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第1話 いつも一番のお客様

 雑貨屋の朝は早い。

 冒険者が集うこの町の場合は特に早くないといけない。

 アンリはお日様と一緒にベッドを出ると、自分で勝手に決めた制服に袖を通して、階下の店を開けた。

 あくびをしながら《雑貨屋》とだけ書かれている看板を出し、店の前を軽く掃除する。がたがたの石畳が明け方の白い光を反射して、わずかに波打っていた。


(シャボン玉の表面みたい)


 手触りはまったく違うけれど。百年前に討伐したという岩石龍の鱗は、酔っ払った冒険者たちの大乱闘にも耐えうる超一級の建材だ。

 右も左も向かいも、通りに並ぶ家々はすべて木造二階建てだった。造りはどれもほとんど同じだが、それぞれに強烈な個性がある。右隣は壁一面に閉じた傘が飾られているが、傘屋ではない。左隣は煙突が六本ついていて、夜中の十二時になると煙をもうもうと吹き上げるのだ。

 アンリの住宅兼店舗はというと、長人間種(ナガン)に合わせた背の高い扉と、森と見間違うほどに茂った蔦が特徴だ。蔦は、どういう生態なのかまったく分からないけれど、冬になっても枯れず、季節に合わせていろいろな花を咲かせる。今の時季はリュシカ――柑橘系のような白い小さな花――が咲き乱れていた。

 通りに漂う甘い香り。アンリの大好きな季節だ。

 雲一つない薄青の空の遥か高みを、二頭のドラゴンが寄り添うように飛んでいた。秋、ここでは“クァランドの鐘”と呼ばれる時季の早朝によく見られる光景である。こうやって見上げるのは三度目だけれど、うっかり手を止めて見つめてしまう。


(何度見ても綺麗だな。……龍の舞、って言うと攻撃力上がりそうな気がするよね)


 なんてくだらないことを思うのも毎年のこと。

 掃除が終わったら店内に戻って、商品棚を覆う布を取る。白い布に施された細かな刺繍は、すべてライトリィ・ブライトンの手によるものだ。アンリに経営と製薬のいろはを教え、二年前に隠居してしまった元店主。アンリは彼女のことを「おばあちゃん」と呼んで慕っている。


(うーん、やっぱおばあちゃんの刺繍と比べると駄目だな。商品にするにはまだまだだ)


 昨日仕上げた三枚のハンカチはすべて自分のものにしよう、と決めて、カウンターの裏に座る。

 帳簿を開いたとき、後ろから階段を下りてくる小さな足音が聞こえた。


「鐘の声が聞こえたね、アンリ」

「素敵な響きだったね、スティーユ」


 季節ごとに変わる挨拶にももう慣れたものだ。

 スティーユはひょいとカウンターの上に乗った。柔らかくて長い毛並みがふわりと揺れる。真っ白いペルシャ猫、と呼ぶのが相応しい姿だ――尻尾が三つに分かれている点を除けば。ドラゴンの一種であるとのことだけれど、アンリはいまだに半信半疑でいる。


「経営の調子は?」

「ぼちぼちですね」

「覚えたぞ、その言葉は“とても良い”って意味だ」

「そうでもないときでもそう言うよ」

「じゃあアンリは良い経営者だな」


 ふふんとスティーユは鼻で笑った。


「毎朝聞いてきたボクが勘違いしたということは、“良くない”状態を作ったことがないという証だ」

「そんなに褒められると照れますねぇ」

「そう思ったならもう少し照れた顔をしろよ」

「あれ、してなかった?」

「まったく。いつも通りゆるゆるの顔だったぞ」


 それは失礼、とやっぱり緩く微笑んだままアンリは言った。

 アンリが在庫の確認をしようと立ち上がりかけたとき、店の戸が開いて長身の男が飛び込んできた。


「鐘の声が響いたな、アンリ!」

「良い音だったね、エル。今日も元気そうで何より」

「俺から元気を取ったら何が残る? 何も残らないだろ!」

「自分で言うんだそれ」


 エル・バロンはにっかりと笑って、スティーユとも挨拶を交わした。彼は冒険者チーム《バトニアル》のリーダーで、新人ながらここ最近では最も活躍していると評判の冒険者だった。どう見ても二十五歳ぐらいにしか思えないというのに、もう七十年は生きているというのだから長人間種(ナガン)という種族は不思議だ。

 スティーユのためにカウンターに肘をついていた彼が、そのままの状態でアンリを見た。強気に吊り上がった目尻はいかにも彼らしいが、紫水晶(アメジスト)の瞳は繊細な輝きをもっている。


「かなり髪が伸びたな、アンリ」

「うん。そろそろ切ろうかと思ってるんだけど」

「君には長いほうが似合うぞ」

「そう? そう言われたのは初めてだ」

「見る目のない連中と付き合ってたんだな」

「はは、辛辣だね」


 でも否定は出来ない。する気もない。


「それで、本日ご入り用のものは?」

「赤狼ランクの魔力補充薬(ポルト)十本、ブレードキーパー三つ、賢者の縄一本、フラッドボトル五本、紫蝶ランクの携帯食料(パッタドール)五日分――」


 いつも通りの注文内容だ。ダンジョンに挑む冒険者たちの必需品。実力者であればあるほど、余計な物はそぎ落とし、シンプルで王道の持ち物になっていくのだ。


「以上」

「オーケー、いつも通り――」

「を、全部二倍の量で」


 さらりと続けられた言葉に、アンリは目を剥いた。


「二倍?」

「おう」

「深く潜るの?」

「ああ」


 簡潔に頷いたエルの目が急に繊細さを失って、ギラギラと凶悪に輝いた。

 この町の最も近く、南の山麓に大口を開けている洞窟型ダンジョン《ドンクベット》は、世界でも最難関のダンジョンとして有名なのだ。そもそも名前からして“馬鹿が賭ける”という意味である。この場合賭け皿にのるのは命だ。一キロ進んだだけでも生還率は五十パーセントを割るという。二十年前に最強と言われたチームが二週間かけて到達した九十七キロ地点が、いまもなお最高記録のままだ。そこまで進んでもまだ終わりが見えない上に、それ以降に進んで帰還した者はいないのだから恐ろしい。

 それでも挑む冒険者たちが絶えない理由は二つある。

 一つは、希少種のモンスターがほぼ常に湧き出ること。とはいえ、実際は入り口付近で一、二体倒すだけでも充分な金になるために、あえて奥へ進もうとする者は少なく、この町に逗留している冒険者たちのほとんどは入り口から一キロ以内をうろちょろするばかりなのだが。

 そんな中でエルたち《バトニアル》は、最奥を目指し活動している数少ないチームの一角なのだった。


「最高到達点を越えに行く。完全踏破するための第一歩だ」


 ――理由のもう一つは、この目が大音声で語っている。

 アンリは意識して平常通りの笑顔を浮かべた。


「分かった、全部二倍ね」

「一度戻って、支度が済んだらまた寄るよ。そのときにオススメ(・・・・)を頼む」

「分かった。じゃあとりあえずここまでの金額が、えーと、しめて金貨二枚と銀貨三枚ね」

「了解」

「準備するからちょっと待ってて」

「手伝うぜ」

「ありがとう」


 お客様に手伝わせるなんて、と恐縮していたアンリはもういない。むしろ「ちょうどよかった、ついでにそこの箱、上に上げてくれない? 私じゃ持ち上げられなくってさ」なんて頼む始末だ。順応してきたな、とアンリ自身そう思う。

 アンリが両手で頑張っても持ち上げられなかった箱を、エルは片手でひょいと持ち上げてみせた。


「さっすが、力持ちー」

「これくらい人間種(フッツ)でもいけるだろ」

「ジョージくんを人間種(フッツ)の標準だと思わないでよ。彼の筋力は人間種(フッツ)の中の黒龍ランクだから」

「そうなのか」

「ちなみに私は黄石ランク」

「最底辺かよ」


 ふふふ、と笑いながらアンリはカウンターに戻り、普段の二倍の品々を紙袋へきっちり詰め込んだ。


「お買い上げありがとうございます」

「おう。じゃ、また後で」

「はーい、待ってるよ」


 エルは重量級の紙袋二つを片手に提げて、もう一方の手をひらひらと振りながら颯爽と出ていった。



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