第26話「絆の旅路」
秋の紅葉が色づき、やがて寒さが本格的に訪れる季節。幼稚園の年長クラスも後半に差し掛かる前の時期で、母親たちの間では、これまで築かれてきた関係が次第に固定され始めていた。最初は打ち解けていた人々も、今では距離を取る者、親密さを深める者と、それぞれの立場がはっきりしてきていた。
梨奈も最初は米持茜さんとよく話をしていたし、真一が今ほど忙しくなかった年にハワイ旅行に行った際、お土産を買って茜に渡した事もあったが、最近はその関係も変わりつつあった。茜の娘である詩音と真奈は仲が良く、幼稚園でも常に一緒に遊んでいるが、それとは対照的に、茜と梨奈の会話はすっかり途絶えてしまっていた。
「こんにちは」と挨拶は交わすものの、梨奈が話を始めようとすると茜はすぐに「では……用事があるので」と言って、早々に立ち去ってしまう。梨奈にはその理由が何となくわかっていた。茜が梨奈と距離を置き始めたのは、あの食器盗難事件以来、恵子との関係が悪化したからだろう。恵子は他の母親たちに対しても強い影響力を持っており、その恵子に嫌われたくないという気持ちから、茜も梨奈との距離を取っているのだろうと梨奈は考えていた。
幼稚園での母親たちとの会話が少なくなるにつれて、梨奈は次第に孤立感を感じるようになっていった。以前は何気なく話しかけられていた母親たちも、今では梨奈に近づかなくなり、遠巻きに彼女を見守るだけの存在になっていた。
そんな中、ある日家に帰ってから、真奈が突然口を開いた。「ねぇ、ママ。めぐみちゃんのママが、ママに意地悪してくるんでしょ?」真奈の声には、幼いながらも心配が滲んでいた。
梨奈は驚きつつも、すぐに微笑んで答えた。「大丈夫よ真奈。そんなことないわ。ママは平気だから、心配しなくていいのよ」真奈を安心させるために、できるだけ明るい声を作ったが、その言葉を口にした瞬間、梨奈自身も少し心が痛んだ。娘の前では何事もないように振る舞っているが、現実はそう簡単ではなかった。
梨奈は真奈を寝かしつけたあと、リビングに戻り、ソファに座って静かに深呼吸をした。夫の真一がその様子に気づき、静かに梨奈の隣に座った。
「どうしたの?」と真一が優しく尋ねた。
梨奈はしばらく黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。「幼稚園で少し……恵子さんたちとの関係がうまくいってなくて……茜さんも、最近はあんまり話してくれなくなったんです。みんな、私から離れていってる気がするんです」梨奈は自分の気持ちを正直に話した。
真一はじっと梨奈の話を聞き、しばらく黙っていたが、何も言わずに梨奈の手を握った。その温かさに、梨奈は少しだけ安心感を覚えた。
「こんなことくらいしかできないけど……」真一はそう言って、少し照れ臭そうに微笑んだ。「今度、家族でディズニーリゾートに行かないか? 休みを取るから、二泊三日でランドとシー、両方楽しめるように計画してみようか」
梨奈はその提案に驚き、次の瞬間には真一の気持ちが嬉しくて涙が浮かんできた。「ありがとう、真一さん……本当にありがとう」仕事で忙しい真一が時間を割いてくれること、その心遣いに梨奈は心から感謝した。
数日後、田中家のファミリーカーでディズニーリゾートへ向かうこととなった。真一が運転し、助手席に梨奈、後部座席には大好きなぬいぐるみ「にゃんちけ」を抱えた真奈が座っていた。真奈は車内でも終始笑顔で、ディズニーで何をするかを一生懸命に話していた。
「ママ、シンデレラに会いたい!」と真奈が楽しそうに叫んだ。
「もちろん、会えるよ。たくさんのプリンセスがいるし、ランドもシーも両方行けるからね」梨奈も真奈に負けないくらい楽しみにしていた。普段の幼稚園でのストレスを少しでも忘れ、家族だけの時間を大切にしたいと思っていた。
ディズニーリゾートに到着すると、ランドとシーの華やかな雰囲気に、田中家は一気に非日常の世界に包まれた。シンデレラ城の前で記念写真を撮ったり、真奈が好きなキャラクターたちと触れ合ったりと、思い出に残る時間が続いた。
真一は終始、梨奈と真奈の笑顔を見守りながら、ふと梨奈に話しかけた。「こういう時間って、大事だよな。家族だけで過ごす、何も気にせずに楽しめる時間ってさ」
梨奈は真一の言葉にうなずきながら、心の中でふと思った。確かに、幼稚園の人間関係や恵子との対立は辛いが、今、目の前にある大切なもの――それは家族だ。真一と真奈、この二人がいるからこそ、自分はどんな困難にも立ち向かえるのだと改めて実感した。
2泊3日の旅はあっという間に過ぎ去った。ディズニーリゾートの楽しい時間は、梨奈にとって心の癒しとなり、彼女は再び前向きに幼稚園での生活に戻る決意を固めていた。
帰り道、真奈は後部座席でぐっすりと眠っていた。真一が静かに運転しながら、梨奈に話しかけた。「これからも、色々あるかもしれないけどさ、俺たちはいつでもこうやって、家族で乗り越えていけると思う。お前が頑張ってるの、俺もちゃんと見てるから」
その言葉に、梨奈は静かにうなずき、優しく微笑んだ。「ありがとう、真一さん。本当に……ありがとう」
家に帰り着いた頃、真奈はまだ眠っていたが、田中家の家族はこの旅を通して、さらに深い絆を築いていた。梨奈は、幼稚園での孤立や人間関係に悩むことはあっても、家族の愛があればきっと乗り越えられると信じていた。
「これからも、頑張ろう」と、梨奈は心の中でそっと誓ったのだった。