3 救いの星は煌々と
ダウナ国、某所の国際会議場。その大きな屋敷の二階の一角が、国の化身ダウナ・リーリアの住居スペースだ。彼の自室の隣にある談話室ではダウナとロアが向かい合って座り、ロアの背後にはいつもどおり護衛でありラウの領主であるジオ・ベルヴラッドが控えている。ロアはいつになく真剣な顔つきで、ダウナ自身もそれに気付かないほど鈍感ではないものの、やや機嫌よさげな態度を隠すつもりはないらしい。
「単刀直入に聞くけど、最近スーリガのほうでなにか事件や事故が起きたり、行方不明者が出ているなんて話はあるかい?」
「もちろん毎日なにかしらの細々した事件や事故は起きてるよ。でも行方不明者か……うーん、そういう報告は入ってなかったと思うけど。スーリガで起きた事件は俺のところにも報告がくるけど、情報には多少のタイムラグがあるから昨日今日のこととなるとさすがに把握できてないかな。些細な事件だと報告自体がないことだってある」
ギルドの関係者が三人も行方不明となっており、そのうち二人はスーリガに住む民であることも既に話してある。ダウナは壁に飾ってある東大陸の地図を眺めた。
「フェルノヴァに行く途中でいなくなったってことは、国境の森を通ったってことだよね。たしかにそこでなにかあったとしても不思議じゃないけど……っていうか、列車が通っているのにわざわざ徒歩で森を?」
「行方がわからないうちの一人は少々ワケアリで、人目をはばかりたい理由があるのさ。またあとで詳しく話すよ。クリスタからはなにか聞いていないかい?」
「んー、どうだったかなあ。とくになにも気になるようなことは聞いてないけど……あ、でも行方不明者、えー……いやどうだっけなあ。言われてみれば、そういうようなことを言っていたような……なかったような……」
「……まあ、国土が広けりゃ管理する情報も多いからね。君たちほどにもなれば隣国のことにまで気にかけていられないか。仕方ない、南大陸とは勝手が違うのだから当然だ」
ロアがため息をついて落胆する姿を見て、ダウナは叱られた子どものような顔であわあわと落ち着きを失い、ソファから腰を浮かせた。
「ご、ごめんよロアさん。今すぐクリスタに連絡を――あ、今日あいつ留守だっけ……待って待って、じゃあ、これから警備隊に連絡してスーリガ部隊とフェルノヴァ部隊に確認させるから、だからちょっと待ってて!」
言い終わらないうちから部屋を飛び出していくダウナを見送って、もう一度ため息をついた。扱いやすいといえばやすいのだが、あの人の好さ――というより彼のロアに対する好意――を利用することに、少しの罪悪感もないと言えば嘘になる。もしかすると、それも込みで彼はロアに利用されているのかもしれないが……それは少し考えすぎだろうか。
ダウナが部屋を出てから二分ほどすると、外から早足に歩く足音が近付いて扉がノックされた。音の間隔がやけに短い。急いでいるような呼びかけに返事をすると、ダウナに仕えてこの屋敷を警備している近衛兵の一人がすぐさま扉を開けて頭を下げる。
「失礼いたします。あ――その、リーリア様は」
「今は席を外している。どうかしたのかい? 表が騒がしいようだけど」
「は。それが、屋敷に侵入しようとしている奇妙な子どもを発見いたしまして……」
「奇妙な子ども?」
ロアが聞き返すと近衛兵は頷き、膝のあたりに手をかざして早口に答える。
「はい。このくらいの背丈で、門の近くにいた者が追い払おうとしたのですが言葉で注意しても通じず、中庭の清掃にあたっていた兵の一人が持っていたホウキを振って軽くおどかして追い払おうとしたところ、突然暴れ出してホウキに噛みついたと思ったら、そのまま柄を噛み砕いたのです。明らかに人間の子どもではないと判断し、ご報告に参りました」
「……その子の見た目は?」
「大きな茶色いコートのようなものを着た、灰色の髪の、ほんの小さな子どもで――」
「すぐに兵士たちを退かせるんだ!」
「えっ」
ぽかんとする兵士を押しのけて廊下に出た。そのまま廊下の角にある窓に駆け寄り、手早く開けると外に飛び出す。あッ――とうしろで兵士が動揺する声がした。一瞬の滞空時間のうちに正門の方角を確認し、着地と同時に騒ぎのするほうへ走った。ジオがうしろから追いついて並走する。
ロアが辿り着いた先では、一人の小人とそれに対峙する四人の警備兵の姿があった。小人――寿は喉の奥からアオサギの声にも似た金切り声をあげ、威嚇するように尖った歯を見せている。今にも跳びかからんばかりの剣幕で叫ぶ魔獣の姿に、兵士たちの表情にも敵意が浮かぶ。一触即発の張りつめた空気があたりを支配していた。
「近衛兵、今すぐさがって! ……さがれッ! 道をあけろ、ロア・ヴェスヘリーだッ!」
大喝一声。ロアの鋭い怒号に兵士たちが反射的に身を退いて道をあける。その向こうにいた寿は両手を地につけた四足歩行の状態で低くうなっていたが、その声はロアの姿を見るなり勢いを失った。全身のあちこちが土や葉くずで汚れているが、兵士たちがあしらううちにこうなったわけではないだろう。ロアは寿の前に屈んで手を差し出す。
「寿、私だ! どうしてそんなに気が立っているんだ。探偵はどうしたんだい?」
数秒の間。ロアの存在を明確に認識できたのか、小さくなっていたうなり声がぴたりと止む。寿は地面からそろりと手を離して立ち上がった。うしろでジオが兵士たちに撤退を命じたとき、騒ぎを聞きつけたダウナが表の大扉から駆け寄ってきた。寿は地面を飛び跳ねながら汚れた袖をばたつかせ、必死になにかを伝えようとしている。
「たんてー……たんてー!」
「寿くん? 探偵さんは一緒じゃないのか」
「一緒じゃないということは、彼の身になにかあったんだろう。ただ……いかに非常事態だったとしても、あの子が言語不自由な寿だけをここに寄越したとは考え難い。寿、探偵からなにか預かっているものはないかい?」
ロアの問いかけに寿は一度動きを止め、首をかしげてから思い出したようにコートの胸元をパタパタと叩いた。その足元に一冊の手帳が落ちる。ロアが中身を確認すると、ジオとダウナもそのうしろから覗き込んだ。
「手帳……もしかして探偵さんの?」
「探偵は普段なら手帳なんて使わない、けど、筆跡は間違いなく彼のものだ。……おそらく、最初から寿だけを離脱させるつもりで、私たちへの連絡用に用意していたんだろう。やっぱりあの森になにかがあるんだ」
「なにかって……寿くん、森の中でいったいなにが?」
ダウナがロアの隣に屈んで問うが、寿はうつむいている。なにも答えず一歩うしろにさがったと思うと、今度は前に。少しの間ゆらゆらと連れてから、前にぽてりと倒れ込む。ロアがその身体を支えた。
「寿?」
「ねむねむ……」
寿はそれっきりぴくりとも動かなくなり、呼吸がゆっくりとしたものに変わっていく。眠ってしまったようだ。ダウナが心配そうにロアを見るので、ロアはその視線に応えるようにつぶやいた。
「スーリガからこの屋敷までにはかなりの距離がある。普段は無害な寿があれだけ攻撃的になるほど冷静さを欠いていたということは、森からここまで休む余裕もなく大急ぎで走ってきたはずだ。この小柄な身体には過剰な運動だ。とはいえ疲れて眠っているだけだから、しばらくすれば起きるだろう」
「でも、結局探偵さんはどうしたんだろう……」
「寿が話してくれれば一番早いんだけど、それができれば苦労しないね。私はこの子を連れてギルドに戻るよ。礼なら森で二人になにがあったのかわかるはずだ」
「じゃあ俺は……あ、フェルノヴァ部隊に確認したんだけど、森の近くの村や町では前々からちょいちょい人がいなくなってるみたいで、最近それがどうも増加の傾向にあるらしいよ。スーリガ部隊にも確認したら、そっちでも最近何人か行方不明者が出てるみたいだった」
「探偵の手帳にも書いてあるね。他にも、スーリガでは放浪者たちが何者かに仕事を紹介すると言われて森に連行され、それきり行方がわからなくなっているらしい」
「スーリガ部隊とうちの近衛兵でよければいつでも動かせるよ。ロアさんなら自由に使ってくれていい。必要ならクリスタに掛け合ってフェルノヴァ部隊の人員の一部を借りてくることもできるはずだ」
「ありがとう、でもまずは状況を正確に把握することだ。……ああ、ひとつこれだけは早急に。人が立ち入らないように森の入り口を封鎖することはできるかい?」
「やってみるよ」
「一般人はもちろん、兵や警備隊員の誰も中に入らないようにね。下手に踏み込めば被害が拡大する一方だから、森の入り口付近を封鎖して待機だ。これ以上――あ」
「ロアさん?」
「……善丸が探偵とほとんど同時刻にフェルノヴァを調べに行ったはずだ。今ごろ森に入ってしまっているかもしれないなあ」
「あちゃー……」
「でも寿が一人で戻ってきたということは、探偵は少なくとも生きているということだ。詳しい状況はわからないが、命の危機に瀕しているなら寿を退かせるはずがない。ということは三月やフィストたちも同じ状況だと考えられる」
「誰かによってどこかに捕まってて、全員そこで合流してるかもしれないね」
「とにかく礼に寿を見てもらうよ。探偵がこの子を寄越したのはそのためだろうし」
「祖国」
ジオがうしろから声をかける。ロアはわずかにためらってから振り向いた。
「俺が森を調べる」
「あの森は広いよ。いくら君でも、どこにいるかわからない善丸を捜し出せるかい?」
「捜すなら善丸より探偵だ。それに、どこかに囚われているなら早い段階で居場所を特定し、状況を把握しておきたい」
「どちらでも構わないさ、できるならいいんだ。ただし、少しでも危険を感じたら撤退すること。……まあ、君ならなにが起きても大丈夫だろうけど、それでも慎重にね」
「ああ」
ロアの言葉に頷きを返し、西に向けて三歩ほど歩いたところでジオの姿が忽然と消えた。風属性の能力と守護神の権能による長距離の空間転移だ。ダウナはジオが消えた先の地面を見つめた。
「スーリガもそうだけど、領守って神格にしては案外フットワークが軽いよね」
「守護神の現身として神性と権能を得た存在というだけで、もとは人間だからね。光属性や守護神そのものとは、そもそもの成り立ちが違うだろう。というか、スーリガは国の化身としても領守としても他に例を見ない特殊なケースじゃないか。ジオはともかく彼を引き合いに出すのは適切ではないんじゃないのかい?」
「そうなんだけどさ、地の守護神と光闇の守護神は座して待つ系だし、現身本人の自我も薄いだろ? 案外、ジオやスーリガみたいになんでも自分の意思で行動するのって珍しいのかなって」
「光闇の神はともかく、自我があるのが少数派だとは思わないな。セレスは老後の余生をのんびりすごしているだけのおとなしい子だし、アーロンも領守としてはスーリガ以上のレアケースだけど、あれはあれで相当に我が強いだろう」
セレス・ラ=テルシャ・ローレンスは地の神ローレンスの宝珠と契約を結んだ、セル―シャ国の王都ラ=テルシャに住む最高齢の領守だ。ジオはセレスと親しいらしく頻繁に彼の様子を見に行っているようで、領守たちによる会議が開催されるたびにセルーシャまで出向いてセレスを送迎していることも知っている。老体であるため普段はジオやスーリガほど表を出歩かないが、ロッキングチェアに腰掛けて読書や居眠りをしているような、非常に温厚で穏やかな老人だ。
アーロン・ポルテナース・ウォルトは水の神ポルテナースの宝珠との契約者で、西大陸の領地ウォルトに住んでいる。このアーロンの正体は水龍であり、本来はそれなりの力を持った神獣なのだが、体内をめぐる光属性の魔力を圧縮、操縦することで姿を変え、人間に擬態することもできる。もともとは気まぐれに地上に降り立っては物見遊山と称してあたりを放浪し暇をつぶしていた水龍アーロンだが、ポルテナースの宝珠に選ばれて契約を結んでからはウォルトの領主として常に人間体で生活している。ジオやスーリガよりもよっぽど自由奔放な男だ。人間に擬態していると言っても、腕が四本あったり、基本的な移動方が生身での飛行であることなどからも、ひと目で人間でないことが露見する程度には詰めが甘いが、誰もそのことを指摘しないため本人だけは完璧な変装だと思っている。領守たちの中でも明らかな変わり種だろう。
「契約者の本来の人格に神格が混ざって、いい感じに人格優位なのがジオやスーリガだけど、契約の影響で自我が薄まったり、自我が神格に食われてしまう場合もあるだろ? ロアさんが生まれる前のことなんだけど、実はスーリガの前任だった炎神の現身はそのケースだったんだよ。とはいえ完全に神格に食われたわけじゃなくて、二重人格みたいに、ふとしたときに自我が戻ってくることがあってさ」
「守護神はこの世界における最高神だ。その現身になるというのは並大抵のことじゃない。そのうえ人の命は短い。まわりの人々が老いて死にゆく中で、現身たちは自分だけが取り残される孤独に苛まれる。他に契約を継げる素質を持った誰かが現れない限りは契約を破棄することもできない。それゆえに、宝珠と契約したことを後悔する子も多いはずだ」
「極端な話、そういう子は死を求めるようになる。だから……見てられなくてさ。スーリガが契約を継いだことで彼女はようやく解放されたけど。自分の身体を自分以外の決して敵わない何者かに支配されて、定命を手放し友や家族のように死ぬこともできずに生き続けなければならないなんて、人間たちにとってはきっと死ぬよりつらいことだ。……ジオは、どうだった?」
「……どうかな、彼にも後悔した時期はあったのかもしれない。それを乗り越えられるかどうかが、その先の永遠が生き地獄に変わるポイントだ。ジオは、私の目にはなんともないように見えるけど……」
ジオはただでさえ寡黙な男だ。とくにロアの前では弱音など絶対に吐かない。だからこそ少し心配でもあった。本人がなにも言わない分、注意して見ているつもりではあるが、なんともないように見えるだけということもある。ジオは風神の現身であり続けることについて、本心ではどう思っているのだろうか。いかにロアといえども人の子の心を推し量ることはできない、人間の心は難しい。かといって本人に面と向かって問いかけるのも、なんだか怖いような気がした。ロアの複雑な心境を察したのか否か、ダウナは薄く笑った。
「守護神のほうに直接聞ければいいのにねえ。なんかこう、人間側の精神面は大丈夫なのかとか、本当にうまくやれているのかとか。自我が食われている間、それはどういうつもりでの支配なのか」
「……そうだね。私も守護神の宝珠との契約に関しては疑問に思っていることがいくつかある。現身のほうに聞いたところで答えられるとも限らないし、契約している中身のほうに問いただしたくなる気持ちはわかるよ。探偵に聞いたら知っている範囲でいろいろ話してくれたけど、さすがの彼も守護神の主観的な意見まではわからないからね」
「探偵さんむしろよく答えられることがあったね?」
「まあ彼は……おっと、悠長に話している場合じゃなかった。ギルドに戻らないと」
「転移装置の用意はできてるよ。今から転移すれば、ちょうどレスペルにロワリア行きの列車が着くはずだ。なにかわかったことがあったらすぐに連絡するよ。ギルド員を森の調査に出すなら、活動拠点も用意できるから遠慮なく言ってくれ」
「ああ。ありがとう、ダウナ」
次回は明日、十三時に投稿します。