第9話「梨奈とイケメン」
梨奈と正式に交際を始めてから彼女が初めて真一のボロいアパートに来る事になった。真一は密かに喜んでいたが、その一方で、自分の今の生活が彼女にどう映っているのか不安だった。
リビングでコーヒーを飲んでいると、お手洗いから戻ってきた梨奈が周囲を見回して言った。
「真一さんちって、あまり生活感がないですね」
真一は瞬間的に動揺した。言われてみれば確かに部屋は殺風景だった。お金はたくさんあるのに、必要最低限のものしか置いていない。理由は簡単だ。ここは真一の本当の住処ではないからだ。しかし、梨奈にそんな事情を打ち明けられるわけもなく、慌てて言い訳を考えた。
「必要最低限の物しか買わないようにしているんだ」
梨奈は微笑んで言った。「でも、歯ブラシも見当たりませんけど」
「あわわわ……古くなったから今朝捨てちゃって。今日買うの忘れてたんだ……」
「手を洗った後、タオルも見つからなくて……」
「あ……あわわわ……」
言い訳が苦しくなってきた真一は、目を泳がせながらどうにかその場をしのごうとした。だが、梨奈はそれに気づいた様子もなく、むしろ優しく言った。
「じゃあ、今から一緒に買いに行きましょう」
その言葉にほっと胸を撫で下ろし、二人は近所の雑貨屋に向かうことにした。
雑貨屋の店内を歩きながら、梨奈はカゴに歯ブラシを2本。一つ多いな……と思ったが、何も言わずにそのまま進んでいた。
「それは私の分です」
梨奈がさらりと言った瞬間、真一はポカンとした。彼女の言葉が一瞬理解できず、ただ立ち尽くしていたが、次第にその意味を理解するにつれて、顔が赤くなった。
梨奈は笑っていたが、真一はその笑顔に見とれつつも心臓がバクバクしていた。自分の生活に梨奈が入ってくる。それは嬉しい反面、怖さもあった。だが、今はとにかく嬉しい。これが幸せというものなのか、と感じながら、二人で手をつないでレジに向かった。
買い物を終えてアパートに戻ると、梨奈は「じゃあ、ちょっと歯ブラシを置いてきますね」と言って洗面所に向かった。真一はリビングの椅子に腰かけ、彼女の後ろ姿をぼんやりと見送りながら、一日の出来事を振り返っていた。
「こんな日が続けばいいな……」
心の中でそう思い、スマホを机に置いて一息ついた瞬間、突然梨奈のスマホがブルブルと振動し始めた。
「ん?」
テーブルの上に置かれた梨奈のスマホ。ふと画面を覗き込むと、そこには「ようちゃん」という名前からのLINE通知が表示されていた。
真一の心臓が一気に跳ね上がった。
「誰だ……ようちゃん?」
瞬間、彼の胸に不安が広がった。梨奈にそんな男性の名前を聞いたことはなかったし、彼女が自分に隠し事をしているなんて考えたくもなかった。だが、LINEの通知はそんな真一の気持ちを容赦なく揺さぶった。
「もしかして……あのイケメン……?」
彼女が以前カフェで手を振っていた男。その時からずっと引っかかっていた疑念が、今再び浮かび上がった。梨奈がスマホを手にしていない今、この通知を見た自分の心拍数はどんどん上がっていく。
頭の中に様々な考えが渦巻いた。
「いや、梨奈はそんなことしない。信じるんだ……」
そう自分に言い聞かせるも、心のどこかでは「彼女は他に好きな人がいるのかもしれない」という恐れが拭いきれない。
梨奈は洗面所で何をしているのか、いつ戻ってくるのか気になりながらも、真一の視線は梨奈のスマホから離れなかった。やがて、再びブルブルと振動する音が響いた。
「ようちゃん」からの新しいメッセージがまた一つ。
その時、真一は静かに息を呑んだ。不安はますます膨らんでいき、彼の胸の中に重くのしかかった。
「このままでいいのか……」
梨奈が自分の前に戻ってくるまでのわずかな時間が、真一には耐えがたいほど長く感じられた。