表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

姉貴のコーヒーブレイク 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 お、つぶらやじゃん。隣いいか、隣?

 いや〜、ここの席は外が見られるからいいよな。どうも店の中で奥まった席って、安心できなくって。


 ――なんでなのか?

 

 そうだな、何かあったときに逃げ遅れかねないから、かねえ? 

 席を立って駆けだしたら、もう出口はごった返し。ひょっとしたら、こういう窓壊して外へ逃げてる人もいるかもしれん。いずれにせよ、後れをとっていることに違いはない。

 そうしたわずかな違いで、命取りになるっていうのが嫌でな。外が見えれば、逃げる以外にも、迫ってくる何かを事前に察知できるし、たとえそれが逃げられない手合いでも、覚悟くらいは決められるもんよ。

 

 でもさ、そういう決まったポジションに導かれるって、何かしらの理由があるんじゃなかろうか? 自分の意志でもそうでなくても、この場所、この物、この相手じゃないといけない。そうさせてしまう、何かがさ。

 俺の姉貴も、ちょっと変わり種な体験をしたらしくってな。そのときの話、聞いてみないか?

 

 

 俺が中学校にあがったばかりのころ。ひとつ上の姉貴が突然、自分用のコーヒーカップを買ってきて、コーヒーを飲むようになった。カップに乗せてお湯を注ぐだけで、本格コーヒーの気分を味わえる、ドリップバッグも買ってきてな。

 とはいえ、当初のクールな雰囲気は、秒でぶち壊しだ。

 姉貴はバッグを切ったかと思うと、粉末ココアを飲むみたいに、中身をカップにぶちまけて、お湯を注ぎ出しちまったんだからな。これが笑わずにいられるか。


「ぶはは! ドリップって、『したたる』って意味だろ? 誰が混ぜ混ぜしろっていってたんだ。『ミックスコーヒー』なのか? ボーケ」


 まあ、すぐ顔真っ赤にした姉貴に、ぶん殴られたんだがな。


 正しく、中二病のはしりだったんだろうな。あの背伸びして、自分を少しでも大人っぽく見せたくなる気持ちだ。

 こてこての甘党のくせに、妙にコーヒーはブラックにこだわっていた姉貴。

 それをごまかすために、ケーキとかをすぐ横に置いて、食べている姉貴。

 コーヒー飲むときはしぶい表情のくせに、フォークにケーキのクリームが乗っかるや、「うはは」と声が出てきそうなくらい、頬が緩んでいる姉貴。


 ――なに? お前、姉貴のこと好きすぎだろ?


 ああ、煽るネタ探すのに退屈しなかったからな、あの人は。

 とはいえ、いまや姉貴も人妻。もっぱらからかう役目は、一緒に暮らす義兄さんにお譲りしているところだ。

 


 で、その姉貴がひとりでコーヒーを飲んでいたときのこと。

 そろそろブラックに慣れてきたか、文庫本を読みながらすする格好がいたについてきた。パラパラとページをめくり、キリのいいところで、コーヒーをひとくち。例のカップは、相変わらず姉貴の寵愛を受けていた。

 そのソーサーから持ち上げたカップの影に、じっとたたずむハエが一匹。

 地面にとどまっているのもさることながら、まともに動きを見せないその姿は珍しい。普通ならせわしなくうろついて、その不潔の気配を机の上へばらまいていくはず。そして始末しようとする手を、すんでのところでかわし、いずこかへと飛んでいくんだ。

 姉貴はそこまで虫が苦手じゃない。もちろん自分やカップ、ソーサーや文庫本にひっつこうものなら、その命をいただくまで執拗に追いかける腹積もりだった。でも、自分の気を害しないのであれば、隅っこに住まわせてやってもいいかって、心境だったらしい。


 実際、このハエは姉貴がコーヒーを飲み終える数十分あまりの間、微動だにしなかったんだ。顔を姉貴の方に向け、カップがソーサーに置かれてもお構いなし。

 しかも熱なり匂いなりで判断しているのか、わずかでもコーヒーが残っている限りは、自分から立ち去る気配を見せなかったとか。さすがに、姉貴が殺意を見せた時には、敏感に退散していったが、落ち着いたとたんに、コーヒーさえあれば戻ってくるという徹底さ。


 ――もしかしてコーヒーに恋でもしてるのかしら? 香りだけ味わえれば満足、みたいな?


 液体そのもに飛び込んでくる様子がない辺り、つまりはそういうとこだろう。

 姉貴はそんな妄想を広げる。まあ、実際にやってこようものなら、即処刑を敢行していただろうことを考えれば、いい判断ともいえるか。

 姉貴とコーヒーに、ハエが控えるブレイクタイムは、実にふた月近く続いたとか。


 でも、その時間もまた、唐突にブレイクされる。

 その日は本も読まず、純粋にコーヒーを楽しもうと思っていたらしい。ようやく、ブラックの美味さというものが、舌になじみ始めたらしかった。

 すでにドリップの最中から、例のハエがどこからか現れて、カップの影に控えている。姉貴がコーヒーと一緒に場所を移れば、それにも律義についてきた。

 ソーサーも棚から出して来て、ひとしきり香りを味わう姉貴。その真ん前には、いつものようにハエが身体を起こしつつ、姉貴の持つカップを見つめ続けていた。

 姉貴はひとくちひとくち、ゆっくり中身を飲んでいくも、今日はいつにも増して、カップが温まっているように感じたそうだ。飲み残している部分はおろか、飲み終わっている部分にも熱がとどまり、そのうえ、時間と共に強まっている気さえしたんだ。


 なにかがおかしい。

 そう察した姉貴は、残り3分の1のコーヒーをぐいっと飲み干し、ソーサーへ戻したんだ。

 ところが、たいして力を入れていないのに、カップがいきなり割れた。砕けたというより、見えないギロチンの刃が真上から降ってきて、両断されたかのようだったらしい。

 そしてカップの割れた端から、新たに響く「ブーン」という音。それはカップのすぐそばから発せられたものだった。


 二匹目のハエ。先ほどまでいなかったそれが、羽音をたぎらせながら、テーブルの上を飛んでいく。

 それに、先ほどまでじっとしていた、例のハエも続いた。二匹は飛びながら、何度も互いの身体をこすりつけていく。まるで再会を喜ぶかのように。


 あのハエがどこから現れたのか。いや、その答えは察している。

 姉貴が割れたカップに目を落とすと、割れ目の真ん中あたりに、不自然なくぼみができていたんだ。ちょうどいま、飛んでいる小バエ一匹が、すっぽり入るくらいのすき間がさ。

 後になって、姉貴はこう語っていたよ。


「あいつはきっと待っていたんだね。カップの中から、仲間が解き放たれるのを。それがようやくかなったんだ。

 コーヒーの熱がカップを弱らせたか。それともあいつの願いが天に届いたのか。それは分からないけどね」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ