第13話 担任の正体
教室に戻って、終業のチャイムが鳴り響くまでとても長いように思えた。
「天宮さんと相川くんは、私についてきてくれますか?」
帰り支度をする二人を佐藤は呼び止める。眩しい笑顔はそのままで、けれど言葉の後ろにほんの少しの緊張を潜めている。たぶん、楓や光希くらいでないと気づかないくらいの。生徒たちの中で呼ばれてしまっては、断るという選択肢は存在しない。
「分かりました」
小さく頷き、楓は鞄をぎゅうと握り締めた。
佐藤に続いて向かったのは、教室棟の奥の空き教室だった。机は整然と並んでいても埃を薄らと被っている。カーテンは閉まったままで、薄暗かった。佐藤は教室の後ろに積まれたノートの山を背にして立ち止まる。
「お二人にはこのノートを運ぶのを手伝っていただきたいんです」
無能だとか護衛だとかそういった話をされるのだと思っていた楓と光希は拍子抜けする。ただの荷物運びか、と。確かに楓と光希は出席番号からして最初だし。
「──と、その前に話をひとつだけ」
佐藤はにこりと微笑んだ。その笑顔に楓はやはり危惧していた通りの内容が飛んでくるのだと理解した。
「相川くんは天宮さんの護衛ですね?」
問いかけはただの確認だ。元々無表情気味だった光希の顔から表情が消える。楓はもう渋面を通り越して、光希と同じように無表情だ。けれど、顔が死んでいる二人を前にしても佐藤は顔色ひとつ変えなかった。
「相川が天宮の護衛であるという事実には他の意味がついて回ります。もう既に彼らに目をつけられたと聞きました。ですから、お二人には一層警戒してほしいんです」
「相川が天宮の護衛につくことの他の意味ってどういう……? それに、彼らとは一体何なんですか?」
楓は思わず疑問を挟んだ。
「ああ、まだ聞いていなかったんですね……。相川という一族は代々天宮の守護を務めてきましたが、その中でも、ひとりの天宮の姫にひとりの相川を守り人──護衛として付けるのです。天宮の姫は、天宮の中でも強い力を持つ異能者だと言われています。ですので、相川が天宮の護衛を務めるという事実は天宮さんが天宮の姫であることの証明となります」
ですが、と佐藤は言葉を切る。
「天宮さんには霊力がない。我々としては、術者として身を守るすべのない天宮さんが天宮の姫という形で注目されることは避けるべきだと考えています。……とはいえ、既に一度襲われているとのこと」
「騰蛇の件ですか?」
光希の言葉に佐藤は軽く頷く。楓と光希は未だにこうして話し出した佐藤をどう受け止めればいいか、判断しあぐねていた。
「はい。天宮の姫を狙う輩がいます。八咫烏と彼らは名乗っていますが……」
「待ってください。先生は一体──」
あなたは何者か、と光希は半ば睨むように佐藤を見る。青波学園の教員の立場であるにも関わらず、佐藤はあまりに内情に通じすぎている。その上、術式実技と戦闘実技の双方を受け持てるほどの実力。考えうるのはただひとつだろう。
「私は天宮家に派遣された隠密です。私が表立ってできることはほとんどありませんが、お二人のサポートはしていくつもりです」
そう言って佐藤は爽やかに微笑んでみせた。これでは本当に光希が楓の護衛である事実が揺るぎないものになってしまっているようだった。佐藤はきっと楓と光希が互いを認めていないことまで気づいている。だって、二人が言葉を挟む余地を用意しなかったから。
「でーは、とりあえず、このノート運んでおいてくださーい! よろしく!」
軽快に爪先を動かして佐藤は部屋から出て行ってしまう。残された楓と光希は積まれたノートの山をぽかんと見つめることとなった。なんとなくムカついて、楓はべしっとノートの山を叩く。が、埃が盛大に舞って、悲しいことに光希と共に咳き込む羽目になった。
「……っ、おまえな……」
「……先生が天宮の手の人だったなんて」
楓はノートを抱え込みながら呟く。佐藤が天宮の隠密ならば、天宮家に常に見張られているということになる。
「おまえがボクの護衛だっていうのはなんとかならないのかな」
光希とはある意味での同盟を結んだ。名付けて、目指せ護衛解消同盟だ。……まあ、楓が勝手にそう呼んでいるだけなのだが。けれど、天宮の人間が常に目を光らせているとなると、下手に互いを無視することもできないだろう。
楓と光希はノートをできるだけ多く抱えた後、空き教室を出た。ちなみに横開きの扉は楓が足で開けた。二人は無言で人気の少ない廊下を歩く。早足なのは、さっさと押し付けられた仕事を終わらせて、互いに並んで歩く時間をできるだけ減らすため。
「先生がいつも見張っているというなら、だいぶ面倒だな」
「ああ。それに、ボクたちはまだ護衛解消の糸口を掴めてない。なんなら、相川の人を護衛に付けるのは伝統とかまで言われたし」
「──そんな伝統ならいらない。そもそも、おまえに護衛がいるとは思えない。おまえ、バケモノみたいに強いだろ」
どさどさ、と楓の手から不意にノートが落ちた。拾わなければとしゃがみ込んで、伸ばした指先はノートを掠る。
「どうした?」
「あははー、どうしたんだろ、ボク」
楓は笑って自分の手に視線を落とした。ガタガタと震える手に光希が気づく前に、押し殺さなければ。だから、唇を噛み切った。じわりと鉄錆が口の中に広がる。けれど、傷を付けた場所を舐めると、もうそこには傷などなかった。
「相川、さっさとこんな雑用終わらせるぞ」
落としたノートはきっちり抱え直し、楓はポニーテールを揺らして歩き出した。




