第四話:それは×××でしかやっちゃいけない
一度寝て、目覚めた後も夢から覚めない。そうであっても未だ現実だと思えなかった気持ちが私にあったようだ。
そういえば夢から覚めるためには頬をつまむ、頬を叩く…、などの昔々からある方法をまだ試してなかった気がする。
… でも、
「まさかそんなことしなくともいいくらい強い衝撃があるとは思わなかったナァ…」
最初に見た時よりツヤツヤな肌になったメイド…、ファイテが渡してくれた大きなタオルに包まれて、私は頭上にある違和感だらけの黄色い空を眺めている。
ハァとため息ついて視線を下げ、冷水でびちゃびちゃに濡れたパジャマが絞られて乾かされるのをぼんやり見つめてそんなことをつぶやいた。
この世界の季節が冬じゃなくてよかった。冷水を浴びても凍えることなく、だからといって暑さにやられることもない気温だったのでまだマシ…。うん、それがたとえ今、水で湿った下着とタオルしか身に着けていなくとも…。
「こちらをどうぞ、質素なものしかお出しできず申し訳ありません。」
「あ、どうも。あるだけありがたいので…。」
『… よくあんな目にあってのんきに会話できるよな。
ぶちギレて出てってもオレ様は文句言わねぇよ。… つーか妥当だわ。』
「だってタオルもご飯もくれたし…」
『はー… 平和ボケした頭だな…』
呆れた様子のジャマーと話しながらファイテが持ってきた丸いパンとマグカップに入ったポタージュっぽい温かなスープを受け取り、フーフーと息を吹いてスープを冷ます。
鼻に入るのはこの世界で初めて感じるいい匂いだ。色は濃いオレンジ… なので多分カボチャかな。
ゆっくりとスープをすすれば、なじみのある甘味の強い濃厚な味。奇抜な味でも、特徴的な味でもない。
パンも白くてやわらかい。おいしい… ほっとする…。
そんな感じに食べ始めていると、ファイテはじっとこちらを見つめて目を細めた。どこか懐かしそうな様子… に感じる。
そのまま彼女は私の後ろに回り、どこからか出したブラシで私の髪を梳きながら「“乾きの風よ“」と囁いて、暖かな風を出して乾かし始めた。その手慣れている指先が首筋に触れるとちょっとくすぐったい。
自分の黒い髪が視界端でパタパタと揺れるのを見ながら食事を進めていれば、ファイテが世間話を話すかのように口を開く。
元の世界にあるドライヤーより風音がしない魔法は、その言葉を渡るようなことはしないようだ。
「それでお客様がた、質問が遅れて申し訳ないのですがお名前を聞いてよろしいでしょうか?」
「あ、そういえば言ってないような…。
私は『こいつはパジャ。オレ様はジャマーだ。』その名前で通す気なんだね本当に!!!」
「パジャ様とジャマー様… ですね。」
聞き返しもせず受け入れる辺り、ファイテってスルースキル高いね…。
そんなツッコミを言いたくなりそうな口を閉じて彼女の方へちらりと視線を向けると、深刻そうな表情で俯いている姿が見えた。
先ほどまで見えていた綺麗な緑の瞳を前髪が遮ると、頭から生えている角がギラリとその存在を主張する…。
「転生者であるロイエル様に危害を加えにきた侵入者と、“意志持つ武器”… 本来であれば、あの方に仕えるこのメイド、ファイテが止めるべき存在です。」
「ひぇ…」
背中から聞こえるその言葉に緊張してしまう。飛び引いた方がいいのでは、と距離を取りかけた体に静止をかけるように「… ですが、」と彼女は首を振る。
それと共に彼女が髪を乾かすのを止めた。力なくするりと私の体をなぞるように落ちていくその手につられてファイテの方を振り向けば、顔を覆って苦しそうに蹲る彼女の姿が瞳に映る。
「… ワタクシは、もう… どうすればいいのか、何が、最善か… わからないのです。
今のあの方は… ワタクシの、理解が及ばない存在に… なってしまわれた。」
『… ………。』
彼女の顔に爪が食い込むほど強く力のこもった手。
その苦悩を絞りだすような声とその姿に思わず、脳裏によぎった言葉がポロリと漏れてしまった。
「… あの変態行為を理解できる方がおかしいのでは??」
『そこじゃねぇよこいつの言いたいことは!!』
拳に宿る武器は何か知ってて黙ってる気配を感じたので、ジャマーに小声でそんなことを言ってみたのだが違ったようだ。だって理解できないじゃん??
じゃあどういうことだよとメリケンサックをつつくも、説明もせずに黙り込む姿に首を傾げる。
ツッコミしか働かない異世界の武器とはこれ如何に。この世界に呼んだ責任取って口を開いてほしいものだ。
そんな風にジャマーと喋っていたら、少し顔を上げたらしいファイテが眉を下げて微笑む。
「取り乱してしまって申し訳ありません」と背筋を伸ばした彼女はコホンと咳払いをし、キリッとした表情へと戻って私の方を向き直る。
「パジャ様、あなたは黒い泥に侵されていない…。それにこの世界で何が起きているか詳しくお知りでない様子。
まるでこの世界の人ではないようですが… 何かしらの事情があるのだろうと存じます。
… 詳しくは聞きません。ワタクシは転生者でも高貴な身分でもない一介のメイドですが、この世界のことや、どうしてこうなってしまったのか… 僭越ながら知っていることをお教えしましょう」
「… え、いいの!? 助かるっちゃ助かるけど…」
「あなた方が怪しいのは百も承知です。」
「だろうね!!!」
「ですが」と、すぐさま否定を入れたファイテは、少し目を伏せる。
ぎゅっとスカートを握る彼女の手は震えていた。しかし彼女は覚悟を決めたかのように顔をあげ、木漏れ日を浴びた葉のように輝く瞳が私を見つめる。
「これ以上、ロイエル様があのようになってしまった姿を… 見ていられないのです。
あの方は本当に… 心から、あんなことをする方ではありません!
あの泥が… 黒い泥がっ! … あの方の全てを、塗りつぶしてしまったのです…」
握られたスカートが彼女の代わりにギリギリと悲鳴をあげる。
表情こそ大きな変わりはないものの、ファイテの限界はその様からにじみ出ているようだった。
自身のことをあの転生者に仕えるただのメイド… というには、彼にかなり親身に寄り添っている。
… 主従関係というものがどういうものかを、現代に生きている私はよく知らない。
けれど、それでもわかる。きっと彼女とあの変態… 違った、あの転生者の間に何かしら強い絆があったのだろう。
自分で言うのもなんだが、こんな怪しいパジャマ女に助けを求めるほどに。
そんなことを考えていたら、ついぞスカートがプチプチと嫌な音を立て始めた。
慌ててその手を止めるように私の手を重ね、動きを制する。思っていた以上に力がこもっていたようで、彼女はハッとした様子で力を抜いた。
そのままファイテは私の手を挟むようにもう一つの手をその上に置き、ふぅと息を整える。
先ほども見た、懐かしそうにその重ねた手を見つめる視線のまま彼女は口を開いた。
「… パジャ様、転生者様がたがこの世界の均衡を崩してしまう前のことをご存じでしょうか?」
「ん? …んーと、エルフとかがいる、森がある… くらい?
今は全部ビルもどきになってるから面影全然ないけど。」
それを聞くとちらり、とファイテは私の手にあるメリケンサックに目を向ける。
ジャマーはその会話を邪魔する様子がないようで、口を挟まない。… さては説明全部ファイテにぶん投げたな?
そのことに少しだけ口をとがらせてしまったが、俯く彼女の長くて白いまつ毛が揺れるのを眺めて心を落ち着けつつ、次の言葉を待つ。
「そうですね。“森祀族”がいた森はかつてありました。
それ以外にも蠢く水などの“純獣族”が統治していた山々、“鱗膜族”などが水辺で暮らす湖や沼、様々な被膜袋種たちが集まり暮らす国々… いろんなものが、ありました。」
「… 想像以上に種族がめちゃめちゃいる…。 ここに来るまでにそんな会わなかったけどなぁ…。」
「今や、何も残っていません。ワタクシには現在、どれだけの種族が生き残っているかわかりません。」
ヒェッ、とその言葉に短い悲鳴が漏れる。
確かにジャマーと会ったばかりの頃に世界がめちゃくちゃになったとは聞いてたけど、それってほぼ絶滅寸前に等しい話じゃん!!?
思わずガチャンと食器を落としかけるが、寸前でファイテがキャッチして地面へと静かに置いた。
食べ終わってたから何もこぼれなくてよかった…。
「かつての世界、… こんな状態になる前のことです。
当時この世界は約300年に1度、突如として現れる不治の病… 黒い泥に悩まされておりました。
侵されれば最期。元に戻ることなく魔物化…、人々に危害を加える存在と化すのです。」
「えぇ…、あれってこんな世界になる前からあるんだ。
りびーるなんちろのことはジャマーから教えてもらったけど、その頃からどうしようもない災厄みたいな感じなんだね…。」
「いえ、その時は発生原因も解決策もわかっておりました。」
「発生原い… え、じゃあそれどうにかすれば、この状況もどうにかなるの!?」
そう目を輝かせると、ファイテは困ったように眉を下げた。
彼女は静かに首を振り、「それは難しいと思います。」と言い切る。
そのことに少しガッカリしたけど、もしその手段あるならジャマーが教えないわけないだろうしなぁ…
「その発生原因は黒い泥発生時と同時期に“自然現象”として生み出される、出現方法・正体共に不明の“根源”、――――… “病魔の怪王”、通称を“魔王”と呼ばれていたものです。」
「まおう!! つまりそいつをぶっ飛ばせばハッピーエンドでOK!!!
… ……っていう簡単な話だったら、ファイテが難しいとか言わないよね…」
「さすがパジャ様。頭にちゃんと中身が詰まっていて何よりです。」
「なんで急に毒舌入れたの???」
「可愛らしくてつい。」
先ほどより余裕を取り戻した様子のファイテは未だ私の手を握ったままだけど、人のことをなじりながらふわりと微笑む。
そんな綺麗な笑顔でもその言葉の鋭さは和らがない。なんならグサッと来たからな!!
そんなことを考えてつつふと自分の手を見る。私に触れる彼女の手にもう震えはないようで、ふにふにと私の手をマッサージするように弄りながら話を続けるようだ。
「その魔王は神に選ばれた勇者のみが扱える“聖剣”で切り裂いた後、当代で一番の力を持つ聖女が使用できる“聖なる魔法”で倒す以外の方法がありません。
そうやって何百年、何千年とこの世界は保たれてまいりました。」
「倒す方法が限定的すぎる…。
… ってことは、300年に1回は必ず勇者や当代一の聖女が選ばれてたってこと?」
「ええ、そうです。その頃は突然泥が発生するたびに人々は恐怖し、選ばれた勇者たちの活躍を祈っておりました。」
聖剣、という言葉にジャマーの方をつい見てしまったが、こっち見んなとばかりにギュムッとメリケンサックをはめた指を締め付けられた。
話題を振られると困るのかもしれない? もしかしたら聖剣の話に照れているだけかもしれないが。
視線をファイテの方へ戻せば、彼女は私の手をマッサージするのに夢中なようでそのことに気づかなかったようだ。
「… ですが例の… 私たちの代に起きた黒い泥は、被害の規模が以前と桁違い。
そのため今代の勇者と聖女をサポートするために、各地にいた“様々な分野において特出した強き力を持ち、泥に対して強い抵抗力のある者”たち… つまりは“転生者”たちが集められ、万全の準備がなされたのです。
我が主、… ロイエル様も、その一人として招集されました。」
「… それでもダメだった、ってこと?」
「はい、詳細はわかりませんが…。 ワタクシが知る限り、勇者、聖女共に生死不明。
現在は泥に侵蝕されきった転生者たちが各地を支配しております。
ここも、本来であれば様々な種族がいたのですが…。」
「その、他の人たちは今どこに… ……っ!? イデデデデデッ!!
ファイテッ!? ちょ、いた、痛いっ!! そこ痛い!!」
「肩こりがひどいみたいですね、パジャ様。」
「マッサージじゃなくてツボ押ししてたの!!?」
さらに情報を聞こうと質問しようとしたら私の手を揉んでいたファイテが急にグリグリと指を立てる。
話を誤魔化した… というよりは揶揄うネタを見つけて楽しそうにしているようだ。よかった。いや、よくない。
放してっ!と痛みに耐えかねた私が距離を取ろうとすればファイテは力強く手を握って止め、ジタジタと身をねじって抜け出そうとする様子をそれはそれは楽しそうに笑っていた…。
「やめてよいじめっ子! どえす! 鬼ぃ~~~!!」
「そんな… このファイテはパジャ様の健康を気遣っているだけですのに…」
「本当にそうだったらそんないい笑顔してないんだよ!!?
アダダダダダ、そんなに凝ってる!!? ただ痛くしてるだけじゃないよね!!?」
「そんなに凝ってると体に悪影響だよ。 ボクもマッサージ手伝おうか?」
「ノーセンキュー!!! 絶対さらに肩を痛めつけるんでしょ!!!」
聞こえてきた声へ咄嗟に返事を返す。
「それは残念」と聞こえてきた声はファイテからじゃない。… 背後から声がする。
いつの間にかツボ押しの手は止まり、自分の肩に誰かの手が乗る。
… ボタッ、と何か液体が頭の上に落ちた感触がした。
恐る恐る、顔をあげる。
先ほど頭上に落ちた液状の何かが、額に沿って顔へと流れてくるのがわかった。
最初に見えたのはべちゃりと黒く塗れた長い前髪。
その隙間から見えるのはギョロリとこちらを凝視する左目と半分しかない仮面。
仮面の隙間から黒い液体がボタボタと絶え間なくこちらへと落ち、綺麗になっていた私の体を汚していく。
… そしてその“男”はこちらと目が合えば、「バァッ」と清々しいほどに作られた笑顔を見せた…。
次の瞬間、思わずギェェェェェェェェと乙女らしからぬ叫びが畜舎に響き、スライムたちがその衝撃にプルプルと震えあがる。
「―――――――… ……それはホラーでしかやっちゃいけないシチュなんだけど!!!?」
なんでこの主従は人との距離感が物理的に近いんだよ!!!