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ラクダはあなたに、ここが夜の虹を見られる場所だと教えてくれます。しかし、いくら辺りを見渡してみても、あるのは砂と星空だけ。ラクダは大きなあくびをした後で、夜の虹を見られるのは長い長い夜の少しの時間だけ。もうしばらくしたらきっと見えてくるはずさと、四つの足を器用にまげてその場にしゃがみ込んでしまいました。
あなたはラクダの背中から降り、やわらかい砂の上に腰を下ろしました。体重を後ろにかけると、お尻が砂の中に少しだけ沈んでいきました。あなたは背負っていたリュックサックの中身を漁り、一枚だけ残っていたビスケットサンドを頬張ります。そばにいるラクダがゆっくりと身体の体勢を変え、巻き上がった砂埃が夜空の中へと消えていきます。
何もすることがないあなたは、リュックからランタンを取り出しました。ランタンの中には一ヶ月前に家の庭先で拾った流れ星の欠片が入っていて、あなたがゆっくりとランタンを振ると、夜空で輝くお星さまと同じくらいに明るく光り始めます。そして、あなたはランタンの光をたよりに退屈しのぎのために持ってきた電話帳を読み始めました。
あなたは適当に開いたページに書かれていた住所と電話番号、それからそこに住んでいる人の名前を読み上げます。あなたは目を閉じ、その人がどんな見た目をしていて、どんなお仕事をしているのかを想像します。あなたの頭の中で思い浮かべる人々の顔はいろんな顔です。四角い顔もあれば、満月のようにまんまるとしたお顔もあります。その人は腕の立つ庭師であったり、あっという間にパンクを直してしまう自転車屋さんだったりします。あなたは電話帳を一ページ、一ページと一枚ずつゆっくりとめくり、そこの書かれたいろんな人の名前と住所を読んでいきます。時にはどこにでもいるような名前を、時には嘘みたいなへんてこな名前を、声の調子を変えて、一人ずつ一人ずつ、丁寧に読み上げていきます。あなたの声は砂漠の夜空へ溶けていき、そして、お星さまたちのお話の種になっていくのでした。
あなたはすっかり電話帳に夢中だったので、砂漠に雨が降り始めたことに気が付きません。パラリパラリと目を凝らさないとわからないくらいに細かい雨が、雨雲からではなく、お月さまがこうこうと輝く明るい夜空から降り始めます。降り注いだ雨は砂の地面に斑点模様を作り出し、それから白い砂の中へと吸い込まれていきました。
「可愛い、人の子。可愛い、人の子。こんな夜更けに何してる?」
あなたは電話帳から顔を上げて辺りを見渡します。あなたに声をかけたのは月夜の雨でした。あなたが夜の虹を待っていることを伝えると、雨たちはケラケラと鈴を転がしたように笑います。月夜の雨の笑い声は静かな砂漠に染み渡り、それに合わせて隣りに座っていたラクダが再び詩を口ずさみます。
ハイム ハイム 砂漠が御霊でかじかむ奏で
月夜にまぎれてご用心
ハイム ハイム あなたはパンダでモダンな見た目
膝から星へと導いて
雨の笑い声は少しずつ聞こえなくなっていって、それに伴って雨も止んでいきます。残されたのは湿気た空気と、少しだけ甘い雨の香りだけでした。あなたは再び電話帳へと視線を戻します。ランタンの中の流れ星の欠片が放つ光の横で、あなたは一枚、また一枚とゆっくりとページをめくっていきました。
そして、流れ星の光が弱くなり始めたその時でした。隣で寝ていたラクダがぐーっと首を伸ばし、あなたの首をちょんちょんと小突きます。あなたは身体をびくりと震わせ、ラクダの方を振り返ります。そして、読書を邪魔されて少しだけ不機嫌だったあなたに、ラクダが優しく語りかけます。
「可愛い、人の子。可愛い、人の子。ぜひとも上を見てご覧」
あなたは電話帳をとじ、ラクダの言葉に従って、ゆっくりと夜空を見上げます。