15 焦燥、風前の灯火
攻撃を躱す余裕などなかったし、そんな隙が与えられたとしても、探偵に回避行動などはとれなかっただろう。なぜなら彼のうしろには雫希と朱雀がいた。彼がその一撃を避けてしまえば巨人の爪は背後の二人を捉えていたはず。探偵に自己犠牲の精神などはないに等しいが、それでも性根の正しい彼には自分以外の誰かを犠牲にする選択などは取れなかっただろう。
だがその一撃は非能力者の身ひとつで受け止めるにはあまりに狂暴で凄烈だった。まさに即死級の一撃だ。
探偵の身体が床に叩きつけられる。彼の手を離れたリボルバーが雫希の足元まで転がった。時間が止まったかのような感覚の最中で焦燥と絶望が目の前をよぎる。顔面蒼白の雫希がその場に尻餅をつき、震える唇がかすかに動いたが、か細い吐息がもれるばかりだった。倒れ込んだ探偵の指先がぴくりと動き、強く拳を握る。
「ぐ、……それで、私を救ったつもりか……フィストティリアッ!」
灰色の唇から声の代わりに血があふれた。緑の装束は赤く染まり、背中側から斜めに刻まれた四筋の巨大な切り傷は、肩口から胸を通って腰までを刺し貫き、切り裂いている。ゆっくりと爪が引き抜かれ、フィストはその場に崩れ落ちた。白い床に絶えず赤が広がっていく。
あの場において、この肉塊の巨人よりも速く動けるのはフィスト一人だった。素足で床を踏み砕き、全速力での縮地。瞬きの間に巨人を追い抜き、探偵を突き飛ばす。そのあとのことは――きっと考えていなかった。自分ならばどうにかなるという楽観と過信か、それともはじめから探偵の身代わりになる決死の覚悟があっての行動か。即死は免れたものの、致命傷なのは火を見るより明らかだ。そしてこの場に三月がいない以上、誰も彼の傷を治癒できない。
「す――朱雀! 探偵を守れッ!」
善丸が叫び、その指示にはっと顔をあげた朱雀が探偵と巨人の間に立ち塞がる。すぐさま駆けつけた善丸が身を乗り出そうとする雫希の腕を掴んだ。
「フ、フィス、ト……」
「しーちゃん、ダメだ!」
「フィスト……やだ、フィスト……フィスト!」
巨人はまだ次の攻撃態勢には移っていない。ただ何十人ものうめき声があたりを埋め尽くすばかりだ。善丸が探偵に鍵を投げ渡し、雫希を引っ張り立たせ、半ば突き飛ばすようにして朱雀に押し付ける。
「探偵、鍵だ! 行け! 俺が惹きつける!」
「やだ、やだぁ! なんでっ、待ってよ、フィストはまだ生きてる! フィスト、フィスト!」
朱雀の手を振り払った雫希がフィストの傍に飛び出すのを再び善丸が止める。
「しーちゃん!」
「あたしのこと守るって言ったじゃない! 埋め合わせするって約束したじゃないの! フィスト!」
雫希の目に涙がにじんでいく。その声にフィストの指先がかすかに動いたものの、致命的な損傷を受けた体では立ち上がることはおろか、もはや意識を保つことすら困難な状況だ。その現実は雫希にとって絶望以外の何物でもなかった。
「フィスト……やだよぉ、死んじゃやだ……」
既に呼吸は浅く、懇願空しく一秒ごとにその目が光を失っていく。もはや周囲の声など届いていないだろう。息絶えるまでのわずかな時間は一般的な能力者よりも頑丈な夢喰い鬼だからこそ得られた猶予だが、打開策のないこの状況では苦の時間でしかない。いっそ即死であったほうが長く苦しまずに済んだのだ。
善丸が雫希を担ぎあげようとその肩に触れたとき。うめき声が重なり合う雑音のなかで、か細い声がふたつささやき、二対の手が祈りを捧げた。
「あなたに神の御加護があらんことを」
「汝に天の祝福を」
淡い光がフィストを包み込む。どれほどの時間が経ったかは不明だが、体感としては長く感じられた。やがて光はフィストの身体から離れ、巨人に吸い込まれていく。
直後、その巨体の内側からなにかが破裂するような音が無数の声をさえぎった。所狭しと浮かび上がった無数の顔の穴という穴からおびただしい量の血が噴き出し、巨体を支える手足が力を失っていく。
「ああ、ああ……」「たす、かった……」「死ねる」「やっと」「もう……苦しまずに……」
この部屋に入ってからの初めての静寂。善丸はなにが起きたのかわからずに、動かなくなった肉塊をあっけにとられた様子で見ていた。その隣で雫希がフィストに這い寄る。
「フィスト……フィスト、起きてよ……」
うつ伏せに倒れている彼の肩に震える手を伸ばし、そっと触れるようにしながらすがりつく。雫希の声にようやく我に返った善丸が探偵と雫希を交互に見た。探偵は朱雀とともに扉の前にいたが、巨人の沈黙を確認すると戻ってきた。朱雀がうしろから追いかける。状況を飲み込めないままの善丸が答えを求める。
「探偵、これは……」
「鍵は正しくこの扉のものだ、無駄骨にはならなかったようだな。既に開けてあるのでいつでも進めるが、先にここで少し休むぞ」
「こ、ここで休むって――」
「置いていくわけにもいかんだろう」
「ぜ、善ちゃん、善ちゃん!」
雫希があわてた声で叫ぶので、善丸はすぐさま振り返る。フィストの肩に手を置いたまま、雫希は一度こちらを見て激しく手招きした。
「なに、しーちゃん」
「来てよ、見て、生きてる! 怪我がないの、血も止まってる!」
「え? そんなはず……」
言われてようやくきちんとフィストの姿を直視した。装束は血まみれ、もともと肌が灰色なのでわかりづらいが顔色も悪い。だが、たしかに呼吸はまだ止まっていない。先ほどまでの虫の息とは程遠い、穏やかな呼吸だ。奇妙に思って襟元を少しずらしてみると、装束も、その下の肌に巻き付けてある布きれもぼろぼろだが、肝心の傷が嘘のように消えている。
「ほ、本当だ……探偵!」
「光属性系の能力による治癒だ。治癒魔術が非常に高度な術であることは、日ごろから魔術師が近くにいる貴様らならば言うまでもなく知っているだろう。傷口が消えるだけで痛みがそのまま残るパターンや、術師がその傷を肩代わりすることで負傷者から傷を取り払うパターンなど、なにかしらのデメリットや不完全性がつきまとい、単純に魔力を消費して傷を癒すという境地に辿りつける術師は少ない」
「じゃあ、つまり……」
「あのデカブツのなかに治癒魔術を使える人がいて、フィストの傷を取り込んだってことか?」
「我々にしてみれば致命傷でもあの巨体にとってはせいぜい中傷程度だ、傷を取り込むだけではあそこまでのダメージにはなるまい。傷自体を肩代わりしたのでなく、致命傷という概念そのものを自らに取り込んだのだ。おそらく、はじめからやつらの狙いはそれだった」
「……死にたがっていた、か。そっか、そうだな、言われてみると……殺してほしいから襲ってきてるみたいだったよ。俺たちが逃げたら自分たちを殺せる人がいなくなる。最初から自滅するつもりで、誰か一人でも死にかけの状態に追い込めればそれでいいから、フィーさんが倒れてからは動かなかったのか」
「じ、じゃあ、フィストはもう……大丈夫なの?」
「首の皮一枚つながったというところだ。目を覚ますまでにどれだけの時間がかかるかは本人次第だが、しばらく待つ。この集団の代表的な戦闘力として、フィストティリアは必要不可欠であるし、意識のない人間を担いだ状態で先に進むのは骨だ」
「……じゃ、休憩しよっか。まあ、眺めは最悪だけど」
*
夢を見ている。
誰かの記憶だ。誰か? いいや、これは誰なんだ? 十人、二十人……違う、もっとだ。何十人もの人々の声が、感情が、意思が、記憶が、絶え間なく入り混じってなだれ込んでくる。頭の中は無数の声に満たされて、老若男女を問わないありとあらゆる人々の怒りと、悲しみと、嘆きが響いてくる。
「痛い」「苦しい」「ここはどこ」「怖い」「え?」「動けない」
「苦しい」「助けて」「なぜこんな」「痛い」「痛い」「誰」
「嫌だ」「誰なんだ?」「苦しい」「誰の声?」「ここはなに?」
「私の身体?」「なんだ」「痛い」「どうなってるの」「なんだよこれ」「身体が」
「痛い「や「私はどうして「誰「助けて「僕「こんな姿「俺以外に誰かいる「知らない「私じゃない「こわい「い「どうなっ「いた「なに「うるさい「「いや「死にたい「苦しい「苦「私は誰「ま「なに?「どれが僕「狭い「助け「たす「頭が「ああ「やめ「「こんなの知らない「私たち「俺の記憶じゃ「うる「殺して「「あ。
――あいつだ。
■たちがこんな目にあっているのはあいつのせいだ。
こんなことになったのは全部全部あいつが。
苦しい。
死にたい。
助けて。
死なせて。
殺して。
憎い。
殺せ。
どうして■たちがこんなことに。
憎い。
――、――――。
憎い。憎い。憎い。
――――ト。――スト。
憎い。憎い。憎い。
殺せ。
俺たちをこんな姿に変えたあいつを殺せッ!
「――フィスト、フィーさん!」
は、と息を吸い込む。不明瞭だった意識が即座に浮上し覚醒した。善丸と雫希が心配そうにこちらを見降ろしている。心臓がやけにうるさい。フィストの頭の中は混沌としていた。視線を降ろす。全身が血にまみれ、背後と正面の両方に見られる衣服の損傷からも、自分が受けた傷が死を免れないほどのものであったことが客観的な証拠として残っているし、主観的にも助からないと理解し納得していた。この場に治癒魔術を扱う術者はいない。横になったまま頭上を見ると、あの巨人がおびただしい量の血をまといながら力尽きている。
「よかった、気が付いたみたいだな。容体が落ち着いたと思ったら急にうなされてるから、あせったぜ」
「な、にが……なぜ、俺は」
全身の倦怠感。少し息苦しくめまいもある。体に力が入らない。左手で自分の身体に触れるが、衣服の下の皮膚が破壊されている感触も痛みもない。床に肘をついてゆっくりと身体を起こす。雫希の赤くなった目に涙が溜まっていく。
「これは……なにが起きたんだ」
「あの巨人の中に治癒術を使える人が含まれてて、フィーさん負った致命傷をもらい受けたんだ。たぶん最初からそれが狙いで襲ってきてたんだろうって探偵が」
「なるほど……」
「大丈夫か?」
「体の調子はいいとは言えないな。血を失ったからだろう。少し休めば……いや、すまない。しばらくは動けそうにない」
「そうか。まあ命が無事なだけよかったよ」
「俺も……今度ばかりは、助からないと思っていた。……雫希、すまないな。できることなら、お前に血を見せたくはなかったのだが。それどころか、危うく人が死ぬ様を見せるところだった」
「ふぃすとぉ……」
「待て、お前の服が……汚れてしまう」
フィストにすがりつこうとする雫希を汚れていない右手で押さえて止める。その制止の言葉にとうとう大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ううぅ……ばかぁ! もうだめだと思った……ほ、ほんとに、死んじゃったと思って……今までで一番怖かったんだからー!」
「……すまなかった。お前を守ると約束したのに、俺はお前を泣かせてばかりだな」
子どものように泣きじゃくる雫希の肩を善丸が優しく叩く。
「さっきまで泣き止んでたのに……しーちゃん、ここに来てから泣き虫になっちゃったなあ」
「うるさぁい! 善ちゃんにはわかんないわよぉ!」
「はいはい落ち着いて」
「ところで、探偵と朱雀はどうしたんだ。先に進んだのか?」
改めて周囲を見てみてもあとの二人の姿がない。善丸が床に腰を下ろしながら元来たほうの扉に目を向けた。
「いや、進んだわけじゃない。さっきまで一緒にいたんだけど、朱雀になんか話しかけたと思ったら、二人でどこか行ったよ。すぐ戻ってくるって言ってたから、待ってればそのうち帰ってくると思う」
「そうか……」
「今、俺を置いて先に行け、って言おうとしただろ」
「否定はしない。動けない以上、今の俺は足手まといだ」
「だからって置いていくつもりはないよ。赤兵が言ってたとおり、外から助けがくるのは今からだいぶあとになる。一人でここに残るなんて命がいくつあっても足りないぞ」
「そうよ。フィストがここに残るんだったらあたしも残るわ」
「赤兵たちがあとからここを通るだろう。そのときに肩を貸してもらえるよう頼んでみるさ。それまでにお前たちが出口を確保しておいてくれたなら、俺も無用な長居はしなくて済む」
「我々が貴様を置いていくかどうかを決めるのは、貴様の回復力を見てからだ」
声のほうを振り向く。探偵と朱雀だ。長い脚でつかつかと歩く探偵のうしろを朱雀が小走りで追いかける。探偵は常人の倍ほどの速さで歩くので、気を付けなければすぐに引き離されてしまう。
「おかえり探偵、どこ行ってたんだよ」
「なに、ただの食糧調達だ。朱雀にこのあたりで鳥を見なかったか確認したところ、上の階でカラスを見かけたと言うのでな」
朱雀が腕に抱いているのは三羽ほど。しかしそのカラスと思しき黒い鳥は一羽だけだ。
「そっちの二羽は明らかに合成獣だけど……」
「なにが混ざっているかは知らんが、鳥の形を保てているということは材料にされた他の生物より鳥類の比率が高いということ。さっさと食って血肉と魔力に変えろ」
「すまない探偵、手間をかけさせたな。朱雀も、助かった。ありがとう」
「あ……は、はい……」
「ついでに俺たちもなにか食べておこうか」
探偵がフィストに食糧の鳥類を渡す傍らで善丸が提案する。探偵がその場に座りながら手で朱雀に床を示し、それを見た朱雀も座り込んだ。そうしなければ彼がいつまでもその場で突っ立っているものと判断しての指示だろう。
「あまり気が進まんな……ああ、私はいい。貴様らだけで済ませろ」
荷物を探っていた善丸が探偵に缶詰めを差し出すが、探偵はそれを断って胡坐をかいて膝の上で頬杖をつく。こういうときどき垣間見える無作法さのようなものが彼の親しみやすさにつながっているのだが、はたして本人はそのことに気が付いているのだろうか。
「お腹すいてないの?」
「こんな眺めの悪い血なまぐさい空間で飯が食えるか。そもそも食糧の優先順位は貴様ら能力者のほうが上だ。仮に私が腹をすかせたうえでこう言っていたとしても、食欲などすぐに失せるわ」
渡された鳥の脚と頭を持ち、くるくるとまわしながら背中や腹を観察していたフィストが、手を頭から背中に持ち替える。そのまま大きく口を開け、緑色の口内が見えたかと思うと鳥の腹に噛みついた。無論、それは羽根抜きも血抜きもされていない、ただ捕まえてきただけのものだ。夢以外ならば鳥と植物だけが彼の糧であり、調理された食事は食べられない。ならば鳥を食べるという彼はどのようにしてそれを喰らうのか。その答えがこれだ。
肉はもとより、血も羽根も関係なく、骨をも喰らうその姿はまさに鬼そのもの。日頃であればほとんどの場合、鳥類がまだ生きているうちから喰らうのだから、なにも知らない人間が見たなら吃驚ものだ。これではバケモノがいると騒がれても仕方がない。
「あー、たしかにこれは食欲失せるねえ」
フィストの食事風景を見た善丸はそう言うが、自分の食事は続けている。彼の大雑把な性格だからこその反応だろう。隣の雫希が同じ様子なのも似たような理由だ。二人ともあらゆることにあらゆる意味で雑なのだ。ここにいたのが三月だったならこうはいかない。探偵はげんなりした表情で黙り込んでいる。
三羽を胃に収めたフィストが口元の血を拭う。どうやら合成獣の鳥も問題なく食べられたようだ。回復に専念するためかぱたりと横になって仮眠をとり、その間善丸と探偵は地図の確認を、雫希はフィストの容態に異変がないか隣で見張り、朱雀はなにをするでもなくぼんやりと膝を抱えていた。フィストが目を覚ましたのは二時間後だ。
身体を起こしたフィストは手を握ったり開いたり、血で汚れた服の上から軽く胴をさすったりして状態をたしかめる。それを心配そうに見守りながら雫希が問いかけた。
「具合はどう?」
「ああ……そうだな、よくはなっている。思っていたより回復が早い。やはり合成獣ともなると魔力を多く持っているのかもな。戦闘となると話は別だが、歩くだけなら問題なさそうだ」
「あれだけ出血したのに? まあ、血はたくさん摂れたでしょうけど」
「足りない分の血は魔力で補える。俺はたしかに意図的な魔力操作はできないが、根本的にはお前たちと大差はない。食えば魔力になり、魔力は肉体を動かす力にもなる――能力者の身体とはそういうものだろう」
言いながらフィストは立ち上がる。ふらつく様子はなく、足取りも危なげない。探偵が腕組みをしたままフィストに歩み寄る。
「戦闘に不安は残るが移動に不足はない――と言ったな。出発前に確認しておくが、では最低でも一発殴られた程度では倒れないまでに回復していると見ていいな?」
「ああ。少なくとも今の状態ではまだ縮地が使える気はしないし、万全とは言いがたいが、歩いているうちにも回復できるはずだ。とはいえ微々たるものと思うが、一発くらった程度ではくたばらないさ」
「そうか、では話を戻すぞ」
「話? 戻すと言っても――」
フィストの上半身が大きく逸れる。頭部への強い衝撃と鈍い痛み。白手袋の拳がフィストの頬を殴り飛ばし、フィストはうしろに二歩ほどよろめいた。探偵は拳を握りなおしながらフィストに向き直る。
「どういうつもりだ、貴様」
「な、にを」
「たしかに貴様が庇ったことで私は命拾いした。だが私を突き飛ばし、身代わりになり、それで? そこからどうするつもりだった? どうせなにも考えていなかったのだろう。無策、無謀の蛮勇はただの自己満足。それは愚者のすることだ」
「あの場において優先すべきは俺ではなくお前の命だった。俺が死んでも善丸が戦える。だが、お前に代わる者はいないんだ。集団の頭脳たるお前に倒れられては困る。たとえ俺が死ぬことになってでも、俺はお前を生かすべきだと判断したまでだ」
「……なんだと? 貴様、この私に向かって……クソッ。命に優先順位をつけるな。私と貴様の命を天秤にかけられるいわれなどないし、どうあってもつり合いがとれるものではないと知れ。代わりがいないのは貴様も同じだ。頭脳だけ残っても力が足りなければこの状況を打破できない」
「俺が死んでも世の中にはなんの支障も生まれない。だがお前は違うだろう」
「それはお互い様というものだ。私の死が世に影響を与えることもないのだからな」
「本気で言っているのか?」
「これ以上の言い争いは不毛だ。いいか、命を助けた程度で私を救った気になるなよ。貴様のそれとて投げ捨てていいものではない。他者の命を犠牲にして生きながらえたところで、それは生涯つきまとう重責を押し付けられただけにすぎないのだからな」
「……だが、お前があの一撃を受けていれば」
「ああ、間違いなく死んでいた。私では即死だったろう。あれは貴様だったからこそ得られた成果であるし、助けられたことに関しては礼を言う。だがそれとこれとは話が別だ。私とてまがりなりにも人間なのでな、たまには合理性や理屈を排除して感情だけでモノを言わせてもらうぞ」
「た、探偵」
「二度とするな」
「しかし……」
「わかったな?」
「……わかった」
「よろしい。助かる見込みのない盾役などただの自殺行為、それは秋人の仕事であって貴様の役目ではない。貴様が死ねば私が責任をとらされるのだ。人間ひとりの命などと、そんな重荷を私に押し付けるな」
「秋人が命張るのはいいのかよ……」
「無論だ。私の知る限り、死なないことに関してあいつの右に出る者はいないのだからな」
「そうなんだ? ああ、でも秋人の能力って生命力極振りの耐久特化型だっけ? いつも遠慮なく盾に使ってるのは知ってるけど……勝てなくても最悪死にはしないっていうのはたしかに安心だなあ」
「扱いがヒドイのか信頼してるのかわからないわね、それ」
「私とて限度は弁えている。そら、全員動けるなら長居は無用だ。さっさと行くぞ」
次回は明日、十三時に投稿します。