体の異変
わたくしは、両手で口を押さえました。
口いっぱいに何かをほおばったことなどなかったものですから、どうしていいか分からず、苦しさに溜まっていた涙がこぼれそうになります。
騎士の方々が何事かとこちらに来ようとするのに気づいて、わたくしは恥ずかしさに顔に熱が集まるのを感じました。
口の中に手づかみで焼き菓子を満杯に突っ込んでいる姿なんて、とても見られていい姿ではありません。
シャルジール様はそれはそれは冷たい瞳で、皆様を睨んで「訓練に戻れ」とおっしゃいました。
わたくしの行動に、怒っていらっしゃるようでした。
それはそうですよね、だってわたくし、明らかに邪魔をしていますもの。
「ん……ん……けほ……っ」
「大丈夫か、リミエル。どうしてこんなことを。吐き出して。私の手の中に吐いてかまわないから」
「あら、まぁ、なんてはしたない姿なのでしょう。シャルジール様、おかわいそうに、さぞ、奥様にご苦労をなさっていますのね」
シャルジール様がわたくしの背中を摩り、口元に手を持ってきます。
わたくしはむぐむぐしながら、首を振りました。吐くわけにはいきません。
ミラーニス様が、大袈裟な仕草で、口ぶりで、シャルジール様に同情の言葉を伝えます。
その通りねと、わたくしは、俯きました。
泣きたくないのに、情けなくて、あと、なんでしょうか。体が妙に、あつくて。涙がこぼれ落ちてしまいます。
「騎士の妻が、人前で涙を流すなんて。こんな、恥晒しなことありません。騎士の妻とは、いつでも自信に満ち溢れて、賢く、強くなくてはいけないのですから」
「……ミラーニス様。以前も私はあなたに伝えました。あなたはフォールデン猊下の娘というだけで、私たち騎士団の上司でもなんでもありません。騎士団の家族が、ここにくるのは構わない。だが、あなたは部外者だと」
「私、皆様の……シャルジール様の役に立ちたいのです。水や、果物は重宝しているでしょう?」
「頼んだことなど一度もありません。私は騎士として、皆に平等に正しく、優しく振る舞ってきたつもりですが、何度穏便にあなたに言葉を伝えても、伝わらないのなら言わせていただきます」
シャルジール様の声が、私が聞いたことのないような底冷えのするものへと変わっていきます。
それはまるで、敵に相対した時のような、冷静で強く少し怖くて、けれどぞわぞわするぐらいに素敵な姿でした。
「──邪魔だと、言っています。ミラーニス様、猊下にも何度も伝えました。あなたには猊下からも注意されているはずですね。騎士の鍛錬の邪魔をするな、仕事の邪魔をするな、と」
「お父様は何もわかっていないのです。私、とても役に立っていますでしょう? 幼い頃から、騎士様たちのお世話をしてきたのですから!」
「それが余計なことだと言っているのですよ。男漁りなら、別の場所で、どうぞ」
「……っ、ひどい……! お父様に言いつけてやる!」
ミラーニス様は、シャルジール様に冷たく言われて、泣き出してしまいました。
「ミラーニス様。私の大切なリミエルを愚弄するのなら、私は騎士などやめても構わない。騎士などでなくとも、リミエルを養う甲斐性ぐらいある。あなたが猊下に何を言いつけようと無駄だ。いつでも辞めるつもりはある」
「シャル様……そんな……」
口の中のものをなんとか飲み込むと、わたくしはシャルジール様の腕に手を添えました。
騎士を辞めるなんて、それもわたくしのせいで。
罪悪感で、苦しいぐらいでした。
わたくしがここに来なければ、こんな揉め事も起こらなかったのに。
シャルジール様はそんなわたくしを引き寄せると、腕の中に閉じ込めるようにして抱きしめてくださいました。
「立場にしがみつき、権力に怯えて何も言えないような男が君の夫だと思われたくない。私は、狩が得意だからな。熊狩りでもしながら生きていくのも悪くない」
「シャル様、……熊狩りのシャル様も、素敵です……」
わたくしは、熊狩りとして生きる雄々しいシャルジール様を想像して、うっとりしました。
それから、全身を駆け巡る熱に、体を震わせます。
「っ、ん……シャル様、からだ、あつい……」
「一体、何が……」
「申し訳ありません、シャルジール様。先ほどエダ様から頂いた健康食品を、焼き菓子に振り掛けました。シャルジール様が、リミエル様を放って他の女を構っていると思い、意趣返しをしようと思ったのです」
深々と、ミニットさんが頭をさげます。
「また、あいつか……! いや、いい。ミニット。リミエルを庇おうとしたのだろう。それでこそ私の選んだ侍女だ。それはいいが、リミエル、大丈夫か?」
「は、はい……でも、あつくて……わたくし……」
「なんなの! その鈍間な女のどこがいいのよ! シャルジール様は女の趣味が悪いのだわ!」
ミラーニスさんは、侍女たちを引き連れて、泣きながら剣の塔の中へと戻っていきました。
騎士団の方々が、固唾を飲んでわたくしたちの様子を見守っています。
というか、多分。
わたくしを見ています。
「み、見ないで、くださいまし……わたくし、恥ずかしい、です……」
視線が体に突き刺さるようで、わたくしは俯きました。
「耳が」
「耳だ」
「あれは、猫か……?」
ざわざわと、騎士の方々が「耳」と「猫」について、口にしています。
シャルジール様はわたくしを抱えあげると、ミニットさんを連れて、剣の塔の執務室と思しき場所へと駆け込みました。
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