くなる。淀んだ瞳から目を逸らして、俯く。そうすれば、攻撃の手が殊更に強くなるのは分かっていたけれど。
「……これで分からねぇってんなら、術式使った方が速くね?」
他の男子生徒は言いながら手に火花を閃かせた。
「ぐぁあああああッ!」
火花が散る。先に花蓮が放ったものとは比べ物にならないほどの雷撃が楓を焼き貫く。目の前が真っ白になって、それから暗くなった。
「おい、寝るな」
ふっと遠のきかける意識を許すまいと、バケツ一杯分くらいの水の塊が楓の頭上で弾けた。氷のように冷たい水に身体が冷える。無様なまでにずぶ濡れで咳き込む姿に満足したのか、嗤い声を残して上級生たちは身を翻した。
「……っ」
ぐわんぐわんと頭の中をかき混ぜられているみたいだ。耳を塞いでみたけれど、あの哄笑の残響は消えやしない。泥まみれで地面に転がったまま、ゆっくりと息を吸って目を閉じた。
「天宮っ!」
名前を呼ぶのは誰だろうと重い瞼を持ち上げる。そうして見つけた切れ長の双眸は、どうしようもなく焦っているようだった。
「なんだ? 相川。んー、ああ、泥んこだから驚かせちゃったかな」
肩で息をする光希は、楓がむくりと起き上がる姿を呆然と見つめている。
「……なん、で。おまえなら、あんなヤツらを倒すのに十秒も要らないはずだ。おまえの方が、ずっと、強いのにどうして──」
ああ、《《そんなことか》》、と楓は眉を八の字にして笑った。
「だって、当たり前だろ? ボクは無能なんだから」
「当たり前……だと? こんな、ゴミみたいに殴られて蹴られることが?」
「うん、そうだけど?」
光希が苦虫を噛み潰したような顔をするのが理解できなくて、楓は首を傾げる。そんな顔をさせたかったわけではなかったから、困ってしまった。光希は今にも怒鳴りそうなくらいの剣幕で拳を震わせている。
「……ええと、相川はなんでそんな怒ってるんだ? 大丈夫か? 何か悪いものでも食べた?」
「……なんなんだよ。どうして、こんな状況でおまえは笑える? どうして、こんな状況で他人の心配ができる?」
吐き捨てるような問いかけは答えを求めるものではないようだ。光希は他の生徒たちには常に冷静沈着で無表情な人間だと思われているらしいが、楓の前ではいつも怒ってばかりのような気がする。
「おまえは、本当に何も思わないのか……?」
黒髪の下、微かに青みがかった黒瞳が躊躇いがちに楓を見つめた。その視線が何を求めているのか、楓はようやっと理解して息を詰まらせる。
「ボクは…………いや、なにもないよ。大丈夫、ボク、すっごい丈夫だし!」
光希は顔をしかめてぎこちなく頷いた。
「……そう、か。なら、とりあえず立て」
「はい?」
よく分からないまま立ち上がると、ざばぁーっと楓の立っている部分にだけ雨が降った。お湯とまでとはいかないけれど、打たれてもいいと思えるくらいには温かい雨粒。顔についた泥が流れ落ちた頃、光希は今度は蒼い燐光とともにドライヤー代わりの温風を楓に浴びせてみせた。
「服、キレイになったな……。髪とかも乾いたし。霊力ってこんな便利なんだな。でも、きっとこれはおまえが術者として優れてるからなんだろ? やっぱおまえ、すごいよ」
「褒めても何も出ないぞ」
光希がそっぽを向いたのはたぶん照れ隠しというやつだ。身体が温まったせいか、腹の奥のわだかまりが消えていく。にへっと笑うと、光希がもう一度慌てて目を逸らした。
ばたばたと近づいてくる足音に楓は飛び上がる。光希を見ると、しまったという顔をしていた。
「まずい、風紀委員会だ。ずらかるぞ」
「え、ええ!?」
楓が右往左往する間に光希は跳んで、木の枝に飛び乗った。それから、もう一回跳べば光希の姿は屋上へ。迷った挙句、楓も強く地面を蹴って木の枝を踏み台に、屋上に着地する。ふぅ、と息をついて下を見れば、風紀委員会らしき生徒が二人、荒らされた地面を見て首を傾げていた。
「なんで風紀委員会来るんだよ? かなりの霊力量を検知しないと動かないんじゃないのか? ……んー、てことはそんだけデカい霊力使ったってコト?」
「霊力量のコントロールは苦手なんだよ、悪いか」
鼻を鳴らす光希を楓はにやにやと眺める。
「なんだよ」
「いーや、なんでも。おまえにも苦手なことがあるんだな」
「うるさいな」




