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巣窟の女神  作者: 氷室冬彦
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20 巣窟の女神

男の沈黙を確認すると、白い獣は姿を消した。フィストが床に重なった瓦礫を掘り返し、壊れた椅子の背から汚れた白衣を引っ張り出す。それを意識のない男にかぶせてから赤兵を見た。


「あとは警備隊そちらに任せていいのか?」


「ああ、たしかにあたしの仕事だな。しっかしまあ、派手に暴れたもんだ」


「みっともない姿を見せた。忘れてくれ」


「むしろ安心したぜ、見事な怒りだった」


言いながら男をひょいと担ぎあげ、赤兵は瓦礫をまたいで部屋の出口に向かう。


「さぁて、もうやり残しはねえな? あたしらが救出した一般人たちはジオが避難させてる。たぶん、もう外の警備隊やらに連絡がいってるだろう。あとはあたしらが出るだけだ。本当は三月を迎えに行ってやりたいところだが、まあ荷物が増えちまったからなあ」


「じゃあ俺が残って三ちゃんを待つよ。赤兵たちは先に行っててくれ」


「そうかい、なら任せるぜ。おいサクヤ、……サクヤ?」


赤兵が異変に気付いてあたりを見まわすが、あの純白の女神の姿はない。探偵がまるで憐れむようなため息をつき、小さくつぶやいた。


「……まったく、どうなっても知らんからな」


「は? なんだよ」


「なにも。あれは父たる獣とともに去ったのだろう。だが今は姿を見せなくとも、そのうち戻って来るはずだ」


「ふうん? よくわかんねえけど、先に外に出たんだったらいいか」


「あっ、みっちゃん!」


雫希が高い声をあげる。近寄ってその視線の先を見ると、たしかに三月がいた。左足を庇いながら歩いている。こちらに気付くと軽く手を振り、駆け寄った善丸の肩につかまった。


「ひでえ崩れようだな。そこらじゅう瓦礫まみれじゃないか。段差が一番キツイってときに……」


「毒の具合は?」


「だいぶ動きにくくなってきた。右腕が痺れて動かないけど、意識障害までは出てないし脈拍も問題なさそうだ。殺すための毒じゃなくて、動きを封じるための毒なんだろう。今は毒より足が痛い」


「背負って行こうか?」


「まだそこまでじゃ……あーいや、じゃあ頼む。魔力の消費は少しでもおさえるに越したことはないからな。どうせ痛いのに変わりはないんだ、脚部の修復は解除する。でも、ああ……フィスト、ちょっとこっちに来い。多少雑になるが……」


「どうした、三月」


フィストが言われた通りに歩み寄ると、三月は善丸に背負われながらフィストの肩に手を伸ばし、軽く突き飛ばすように触れた。――瞬間、三月の手が触れた肩から全身に熱が広がり、刹那的に訪れた体温の上昇はまるで全身がなにかに軽く押さえつけられたような圧迫感にも感じられた。フィストが一歩うしろによろめき、なにが起きたのかという目で三月を見た。三月は疲れたような顔でフィストに触れた手を閉じたり開いたりしている。


「なんだ、とんでもない大怪我をしてると思ったのに、意外と軽傷じゃないか」


三月が言い終える前に善丸が出口を目指して歩き出し、探偵たちもそれに続く。


「三月、今のは――」


フィストは善丸と三月に手を伸ばすが、そこで気付いた。得物を持たない素手での過激な戦闘。その過程で手の甲に負ったはずの擦り傷や打撲など、大きな怪我はなかったものの、全身のあちこちに点在していた傷がことごとく癒えているのだ。



*



昇降機の操作は単純なもので、全員が乗り込んで起動ボタンを押すだけで最上階まで人々を運んだ。そこはまだ地下にあたる場所で、昇降機を降りた先の階段をのぼったところにある両扉を開けたとき、ようやく日の光を浴びることが叶ったのだった。


そこは廃虚のようだった。スーリガの町からそう遠くない位置にあり、ずいぶんと前から封鎖されていた小屋の中。出入口の昇降機はその奥に隠されており、厳重かつ巧妙に隠し閉ざされていたために、誰も地下にあのような地獄が広がっているとは気付く由もなかった。外は晴れており、もうじき日が暮れようとしている。


「はぁー、やっぱいいなぁ外は」


外に踏み出した赤兵が深く息を吸い込み、しみじみと述べる。地下の重くこもったような空気と違い、森の中の空気は心地良く澄んでいる。徐々に赤みがかろうとしている空を見上げると、目を細めて遠くを見た。赤兵の視線の先からは既に脱出を果たしていたジオがふわりと舞い降りてくる。


「戻ったか」


「おう、全員避難完了だな」


「スーリガ部隊が既にこちらに向かっている。外で待機していたギルド員もだ。――ああ、そいつが主犯か」


赤兵は白衣の男を肩に担ぎなおし、探偵たちを振り返るとあいていたほうの手で敬礼した。


「んじゃ、あたしはひと足先にスーリガ部隊の連中と合流して、こいつの身柄を引き渡す。おつかれさん。終わってみりゃなかなか楽しかったぜ。あんたら全員達者でなァ。まあ、探偵とは事件の後処理のことでまたすぐ会うことンなるだろうけど」


地下の惨状を思えば不謹慎かつ無神経な総評だが、彼女の言う楽しかったという感想が戦闘のみに依存していると考えれば、特段おかしな台詞でもない。ジオは赤兵に同行するらしく、彼女のうしろについていく。最後まで目を離さず面倒を見るつもりなのだろう。


「……もうじき警備隊がここに到着するということか。ならばその前に俺は撤退するとしよう。では、いずれまた会おう」


フィストが短く別れを告げて歩き出すのを雫希が小走りで追いかける。


「フィスト、また会いに来てよね」


「雫希……もちろんだ。それに結局、今回は水晶たちとも話せずじまいだったからな」


「ちがーう。お兄様たちに会うのは、……それもまあ、そうだけど。そうじゃなくて、あんたはあたしに会いに来るのよ」


「心配するな、例の約束のことは忘れていないとも。この埋め合わせは必ず。無論、そのときは水晶たちではなく、他でもないお前のために会いにゆくとしよう」


「忘れてないならいいの。絶対だからね」


「ああ、それまでしばしの別れだ」


フィストは優しく微笑み、雫希の頭にそっと手をやってから森の奥へと消えて行った。残った面子と顔を見合わせ、善丸が気丈に笑う。


「よし! それじゃあ俺たちも帰ろうか。三ちゃん、起きてる?」


「眠てえなあ、寝ていいんじゃないかもう……」


「寝たら修復術が全部解除されるだろ。ギルドに着くまで頑張れ頑張れ」


「なんで俺だけ眠いんだよ……」


「たしかに。魔力を消耗してるのもあるだろうけど」


「我々があの骨のパンドラと再び相まみえた際、やつが排出するガスの影響を受けなかったのは近くに朱雀がいたからだ。どれだけ脆弱でも光属性は光属性。朱雀は狭い範囲だが空間を浄化する特性を有していた」


「へえ、じゃあ赤兵はサクヤと一緒だったから平気だったってこと?」


「そういうことだ。むしろあの疑似女神と神獣がやってきたことであの空間に充満していたガスはすべて浄化された。ただ、部屋の外までは浄化が行き届いていなかったのだろう」


「あの大きいのが撒いた睡眠ガスが少し残ってて、みっちゃんがこっちに来るうちにそれを吸っちゃったのね」


「貧乏くじばっかりだな今日は……赤兵は本当マジで全ッ然言うこと聞かねえし、最終的には一人だけボロボロだし、なんか一人だけクソ眠いし……」


「ねえ、ところで朱雀は? さっきからいないんだけど」


雫希に言われて善丸が周囲を見る。たしかに昇降機に乗って地上に出たころまでは一緒にいたはずの朱雀が、いつの間にか姿を消している。探偵が実に不機嫌なため息をもらす。


「それに関しては実に惜しいことをした。……外に出るまで、ではなく今後しばらく、と言うべきだったか……」


「たしかにいなくなってる。どこ行ったんだろ」


「なに、既に自由の身となっただけだ。もうなにに縛られることもなく、思うがままに生きていくだろう。あの獣のもとへ向かったのやもしれん」


「家族と一緒ってこと? ならよかったじゃない」


「いいものか、事件の証人だぞ」


「まあまあ、とにかく帰ろう。三ちゃん寝ちゃったから急がないと毒がまわるよ」


歩き出す善丸に雫希と探偵も続く。しかし、その場を離れる前に奇妙な地響きと地下から迫る鈍い音に再び足を止めた。善丸が口を開くより先に、背後にある研究所の小屋が爆発する。降り注ぐ瓦礫と砂塵、視界を曇らせる土煙。その向こう、分厚く深い巣窟を突き破って現れたのは、大きな三角形の爬虫類面――雫希の毒を食らって息絶えたかに思えていた大蛇だった。


「げぇーッ! まだ生きてたのかこいつッ!」


たまらず善丸が叫び、戦闘態勢に入ろうとする。しかしうしろに背負った三月の存在を思い出して足を止めた。三月はガスの影響で眠っており、もし起きたところで今の彼にこれ以上の魔力を消費させるわけにはいかず、そもそも手負いの三月を降ろしてしまえば格好の餌食となる。今この場に戦える者はいないのだ。三月の強化術式があっても傷ひとつつけられなかった表皮を持つこの大蛇を相手に、彼の強化なしで立ち向かっても無駄だ。


「な、なんで生きてるの!? あ、あたしちゃんと毒盛ったわよ!」


「ボトル一本では足りなかったか……確実に衰弱しているが、絶命には至らなかったようだ。死に際の復讐心、いやさ火事場の馬鹿力のようなものか」


「冷静に解説してる場合!? に――逃げなきゃ!」


雫希が叫び、同時に三人は駆け出した。町に出てしまえば被害が拡大する可能性もあるが、この場の戦力では打つ手がなく、今必要なのは追加の戦力だ。警備隊と合流できれば戦闘不能の三月を避難させるだけの猶予は生まれるはず。なによりそちらにはジオがいる。


逃げる善丸たちを大蛇が追い立てる。巨大な尾が払い飛ばした岩や木が、ときに行く手を阻んでは、もろとも踏みつぶさんと頭上に迫った。間一髪の偶然と回避を繰り返して走るうち、しかし偶然はそう何度も続かない。


善丸の行く手が倒木に阻まれ、足を止めた一瞬の間に背後から迫った別の大木が、飛来する障害の気配に振り向いた彼の身体に直撃した。


「ぐあッ……!」


木々の下敷きになって倒れ込む。寸前で三月を庇った善丸が忌々しげに足元に目をやった。


「善ちゃん!」


「くそッ、脚が挟まって……行けッ! 探偵!」


思わず足を止めた雫希をつれて行くように、探偵に目配せをする。彼がその目線の意味をはき違えることはないはずだ。探偵は雫希の腕を掴んで引っ張り、自分の背後までさがらせ、そして。


「走れ小娘!」


懐から銃を抜いた。


「探偵!?」


「ええい、もたもたするなッ! さっさと抜けんかクソガキ!」


発砲された弾丸は迫る大蛇の鼻先に当たるが、銃弾は当然のごとく跳ね返された。二発目は眉間、傷ひとつつかない。善丸は脚の上にのしかかった倒木から逃れようともがいているが、一向に抜け出せる気配がない。


「探偵、無駄だ! 俺のことはいい!」


「なに、三度目の正直だ。次は外さん」


発砲。弾丸は大蛇の右目を撃ち抜いた。大蛇が叫び、頭を振り乱して悶えている。その隙に善丸に駆け寄り、彼の上に倒れかかった木を蹴り飛ばす。


「この私に力仕事などさせおって、高くつくぞ」


大喝。


音の波がその場の全員に降り注ぐ。雷属性系の魔力の乗った絶叫だ。声に乗った魔力に触れて感電した者は硬直し、指一本動かせなくなる。善丸の顔がひきつる。


大蛇の邁進。大きな口から毒牙をぎらつかせながら、猛スピードで迫りくる。距離はまだあった。大ぶりな攻撃だ。その範囲もどう移動すれば回避できるかも目に見えている。だが、全身が石のように固まって動けない。声を出すことすらかなわない。


死が眼前に迫る。


「――絶対閃剣、青」


その死よりさらに前に、青天が一陣の風とともに舞い込んだ。


「一風両断」


小さくも強大な背中の向こう、放たれたのは目にも留まらぬ居合い。理解が追いつくより先に、大蛇の首が地に落ちた。空色の軍服。ひとつに束ねた独特な色合いの青髪が風に揺れる。振り抜いた細身の剣を鞘に納めるのは、風を司る国の化身。


「全員無事かな。間に合ったようでなによりだ」


「ロア、さん……?」


「ジオから聞いていないかい? 私たちもスーリガで待機していてね。君たちを迎えに行こうと森に入ったところで、この大蛇が暴れているのが見えたから大急ぎで駆けつけたんだ」


息ひとつの乱れもなく現れたロア・ヴェスヘリーは、そう言いながら善丸の腕を掴んで引っ張り立たせた。既に硬直は解けており、身体は動く。


「ありがとうロアさん」


「なあに、礼なら探偵に言うといい。彼が時間を稼いだおかげで私は間に合ったのだし、銃声が聞こえなかったら君たちの居場所を特定できなかった。私が来ていることを推測した上での行動だったのかな? そうでなければ、君にしては珍しい無茶をしたじゃないか」


「助かったよ、探偵」


「ふん、言ったはずだぞ。貴様らの身になにかあれば責任を問われるのは私であって、重荷を背負うなど御免だと。それが原因で水無月邸との関係に亀裂が入り、人工魔石の取引が困難になるのは私にとっても痛手だからな」


「君の場合は素直じゃないのか本当にそう思っているのか、判断がむずかしいよね。……ああ、みんな追いついてきたみたいだ」


ロアが指をさす方向を見ると、ちょうど数名のギルド員がこちらにやってくるところだった。先頭を歩いていた礼が手を振っている。うしろには聖導音アリアと秋人、そして秋人の腕に抱かれた寿がいる。


「全員無事脱出? あー、いや三月は見るからに無事じゃないな……」


「おーい、探偵、生きてるかー」


「たんてー!」


秋人が呼びかけると同時に彼の腕から寿が飛び出した。その反動で秋人がダメージを受けているが、今の寿にはどうでもいいだろう。一目散に探偵に駆け寄って膝元に飛びついた寿は、そのまま身体をよじのぼって肩に乗り、彼の頭部にしがみついたまま離れない。


「何度か死にかけたが、かろうじて生きているとも。寿、ご苦労」


「そんなに危険な任務だったなら、なんで最初から俺を呼ばなかったんだよ」


「あのギルドで寿がなついているのは、私を除けば貴様くらいのものだからな」


「え、いや……めちゃくちゃ暴れてたんですけど……」


「噛まれはしなかっただろう。だから貴様に任せたのだ」


「……それって俺を信頼したってこと?」


「は?」


「はいはいなんでもなーい、調子に乗ってすいませんね」


「いまさら気付いたのか、私は常に貴様を信用しているとも。いや、信頼……ふむ、そうさな。あまり考えたことはなかったが、たしかに信頼していると言っても過言ではないのやもしれん」


「えっ、マジで?」


「貴様は頭は悪いが盾としてはこれ以上なく優秀だ。その能力は信頼に足る」


「あ、そういう……はいはいそっちね……」


「そもそも信用も信頼もしていない相手に助手の真似事などさせるはずがなかろう」


「……え。えっ?」


混乱しかかった秋人を放置して森の出口へ向かう探偵を礼が呼び止めた。


「ああ、そうそう。探偵、帰ったらすぐ涼嵐のところに行ったほうがいいよ。カンカンだから」


「理不尽な……だが逆らうものでもないか」


まずい茶でも飲んだように顔をしかめる探偵にロアが笑いかける。


「君って案外、尻に敷かれるタイプだよね」


「仕事で常に場を仕切る側にいるというのに、私生活でまで仕切ってどうする。私は独裁者になったつもりはない。指揮をとらずに気を抜ける時間くらい与えてもらわねばな」


ため息まじりに言いながら去っていく探偵を秋人が追いかけていく。三月を蝕む毒素の浄化を済ませたアリアが、彼の頬に触れて体温と、首筋に触れて脈拍とを確認する。


「――はい、浄化はつつがなく。これより先は医師の領分にございます」


「ありがとうアリアちゃん。三ちゃん、おーい三ちゃん。起きないともったいないよー」


「みっちゃん、こういうときは本当に間が悪いのよね」


「起きたら教えてあげたほうがいいかな?」


「黙ってたほうがいいんじゃない?」


「善丸様、こちらを」


アリアが手のひらに包んで差し出したのは白く光る魔石だ。


「これは?」


「領守様の命により、琴琶様ご協力のもとご用意いたしました。浄化の効力を宿した人工魔石になります」


「ああ! ありがとう、助かるよ。礼、三ちゃんを頼めるか?」


「うん。とりあえず町まで運んで手当てするよ」


「しーちゃんも礼たちと一緒に先に行って休んでて」


「ええ、もうくたくたよ。気を付けてね」


「すぐ戻るよ。俺も約束を果たさないとね」


疲れた身体に鞭を打って走る。行き先は例の湖だ。限りなく純真な人魚が今も、困った様子で善丸を待っているだろう。



*



疲労を抱えてようやくギルドに帰り着き、忠告通りに医務室へ向かう。一刻も早く無事な姿を見せておいたほうがいい。カンカンだ――と礼は表現していたが、本当に怒っているというわけではないはずだ。探偵の知る限り、千野原涼嵐はそうまで感情的な人間ではない。


「おい」


扉を開け、ひと言。涼嵐は窓際に立って外を眺めていた。桜色の長い髪に清潔な白衣。呼びかけの声に振り向いた涼嵐の表情は――正直、なにを考えているのかは探偵にもわからなかった。人間の心の機微というものはそれだけでも複雑で難解なものだが、涼嵐に関してはなぜか殊更にそう感じる。


「……今戻った」


「ずいぶんくたびれてるわね」


「それは失敬。なにしろ着替える間も惜しかったものでな」


「怪我は?」


「無傷と言っていい。せいぜい鬼に突き飛ばされてぶつけた程度だ」


「いつもより機嫌がいいわね」


「いくらか収穫があった」


涼嵐は早足に探偵に歩み寄ると、彼の背中に腕をまわして抱きしめた。胸元に耳を寄せて顔を伏せ、かすかに震える声でささやくように訴える。


「本当に……無事でよかった。あなたになにかあったらと、どれだけ心配したか……」


「そうだな、私も今回は肝が冷えた。まだなにかと面倒な後処理が残っているが、ひとまずは解決だ」


「無事に終わって本当によかった」


探偵は涼嵐の背中にそっと手を添えた。


「……当然だ。私を誰だと思っている」



*



あれやこれやと面倒な調書や手続きのあと、赤兵がスーリガからロワリアに帰り着くまでに何日かかっただろう。ジオと探偵の手伝いもあって赤兵の負担は少なく済んだが、赤兵自身も事件に巻き込まれた被害者の一人であるというのに、地下で散々に暴れまわったその足で休むことなく警備隊としての仕事に移ることとなっては、さすがの赤兵も疲労困憊であった。


果たすべき職務はひととおり果たし、あとのことはあのあたりを管轄する部隊がどうにかするだろう。また後日改めて招集がかかるかもしれないが、そのときはそのとき。今この身に溜まりに溜まった疲労さえ解消できればひとまずそれでいい。


疲れきった身体で帰寮し、自室の扉を開ける。そのままベッドに横になるつもりだった赤兵は、しかし部屋の真ん中に立ち尽くす異変にすぐさま気付いた。


「あッ、サクヤ!」


白い肌に白い髪、白いドレスに身を包んだ純白の少女。その宝玉のようにきらめく極彩色の瞳が赤兵を見て微笑んだ。


「なんだってここにいるんだい、あんた……あたしに会いに来たのか?」


赤兵が歩み寄り、屈みながら尋ねると、サクヤは微笑みを絶やさずに頷いた。


「はー、しっかしあたしの居場所がよくわかったな。あんた一人か? 朱雀や父さんは一緒じゃないのかい?」


サクヤはその小さく細い白い手で赤兵の両頬に触れる。どうかしたのかとサクヤを見ると、彼女は赤兵の額にそっと慈しむような口付けをした。少女の突然の行動の真意も赤兵にはわからない。


「なんだなんだ、よくわかんねえな神様ってのは」


部屋の外から扉をノックする音。振り向くと、開けっ放しの扉の前に一人の男がいた。ロワリア部隊の隊長であり赤兵の相棒の或斗だ。


「おかえり相棒。一人でぶつぶつなに言ってるんだ?」


或斗を見ながら答える。


「ただいま相棒。なにったって、この子が急に現れたもんでびっくりしてるところさ」


「この子って?」


「話してあっただろ、例の研究所にいたサクヤっていう……」


ここでようやくサクヤのほうに向き直った。


「お前さっきからずっと一人だったろ。大丈夫か?」


サクヤの姿は既になく、そこには見慣れた自分の部屋があるだけだ。


「……本当わっかんねえな、神様ってのは」

おまけシナリオそのうち載せます。

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