表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
巣窟の女神  作者: 氷室冬彦
+ + +
14/23

12 とぐろを巻いて牙を剥く

「きゃああああッ!?」


大きな地響きとともに足元の床に亀裂が走り、衝撃と轟音に合わせて床が爆発するように飛び散った。砂塵の向こうから現れたのは巨大な爬虫類の顔だった。ぎょろりと大きな目に、鋭い牙の覗く口。薄く光沢を帯びた皮膚はウロコをまとい、その身体は床に空いた穴の向こうへ続いているようで、全長は視界に入りきらない。


「なっ……」


「おいおいおいなんだこりゃ!」


突然現れた巨大な爬虫類に三月は動揺する。部屋の床全体に細かい亀裂が入った次の瞬間、足場が崩落し三月と赤兵、そして雫希の三人は瓦礫とともに落下する。受け身を取れたと言っていいのか悪いのかわからない着地と同時に雫希を見た。傍にいた赤兵が咄嗟に抱え上げたらしく、雫希は無事だ。


落ちた先はひとつ下の階にあたる。広々とした大きなフロアに見えるが、壁や天井には至るところに大穴が空いており、この広さはもともとこうだったわけではないようだ。長い体をくねらせながら、蛇のような顔が三人を睨みつける。三月は引きつった顔で思わず苦笑をもらす。


「おいおい……今までたまにあった地響きの正体はまさかお前か? マジでそのうち崩壊するぞこの建物……」


「み、み、みっちゃん……なんなのあれ、龍?」


「さあなあ……蛇みたいな龍か、龍みたいな蛇か」


その場から動かず、決して敵から目を離さず、赤兵が三月にささやきかける。


「……三月、どうすんだ? ここまでクソでけえ相手と戦った経験は?」


「さすがにこのレベルのは見たことがない。まるで勝機がないわけじゃないが……」


三月が赤兵を見る。


「赤兵、雫希を連れて逃げろ」


「勝機はあっても正気がないってダジャレか? ……どういうつもりだ」


「戦力がほしい。瓦礫を登れば上の階に戻れる。俺が時間を稼いでる間に雫希をここから遠ざけて、フィストと善を連れて来てくれ。お前のほうが足が速く、俺のほうが耐久力がある。わかるだろ」


合理的に述べる三月を、赤兵は真剣な顔で見つめた。黙っていれば相当な美人だが、普段はあの狂犬としての獰猛さがすべてを台無しにしているようだ。なんだか少しもったいないような気がしたのは、己の美を磨くことに心血を注ぐ水晶の傍で暮らしているからだろうか。


「……あたしが戻って来るまで死ぬんじゃねえぞ」


「行け。大丈夫、あいつはお前らに見向きもしないさ」


「ま、待ってよ、それじゃあみっちゃんが」


獲物の品定めをしているかのように三人を見つめていた大蛇を睨みながら、赤兵は一歩ずつ後退し、視界から外れようと横に歩く。しかし大蛇はその二人に見向きもせずに三月に飛びかかった。


「第一枠、仮想幻術」


頭突きのような噛みつきを横に跳んで回避しながら三月が叫ぶ。


「赤兵、走れ!」


赤兵はそれを合図に地面を強く蹴って駆け出し、跳躍して瓦礫を駆けあがる。雫希を抱えたままの影が瓦礫の山の頂点を踏みしめ、上階へと消えた。瓦礫が崩れて四面楚歌の戦いが始まる。


「第二枠、強化術式――」


全身をめぐる魔力が活性化し、跳躍力が通常の何倍にも膨れ上がる。そのまま大きな三角型の顔を蹴りつけた。龍だか大蛇だかは顔を振り乱し、横っ面が三月を直撃する。壁際まで吹き飛ばされたところに、左方から風を切る重低音と砂塵を引き連れ、その大きな尾が津波のように迫った。


咄嗟に左腕を立てると、尾は三月の身体に触れるより前に、なにかに当たった。己の魔力を盾に物理的な攻撃を防ぐ魔力障壁だ。その見えない壁によって直撃は免れたが、三月は歯を食いしばって顔をしかめる。


「ぐ、うっ……重ってえ……!」


勝機がある、という言葉に嘘はない。だが、それは赤兵が間に合えばの話だ。三月には単騎でこの巨大魔獣を討ち取れるだけの力はない。


不知火三月は水無月邸の情報管理者だ。彼の驚異的な速読術と絶対的な記憶力はたしかに能力の恩恵であり、能力の一部と言っていいだろう。だが根本的に、三月は魔術系の能力者――つまり魔術師なのだ。魔術師と一括りに述べても、扱う術は十人十色。攻撃魔術が得意な者がいれば、治癒術を得意とする者もいる。三月の場合は幻術と強化魔術が専門なのだ。


この大蛇のような巨大魔獣が逃げた赤兵と雫希にいっさいの反応を示さなかったのも、三月の幻術による効果だ。そして赤兵に言った勝機というのは、ずばり赤兵とフィストの戦力のことを言っている。三月は自分を強化するよりも、自分以外の味方を強化する能力に長けているので、善丸と赤兵、そしてフィストがこの場に揃いさえすれば、この巨大な魔獣を討伐するには十分だろう。三月の役目はその三人が揃うまで強化魔術での耐久戦。幸い、魔術師だけあって三月の魔力効率はリワン支部でも随一だ。


あとは三月の能力ちからが、どれだけ通用するか。それだけが問題と言えるだろう。



*



「し、信じられない、みっちゃんを置いてくなんて!」


赤兵に抱えられ、激しく揺れる肩の上で抗議の悲鳴をあげる雫希。赤兵は速度を落とさず廊下を駆け抜け、苛立ったように反論した。


「うるせえ! あのまま残ったところで状況はよくならねえだろ!」


「警備隊員なんでしょ!?」


「だからあんたを守るためにやってんだ、あいつもあたしもな」


「だからって!」


「出会ってすぐだけど、冷静に分析して、ちゃんとモノ考えて、理性で動くタイプだろ、あいつ。見栄と虚勢だけで時間を稼ぐなんて言わない。考えがあって言った。この采配も理に適ってる。違うか?」


「それは……」


わかっている。雫希があの場にいたのでは三月も赤兵も満足に戦えない。フィストたちを呼ぶべきだという三月の判断も、あの場に三月を残すことをよしとした赤兵の判断も間違ってはいないはずだ。雫希はただ心配で、怖かったのだ。そして足手まといでしかない自分が腹立たしかった。


「くそッ、あの場所まで遠いぞ! 一秒が惜しい、もっと速く……!」


赤兵が徐々に走る速度をあげる。既にフィストを追いまわしていたときと同じだけの速度が出ているだろう。一歩一歩の着地と跳躍による衝撃はすさまじく、雫希は舌を噛まないよう黙っているので精一杯だ。フィストに担がれていたときとは明確に違う。彼の走りはこうまで荒々しくなかった。


「フィストーッ! どこだァーッ!!」


ビリビリと空気が震えるほどの遠吠え。声はどこまでも響きわたり、あの巨大な魔獣にまで聞こえてしまうのではないかと疑うほどだった。


速度を落とすことなく走り続け、長い廊下を抜ける。その先の曲がり角の向こうから複数の足音が聞こえ、そこでようやく赤兵は止まった。


「赤兵!」


「フィスト、善丸! よし、全員いるな!」


息があがりつつある赤兵の姿を見て、善丸が怪訝な顔をする。


「あれ、ちょっと赤兵、三ちゃんは……?」


「善ちゃん、フィスト! みっちゃんが!」


「どうしたんだ雫希。……赤兵、なにがあったんだ」


雫希をおろしながら赤兵は善丸とフィストを呼びつけた。


「話は戻りながらするからついてこい! 探偵、ちょっとその嬢ちゃん預けるぞ!」


探偵の返事を待たずに踵を返す。事情を呑み込めないままの善丸とフィストもそのあとに続く。


「なにがあったんだ、赤兵!」


「変なでけえ蛇みてえなのが出てきた。三月の指示で、あんたらを連れて来いって。今はあいつ一人で戦ってる」


「なん、え、蛇? てか待って二人とも速いな!?」


「とにかく急がねえと、最悪あいつ死ぬぞ!」


「……それはいけない」


一秒すら惜しい状況を理解したフィストが善丸と赤兵を両肩に担ぎ上げた。


「うおっ」


「なんだっ!?」


みしり、フィストの足の裏から石材の軋む音がする。


「ならば最速で向かうべきだ」



*



尾を使った横薙ぎを跳び越えて躱し、地面に散らばった手ごろな石材の破片を拾い上げて三角形の顔面に投げつけ、挑発する。あの巨体が三月以外のなにかに標的を移さないように、お互いをこの空間に縛り付ける。


「どうしたウスノロ、こっちだ!」


殺気立った目がぎろりとこちらを睨んだ。まるで蛇に睨まれた――と言ってみたいところだが、いまさら魔獣の睥睨ごときで怯む三月ではない。一度遠ざかった尾が薄暗い視界の先で跳ねる。直後、その尾に弾き飛ばされた大きな瓦礫が一直線に飛来した。素早く飛び退いてそれを避け、体勢を立て直したところではっとする。


巨大魔獣は息を吸い込むようにわずかに頭部をうしろに反らすと、甲高い声で咆哮した。音の波が全身にぶつかるのを感じ取り、三月の表情が強張る。


――動けない。


巨大な頭部が真正面から迫り、全身でその頭突きを浴びた。脳が揺れるほどの衝撃が走り、気付くと壁に叩きつけられていた。背中の向こうで石材に亀裂が走り、左足から嫌な音がする。


「がッ……は、……ッ!」


地面に倒れ込む。息ができない。顔を上げると目前に大きく開かれた口があった。咄嗟に魔力障壁を発動させて押さえ込む。すれすれのところで牙が止まったが、しかし馬力は相手のほうが何十倍も上だ。歯を食いしばって押し返し、防衛に徹する。


魔力は能力者の体内で生成され、本来ならば体内でしか操作できない。体の一部と言ってもいい。魔術系の能力者は魔力を操ることに長けていて、魔力操作の延長として、魔力を体外に放出する術を身に着けており、そこから魔術を会得し、戦闘などに活かすのだ。


魔術は魔力を術式に変換したもの。だが魔力障壁は魔力そのものを盾として扱う術。つまり魔力障壁による攻撃の防御は、たとえば腕でパンチをガードすることと大きな差はない。ただ物理的に触れているか否かというところだけだ。


ゆえに、魔力障壁をやぶられることは体の一部を破壊されることと同義であり、術師へのダメージは甚大だ。


障壁が軋み、耐久の限界が来る。だが大きく開かれた口が退く気配はなく、なおも三月を喰らおうと牙を剥いている。軋む。崩れる。やぶられる。咄嗟に速度強化を施し、身をよじって回避する。右肩に鋭い痛みが走った。


「う、ぐ……っ」


肩に牙が突き刺さり、そのまま丸呑みにでもするつもりなのか、大蛇は三月に噛みついたまま頭を持ちあげようとする。左手に短剣を握って右目を斬りつけ、思わず悲鳴をあげた隙を見逃さず牙から逃れた。大蛇は目の痛みに頭を振り乱して悶えているので、まだ少しの間は攻撃に移らないだろう。


避けきれなかったのは速度が足りなかったことだけが原因ではない。折れた左足を引きずりながらその場を離れるが、痛みで転倒する。起き上がろうと地面に手をついたとき、ぱたりと赤い点が降ってきた。鼻を拭う。ひどい頭痛に顔をしかめる。魔力障壁をやぶられたダメージがやってきたのだ。息が苦しい。肩の傷口が痺れを帯びようとしている。毒か。


「第三枠、修復術式――」


頭上から迫った尾を跳躍して躱す。治癒魔術は魔術系の能力者であれば誰もが優先して修めようとする術式だ。だが治癒はもっとも習得難度の高い魔術のひとつであり、ほとんどの魔術師は完全な治癒魔術を扱えない。傷は消えても痛みは残ったり、術師が他人の傷を代替わりしたり。三月は自分の魔力の一部を怪我人に付与し、傷口を覆い、付与した魔力で傷口の細胞を活性化させることで傷を癒す。術式の完成度は完璧に近い。


基本的に魔力は他人に付与してもその相手のものとして変換されることはない。他人の魔力はあくまで他人のものであり、特別な術式を用いない限り他人と自分の魔力が混ざることはないのだ。だからこそ、三月が怪我人に付与した魔力は、その相手の魔力として吸収されることなく、余すことなく傷口の治癒にあたれる。


そして、三月自身の傷にこの治癒術は効果がないというのが大きな問題であり致命的とも言える欠点なのだが、当然それを補うための術も用意してある。それがこの修復術だ。肉体の破損した部分を魔力で補う術式で、折れた骨と血管を魔力でつなぎ合わせ、牙で裂けた肩の肉を埋め、毒が体内にめぐるのを塞き止める。治癒術と修復術の大きな違いは、これは問題を先延ばしにしているだけだということだ。あくまで一時的な応急処置であり、これによって傷が治るわけではないし、痛みは多少マシになるものの、ただごまかしているだけにすぎない。魔力が尽きればそれまでだ。


大蛇は巨大な尾で何度も地面を叩き付けながら三月を追いまわし、一瞬だけその動きが鈍ったと思うと、口を大きく開けて頭部を仰け反らせる。


「二度も同じ手が通用するかッ!」


咆哮に合わせて魔力を放出し、その魔力の波に触れた相手を感電させ、一時的な硬直状態に陥らせる雷属性系の攻撃だ。肉体がその魔力波に触れなければ先ほどのような行動不能には陥らない。咆哮の瞬間に魔力障壁を発動させて感電を防ぐ。


大蛇は再び牙を剥きながら三月に飛びかかり、その身体に食らいつこうとする。すんでのところで躱し、反撃のために短剣を構えるが、三月の回避に合わせて大蛇が勢いよく頭を振り回した。鼻先が胴体に直撃し吹き飛ばされる。魔力障壁を背中側に張ったことで壁との激突は避けたが、代わりに攻撃の衝撃で唯一の得物である短剣を手放してしまった。


援護や支援が得意とはいえ攻撃魔術もいくつか修めているので、武器がなくとも反撃手段が完全に断たれたわけではない。ただ不得手な魔術を行使したところで、このスケールの敵に対して三月の出力ではたいしたダメージは与えられないだろう。思わず舌打ちしそうになるが、代わりに左手を顔の前にかざし、笑った。


「第二枠、強化術式――」


天井の穴から影が飛び出した。手に握ったククリナイフで大蛇の左目を斬りつけて、痛みにもがく大蛇のすぐ傍らに着地すると、彼はすぐさま距離を取る。


「三ちゃん!」


「やっと来たか、善」


続けて二人、赤兵を肩に担いだフィストが大蛇の頭を踏みつけて三月の目の前に着地する。


「三月! よかった、間に合ったか」


「うわ、思ってたよりは元気そうだけど、ボロボロじゃんかよ」


負傷した三月の姿に赤兵がぎょっとする。三月は冷静に大蛇の様子をうかがった。既に攻撃の態勢に入ろうとしている。


「話はあとだ、まずはあのでかいのをなんとかしないと。援護するから攻撃は任せたぞ」


善丸が頷く。


「いつもどおりやれってことだな。ところで、あれって狙うとしたらどこになる? やっぱり首かな」


「ならば俺があれの動きを止める。その間に二人がかりで斬りつけてくれ」


「異論なし。今回は特別に従ってやるさ」


フィストの意見に赤兵が剣を抜きながら賛同を示し、善丸もククリを構えなおす。大蛇は大口を開け、もろとも喰らい尽くさんと突進した。今まででもっとも俊敏な動きだ。フィストは素早く最前列に立つと、深く息を吸って片足をあげる。


大蛇の口がフィストを飲み込もうとしたその瞬間、ずどんと爆発するような破壊音と、地面に大きな亀裂が走った。フィストは大蛇の下顎を素足で踏みつけ、同時に上顎から生えた大きな長い毒牙を手で掴み、全長二十メートルは下らないであろう大蛇の猛進をその身一つで受け止めたのだ。彼自身の怪力が三月の強化魔術によって通常の何倍にも膨れ上がっているからこそできる芸当だ。


「今だ!」


フィストの合図で真っ先に飛び出したのは狂犬だった。頭部の左側にまわりこみ、首元を斬りつける。善丸は反対側から同じようにククリを突き立てた。しかし細かいウロコに覆われた皮膚はびくともせず、傷ひとつつかない。二人は何度もそれぞれの武器で攻撃を仕掛けるのだが、せいぜいウロコが一枚剥がれた程度だった。


「かッてえなオイ! 三月、剣が通らねえ!」


「ほ、ほんとだ……くッ、俺でも無理だ! 三ちゃん、頭を落とす作戦はダメだ!」


フィストが押さえつけた頭部はしかと固定されているが、頭が怪力から抜け出す前に尾のほうが暴れ出した。


「どうする三月、物理が効かないのであれば他に方法は?」


「今考えてる」


「急いでくれ、いつまでもは持たない!」


暴れる尾に弾かれたいくつもの巨大な瓦礫が赤兵と善丸に降り注ぐ。咄嗟に二人の前に魔力障壁を張ったが、術師との距離が遠いほど壁の耐久は下がり、なおかつ今の三月は自身への修復術と三人への同時強化の魔術を併用している状態だ。さらにふたつの魔力障壁ともなると、盾の強度は脆い。


「二人ともさがれ!」


三月の声と前方から迫るひときわ大きな瓦礫に、赤兵と善丸が即座に後退した。瓦礫は魔力障壁に衝突してその場で止まったが、その衝撃で障壁は砕かれ、すなわち三月の身が削られる。脳と心臓にキリキリと締め付けるような痛み。頭痛によるめまいでわずかよろめいた。ぼたぼたと流れ出る鼻血は一度拭った程度では止まらない。喉の奥からせり上がってくるものを感じ、こらえきれずに吐血する。同時に二枚ともなると、一度目の障壁破壊とは比べものにならないダメージだ。


「ごほッ……は、ハァ、く、っそ……」


「三ちゃん!」


「おいおいおい、大丈夫なのかよ」


「外側からの物理攻撃がダメなら……内側から? いや、俺の魔術じゃそこまでできない……だったら」


「は、わざと丸呑みされたあとに腹の中で暴れるってかい?」


「策があるなら言ってくれ。離していいのか? 押さえ込むのもそろそろ限界だぞ!」


頭上から高い声が響く。


「待って、そのまま!」


みすぼらしいボロ布をかぶった髪の長い少年が、痩せ細った体で雫希を抱えたまま上階から飛び降りてくる。着地後すぐに雫希はその腕から飛び出して、ふたの開いた水のボトルをフィストが押さえている大蛇の口の中に放り込んだ。


「朱雀!」


彼女の背後で朱雀と呼ばれた少年が大きく跳躍する。


「フィスト、手を離して!」


雫希に言われてフィストが毒牙から手を離した瞬間、朱雀が大蛇の口を上から踏みつけて閉じさせた。大蛇は怒り狂ったように頭を振って朱雀を振り落とす。宙に投げ出された朱雀は空中で身を翻して着地した。大蛇を踏みつけた脚力には三月の強化魔術での上乗せがあったものの、高い身体能力だ。


大蛇は怒りのままに暴れようと牙を覗かせる。しかし殺意に満ちた様子から一片、動きがぴたりと止まり、一度大きく跳ねあがったかと思うと全身を激しく痙攣させた。のたうちまわるほどの自由すら利かないのか、その場でビクビクと震え続けるばかりだ。やがて力を失って倒れ込み、二度と起き上がらなかった。


大蛇が沈黙すると雫希はその場にへたり込む。


「こ……怖かった……」


「雫希、朱雀。なぜここに……探偵はどうしたんだ?」


「上で待ってるわ。よくわかんないけど探偵の指示で……ね、朱雀」


「あ……はい。探偵さんの……指示です」


「結局今なにが起きたんだ? しーちゃん、今投げたのは?」


「水のボトルに毒を混ぜたのよ。探偵がそうしろって……キャー!? みっちゃん、なによその怪我!」


「あ、そうだった。おい三ちゃん無事か!」


「全然無事じゃねえよ。左足の骨と肩の骨と、肋骨が二本折れてる。あと毒もくらった。つっても、毒性はたぶん致命的なもんじゃないけどな」


「やっと善丸との見分けがつくようになってよかったじゃねえか」


「う、動けるの?」


「魔力で欠損部分を補ってるから痛みはあるけど動けるし、毒の進行も極限まで遅らせてる。外傷よりも魔力壁を三つやぶられたダメージが一番キツイな。まあそっちはしばらく休めば回復するから問題ない」


「だが長時間そのままではいずれ限界がくるぞ。遅らせているだけで毒が消えるわけではないのだろう?」


「動けなくなる前にちゃんと言うから安心しろ」


「どう安心しろって言うんだよ。ジオが戻ってきたら、三ちゃんだけでも先に脱出したほうがいいんじゃないか?」


「こんなのが他にもいる可能性がある以上、俺がここで抜けるわけにはいかない。あとになって、もしこいつ以上の厄介者が出てきたらどうするんだ、善。俺の強化術バフなしで相手するつもりか?」


「それは……」


「とはいえ、本当にまずくなってきたらそれも考えてる。少なくとも俺はまだ動けるんだ。だったらそれは今じゃない」


「……年甲斐もなく十代のころみたいな無茶するなよ、らしくない」

次回は明日、十三時に投稿します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ