シャルジールは聖職者である
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一目見ただけで、これは恐ろしい代物だと、理解できた。
何故なら寝室に用意されていたその小瓶には、エダ・スメラルの心臓のマークが入っていたのである。
エダは私の同僚だ。
騎士団の同僚ではない。神官としての同僚で、エダの行なっているのは主に薬物の研究である。
薬物の研究の中には、漢方や薬膳といった、植物やら動物やらを乾燥させたり粉末にしたりして、成分を抽出したものを飲んで効果を確かめる、というものも含まれている。
そして完成した薬には、心臓のマークのシールが貼られるのである。
その効果は折り紙付きだが、少々やり過ぎなところもあり、人体実験に使用されたエダの部下たちなどが、時々研究室の床に倒れているのを見かける。
エダ本人には、悪気はまるでないようだが。
そんなエダの薬が何故我が家の寝室にあるのか、何故私の、目の中に入れても痛くないほどに可愛いリミエルがおそらくは購入してきたのかはわからない。
わからないが、ここにあるのだから受け入れるしかない。
今日のリミエルは、様子がおかしかった。
これは、いい意味で、だが。
もちろんリミエルはいつも可愛らしいのだが、今日はいつにも増して可愛らしく、そしてそわそわ落ち着かない様子だった。
何かあったのだろうか。しかし、分からない。
リミエルのことでわからないことがあるなど私としては許されざることではあったのだが、わからないものはわからない。
それとなく聞き出そうと思っていると、夕食に飲み慣れない酒と、妙な味のするスープが出された。
酒は、おそらくハブール酒。
しかし、普通のハブール酒ではない。元々ハブール酒は度数が強く、滋養強壮にもいいと言われている薬膳酒の一種だが、その酒は一口飲んだだけで体があつくり、目が冴えるようだった。
有り体に言うと、精力剤である。
そして、スープの方も一口飲むと同じ効果が。
疲れが吹き飛び、体に活力が漲る。戦闘時などなら重宝するものだが、寝る前の夕食としては不適切なものだ。
いや、むしろ適切なのか?
わからないが、私と同じスープを飲んで、リミエルも頬を赤らめて瞳を潤ませていた。
大きな薄桃色の瞳が愛らしく潤み、象牙のような白い頬が薔薇色に色づき、ふっくらとした肉感のある唇が愛らしく微笑むのを見て、食事に仕込まれたもののせいで元々熱かった体が、さらに熱をもつのを感じた。
毛先にかけて少し色の濃くなる桃色がかったハニーブロンドの髪が、しどけなく首や肩にかかる。
ほてった体を冷やすように、小さな手でぱたぱたと顔や、柔らかそうな胸がわずかにのぞいた胸元を仰ぐ仕草が扇情的で、正直、もう駄目かと思った。
私は崩れ落ちそうになる理性を総動員させながら、今のリミエルを他の者の手に触らせるわけにはいかないと、湯浴みを手伝い着替えを手伝い、ベッドに寝かせた。
顔にも態度にも出さないように気をつけていたが、必死だったのだ。
必死に、いつもの己を取り繕っていた。
なぜなら私は、神に仕えている者だからだ。
不必要な欲望は持つべきではない。
それに、リミエルは清く正しく生きている私のことが好きなのだから、幻滅されたくない、というのもある。
アラングレイスと士官学校で出会い、家に招いたり招かれたりするまでに親しくなってから、リミエルと出会った。
私は十六歳で、リミエルは十一歳。
毛足の長い子犬を連想させる毛質の、ふわりとした髪に、大きな瞳。少し気恥ずかしそうに微笑む愛らしい笑顔が印象的な少女で、純粋に、可愛いなと思った。
その可愛い、とは、妹のように可愛いのだとひたすら自分に言い聞かせていた。
リミエルはまだ幼く、公爵家の箱庭で育った純粋無垢という言葉がぴったりくるような少女で、無邪気に私とアラングレイスの後をついて歩いてくる姿は、生まれたばかりのアヒルの雛を連想させる。
そんな幼い少女に、恋愛感情を抱いたりはしない。
ただただ、可愛かった。
妹として可愛いのだと自分に言い聞かせていた時点で、私は多分もうすでに、手遅れだったのだろう。
アラングレイスは感情を察するのが得意な男である。
何度か「お前のために、妹の婚約の打診は全て断っている。妹も、お前が好きなようだしな」と笑いながら言われて、私は「リミエル様は、ふさわしい方と結婚をなさるべきです」と答えていた。
「かたいな、シャルジール。お前のその容姿やら立場やらでは、女にモテるだろうに。遊びもしない」
「私は神に仕えています」
「神も少しぐらいの火遊びは許してくれるだろうさ」
そう、よく言われていた。
アラングレイスの両親は早逝して、アラングレイスはすでに公爵の立場を継いでいる。
そのためか、妙に大人びていたし、彼の言う『遊び』というものも、問題にならない程度に行なっているようだった。
私たちは性格が真逆ではあったが、妙に気が合った。
それに、アラングレイスはリミエルをとても大切にしていた。
その大切なリミエルを私の嫁にと言うのだから、内心ではとても嬉しく思っていた。
そして、結局アラングレイスの計らい通り、私はリミエルと結ばれることとなった。
私にとっては、初恋の相手である。
少女だったリミエルは女性らしく成長し、可愛らしさと妖艶さを併せ持つ淑女となった。
ありがたいことに、リミエルも私のことを好ましく思ってくれたようだった。
だから、私は、リミエルが好ましく思ってくれている己を崩すわけにはいかない。
そう考えていたし、親友から任されたリミエルをあらゆるものから守らなければいけないと、思っていた。
それは、私自身からもだ。
当たり前だが、私は男である。
人並みに欲望はあるし、リミエルのことは本当に大切に思っているし、何よりも可愛いと思っているし、心の底から愛している。
できることなら毎日抱きたい。毎日愛していると囁いて、部屋に閉じ込めて、誰の目にも触れないようにしたい。
欲望を隠せば隠すほどに、その欲求は肥大していく一方だった。
だが、そんな仄暗い欲望は閉じ込めておくべきだ。
リミエルを泣かせるようなことはしたくない。
私は彼女にとって、優しく穏やかで、安心できる相手でいたい。
そう、もう一人の兄のような。
「…………駄目だ、死ぬ」
そう、思っていたのに。
流石にエダの薬を、多分だが、媚薬のようなものを五本一気飲みしたのはまずかった。
安心しきった愛らしい寝顔で、すやすや寝息を立てているリミエルが、目に毒すぎる。
本当は朝までずっと一緒にいたいが、このまま隣にいたら何をしでかすか、私は自分が怖い。
体も精神も限界を迎えた私は、軍服に着替えて剣と弓を手にして、森に向かうことにした。
体を動かして少しでも薬の効果を散らさないといけない。
リミエルが眠りながら私の服を握りしめるのを、断腸の思いでそっと指を外させて、私は部屋を出たのだった。
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