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沈丁花  作者: 鮎川りょう
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「お待たせしました」

 そこへタイミングよく、さっきの店員がドリンクと料理を運んできた。救われた気がして、ふっと胸を撫で下ろす。

 だが甘かった。店員はさげすんだ目で賢吾を見つめ不愛想に料理を並べていく。未だ、店長が賢吾を案内したことに合点がいかないのだろう。

 しかし並べられていくのはLサイズのグラスに入ったコーラと、マリネ風サラダ。それとチーズのたっぷりかかったナポリ風ピザと、肉厚の牛串焼きが三本。店長は随時と言ったが、これでは一挙だ。しかも出所祝いともいえるご馳走。

 賢吾は苦笑した。

「すまない」

 出所してすぐに話題のラーメンを食べた。けれど味に凝りすぎた感が強すぎて、逆に受け付けなかった。反してこの心づくしの品は家族との憩いを蘇らせる逸品だ。

「すまないと思うなら、料理を包みますのでお帰りになられてもいいですよ」

 店員は賢吾の郷愁をぶち壊すかに言った。

「心外だな。君に静かに飲むと約束したが……それだけでは飽きたりないのか」

「いえ、静かに飲んで、速やかに帰って頂ければそれで十分です」

 口調に人を小ばかにしたような響きが窺える。それだけ賢吾は厄介な客なのだろう。

 それ以上何も言わずに押し黙った。店員を挟んだ向こう側から、婚約者の視線がより冷たく突き刺さってきたせいもあった。

 ともあれ一つだけ店員に尋ねた。

「店長は父親かな」

「見ての通りですよ。体型が違うだけでコピーしたような顔ですから」

 醸し出す雰囲気で親子だと思ったのだが、言われてみれば目鼻立ちはコピーそのものだ。ならこの息子にも、父親に似た頑強さがあるはずだ。一つ違うのは足だけだろう。おそらく義足。長いズボンで隠しているが裾に肉のエネルギーが感じられない。

  

「ちょっとごめん、トイレに行ってくる」

 店員が料理を並べ終えたとき、婚約者の男が席を立ち店員と軽く交錯した。

 店員がよろける。

 咄嗟に賢吾は支えた。ズボンの裾がわずかにめくれ金属が見えた。娘にも見えたのだろう。口に手を当て目をぱちくりさせた。

「触れただけなのに、君は大げさだな」

 賢吾と娘、そして店員の心情を慮ろうとせずに婚約者は言い捨てた。

「申し訳ございません」

 店員が頭を下げる。

 賢吾は、よっぽど文句を言ってやろうと思ったが、ついさっき静かに飲むと公言したばかりだった。

 婚約者が仏頂面で消えた。娘が婚約者の背を見ながら代わりに詫びた。

「ごめんなさいね。彼、少し飲みすぎたかもしれない」

「平気です。こちらこそ義足の装着に不備があったかもしれませんので」

「義足……事故ですか?」

「ええ。幼い頃、暴走車に片足を粉砕されてしまったんです」

 賢吾は目の当たりにした十六年前の事故を思いだし、目を逸らした。事故の悲惨さはその場だけではない。大きければ大きいほどこのような重い後遺症に悩む人がいるのだ。

 店員が厨房へ戻ると、入れ替わるように婚約者が帰ってきた。娘と二人きりの時間をつくれず、また重苦しい空気になった。

  

 張りつめた空気のまま二十分がすぎた。娘を間近に見て、互いの居場所が離れていることに気づかされた。でもそれで十分だ。これが自分のしでかした後遺症、絶望という折り合いはつく。

 これ以上ここにいても無意味だと感じたとき、店員が新しい料理を運んできた。心なしか先ほどとは表情が変わっていた。

「当店特性のシチューです。温まりますので、ぜひ御賞味ください。薄まった記憶と感情が甦るかもしれません」

「記憶と感情が、蘇る?」

「ええ、必要ならば」

「だが、いい思い出ばかりじゃない。中には蘇らせたくない記憶もある」

「そうでしょう。ですが、得てしてそのような記憶の中にこそ大切なものが隠されているはずです。私は母が亡くなった際の真実を見逃していました」

「お母さんが――」

 賢吾は店員を見つめてから目線をテーブルへ落した。

「見た目とは違って、ほんとうは優しいんですね。でもそれが事実なんですよね。父からあなたとの経緯を聞かされ、そしてこのシチューを食し、見えなかった大切なものを思い出しました」

 店員がトレイに食べ終えた皿を乗せ、目線を賢吾に合わせてきた。「事故当時、母はたまたま近くに居合わせた人に蘇生され、十日間だけですが命をつなぎとめることができました。もちろん集中治療室にいるぐらいですから、会話などできる状態ではありません。それでも父とは、短い期間の中で濃い時間を過ごすことができたようです。母は満足げに旅立ちました」

 どこかで聞いたような話だと思った。だが店員は、賢吾に考える間も与えず手をとってきた。感極まった声を振り絞る。

「あなたは、あのとき私たちと居合わせ、母を救ってくれた方ですね」

「えっ!」

 と、三方から声が重なった。娘と婚約者も同時に声を張り上げていたのだ。

「じゃ、もしやその話は十六年前の――」

 賢吾は衝撃により、封印していた記憶を解放する。

  

 あのとき逃走する犯人を捕まえるべきか、それとも被害者を介抱すべきか迷った。とりあえず携帯で救急車の手配をし、投げ出された男のそばへ駆け寄った。男は苦悶の表情で賢吾に訴えてきた。

「妻と子が――頼む」

 すでに救急車は手配済みだ。頼むと言われても、それ以上のことは医学の知識もないし無理だ。そう思いつつ、男の妻子の元へ走った。

 母親は呼吸をしていなかった。幼児も息絶え絶えだ。どうしようと悩んだあげく、テレビで見た蘇生法を思い出し、一か八か試してみようと思い立った。まずは顎を上げて気道を確保し、三回、四回と人工呼吸をした。

 だめだった。素人療法では何の効果も得られない。あきらめかけたとき「おかあさん!」と、振り絞った幼児の声が聞こえた。

 賢吾は居たたまれず、胸に手を当てて何度も圧迫した。それから人工呼吸を懸命にくり返した。と、微かに母親の呼吸が戻る。賢吾は母親を横向きにさせ、心配するなと幼児の頭を撫でた。


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