第12話 無能と天才
春の暖気がじりじりと楓を温める。真っ青な空にぷかぷかと呑気に浮かぶ白い雲から目を逸らして、術式が狂い咲くように飛び交う空間へ足を運んだ。炎から雷撃、衝撃波までありとあらゆる術式が弾けては消えていく。
「楓〜!」
夏美が花束のような笑顔を見せて楓に手を振っていた。その横では夕姫がしかめ面で指先を的に向けている。木の的は特別な術式か何かで守られているのか、生徒たちの放つ術式で壊れることはない。とはいえ、なんだかくたびれている様子だが。
「むむむっ、『雷火』!」
夕姫の指先で紫電が弾けた。小さな雷撃はまっすぐ飛んでいくかと思いきや、かくんと角度を変えて明後日の方向へ飛んでいく。
「ああああ! まーた、ハズレた!」
くうっ、と悔しげに地団駄を踏む夕姫。夏美は呆れのような哀れみのような曖昧な顔をした。
「さっきは笹本弟の足をちゃんと狙えてたんじゃないか?」
朝の喧嘩を思い出して尋ねると夕姫は照れくさそうに頭をかいた。
「じ、実はー、アレ奇跡。私、絶望的に、細かいコントロールが下手くそで、方向性決めるとか苦手なんだよ……。笹本の術式は広範囲をドッカンするやつだから、あんまし方向とか大事じゃないし……あはは、あはは」
「じゃあ、夏美はどうなんだ?」
「私? 私はね──」
「夏美はすごいんだよ! 精度だけじゃなくて速さもレベチ! 感動しちゃったよ!」
夕姫が興奮して夏美の褒め称えるものだから、夏美は頬をほんのり赤くする。それから熱を冷ますように頭を軽く振り、両の指先を的に向けた。
閃光。
唇を結んだまま、夏美は両手で交互に術式を発動。そして、全弾を的に的確に叩きつける。楓は思わず呼吸を止めて見入ってしまった。
「こんな感じだよ」
「──へ!? あ!」
素っ頓狂な声を上げてしまって訝られた。楓はぱっと笑って、先程感じた興奮をどうにかこうにか言葉にしてみる。
「すごいな! 夏美! 二丁拳銃みたいな! しかもあんな真ん中ばっかり当たるし、速いし! すごすぎるよ!」
「そ、そんなに言われると照れちゃうかな……。私、両利きだから、結構こういうの得意なんだ」
「ああなるほど! 私も両利きになりたい〜!」
「もう、夕姫はその前に術式の精度でしょ! 利き手でも危ないのに、両手でそれやったら死人でちゃうよ!」
「ぐ、ぐう……」
ぐうの音も出ない、ではなく、夕姫の口からはぐうの音しか出ていない。楓も夏美と一緒に笑っていたけれど、そうしていられたのは楓自身に水を向けられるまでだった。
「楓もやるよね?」
夕姫に話を振られ、楓はぴくりと肩を動かす。
「ボクには、できないんだ。ここにいるのは見学のため。……だって、ボクは、霊力のない無能だから」
戸惑いの声が漏れるのを楓は心を空っぽにして眺めた。だって、当たり前だ。いるはずのない無能がここにいるのだから。
「天宮さん、が、無能?」
離れた場所で夕真が呆然と呟いた。なし崩し的に同じ場所で術式の訓練をしていた光希はぴくりと眉を動かし、涼はまばたきをした。
「どういうこと……?」
涼の問いかけに夕真は首を振る。
「俺と夕姫は双子だからか、なんて言うんかな、共感覚? みたいなので一部の思考とか感覚が分かるってやつでさ。それで、夕姫がそう言ってたってだけ。詳しくはよく分からん……。だけど、夕姫があれだけ驚くんだから、嘘だとはあんまし……」
「そっか……、だからあの時あんな反応をしたんだ」
光希は知ってた?、という涼の言葉はほとんど疑問の体を成していなかった。涼は光希の反応からとっくに光希が楓が無能であることを知っていると勘づいている。
光希はいつも通り無表情でそっぽを向く。昔から、他人と関わるのは苦手だ。それがたとえどのような関係であったとしても。
「「でも、だったらどうしてこの学校に……?」」
夕姫と夕真が同時に呟いた。天宮楓が無能であるという衝撃的な情報は瞬時にクラス中に広まる。楓はよろめきそうになるのを堪え、笑みを貼り付けた。
「あはは、そのー、ボクもよく分かんなくてー」
「……笑い事ではないと思うのですが?」
鋭利な刃物のような声が響いた。声を発した少女は見事な縦ロールの髪を払い、楓の前につかつかと歩み出る。
「わたくしは霞浦亜麻音ですわ。あなたは、天宮の名を持ちながら無能だと言うのですか? 答えてくださる?」
「……えっと、お恥ずかしながら、そうです」
本人からの申告によってクラスメイトたちの間にも動揺が走った。無能の天宮という矛盾が招く衝撃とは、これほど大きなものなのかと楓は笑みの後ろで戦慄する。
「まあ! 無能が霊能力者育成校の名門たる青波の門をくぐることを許されるなんて! 天宮という名も、分不相応ではありませんこと?」
高飛車に言われてしまえば、いや、そもそも彼女の言葉はすべて正しいから、楓は黙り込む他なかった。いつの間にか生徒たちは術式訓練をやめて楓を取り囲んでいる。ここでも独りになるのだろう、と諦めて目を伏せた。
「ちょっと! 何言ってるの!? 楓が無能だとしてもそれは楓の罪じゃない。だから、謝って!」
「楓をいじめたら許さないんだから!」
夏美に続いて夕姫が抗議の声を上げる。楓にとっては青天の霹靂で、ぽかんとしてしまう。感謝やら安堵やらよりも先に、ただなぜと。分からなくて呆然とする。無能を庇ったところで何の意味もないはずだ。むしろ、他の生徒たちの不興を買うことになる。
やめてもらうべきだ。だって、楓にはそれだけの価値がない。無能は無価値な存在だとこの身に刻まれている。
「……」
頭では分かっていたけれど、嬉しいとわずかでも思ったこの気持ちは消せなかった。
「育ちがよくて才能のあるあなた方はいいですわね。呑気に庇い立てなんて──」
「はーい、みなさん! 授業に戻ってください!」
佐藤が手を叩いて乱入──もとい、やって来る。短時間とはいえ、すべての生徒が実習をやめて塊になってしまえば教師の目を引くのは当然だ。佐藤の視線は、我関せずの光希を通って楓へと向かう。けれど、佐藤は何も言わずに生徒たちが術式の訓練に戻るよう促しただけだ。
楓にとっては居心地のあまりよくない時間が過ぎていった。
実技はやがて的打ちのテストへと移り、生徒たちは順繰りに全員の前で的打ちをさせられる。ある生徒は緊張のあまり指先からプスプスと黒い煙だけを出していたし、ある生徒はきちんと的に照準を合わせていたにも関わらず生徒たち(じぶん)の方へ紫電を放っていた……これは夕姫のことだ。一際精度が良く、生徒たちを唸らせたのは涼と夕真だ。
「弟の方はちゃんと的のど真ん中に当たるのに、なんで夕姫は的にも当たらないの?」
クラスメイトの女子の一人が夕姫に問う。
「う、ううう! 全部夕真が私のコントロール奪ったの! つまり足して二で割れば私も的に当たってるの!」
本人は大真面目だが、さすがにそれは暴論だ。夕真が遠くで肩を竦めたが、その呆れの感情が夕姫にも伝わったらしく、夕姫は火を吐く勢いで夕真に突撃しようとする。そうして怪獣と化した夕姫を周りが慌てて止める、という一場面もあった。
技術力が群を抜いていたのは、両手でそれぞれ連続で的を射抜いてみせた夏美だ。今回のテストは五回の的打ちを各生徒見られることになっていたが、夏美は左右交互で真ん中を撃ち抜いた。術式の発動には利き手は関係ないが、照準は利き手の指先でつけることが一般的だ。それを踏まえると、夏美の技術は格が違う。少なくとも高校に入りたての生徒が身に着けている技術でないことは確かだ。
「……安良城家当主だろ、やばいな。しかも、無詠唱で術式撃ってるし……」
「え、俺まだ無詠唱できねぇ!」
「無詠唱で術式撃ってたのは……、安良城さん、下田さん、神林くんかな、今のところ……」
「今年はレベルが高いって話だもんな」
しかし、光希が最後にすべてを一人で搔っ攫っていった。テストの順番はランダムに選ばれていたが、佐藤はあえて光希を最後に選んだようだった。
「じゃあ、相川くんどうぞ!」
佐藤のぴかぴかと明るい声に促され、光希は指先を的に向けた。無詠唱での一射。青の燐光が舞う。そして、弾丸のように放たれた蒼炎が的を《《粉砕》》した。
楓、夏美、涼、木葉の四人除く全員が呆気に取られてぽかんとマヌケ顔を晒した。楓はド素人なために光希のしでかしに気づかなかったのだが、夏美たち三人は初めから光希がやらかすことが分かっていたらしい。
「……すみません、壊れました」
光希の感情の乗らない報告に固まっていた人々が動き出した。
「え、待って待って、壊れたんですけど!? ウソォ!」
佐藤はもう裏声しか出ていない。
「これ、最高の防護術式が施された一級品の備品なのに……」
その言葉でようやく楓は事の重大さに気がついた。今までどんな術式をぶつけられても平然としていた的が光希のたった一射で粉々になったのだ。それは光希の術式の威力が規格外ということで。
「あれが、相川の……孤高の天才か」
けれど、周りの目は羨望に満ちたものばかりではなかった。そう、それは楓もよく知るものと同じ──恐れだ。若くして圧倒的な力を持つ光希は、中心でぽつりと独り立っている。渦巻く恐れの真ん中で無表情で。
先程までの楓と同じだ。取り巻く感情は違っても、無能であると知られた瞬間の楓は中心でたった独りだった。身体の奥から湧く己の感情を殺すために表情を押し殺していた。
今の光希も、同じなのだろうか。今までも、そうだったのだろうか。他者の追随を許さないほどに飛び抜けた才を持つ光希は、独りだったのだろうか。
もしも、そうだったのなら──。
楓はふるふると首を振った。同じだなんてそんなはずがない。光希は霊能力の天才で、楓はほんの一欠片も霊力のない無能。比べることさえ無意味だ。無能と天才が同じであるわけがない。
光希の目が楓を見たような気がした。楓は知らないふりをして視線を逸らす。どうせ、分かり合えないのだから。




