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実は、貧乏人じゃありません。  作者: winten
第1章「出逢い」
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第5話「カフェの彼女」

 梨奈との関係が少しずつ深まり、週に何度かカフェに通うようになっていた真一は、ある日、いつも通りフィットネスクラブの帰りにカフェ・リベラを訪れた。窓際の席に座り、梨奈が笑顔で注文を取りに来るのを待つ。カフェラテとサンドイッチを頼みながら、最近の自分の変化について考えていた。体重が減り、服のサイズもワンランクダウン。鏡に映る自分の姿が少しずつ変わっていくのが、何より嬉しかった。


 そんな時、梨奈がコーヒーを持ってきて、ふと真一に問いかけた。


「ところで、真一さんって、どんなお仕事をしてるんですか?」


 その瞬間、彼の胸がドキッとした。無職であることをどう隠すか、頭の中で瞬時に考えを巡らせる。以前、職場でリストラに遭い、その後、宝くじで大金を手にしてからは働く必要がなくなった。だが、それを素直に話すわけにはいかなかった。女性との関係で裏切られた経験が、まだ彼の心に深い傷を残していた。大金を持っていることを隠しておきたかったし、何よりも梨奈に変に思われたくない。


「え、えっと……実はコンビニでアルバイトをしているんだよ」


 彼は咄嗟にそう答えた。この場で無職だと言ってしまうと、自分の価値が下がる気がして、どうしても真実を答えることができなかった。梨奈は、特に驚いた様子もなく、いつもの優しい笑顔で頷いた。


「そうなんですね。コンビニのバイト、大変そうだけど、すごいですね!」


 真一はホッと胸を撫で下ろした。梨奈が変わらず接してくれることに少し安心したが、それと同時に、自分が嘘をついていることに対して心のどこかで罪悪感を感じた。しかし、この瞬間、彼は決意を固めた。自分は金持ちではない、そう思い込もう。金持ちでいることで、また誰かに裏切られるくらいなら、いっそのこと貧乏人のフリをし続けた方がいい。そうすれば、梨奈に好かれる理由が「お金」ではなく「自分」であると確信できる。


「今度、真一さんのバイト先にお客さんとして行ってみようかな?」


 その一言に、真一は焦った。彼女に嘘がバレるのは避けたかった。梨奈は冗談半分で言ったのだろうが、真一はその言葉を本気で受け止めた。そして、彼は次第にある決意を固めた。「バイトをしている」と言ってしまった以上、その嘘を続けるためには、本当にコンビニでアルバイトを始めるしかない。


「それは、いいけど……」と、真一はぎこちない笑顔を浮かべながら答えた。




 それから数日後、真一は近くのコンビニにアルバイトの申し込みをした。30歳手前で初めてのアルバイト経験。フィットネスクラブのスタッフやカフェの店員といった接客業の人々に接しているうちに、なんとなく自分も出来るという気になっていたのだ。とはいえ、大金を持っている自分が、生活費に困ってバイトを始めるわけではない。その意味では、彼の決断はどこか滑稽だったかもしれない。


 しかし、真一はアルバイトの初日から驚くことになる。接客という仕事が、これほどまでに新鮮で楽しいものだとは思わなかった。お金を持っているからこそ、今まで感じることのなかった「働くこと」の意味が、彼の中で少しずつ形を持ち始めたのだ。毎日が同じ繰り返しだったこれまでの生活に、バイトという新しいリズムが加わり、思いがけない充実感を味わうことができた。


 コンビニの客たちは、実にさまざまだった。常連のサラリーマン、買い物に来る主婦、学校帰りの学生たち。彼らと交わす何気ない会話が、真一にとってはどこか心地よかった。フィットネスクラブで体を鍛え、カフェでリナと話し、そしてコンビニで働く。毎日が規則的に流れていく中で、彼はこれまでの自分の無気力な生活から少しずつ解放されているのを感じた。




 そんなある日、梨奈がふらりとコンビニに立ち寄った。


「お疲れ様です、真一さん! お店、見つけちゃいました!」


 梨奈はにっこりと微笑みながら、レジの前に立っていた。真一は一瞬驚いたが、すぐに笑顔を返した。梨奈が店に来るという予感はしていたものの、実際に目の前に現れると、なんとも言えない感情が湧き上がってきた。


「やあ、梨奈さん。お客さんとして来てくれるなんて、ありがたいね。今日は何を買いに?」

「ちょっとお腹が空いたから、軽くお菓子でも……って思って。真一さん、普段こんな感じで働いてるんですね」


 梨奈は興味深そうに店内を見回しながら、商品を選んでいる。真一はレジに立ちながら、梨奈の様子をじっと見つめていた。彼女が、フリーターの自分にどう感じているのかはわからなかったが、少なくともこの瞬間、彼女は自分を特別扱いすることなく、自然に接してくれていることが心に響いた。


 その後も、梨奈は度々コンビニに顔を出すようになった。真一は梨奈が来るたびに、心の中で小さな喜びを感じていた。彼女は、彼がフリーターであることに対して何の偏見も持っていないように見えた。それが、真一にとって何よりも救いだった。彼女の前で自分を飾らずにいられるという事実が、彼の心を少しずつ軽くしていった。




 アルバイトを始めたことで、真一の生活は一変した。毎日やるべきことがあり、梨奈との関係も順調に進んでいる。お金の心配はないものの、「働くこと」の喜びを知った真一にとって、今やコンビニでの仕事は単なる時間つぶし以上のものになっていた。以前は空虚だった日々に、新しい充実感が生まれ始めていた。

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