卍 【娯楽小説限定】創作上踏まえておきたい悪役のタイプ 卍
物語のラスボスは2種類に大別できる。正鵠ではないけど便宜的に「米国型」と「英国型」と呼びます。
「米国型」は映画【アベンジャーズ】に見られるような、ボスキャラが指鳴らすだけでモブ敵がワラワラ沸いて出てくるやつ。
ボス自体は、普段奥の院の暗がりで玉座にふんぞり返って退屈そうにしている……と言えばだいたい何人か具体的なキャラを思い浮かべられるでしょう。
このタイプのやや引っかかるところが「大量のモブをどうやって集めたんだよ」という兵站上の問題ですね。ラスボスのキュラクターや目的によっては「おまえにそんなたくさん家来が着いてくような人徳無かろう」って疑念が沸きます。
けどハリウッド映画だと多いんだそれ。際限なくガンマンが沸いて襲ってくるやつね。故に「米国型」と呼ぶ。
「英国型」は、基本ボスキャラが悪事を全部自らやるタイプ。ジョーカーや【007】のゴールドフィンガーみたいなの。
多数の部下を抱えてる場合もあるけど、金塊密輸や原爆のタイマーセットとか楽しいことは自分でやる。余暇でさえインチキポーカーやゴルフ……と、根っからの犯罪者。
英国冒険、推理小説はこのタイプの悪役なので「英国型」。
ズォーダー大帝やラオウみたいに、文脈上「悪役」と定義されてるけど本編で具体的な悪事を働いてる描写皆無、というのとは対極である。
「英国型」はシャーロック・ホームズから初期のアメコミ、はたまたタイムボカンシリーズまで基本一話完結型……ようは悪党が悪事を働いて正義の味方が阻止する、というイタチごっこである。最近だとアンパンマンかプリキュア、戦隊シリーズくらいですかね……
ふた昔前のドラマやアニメはほとんど全部それだったけど、クリエイターにとっては、たいして評価されなかった割にヒジョーにしんどい。
コンバトラーVや仮面ライダーでさえ我々なろう民が脚本書けって言われたらせいぜい3話でネタ切れでしょう。それを70年代スーパーロボットや戦隊ものの脚本家はワンシリーズ2~4クール、それも毎年書いてたんだからバケモンですよ。
「米国型」は、ある意味でずっと楽ちんです。
ズォーダー大帝の名前を出したけど、【さらば宇宙戦艦ヤマト】の彼は冒頭ナレーションで【新たな侵略者でーす、極悪だよー】とアピールされただけで、本編中はガハハと笑ってるだけ。悪いことはなにもしてない。
この形式だと、主人公たちはひたすら行く手を阻む中ボスやモブを倒し、ボスキャラまでの階段を登ってゆく。
アイデアは中ボスのユニーク属性を考えるだけでいい。
極端な場合「ラスボスの正体と目的」さえ途中で思いつければ良い――じっさいそうしてる臭い作品はたんとある気がする。つーか俺でもやる。
……ただしその肝心なアイデアが浮かばないと、物語が空中分解してエタっちゃうんですよ。
屁理屈を重ねすぎて悪役が悪役でなくなっちゃて、最悪主人公のほうが悪くね?という逆転現象さえ起きます。「米国型」最大の落とし穴です。
昨今、勧善懲悪は廃れひねりをきかせすぎた物語ばかりになった元凶とも言えます。
創作する人、とくに娯楽小説を書きはじめな人は「英国型」をチョイスして、勧善懲悪の物語を書いたほうが良いでしょう。起承転結の流れを自然に学べますから。
目的がはっきりしてる人(悪人)を書くのは楽しいんですよ?主人公とヒロインの設定ばかり漠然とイジるよりベクトルがはっきりしてますし、経験を反映できます……つまり見知ってる実在の人物(テレビタレントとか職場や学校のむかつく奴)をモデルに書くとかね。
その「悪役」をどれほど育てられるか……主人公にやっつけられちゃう他愛のない悪の記号で終わるか、血の通った人間として描写できるか……「文芸」なんてその紙一重で三文小説にも立派な作品にもなり得ます。
なろう小説のイジメ側がたまに妙に生々しいでしょう?あの部分だけ私小説的な意味で文芸作品になってるのです。
それが出来てるならほかの所ももうちょい頑張れますよね?