第11話 置いてけぼり
五つの霊能力者育成機関のひとつ、青波学園。学園では日々術者の卵、それか雛鳥、を五星結界の外に主に蔓延る夜徒に対抗する戦力にすることを目的に授業が行われている。とはいえ、各々異なる適性を持つので、必修科目と選択科目に分かれた単位制を取っていた。クラス分けは、最も占める割合の大きい必修科目──実技が中心ではあるけれど。
一限は必修科目の霊能理論の授業だった。教室にやって来たのは中年の男性教師。男は浮ついていたクラスの雰囲気を咳払いひとつで鎮めた。
「えー、みなさん、入学おめでとうございます。私は一年生の霊能理論を担当する野嶋です。青波学園のA組に配属されたみなさんは既に高い実力と素養を携えていることかと思いますが、霊能力の理論をここでしっかりと学んでいただくことで、その実力を伸ばしていってほしいと思います」
手短な挨拶の後はすぐに授業が始まる。電子黒板の前で話し始めた野嶋は視線を彷徨わせ、楓を見て止めた。大きくはない目が細められ、楓は自分がロックオンされたことを知る。
「──天宮さん、霊能力とは何か説明していただけますか?」
指名され、楓の背中を冷や汗が流れ落ちていく。知らないのだ、何も。口を開けずに下を向いた楓に向けて、野嶋はもう一度目を細めた。乾いた視線が楓を滑って、ひとつ前の光希に注がれる。
「では、相川くん」
楓の前の席、光希の背中は動かない。けれど、淡々と淀みなく返答する落ち着いた声が響く。
「霊能力とは、かつて神霊から人に与えられたともされる力です。事象改変という、科学には不可能な現象を起こすことが可能であり、理論的には自然界における確率を操作する能力であると言われています」
世界は確率で語られる。
水には気体になるだけのエネルギーを持つ確率と固体になるだけのエネルギーを持つ確率の両方を持ち合わせる。つまり、途轍もなく低い確率で水は常温で凍ることも蒸発することも可能というわけだ。そして、霊能力はその科学的には有り得ない確率を必ず引き当てる力なのだ。だが、その事象が起こる確率がゼロであれば霊能力を以てしても事象改変は認められない。そのゼロを一にすることができるとしたら、神と呼ばれる存在くらいだろう、と。
楓を置いて授業は進む。みのるがまだ楓に武術を教えていた頃、勉強も同時に教えてくれていた。だから、識字率が低い五星の外から来た楓もある程度の学力を身につけられてはいる。けれど、使えもしない霊能力については丸っきりなのだった。
一度目の質問で楓が霊能力について無知であることを知ったのだろう、授業が終わるまで楓が当てられることはもうなかった。
きーんこーん……、と授業終了のチャイムに、楓は握りしめていたタブレット端末からやっと手を離すことができた。電子化された教科書には無数の書き込みがなされていて、余白なんて見当たらないくらい。それでも楓にはまだほとんどが分からない。それに、霊力のない楓には勉強したところで実践できないのだし。
「覚悟はしてた、はずなんだけどなぁ……」
何も知らない世界でこれからは生きるのだと、心を決めてきたはずが、もう揺らぎ始めている。深く溜息をついて、窓の外を見た。
まだ見慣れない澄んだ青空に白い雲がぷかりと浮いている。外はぽかぽかとして暖かい、と人は言うのだろうけれど、楓にはまだ暑すぎる。黄昏の世界は陽が出るとしても傾いているから、地面がこんなにも温まることは少なかった。
「楓は、外から来たの?」
背中から声を掛けられて、楓は振り返った。目が合えば夏美が柔らかく微笑む。嘲笑の色は見つからなくて、楓はふっと肩から力を抜いた。
「あはは、分かっちゃったかー。今まで霊能力とはあまり縁がなくて、勉強、なにも、その、分からなくて……」
言っている側からなんだか悲しくなってきた。
「私でよければ教えてあげるよ! せっかく同じクラスになったんだし、助け合いが大事なのです」
背丈に見合わず豊満な胸を逸らす夏美。ちなみに楓の方は断崖絶壁だ、悪しからず。
「いいの? ボクなんかに時間使ってもらって、ほんとに……?」
「もちろん。私の時間で楓の成績が上がるなら最高だよ。それに、やっぱりアウトプットも勉強には大事だって話だしね。どうかな?」
「夏美がいいのなら、お願いするよ。ありがとう」
そうしていくつかの授業を終えて、午後の授業が始まった。楓にとって最大の鬼門、実技だ。実技の成績でクラス分けをしているのもあって、担当教員は既に見知った顔だった。真昼の校庭に集められた生徒たちは、太陽の光と同時に教師の眩しい笑顔を浴びることになる。
「みなさん、こんにちは! 担任なので私の名前はもう知っているとは思いますが、一応名乗っておきましょうか。私はA組実技担当の佐藤和宏です。私は、術式実技の方と同時に戦闘実技の方も担当しています」
「……どちらも兼ねてるっていうのは珍しいね」
楓の隣で夕姫が呟く。夏美と夕真、涼も合わせて軽く頷いている。
「そんなに珍しいことなのか?」
「うん。だいたい術式実技を担当するのは第一線を退いたじーさんとかがやるからな。どっちもやれる上に若いってのは珍しいんだぜ」
夕真の返事にふうんと相槌を打った。どちらも高いレベルでこなせる若い実力者が第一線でなく、教員をしている理由が少しだけ気になった。
「──では、今日は初歩的な術式から始めましょうか。第一種術式です。まー、ざっくり言ってちょっと火の玉とか飛ばすやつですね。霊力を流すのは最初の、発動の段階だけなやつです」
あまりにも適当な説明に楓たちはコケそうになった。分かりやすいと言えばそうなのだが、いかんせん残念な感じに聞こえる。
「ですが、第一種術式を舐めてはいけません。正直、実戦では最もよく使われる術式は第一種術式ですし。それに、第一種術式の発動速度やムダのなさは術者の力量を測るのに一番です」
ぱちん、と佐藤は手を叩いた。生徒たちの視線が自身に吸い寄せられたことを確認し、佐藤は眩しい笑顔を見せる。
「というわけで、そこら辺に的がいっぱい並んでいるので、それぞれ第一種術式で的を撃つ練習しましょうー!」
楽しそうに告げられ、多くの生徒たちが初めての実技に沸き立つ中、楓は拳を握りしめた。
「楓行こ!」
夕姫に声を掛けられる。普通なら、笑って駆け出すことができるはず。術式の練習に勤しむ生徒たちの生み出す喧騒に飛び込めるはず。けれど、楓は。
「──ごめん、ボクちょっと先生に用事。先に行っててくれるかな?」
「あ、そうなんだ。じゃあ、先行ってるね!」
手を振って走っていく夕姫の背中でくせ毛のポニーテールが跳ねる。ざわざわとした生徒たちの声はどこか潮騒のように聞こえた。
「天宮さん」
佐藤の声に振り返る。佐藤は楓が一人でここに残るのを待っていたようだ。楓は顔から表情を消した。
「天宮さんに霊力がないことは伺っています。なので、この授業では見学をしていただこうかと思っています」
逃げるな、とでも言いたいのだろうか。
「分かりました」
色のない声で返事をする。言葉を重ねようとしていた佐藤は呆気に取られた顔をして、一呼吸分沈黙した。
「……嫌だとは言わないんですね。霊力のないあなたに、他の生徒たちが霊力を使っている光景を見せ続けるのは酷なことではないかと思ったのですが」
「ご命令に背くことはできませんから」
かしゃんと音を立てて壊れた首輪。楓の首から外されてなお、首から冷えた鉄の感触は消えない。冷えきった夜の中にまだ、楓は囚われている。
「──天宮さん?」
「あ、はい。見学でしたね、見てきます。霊力を使えなくても、術式について知っておくのは大事ですよね!」
笑みを作り直して楓は身体を翻す。佐藤が紡ぐ言葉をこれ以上聞かないようにと逃げ出した。それがどんな色の言葉であれ、楓はきっと何も思わずにはいられない。怖いのは、楓の内側から響く声なのだ。無能と罵るその声が、針のように鋭く自分自身を貫くことが何よりも。
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