表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

 


 バーボンのボトルを空にしたファドは、やがてゴリラのような(いびき)をかき始めた。


 今だっ!


 心の中でスタートの合図があった。エマは、ベッドのタオルケットの中に用意していたボストンバッグを掴むと、同時にTシャツとGパン、スニーカーを履いた体を起こした。


 抜き足差し足でファドのベッドを横切ろうとした瞬間(とき)、鼾が止まった。ギクッとして、咄嗟(とっさ)にファドを見ると、カーテンから漏れる街灯の中に、寝返りを打ったファドの目を閉じた顔があった。


 ホッと胸を撫で下ろすと、そのままじっとして、次の鼾を待った。だが、横を向いたせいか、寝息を立てるだけで、なかなか鼾はやって来なかった。


 ……でも、熟睡しているはずだ。


 エマは再びスニーカーの爪先を立てると、ドアを目指した。そしてノブを握るとゆっくり回し、引いた。


 ギィッ!


 甲高い(きし)み音がした。途端(とたん)


「うっう~」


 ファドが(たん)(から)んだような声を発した。咄嗟に振り向くと、ファドはまた寝返りを打って仰向けになった。間もなくして、再びゴリラのような鼾が始まった。


 鼾をかくタイミングに合わせて、再びノブを引いた。鼾は止まなかった。安心すると、急いでアパートを出た。ファドの呪縛(じゅばく)から逃れるために、脱獄囚(だつごくしゅう)のように疾走(しっそう)した。


 ーー丁度(ちょうど)、発車寸前のバスがあった。エマは行き先も見ないで飛び乗った。


 ……どこへ行こうか?


 当てなどなかった。車窓に映る(まば)らな乗客たちは旅慣れているのか、周りのことには無関心で眠りに就いていた。エマは、窓に映る悲しい目をした自分の顔を見つめると、やがて、目を閉じた。


 安堵(あんど)の眠りから目覚めると、外は白々としていた。見たこともない町並みが車窓を流れていた。エマが飛び乗ったのは、フロリダ行きの長距離高速バスだった。


 着いたのは、〈Shine Town(シャインタウン)〉という人通りの多い(にぎ)やかな町だった。腹が空いていたエマは、停留所の前にある〈Cafe&Bar Nice(ナイス)〉に入った。しゃれたエプロンをつけたウエイトレスが、窓際に座ったエマにメニューを手渡して、笑顔を向けた。


「ハーイ、ご注文は?」


 少し年上だろうか、愛嬌(あいきょう)があった。


「パンケーキとコーヒーのセットを」


 メニューも見ないで即答した。


「ベーコンとハムがあるけど、どっちがいい?」


 友だちにでも話すような物の言い方だった。


「じゃ、ベーコンで」


「オッケー。すぐ持ってくるわね」


 愛嬌を残して背を向けた。時間が早いせいか、客は疎らで、浮浪者風の中年男や早起きの近所の老爺(ろうや)だった。


「お待たせ」


 窓を向いていたエマの前にトレイを置くと、


「旅行?」


 と、椅子に置いたボストンバッグを見た。


「え?えぇ、まあ」


「ステキな町よ。私が休みなら案内してあげたいくらい」


 黒いカチューシャがブロンドの髪にマッチしていた。


「私、スージー。よろしく」


 握手を求めてきた。


「私はエマ」


 スージーの手を握ると、笑顔を向けた。


「ね、もし時間があったらテルちょうだい。友だち募集中なの。今、番号書いてくるから」


「えぇ」


 腹が鳴っていたエマは、スージーが背を向けた途端、パンケーキにかぶりついた。ーー



 〈Nice〉を出ると、散策に出掛けた。駅周辺は賑やかだが、郊外に行くと閑静(かんせい)な住宅地が広がっていた。川のほとりには草花が咲き乱れ、一日中(なが)めていても()きないほどだった。


 ……こんな美しい地で暮らせたらどんなに幸せだろう。小汚ないブロンクスとは雲泥(うんでい)の差だ。



 スージーから退店時間を聞いていたエマは、時間を見計らって電話をしてみた。


「よかったら、私の部屋に来ない?」


 スージーが気安く招いた。ーースージーから聞いた道順を行くと、比較的新しいこぢんまりとしたアパートに着いた。ノックすると、例の愛嬌で迎えた。


 studio(ワンルーム)の部屋は、花柄のカーテンやクッション、ベッドカバーで統一され、小綺麗(こぎれい)に片付いていた。


「夕食を一緒にしない?何か作るわ。それとも、外で食べる?」


「どっちでも。スージーに任せるわ」


「オッケー。さて、何を作ろうかしら」


 スージーは真新しい冷蔵庫を開けると、独り言のように呟いた。キャスター付きのワゴンに載った小型テレビからはジョン・レノ○の『イマジ○』が流れていた。



「ーー私もまだ半年ぐらいよ、ここにやって来て。町が気に入って、いつの間にか居着いちゃったって感じ」


 フォークでサラダを突っつきながらエマを一瞥(いちべつ)した。


「確かに、いいところ」


 ビーフステーキをナイフで切りながら、エマが微笑(ほほえ)んだ。


「でしょ?エマもこの町に住めばいいのに」


「でも、家賃とか高いでしょ?」


 不安げに訊いた。


「ね?この部屋に住めば?」


 閃いた目を向けた。


「えっ?」


「ベッドを買うだけだし、家賃も半分で済むじゃない」


 積極的だった。


「……けど」


 エマは躊躇(ちゅうちょ)した。


「もちろん、プライバシーは(おか)さないわ。ね、そうしましょうよ。エマとなら気が合いそうだし」


 結局、エマはスージーと同居することにした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ