第6話「デート」
梨奈から「今度、一緒にご飯でもどうですか?」と誘われた時、真一の心臓は飛び跳ねるような勢いで鼓動した。女性慣れしていない彼にとって、デートの誘いは異次元の出来事だった。もちろん、これまでに女性と食事をする機会がゼロだったわけではない。しかし、そのほとんどは仕事絡みか、友人の付き合いだった。「デート」という響きには、なんだか特別な期待と同時に、未知への不安が同居していた。
家に帰った真一は、鏡の前で自分の顔を見つめながら考えた。髪はぼさぼさではないか?服はだらしなくないか?そう考えるうちに、彼はどんどん不安になっていく。
「梨奈にどう思われてるんだろう……?」
自分自身に疑問を抱くことが、真一にとっては毎度のことだった。以前の体型のせいで、自分に自信を持つことができなかったのだ。フィットネスクラブに通い始めてからは確かに見た目が変わり、少しずつ自信を取り戻しつつあったが、それでも梨奈のように魅力的な女性と食事をするとなると話は別だ。
「まあ、普通にしてればいいさ……いや、でも普通って何だ?」
頭の中で自問自答を繰り返し、何度も同じ結論にたどり着いた。「わからない」。結局、どうすればいいのかなんて全く分からないままだ。だが、一つだけ確かなのは、梨奈と過ごす時間が楽しみであるということ。彼女との会話や笑顔が、真一にとって癒しになっていた。
デート当日。真一は朝からソワソワしっぱなしだった。何を着ていけばいいのか、何を話せばいいのか、どんなお店を選べばいいのか。すべてが未体験ゾーン。ネットで「初デート 注意点」などと検索し、読んでいるうちに逆に混乱してきた。
「デートプラン? お店の予約? そんなのしたことないし!」
一人焦る真一だったが、梨奈に会う時間が近づいてくると、もう腹をくくるしかないと思い始めた。「いつも通りでいいさ」自分にそう言い聞かせ、真一はカジュアルなシャツとジャケットを羽織り、家を出た。
待ち合わせ場所は、梨奈が指定してくれたカフェだった。普段、真一がよく通っているカフェとは少し違う、洒落た雰囲気のお店。店内に入り、席に座って梨奈が来るのを待つ。暫くして梨奈が可愛らしい私服でやって来た。
「お待たせ!」と梨奈が明るく声をかける。
「いや、全然。俺が早く来すぎたかな……」
ぎこちない笑顔を返しながら、真一は席に着いた。梨奈はいつも通りのナチュラルな服装だが、どこか柔らかい雰囲気が漂っていて、いつもよりも魅力的に見えた。
「ここ、いいお店だね。俺、こんな洒落たカフェ、あんまり来ないんだ」
「そうなんですか? ここ、雰囲気が好きでよく来るんですよ。静かだし、話しやすいから」
梨奈は自然に会話を始めたが、真一の頭の中では次に何を話せばいいのかでいっぱいだった。「共通の話題は何だろう?趣味とか聞いてみるべきか? でも、それってあまりに普通すぎるかな?」と考えているうちに、梨奈が続けて話しかけてきた。
「ところで、真一さんって趣味とかありますか?」
「え、趣味? うーん、最近はフィットネスクラブに通ってるんだけど……それくらいかな。」
「すごいですね! 体も引き締まってきてる感じしますし。私も最近ちょっと運動不足で……見習いたいです。」
梨奈が笑顔で褒めてくれると、真一は顔が赤くなるのを感じた。こんな風に直接的に褒められることが久しぶりだったので、どう反応していいか分からず、ただ「ありがとう」としか言えなかった。
その後、会話は順調に進んでいった。梨奈が好きな映画や音楽の話題に、真一も少しずつ興味を示し、会話のテンポが次第に良くなっていった。彼女の明るい性格のおかげで、初めの緊張感が和らぎ、真一もリラックスして楽しむことができた。
デートの終盤、二人は少し散歩をすることにした。梨奈が行きたいと言っていた近くの公園に寄り道をする。夕暮れ時、空がオレンジ色に染まる中、二人は自然と並んで歩き始めた。真一は、こんな静かな時間が心地よく感じられることに驚いた。梨奈と一緒にいると、不思議と居心地が良い。彼女の話す言葉や、その柔らかな仕草が、真一の心を軽くしてくれた。
公園を歩いていると、梨奈がふと立ち止まり、空を見上げた。
「真一さん、こうやって外を歩くのっていいですね。忙しいと、こういう時間を忘れちゃいますよね」
「そうだね。俺も、こうして梨奈さんと歩いてると、日常のストレスとかが全部消える気がするよ」
真一は、思わず正直な気持ちを口にしてしまった。梨奈は驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔を返した。
「嬉しいです。そう感じてくれるなんて」
梨奈のその笑顔が、真一には何よりも特別に感じられた。デートが終わる頃には、真一の心には一つの確信が芽生えていた。「梨奈と一緒にいると、自分が変われる」。今まで閉じこもっていた殻が、少しずつ剥がれていくような感覚だった。
デートが終わり、梨奈を駅まで送り届けた後、真一は一人で家へと向かう途中、ふと自分が大きな一歩を踏み出したことに気づいた。女性とのデートに慣れていない自分が、こんなにも自然に楽しむことができたのは、梨奈の優しさと魅力のおかげだった。彼女に対する想いが、少しずつ確かなものになっていくのを感じていた。
「次はどんなデートに誘おうか?」
真一は心の中で、次のプランを考え始めた。今まで経験してきたどんな出来事よりも、このデートが彼にとっては特別な意味を持っていた。梨奈との時間が増えていくことが、今や真一にとって最大の楽しみだった。