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「……子様、起きて下さい妙子様」
遠くの方で呼ぶ声が聞こえる。柔らかく優しい声で。
「う…ん、後五分…」
「妙子様、国王陛下がお呼びです。起きて下さいませ」
国王陛下ってなんだっけ?とぼんやりと考えながらも、意識は眠りの世界へと落ちていく寸前、妙子はパッと目を覚まし身体を起こす。
「おはようございます、妙子様。本日よりお世話をさせて頂くリーヌと申します」
目の前にいるのは、黒いロングのワンピースに真っ白なエプロンを付けた女性だった。きっちり30度の綺麗なお辞儀をされ、反射的に妙子もお辞儀を返す。
「おはようございます、成宮妙子と申します。この度はご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
元会社員の性、仕事柄謝罪ばかりしてきたので、ついつもの癖が出てしまった。先手必勝、謝罪されて嫌な気分になる相手はいない、まず謝罪から入れ!相手が何か言うまで頭を上げるな。口酸っぱく上司から言われ続けた妙子にはそれが沁みついていた。
「ご迷惑…ですか?私はその様な事を掛けられた覚えはございません。初めましてですし…ね」
パッと顔を上げると、少し困った様に微笑むリーヌ。その後ろにも数人同じ格好をした女性が立っていた。
「まずは、身支度を整えさせて頂きます。湯あみの用意が出来ておりますので、どうぞこちらに」
「…お風呂入るって何で?顔洗う位で良いんだけど…」
陛下が呼んでるとか言っていた気がするが、勝手に召喚したんだから向こうから来るのが筋だろう。別に会いたくもない人の為に身支度を整える必要などないではないか、と荒み切った妙子は動こうとしなかった。
「うっわ、女子力低い!ってか、その格好で人前に出れると思ってるなんて信じられない!寝起きのぼさぼさの髪に、顔は脂でテカテカ、肌はボロボロ!ほら、鏡見てごらんよ」
そんな妙子に業を煮やしたのか、後ろに控えていた女性がリーヌを押しのけて妙子に鏡を手渡した。そこに映ったのは確かに彼女の言う通りの状態の妙子の顔。
「マリー、言葉に気をつけなさい!妙子様に失礼ですよ!」
「だって、リーヌさん許せないですよ!人としての最低限のマナー…」
「げっ、酷い…。お風呂どこですか?入ります!」
目の前で言い合いをしている二人をスルーし、別の女性に尋ねると「あちらですが…」と視線を向けた扉にダッシュ。バタンとドアを閉め、躊躇いなく服を脱ぎふろ場に駆け込む。シャワーでざっと汚れを落とし、ドボンと湯船に浸かる。その間僅か3分。時間を無駄にするなとさんざん言われ続けた妙子にとっては、当たり前の事だったのだが。
「何なのよ、その雑な洗い方!本当に女子力低すぎ!」
「うわぁぁぁ、何で入って来るのよーーーー!」
「あんたを洗うのが私の仕事だからよ!大人しく湯船につかってなさい!」
マリーは、羞恥で身を縮こませる妙子に構うことなく、テキパキと作業を進めていく。身体を洗われるのだけは全力で拒否したせいか引き下がってくれたが、髪の毛だけはとても丁寧に洗われた。今まで着ていた服はクリーニングするからと、渡された服を着てドレッサーの前に座らされる。
髪を乾かしてもらいながら、美容院に行ったのはいつだっただろう…と妙子がぼんやり考えていると、またしてもマリーの痛烈な一言が見回れた。
「もう、毛先もバラバラ!こんな綺麗な黒髪なのに手入れしないなんてありえない!どんだけ手入れサボってたのよ!」
「仕方ないじゃない、仕事が忙しすぎて美容院行く暇なかったんだから…」
「どんなに仕事が忙しくても、自分磨きを疎かにしていい理由にはならないわ!」
初対面なのに、ポンポンと文句を言ってくるマリーの言葉が今の妙子には心地よかった。普通の会話が出来る安心感。会話をしながらもマリーの手は休むことなく動き続け、妙子はあっという間に薄く化粧され、髪はハーフアップに綺麗に編み上げられていた。
「まあ、見れるようになったんじゃない?」
ニコッと、鏡越しに微笑まれ妙子は自分の姿をまじまじと見る。このまま結婚式の披露宴に出れる程のいで立ちだ。
「…ここまでする必要ある?」
「当たり前でしょう、どうでも良い格好なんてさせたら私が仕事出来ないって思われてしまうでしょうが!」
ちょっと気合が入りすぎた感はあるが、これが私の仕事だと言われてしまうと反論できない。自分の仕事を軽視される屈辱を身をもって知っているのだから。
「…ありがとう」
「どう致しまして」
ぽそっと呟くと、マリーは笑顔でそう答え、「お支度完了致しましたので、ご案内致します」と今までの馴れ馴れしさから一転、お辞儀をすると歩き出す。
その身の変わり様に苦笑しながら、マリーは優秀な仕事人だとその姿に敬意を払い彼女の後に続き部屋を出た。