第4話「新しい生活の始まり」
フィットネスクラブに通い始めて数ヶ月が経った。体重も減り、筋肉がつき、見た目にも自信が持てるようになってきた真一。以前のような無気力な日々は少しずつ過去のものになりつつあった。フィットネスクラブの帰り道に立ち寄るカフェも、彼にとっては新しい生活の一部になっていた。
そのカフェは、フィットネスクラブから歩いて5分ほどのところにある小さな店だった。名前は「カフェ・リベラ」。落ち着いた雰囲気で、ゆったりとしたジャズが流れる中、真一はいつもそこでトレーニング後の一息をついていた。以前はファストフードやコンビニで済ませていた食事も、このカフェでの軽食とコーヒーが定番となっていた。
そのカフェに通い始めてから、真一は気になる店員がいた。彼女の名前は梨奈。髪は肩までのストレートで、瞳はどこか温かみがあり、いつも優しい笑顔を浮かべている。真一がカフェに通い始めた当初から、彼女の存在は気になっていたが、店員と客という関係を越えることはなかった。話しかける勇気もなく、ただ「かわいいな」と心の中で思うだけだった。
「毎日こんなにかわいい店員がいたら、それだけで癒されるよな……」と、真一はフィットネスクラブの帰り道にカフェに入るたび、心の中でつぶやいた。しかし、梨奈に話しかけるタイミングを見つけることもできず、いつも注文をするだけで、特に会話を交わすことはなかった。
そんなある日、フィットネスクラブのトレーニングを終えた真一は、いつものようにカフェ・リベラに入った。店内はそれほど混んでおらず、彼は窓際の席に座った。注文したコーヒーが運ばれてくるまでの間、最近購入した英語学習の本を取り出し、ページをめくった。フィットネスクラブでの運動だけでなく、頭の中も鍛えようと思い立ち、最近は初心者向けの英語の勉強も始めていた。
「どうせなら、英語くらいできる男にならないとカッコ悪いよな……」
そんな思いで、カフェで英語の文法書を読んでいると、不意に声がかかった。
「英語の勉強、頑張ってますね!」
顔を上げると、そこには梨奈が立っていた。いつもの笑顔を浮かべ、少し興味深そうに真一の本を覗き込んでいる。
「えっ、あ、はい……、ちょっと始めたばかりで……」
驚きと緊張が入り混じり、真一は言葉を詰まらせた。まさか梨奈から話しかけられるとは思ってもいなかった。
「私も少しだけ英語を勉強したことがあるんです。お兄さん、何を勉強してるんですか?」
梨奈はそう言って真一の隣に座り、彼の持っている本をちらりと見る。
「えっと、これは……初心者向けの文法書です。中学英語の復習みたいな感じで、今更ですけど……」
そう言って苦笑いを浮かべる真一に、梨奈は「そんなことないですよ!」と明るい声で返した。
「私も勉強し直したいなあって思ってたんです。やっぱり、英語ができると外国の方とも話せるし、世界が広がる感じがしますよね!」
梨奈の言葉は、真一にとって励みになるものだった。彼女が自分の興味を持ってくれているというだけで、胸が少し高鳴るのを感じた。
「そうですね……。フィットネスクラブの帰りに外国人観光客に道を聞かれたんですけど、全然うまく説明できなくて。それで、英語を勉強し直そうと思ったんですよ」
真一はそう言いながら、先日あった出来事を思い出していた。道に迷った観光客を英語で案内しようとしたものの、拙い英語では伝わらず、結局駅まで連れて行ったのだ。
梨奈はそれを聞いてクスッと笑った。
「優しいですね。でも、そういうきっかけで勉強を始めるのって素敵だと思います!」
その後も二人の会話は弾み、梨奈は自分がカフェで働きながら英語を使う機会が増えてきたことや、旅行が好きで海外にも行きたいと思っていることを話してくれた。真一は、普段とは違った梨奈の一面を見ることができたような気がして、ますます彼女に惹かれていった。そして真一は今日という日をいつまでも覚えていようと、日付けを心に刻んだ。
その日を境に、真一と梨奈の距離は少しずつ縮まっていった。カフェに通うたびに梨奈が声をかけてくれるようになり、ちょっとした雑談が日常の一部となっていった。
ある日、梨奈が「英語の勉強、進んでますか?」と聞いてきた時には、真一は思わず照れ笑いを浮かべてしまった。いつの間にか、梨奈との会話がカフェに通う一番の楽しみになっていたことに気づいたのだ。
「うん、まあぼちぼちね。でも、梨奈さんも英語勉強してるなら、今度一緒に勉強会とかやりますか?」
真一は勇気を振り絞ってそう提案してみた。梨奈は驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔を返してきた。
「それ、いいですね! 英語も勉強したいし、お兄さんと話すのも楽しいから、ぜひ!」
こうして、二人はただの客と店員という関係を超えて、少しずつ親しくなっていく。新しい生活の中で、真一にとって梨奈との関係は、次第に大切なものへと変わりつつあった。