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巣窟の女神  作者: 氷室冬彦
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19/23

17 触れた憎悪の向くままに

「フィーさん、調子はどうだ?」


「ああ、少しずつマシになってきた。この分なら問題ないだろう、俺のことは心配いらない」


善丸の声かけにフィストは小さく笑いかける。顔色がよくなったのかどうかの判断を下すのは非常に困難ではあるが、動作や表情を見る限りでは心配していたより体調が安定しているらしい。


あの巨人の部屋を出てからどれほど経っただろう。相変わらず地図を持っているのは善丸だが、探偵は先ほどの休憩時に内容を覚えたのか、とくに難色を示すこともなくなったどころか、善丸が立ち止まって地図を確認しようとすると、そこを右だとか直進だとかナビゲートをするようになっていた。もはや善丸が地図を持っている意味はないのだが、それでも手放さないのは単なる意地だ。


フィストの体調を気遣って歩く速度を落とし、いくつかの階層を越えたころ。今いる階層からからさらなる下層、この施設の本丸へとつながる扉の前で一同は足を止めた。


「あー……まあ、そう簡単に一番下まで行かせてくれるわけないよなあ……」


「……ナンバーロック?」


扉には四ケタの番号を入力する電子機器が取り付けられており、無論のこと善丸たちは暗証番号を知らない。この先こそが我々が向かうべき研究所区域なのだ。善丸がちらりと朱雀を見て、あまり期待せずに問いかける。


「ちなみにー……朱雀はここの暗証番号、なんなのか知らないのか?」


「いえ……すみません。わかりません……」


「だよなあ、うーん……」


この研究所内での実験によって生まれた合成獣キメラを放つ廃棄場、あるいは生贄たちの隔離区域がこれまでの階層で、その実験をおこなうための研究施設がこれより下――ということだろう。鍵をかけるのは当然だ。


「三ちゃんは大丈夫かなあ。こういう扉が他にもあるなら……っていうか制御室自体に鍵がかかってるかもしれないし」


隔離区域こちら研究区域あちらを行き来するにはこの扉を通る他ない。一度はここを通った朱雀が扉の暗証番号を知らないということは、内側からは特別な操作がなくとも扉を開けられるということだ。あちらはジオ・ベルヴラッドと直接連絡が取れる以上、問題なかろう。内側から開けられるならそれでよし、そうでなくとも容易に破壊できるだけの力があるのだからな」


「それもそうか」


「ではどうする、探偵。暗証番号など推理のしようがないだろう」


「番号がわかるような手がかりなんて置いてるはずないものね」


「しーちゃんの毒って扉溶かせたりしないの?」


「で、できるわけないでしょ、なに言ってんのよ……」


「すまない……俺の身体が万全の状態であったら、この程度の扉はどうにかできたはずなのだが」


「万全だったら壊せるのね……」


「でもセキュリティシステムとかあるんじゃないか? 無理矢理壊したら警報が鳴るとかさ」


「せっかく取り付けた監視カメラすら見てないような人が、そんなところだけこだわるかしら?」


善丸の指摘も最もだが、雫希の意見も一理ある。慎重になるに越したことはないが、だからといってじっとしているばかりなのもよくないだろう。フィストは考え込む。


「正解を引き当てるまで番号を入力し続けていたらどれだけ時間がかかるか……朱雀、お前の母はこういった扉に細工をするような人物か?」


「えっと……いえ、母様は……しないと……思います……」


「どうして?」


「前に……扉が壊れた、ことが……でも、全然……気付かなくて……。警報……ない、です」


「なんで壊れたの?」


合成獣キメラが……外で、暴れて……」


「じゃ、鍵以上のセキュリティには無頓着ってことだね。たぶん誰もここまで辿り着かなかったか、扉を壊せるだけの力がなかったか」


「ここが地下だってことはなんとなくでわかったとしても、普通は、じゃあ出口は上だって思っちゃうものね」


「もしくはここに来る前に命を落としたか、だな」


言いながら、フィストが扉に触れて強度をたしかめる。


「しかし……破壊するにしても簡単ではないぞ、見かけより幾分頑丈にできている」


「探偵の蹴りならなんでも壊せるんじゃない?」


「たわけが、限度というものがあるわ。……朱雀、私が合図をしたら扉を全力で蹴れ。できるな?」


「え……あ、……はい」


「大丈夫なのか、探偵」


「試してみないことにはなんとも言えん。さがっていろ」


朱雀が扉の正面に立ち、探偵がその斜め後ろに立つ。隣に立っていたフィストを手で追い払うようにしてうしろに退かせると、ちらりと朱雀に一瞥くれてから扉を見る。一度の深呼吸。


「……よし、今だ!」


言って朱雀の肩を叩くと、朱雀は軽く上半身を前に揺らして勢いをつけ、裸足のままの足で扉を蹴りつける。ほぼ同時のタイミングで、彼の背後から探偵の左足が同じ扉に叩きこまれた。


鈍く大きな音を立てて内側に歪んだ扉は頑丈そうな蝶番が歪み、完全に破壊されたわけではないものの、こうなれば多少強引にでも力を加えるだけで取り外せるだろう。鍵を壊すというよりは扉の金具を破壊して、そちらから無理矢理引っぺがそうという方向性だ。先に述べていたとおり警報が鳴る気配はなく、たしかにずさんなセキュリティだ。


「いや、ええ……」


一連の破壊行動に唖然とする善丸はなにか言いたげだったが、探偵が朱雀をさがらせてフィストと善丸に目線を飛ばし、顎で扉を示すと、すぐに意図を汲み取って前に出た。二人が歪んだ扉を完全に壁から引き離して廊下側に引きずり出す間に、探偵は朱雀の背中を軽く叩いて意識を自分に向けさせると、くしゃりと頭をなでる。


「いいぞ、上出来だ」


「あ……」


戸惑う朱雀の横から雫希がずい、と距離を詰める。


「あーっ、いーなぁ。探偵ってばあたしたちにはそんな褒め方したことないのに」


「なぜ貴様らにここまで幼稚な褒美をやらねばならん。これはせいぜい小人と幼児までだ」


「なによー、顔がほとんど隠れてるからって朱雀のこと寿だと思い込んでるんじゃないでしょうね。あたしも頭なでられたーい。ねーえー」


「ならば帰還後に貴様の実兄から思う存分なでられればよかろう」


「お、お兄様にそんなことお願いできるわけないじゃない!」


「フィーさんそっち押さえてて、よい、しょ! ……んー。でも、しーちゃん、水晶なら言いさえすれば普通になでてくれると思うけどなあ。あの人、しーちゃんのこと普通にかわいがってるしさあ。なんなら俺から話通そうか? 日常的なスキンシップとして取り入れるように」


「ちょっとぉ、やめてよ! そういう問題じゃなくってぇ……そ、そういうのは、お兄様からはちゃんと、こう、ものすごーく役に立ったときとか、すっごい特別なときだけに……とっておくものでしょ!」


「いやその感覚はわかんないけど探偵はいいの?」


「いーの! 探偵はお兄様じゃないもの。だからなにもしてなくてもあたしのこと褒めてもいーの」


「褒める部分ができてから言え小娘」


がこ、と扉が外れて、撤去にあたっていた二人はそれを廊下の床に置く。


「あるじゃないの、褒める部分、いっぱい! かわいいし、スタイルいいし、愛想もいいし」


「その頭の悪さと貞操観念のなさですべてを台無しにしているようでは落第点だ。出直せ」


「そこは愛嬌とサービス精神だもの、ちっともマイナスじゃないわ。探偵はもっとあたしのこと褒めるべきよ。ちょっと顔がよくてもきついことばっか言ってたらモテないんだから」


「結構。不特定多数から無用な好意を向けられたところでうっとうしいだけだ。通路は確保された、無駄口を叩いていないで行くぞ」


「なによお、もっと無駄口叩きなさいよぉ」


かまわず先へ進んでいく探偵に朱雀と善丸が続く。フィストが雫希を見ると、彼女もあとに続いた。扉の先は一見するとこれまでとあまり変わらない白い廊下だったが、これまでよりも管理されている印象があった。率直に言って、これまで通ってきた空間よりも清潔なのだ。ここに来るまでの通路といえば、たしかに床も壁も天井も白いのだが、それでもよく見れば薄汚れていて、なかにはひと目で血痕があったと思えるようなシミが残ったところもあった。汚れを拭った痕跡があるということは、手作業以外のなんらかの方法で清掃がおこなわれているのだ。


だが扉の先――ここの研究所長による実験のための階層には血の痕ひとつなく、今まで見て来た景色が薄汚れていたことにようやく気付けるほど清潔が保たれていた。少し歩いていくと自立駆動型の掃除機と思しきロボットが動いており、なるほどこれが上の隔離区域にも控えていて、定期的な清掃をおこなっているらしい。朱雀の話によると、掃除の他に侵入者を検知して攻撃を開始するような特殊機能が備えられている――というわけでもない、正真正銘ただの掃除機だそうだ。


朱雀の案内で辿り着いた最下層、その一室に一人の男がいた。広い部屋の奥の壁には大きめのモニターが設置されており、映っているのはどこかの部屋に閉じ込められているらしい魔獣たち。一頭はじっとカメラを見つめているが、それ以外は檻の中でおとなしく寝ていたり暴れていたりとまとまりがない。机の上の書類をまとめているシワだらけの白衣の背中に、白髪だらけでまだらになった茶髪は切るのが億劫なのか、伸ばしっぱなしを乱雑にまとめてある。


両開きの扉を片方開けて部屋へ踏み込んだ朱雀が、思わずといった様子で一人その背中に近付いていく。


「かあ、さま……」


母様。そう呼ばれた男はそちらを見ることもなく大きなため息をついた。嫌気がさしてうんざりしたような冷たいため息だ。その背中の前まで歩んだ朱雀の足が止まる。


「私は戻って来るなと言ったはずだぞ、こんな簡単な言いつけすらお前は守れないのか?」


「す……すみ、ませ……」


「おまけにいらない客まで連れてきて、本当にお前は余計なことばかりする。こんなことならもっと早く処分するべきだった……貴重なサンプルだったから生かしておいてやったものを。情けなどかけるべきではなかったか」


振り返った男の表情は苛立ちを隠す素振りのない険しいものだ。着古した白衣を揺らして朱雀に歩み寄ると、朱雀は萎縮したように肩を竦める。男はそのまま右の拳を振り上げ、朱雀の頭部に向かって力強く振り下ろした。


同時に朱雀は強く目を閉じたが、男の言ういらない客は、無抵抗な朱雀が殴打されるさまをただ見ているほど悠長で呑気な者ではなかった。


「それ以上の冒涜は看過できないぞ、母君」


暴力を加えんとする拳を掴み止めたのは鬼だった。吊り上がった黒と緑の目がまっすぐに男を見据え、男が振り払うと素直にその手を離したが、彼の手が届く以上、もはや朱雀への攻撃行為はおこなえない。扉をくぐり、横の壁に背中をつけた探偵が腕を組む。


「朱雀、戻れ」


「はい」


よく通るその声に即座に反応した朱雀が探偵の傍に駆け寄った。フィストは男から目を離さないまま距離をとり、善丸がフィストの隣に立つ。雫希は扉の陰から中を覗いているだけだ。


「ねえ、母様って言うけど……あの人、男じゃないの?」


雫希の問いに朱雀は困ったように首をかしげる。


「はい。母様は……母様です」


白衣の男は忌々しげに朱雀を睨みつけ、善丸とフィストに向き直る。


「正直に言うと想定外だったよ、まさかここまで辿り着く者がいるなんて。その出来損ないを利用したとはいえ称賛に値する」


「ちょっと確認なんだけどさ、お前は死んだ娘を取り戻すために合成獣キメラの研究をしていた――ってことであってる?」


善丸のうしろで探偵が訂正する。


「違うな、娘を取り戻すための研究の過程で合成獣キメラが生まれたのだ。それが可能となる能力を与えられていたゆえに」


「では探偵、この男はもう」


「ああ、既に()()()いる。これ以上の問答は不要だ、話はあとで本人からゆっくりと聞かせてもらおう」


「私を捕らえるつもりか? ふふ」


「随分と勝ち気なようだが、睡眠ガスを撒き散らしながら森を徘徊していた骨状の獣――あれが貴様のパンドラだということくらいは予想がついている。それを切り札として出すつもりで、我々がなんの対策もなしにここへ来たと考えているなら改めるべきだ」


男の眉がぴくりと動く。


「……ほう、少しはできるのが混ざっているようだな」


「少し? ……ふ、愚かな男だ」


フィストが一歩前に出る。


「ひとつだけ聞きたい」


「言ってみるといい」


「あの合成獣キメラたちは……そして朱雀は、お前にとってどういう存在ものだ」


「ただの失敗作……いや、今となってはただの廃棄物ゴミだな」


「……、……そうか」


ひと言、そうつぶやくフィストのすぐ背後で、善丸はやや表情をこわばらせる。


「探偵、俺に少しだけ時間をくれないか。三秒――いや、二秒もあれば事足りる」


言葉遣いにこそ変化はない。だが普段の彼の態度からはおよそ想像だにできないほどの大きな感情が、声と背中、そして腿の横で強く握り込んだ拳からにじんでいる。これほど近くで見てしまえば、戦士なら誰もがその気迫を感じ取れるだろう。


確固たる憎悪と、明確な()()。それを他でもない、あのフィストが発しているのだ。


「どうか二秒の間、目を閉じていてくれ」


「やめておけ、フィストティリア。それで貴様の気が晴れるわけでも、合成獣キメラにされた連中の無念を果たせるわけでもなければ、その男の所業をなかったことにできるわけでもない」


「止めるな探偵。俺はどうしてもこの男に報復しなければならない。お前に見られていると、それができないんだ」


ため息。探偵は呆れたように頭を掻く。


「まったく、今度はなにを見たというのだ。その憎悪は大半が貴様のものではないし、夢に影響された状態で得たその衝動が正当に貴様のものである証明もできないだろう」


「今この瞬間の俺がこいつを憎く思っていて、俺がこいつを許せない。恨まずになどいられるものか。それだけでは足りないと? なら俺が抱いているこの怒りは誰のものだ? 探偵、お前はこの男を許せると言うのか」


「いいや、生ぬるいと言っているのだ」


「なに?」


「その男の所業は、命ひとつで償える程度のことか? 私の意見としては、この場で終わらせるなど生ぬるい。そいつは生かし続け、出来得る限り長く苦しませるべきだ。なによりせっかくの生きた情報源なのだから尋問が先だ」


それが虚偽の復讐心に駆られたフィストを止めるための説得なのか、本当に探偵自身の意見なのかはわからないが、最後にこぼれた情報収集の優先については確実に本心からの言葉だろう。


白衣の男は笑っている。


「ここはいわば神に供物を捧げるための祭壇で、私はただの信徒でしかない。神のためにあるこの神聖な場所を、人間ごとき矮小な下等生物が不要と断じると言うのか? お前たちは本当の神を知らない、守護神などは偽りの神でしかない。そうでなければ俺の娘があんな目にあうはずがないんだ!」


「痴れ事を。神は人間の事情など気にも留めないものだ。貴様のそれこそ矮小な人間らしい考えだな、神の存在を根本的にはき違えている。やつらにとっては人間が生きようが死のうがどうでもよく、救済するほうが珍しい。やつらは常に勝手気ままで、そのうえ力だけはあるのだから始末に負えない、そういう厄介な存在であって、決して人類を救う存在などではない」


「ふん、無神論者め。真なる神を、そしてその慈悲に触れたことがないからそう言えるのだ。お前たちはまだ真実を知らないからそう思うだけだ。あれほど素晴らしい存在を知ることすらできずにいるだなんて、なんて哀れなことだろうな」


探偵は笑う。


「なんだ貴様、この私に向かって真実を知らぬ無神論者、と? そう言ったか? ふはっ、笑わせるではないか」


男は朱雀をきつく睨みつけて鋭く叫んだ。


「おいッ、なにをぼーっとしているんだ! 俺はお前の親だぞ、そいつらを皆殺しにして俺を逃がせ!」


朱雀はびくりと身体を震わせたが、迷うことなく首を横に振った。


「あ……、……いえ、すみません……それは、できません」


「なんだと? 俺の言うことが聞けないのか!」


「はい。……母様が、僕をつくった……僕を生み出した、あなたが……母様、です。でも……探偵さんに、母様には……従うなと、言われました。あの……母様からは、なにも言われていなかった、ので……」


「こ……この、役立たずが! 今まで育ててやった恩を忘れて裏切る気か!」


「先に朱雀を裏切ったのは母君、お前のほうだ。恩を感じるほどのなにかをしたこともないだろうに、都合のよいときにだけ母親面をするなど笑止千万。それならせめて――」


続く声が男の目の前に迫った。


「一度くらい彼の名前を呼んだらどうだ」


鈍い音とともに男の身体が後方へ吹き飛ぶ。突き出された拳はその腹部を捉え、うつ伏せに倒れた男は数秒動かなかったもののすぐに苦しそうに咳き込んだ。見下ろすフィストの目は今までの彼からは想像もつかないほど凶悪だ。雫希の位置からだと彼の様子が遠目にしか見えず、呟く言葉のほとんども聞こえないのは幸いだったと言える。


「……意識だけを飛ばすとなると、加減がむずかしいな。どうした、獣でもなんでも出してみるがいい、今のお前では不足だ。俺がなんのために回復に専念したと思っているんだ」


「かはッ……ゴホ、ゴホッ……夢喰い風情が……偉そうに!」


フィストの挑発に歯を食いしばった男の体が、めきめきと奇怪な音をたてて膨張し、変形し、服が裂けて肉は剥げ、やがて巨大な一頭の獣になる。冒涜を繰り返す研究所の奥深く、現れたのは骨の獣。母と呼ばれるかつて父であった者、生物学者であり遺伝子学者、医療や薬学にも通じる開錠済科学者マッドサイエンティスト、その異形。


「善丸、息を止めろ。あの獣が出したガスを吸い込むな」


「わ、わかった。回復してるとはいえ、まだ全快じゃないんだから無理はすんなよ?」


「承知しているとも、すぐに終わらせる。さあ……俺が相手になろう。よもや一撃では片付かないことは把握している。せめて俺に全力をぶつけさせろ、外道」


狂気に呑まれた異形の者に、相対するは激情に駆られた一人の鬼。


フィストティリアが性根の優しい男であることは旧知の事実。彼は戦いの最中ですら、打破すべきを打破するという意識のもとでしか敵を討伐してこなかった。彼は己の身を、あるいは同行者の身を守るために戦うのだ。当然そこに特定の感情が乗ることもなかった。


フィストにとってこの戦いは復讐だ。理屈も意味も理由もなくただ理不尽になじられ、罵られ虐げられてきた一人の少年の記憶。何十人もの人間たちの集合体の意識。否応なくなだれ込むようにして享受した苦痛の末に、フィストの中には強い怒りと憎悪があった。


なんとしてでも討ち果たさなければならない。一度は敗れた相手といえど、いまだ万全とはいかぬ体調といえど。身を焦がすほどの闘志を宿したフィストには枷にすらならない。信念を宿し執念に囚われた戦士はときに、誰よりも強く恐ろしい。


ならば冒涜を尽くす邪教徒にこそ、この結末はふさわしいと言えるだろう。

次回は明日、十三時に投稿します。

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