リジーは圧力をかけられている。
◆◆◆
辺境とは、まさに辺境なのだ。
そう──はじめてお父様に聖都に連れてきてもらった時、私は思った。
デルック辺境伯家は、深い深い森と荒野を背にして立っている。
森と荒野を抜けると、隣国がある。
隣国との関係は――過去は争いなどもあったようだけれど、この数百年はずっと平和。
法王ラース様の治めるこの国は、神の加護がある国だから、自ら他国に争いを仕掛けることはない。
ないのだけれど、僧兵の方々で組織されているグルグニア聖騎士団が、それはもう鬼のように強いと評判で、ミシュラミア神聖国とは戦をしないほうがいい――と、他国からは思われているということのほうが大きい。
つまり、デルック辺境伯家は他国から国境を守るという役割もあるけれど、それよりもずっと大きな役割は辺境の魔獣たちを討伐すること。
魔獣というのは、都市部よりも辺境に多く出没する傾向がある。
お父様やお兄様や弟たちは毎日毎日魔獣討伐に明け暮れていて、辺境の街や村々を守っている。
そんなわけだから、辺境に住みたいという人たちは結構少なくて――といっても、元々住んでいる土地を捨てて別の場所で暮らすっていうのはかなり大変だから、人口が激しく減るっていうことはないのだけれど。
新しく移住してくる人たちはあんまりいない。
聖都からも離れているから、あんまり情報も入ってこないし、隣国との間には深い森があるから、そんなに貿易も盛んなわけじゃない。
そう――デルック辺境伯領は、田舎なのである。
私、田舎者だわ!
と、自覚したのが、はじめて聖都を訪れた時、というわけだ。
聖都はなんせ煌びやかだった。
着るものも、住んでいる人々も、街並みも商店も商店で売っている商品も街の大きさも――全てが輝いて見えた。
「お、おお、お父様、みんな、おしゃれです、すごい、ここは楽園ですか? 天使様たちがたくさんいます……!」
興奮気味に私が言うと、お父様は私を撫でて、「大神殿は、街の比ではないぞ、リジー。びっくりして倒れるかもしれないな!」と、快活に笑った。
お父様の言っていた通り、大神殿はすごかった。
想像していた煌びやかや荘厳さの三倍も四倍もすごくて、この世の中にこんなすごい建物があるのかと思ったし、パーティーに集まった貴族の方々も全員神様か女神様なんじゃないかなというぐらいに美しく輝いていて、私は圧倒されるばかりだった。
そんな中で、私に話しかけてくれる人がいた。
それが――リミエルだった。
リミエルはのんびりゆったりした足取りで、お兄様と思われる男性と手を繋いで歩いてきて「はじめまして。年が近い女の子がいたものですから、お話ししたいと思いましたの」と、どことなく夢を見るような口調で言った。
リミエルは、桃色がかった金の髪に桜色の瞳をした、絵本の中から出てきた天使みたいに可愛らしい女の子だった。
お父様とリミエルのお兄様は知り合いらしく、二人でお話をしている間、私はリミエルに手を引かれて「大神殿のお菓子は美味しいのですよ」と、一口大の苺タルトや、中にまったりとしたクリームの入ったチョコレートを食べたりした。
公爵家の令嬢であるリミエルは私よりも身分が高いけれどとても気さくで、緊張している私に「仲良くしてください、リジー。同い年の女の子は、他にいないので、とても嬉しいです」と言った。
それから「リジーは、話しやすい話し方で、私と話してください。私、怖くないと思います。自分では、怖い人ではないと思っています。ですが、公爵令嬢というのは怖いらしいのです」と悩ましげに言っていた。
リミエルはすごく可愛い。
お友達ができて嬉しい――ということも、もちろんあった。
けれどそれ以上に私は、私の理想の少女に出会ったような気がしたのだ。
デルック辺境伯領は、田舎である。
娯楽なんてほとんどないし、お父様とお兄様と弟たちはムキムキの筋肉。
女は私一人で、出る話題といえば武器がどうだの弓がどうだの馬がどうだのあの魔獣の弱点はどうだのと、そんな話ばかり。
だから、そう――私は、キラキラした女の子らしい世界に憧れていた。
つまり、恋愛。
恋愛小説である。
幼い頃は、お母様の書架から恋愛小説を抜き出しては、読みふけっていた。
それでは飽き足らず、最近は自分で書くようになった。
だって――読んでいると、「違う……! こんなんじゃ、可哀想! この、振られた人が可哀想!」とか、「なんなのこの男! なんなの!?」とか、色々考えるようになってしまって。
だったら自分で好きなように書けばいいのだと気づいてしまったのよね。
少しずつだけど、登場人物を設定して、お話を考えていた私。
そこで出会ったのが――まさしく私の理想的な少女である、リミエルだった。
身分が高いのに偉ぶらないし、どこかのんびりしていて、気さくで、可愛らしい。
お兄様とも仲良しで、ご両親を小さな頃に失ったけれど、暗さなんて感じさせないぐらいに朗らかで明るくて、健気で――リミエルのことを話し出したら止まらなくなってしまうのだけれど。
だから、私の話のモデルは基本的には――。
「リジー様、お話があります」
私はびくっと震えた。
私の夫のグラディウス猊下は、大神殿の一の宮に住んでいる。だから私も同じく、一緒に住んでいる。
で、この大神殿では、リミエルの夫のシャルジール様も働いているのである。
「シャルジール様、何の用ですか?」
びくびくしながら、私は来客に向かってにっこり微笑んだ。
私室に入ってきたというのなら、無礼だといって追い出せるのだけれど、清く正しく美しいシャルジール様はそんなことはしない。
私が大神殿のお庭をお散歩しているのを聞きつけてやってきたのだろう。
お散歩はいい。ネタ作りにもってこいだ。うろうろ歩いていると、新しい設定がうまれるものである。
シャルジール様のお出ましに、侍女たちが浮き足立っている。
見た目だけはそれはもう最高に貴公子であり、他国の血が混じっているからか、少し野性的でもあるシャルジール様は、女性たちに大人気だ。
私の夫もそうであってほしいものだけれど、残念ながらグラディウス猊下はそういうタイプじゃない。
「先日――リミエルに、妙なことを吹き込みませんでしたか?」
「い、いえ、なんのことでしょうか? わかりかねますわ」
「リミエルは私の穢れなき天使なのですから、余計な知識を教え込まれては困ります。ただでさえリジー様……いえ、失礼。ハニーシュガー先生の書かれる本を読んでいるのですから」
「そ、その名前で呼ばないでください!」
私がハニーシュガーという作家名であることを知っているのは、リミエルとグラディウス猊下、侍女たちと――それから、シャルジール様だけだ。
リミエルには、若気の至りで、書き上がったお話を読んで貰っていたせいで。
グラディウス猊下には、聖都の図書館の秘密の場所で原稿を書いているところを偶然見られてしまったせいで。
そしてシャルジール様は、リミエルと結婚してから、リミエルが持っていた本を読んだらしく――。
「リジー様。この本に出てくる女性はリミエル様によく似ています。これほどリミエル様の特徴を捉えることができるのは、リジー様ぐらいです。つまり、あなたが書いたのですね」
と、突然話しかけられて、私は心臓が口から飛び出るかと思った。
普通気づくかしら!?
怖いわ……!
と、思ったし、これから脅迫されるのかしら……と、怯えた私に、シャルジール様は、
「リジー様。リミエル様を本に登場させるのは構いませんが、相手の男を――できることなら、私のような、けしてリミエル様を傷つけず、心の底から大切にする男にしてください。つまり、私です」
と言った。
その上、「本が出版されましたら、毎回確認します。リミエル様をモデルにしている以上、リミエル様が辛い思いをしたり、酷い男に残酷なことをされるのは、我慢できませんので」と言った。
めちゃくちゃ怖かったわよ。
それ以来、私は定期的にシャルジール様に駄目だしを受けている。
リミエル様を泣かせるなだことの、横恋慕する男は誰だだことの、実の兄との恋愛など許されない! だことの、色々言われた。
正直面倒くさいけれど、でもやっぱり私は、リミエルをモデルにしたいのよ。
だって可愛いから……!
――そして庭園をお散歩中の私の元を訪れたシャルジール様は、腕を組んで眉を寄せた。
「次回の新作に、今回のことなど書きませんよう。まぁでも、もし、それらしい描写を書くのでしたら、相手は私でないと困ります」
「それはそれで、読んでいてどうなのって思うわよ。リミエルとシャルジール様をモデルに、艶やかな話を書かれて、いいのですか? 嫌じゃないですか?」
「私とリミエルであれば、何の問題もありません」
シャルジール様は女性たちが卒倒するような笑顔を浮かべて言った。
リミエルは、シャルジール様を奥手で大人しい男性だと思っているようだけれど――正直、どこが? という感じだ。
怖いわよね、うん。怖い。
怖いけど、許可を貰ったから――新作のネタができたので、私は心の中で握りこぶしを高くあげた。
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