ミラーニス様と健康食品と焼き菓子
騎士団の訓練所は、騎士団本部の中庭にあります。
危険がないようにでしょう、柵で囲まれた訓練所で、シャルジール様は模造刀を持って部下の方々の相手をしていました。
部下と思しき方々は五人。次々にシャルジール様に向かって振り下ろされる模造刀を避けて、体をひらりと翻し、部下の方々を踏み台にするようにして一回転しながら相手を蹴り上げて、軽々と着地したシャルジール様の突き出した模造刀が、向かってくる方々の模造刀をたたき落とします。
その都度シャルジール様の長い銀髪が揺れてきらめき、軍服の裾がひらりと揺れて、まるで舞いを見ているぐらいに美しく、野性味もある雄々しいお姿でした。
「シャル様、素敵です……」
わたくしは両手を胸の前で握りしめて、ほうと、感嘆のため息をつきました。
シャルジール様が素敵なことは重々承知だったのですが、こんなに素敵な方がわたくしの旦那様なんて、本当に夢みたいです。
わたくしはミニットさんと一緒に、訓練の様子を少し離れた場所で見学していました。
あまり近づいたら気が散ってしまうと思いますので、邪魔をしないように気づかれないようにしていました。
シャルジール様の真剣に戦うお姿を拝見できるなんて、見に来ないかと誘って頂けてよかった。
「次!」
厳しい声が、訓練所に響きます。
模造刀を弾かれた部下の方々が下がり、待機していた方々がシャルジール様の前に立ちます。
さらに続いていく訓練に、シャルジール様は息も乱さずに、一太刀も剣を受けずに部下の方々を地面に沈めていきました。
「……あら。そこにいるのは、鈍間なリミエルさんじゃないかしら」
わたくしが胸をときめかせていると、私に声をかける人がいます。
それは――学園で同級だった、ミラーニス様でした。
フォールデン猊下のご息女です。フォールデン猊下はシャルジール様の上司にあたる方ですし、騎士団の本拠地の剣の塔にお住まいになっているので、ここにいることはおかしいことではないのですけれど。
美しい金の髪と、空色の瞳の愛らしい顔立ちの方ですが、私はそういえば、ミラーニス様にはあまり好かれていないのでした。
たぶんですが、ミラーニス様もシャルジール様が好きだったのです、きっと。
だからわたくし、シャルジール様との婚約が決まった学園時代は、ミラーニス様に「鈍間」と、よく言われていました。
最近は顔を合わせることもなかったのですが、久々に鈍間と言われたわたくしは、驚いてしまって言葉をかえすことができませんでした。
このところ、皆さんに優しくしていただいていたものですから、悪意のある言葉を聞くのは久しぶりだったのです。
「無礼な……」
「ミニットさん――フォールデン猊下の娘さんですから、言い返しては駄目です」
ミニットさんが何か言う前に、私は小さな声で耳打ちしました。
大神官家というのはこの国では特別です。わたくしは公爵家にうまれましたが、大神官家の方々と比べたら、家柄は格下です。
フォールデン猊下はよい方だとお聞きしますが、けれど、逆らって波風を立てるべき相手ではありません。
まして――夫の上司の娘ですから。
ここは、きちんとご挨拶をするべきでしょう。
「ミラーニス様、ご無沙汰しております。お元気でしたでしょうか」
わたくしは礼をすると、当たり障りのない言葉を選んで話しかけました。
ミラーニス様は口元に笑みを浮かべると、肩をすくめます。
「こんなところまで何をしにきたのかしら。シャルジール様のお仕事の邪魔をしに来たの? どうせ鈍間なあなたのことだから、シャルジール様に迷惑ばかりかけているのでしょうね」
「わたくしは、そんなことは……」
あぁでも、身に覚えはあります。
つい最近、シャルジール様の愛を疑って、シャルジール様を困らせてしまったばかりなのです。
「ここは騎士団の方々の仕事場なの。興味本位で貴族出身の奥方様が遊びにきていい場所ではないのよ。邪魔よ、リミエルさん。さっさと帰りなさい」
「ですが、わたくし」
「それは何? 焼き菓子? そんなものを差し入れに持ってきたの? 騎士の方々が休憩の合間にそんなパサついたものを食べるとでも思っているのかしら。これだから、何も知らない鈍間な女って困るのよね」
ミラーニス様は大げさに溜息をつきました。
わたくしは、恥ずかしくなってしまって、うつむきました。
確かにそうなのかもしれません。シャルジール様に、差し入れは何をお持ちすればいいのか、先に聞いておくべきでした。
わたくし――本当に、鈍間です。
「シャルジール様! 今日もとても素敵でしたぁ! 皆さんも、冷たいお水を用意しておきました。それから、果物も。少し休憩なさってください、今日は日差しが強いから、倒れてしまいますわよ!」
ミラーニスさんは、わたくしの横を通り過ぎると、弾む声で騎士の方々やシャルジール様に話しかけます。
ミラーニスさんの後ろから、侍女の方々が水差しや汗拭きようの布や、グラスを持ってミラーニスさんの後に続きます。
「ミニットさん……あの、帰りましょう」
「リミエル様、そんな……! 気にしなくても大丈夫ですよ、きっと!」
「わたくし、自分が恥ずかしいです。……もっと考えて、行動しなくてはいけませんね。これでは、騎士の妻など、務まりません。だから、今日は帰りましょう」
「リミエル様……」
瞳が勝手に潤んでしまって、わたくしはミニットさんから顔を背けました。
泣いてしまうなんて、一番情けないことです。
今まで、何を言われても気にすることなんてあまりなかったのに。
今は無性に――自分自身が恥ずかしく、なさけなく思うのです。
「シャルジール様、お水です。汗もお拭きしましょう。今日も本当に素敵でした。あなたのような方がこの国を守ってくれているのだと思うと、安心して眠ることができるのです」
ミラーニスさんが、シャルジール様の顔に手を伸ばします。
わたくしは見ていられなくて、足早にその場を立ち去ろうとしました。
「リミエル!」
わたくしが帰ろうとすると、シャルジール様がミラーニスさんを押しのけるようにしながら、わたくしの元へと駆け寄ってきました。
「リミエル、何かあったのか? ミラーニス嬢に何か言われたのか? どうして帰ろうとするんだ。せっかく来てくれたというのに」
いつも落ち着いているシャルジール様なのに、狼狽した様子でわたくしの腕を掴みます。
わたくしは泣いてしまいそうになっているのに気づかれたくなくて、うつむいたまま首を振りました。
「わ、わたくし……大切な用事を、思いだしてしまいましたの。そういえば、リジーに呼ばれていて、だからもう、行かないと……!」
「君は嘘が下手だ。私はそれをよく、知っている」
「嘘ではありませんわ……! シャル様、離してくださいまし……わたくし、お邪魔をしたく、ないのです」
「邪魔などと思うわけがないだろう。リミエル、どうしたんだ。話してくれ。それは――私のために持ってきてくれたのだろう?」
「ち、違います……っ」
ミニットさんの持っているバスケットに気づいて、シャルジール様が手を伸ばします。
わたくしは、慌ててミニットさんの持っているバスケットを、わたくしの体で隠しました。
でも、身体能力でわたくしがシャルジール様にかなうわけがなくて、バスケットにかけている布がめくられて、中の焼き菓子が露わになります。
焼き菓子は妙に、艶々していました。なんだか、きらきら艶々しています。
まさかと思ってミニットさんを見上げると、ミニットさんは完全犯罪をやりとげた、みたいな顔をしていました。
エダ様の健康食品の粉をふりかけたのです。わたくしが、気づかない間に。
どうしてそんなことをするのか、わかりませんけれど。
――これではわたくし、また迷惑な女になってしまいます。
「リミエル、ありがとう。嬉しいよ」
「駄目です、それは、駄目! それはわたくしが食べるお菓子で……!」
わたくしは、いつも鈍間なわたくしにしては素早く動いて、バスケットの中の焼き菓子を掴みました。
普段のわたくしならそんなマナーの悪いことを絶対にしないのですけれど、必死でした。
謎の粉がかかっているお菓子を、シャルジール様に食べさせるわけにはいきません。
「リミエル様……!」
ミニットさんの慌てた声が聞こえます。
わたくしは、手づかみしたお菓子を、口のなかいっぱいに押し込んだのでした。
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