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巣窟の女神  作者: 氷室冬彦
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11 巣窟と迷える獣

「フィーさん、どうかした?」


雫希たちを残して部屋を出てしばらく。昨日の記憶を頼りに件の生存者、朱雀のもとへ向かう道すがら、善丸の声にフィストは数秒遅れてから反応を示した。


「……え?」


「いや、『え?』じゃなくて。さっきからぼーっとしてるけど、具合でも悪いのか? もしそうなら無理しないでくれよ」


「あ――ああ、いや、少し考えごとをしていただけだ。体はどこも悪くない」


「ならいいけど、なんか気になることでも?」


「そうだな。といっても今回の事件には……おそらくあまり関係のない部分での、個人的なことなんだ。たいしたことではないから気にしないでくれ」


「そう言わずに話してみろよ。俺は普段フィーさんがなに考えてるのか、そういう個人的なことも聞いてみたいし。なにもかも腹割って話せとまでは言わないけど、もう少し腹の内を見せてくれていいんじゃないか?」


「俺はそんなに自分のことを隠しているだろうか。俺自身のことは今までにもたくさん、話しすぎなくらい話していると思うのだが……」


「旅の話や夢喰い鬼についてはいくらでも教えてくれたけど、自分自身のことってなるとあまり話してないぜ? 物事の好き嫌いや得手不得手、行動理念、心の機微……そういう部分はさっぱりわからない。だからこう、言いたいこととか気になってることとかさ、この場や俺たちに関係のないことでも、なんか思うところがあるんならいろいろ話してみてよ」


「そうか。……そういうものか」


「それで、今はなにを考えてたんだ?」


善丸が改めて問いかけると、フィストは少し考え込んでから口を開いた。


「本当にたいしたことではないのだが……この地下空間に来てからというものの、眠ると夢を見るようになったんだ」


「そりゃあ、寝れば夢くらい見るさ」


「お前たちの場合はな。だが本来なら夢喰い鬼は夢を見ない」


「へえ、じゃあ自家発電はできないわけか。夢喰い鬼が複数いればお互いの夢を喰うこともできるんじゃないかと思ったけど」


「そうだとよかったんだが、夢喰い鬼に夢喰いの能力は効かないんだ。俺の他にも存在するであろう夢喰い鬼たちが、ひとどころに集まって集団生活などを送らないことの一番の理由でな、夢喰い鬼は夢喰いの能力を無意識化で遮断する」


「でも見たんだろ?」


「ああ、だがあれは俺自身の夢ではない。今言ったとおり夢喰い鬼が夢を見ることはないが……ときどき誰かの夢を意図せず垣間見ることがあってな、この場合の夢というのは記憶を指している。理屈は俺にもわからないのだが、おそらくどこかで付近の誰かと波長が合う瞬間があるのだろう。今回に限らず、そういうことは今までにも何度かあった」


「ちなみにどんな夢? 誰のだった?」


「ともに行動している誰かのものではないだろうな。夢の中で俺はその記憶の持ち主として存在していたのだが、もう一人誰かが一緒で、夢の中の俺の家族はその人物だけだった。この時点で三月でも雫希でもないし、赤兵も違う。その誰かの記憶が俺の能力と同期したのは善丸とジオがここに来る前だったから、お前たちでもない。とくに探偵だけは絶対に違う」


「その男が水晶じゃなかったなら、たしかにしーちゃんではないね。俺たちじゃないなら赤兵……と思ったけど違うんだ?」


「ああ。実は昨晩の見張り番が赤兵にまわってきたとき、俺も一緒に起きていたんだ。その間にいろいろと身の上話をしてな。彼女はエレスビノ出身で、両親とたくさんの男兄弟に囲まれて育ったらしく、家を出て何年も経つが家族は今なお健在だ」


「絶対に違うって断言してた探偵は?」


「探偵だけはありえない。性格がまず別人だ。夢の中の俺はこうまで……」


「こうまで?」


「……その。まあ、それに……主観的にしか確認できなかったが体格や声も違ったからな。他の動物の夢を見ることもあるが今回は人間だろう。だが絶対に探偵ではないし、そう思うのはお前たちにしても同じだ。絶対にあの中の誰でもないと思うからこそ、なんだか考え込んでしまっていたんだ」


「私の性格についてなにか言いたいことがあるようだが?」


今まで黙っていた探偵が口を挟むとフィストはあわてて手を振った。


「ご、誤解だ。少しその……どう形容すればいいか、言葉が見つからなかっただけだ」


「高飛車、辛辣、傲岸、脳筋、居丈高。どれでもないってこと?」


「そ、そうだな……あけすけに言ってしまうと、そういうことだ。むしろまったくの真逆、自分でなにかを考えて行動するのがめっぽう苦手で、気の弱い性格のようだった」


「ははは。たしかに、そりゃ絶対ありえない。じゃあこの地下にいる他の生存者の精神と、一時的にチャンネルが合ったってことだな」


「貴様ら、私がなにも言わないと思って言いたい放題だな」


「すまない、そういうつもりでは……」


「フィーさん、探偵は意外とこういうことで怒ったりしないから気にしなくていいよ」


「ふん、余人のたわごとにいちいち腹を立てていられるか」


「そ、そうか……それとは関係ないのだが、今日は妙に口数が少ないような気がする。大丈夫か?」


「貴様は翡翠雫希の心配だけしていればいい。私を気にかけるなど百年早い」


「ま、憎まれ口を叩く元気があるなら大丈夫だ」


「そういうものなのか? ……ああ、もう到着する。この通路を抜けた先に牢に続く扉があって、彼がどこにも行っていないなら、まだそこにいるはずだ」


「三ちゃんが言ってたとおり、部屋の中が安全だとは限らないってのは昨日でわかったし、まだ生きてるといいけどね」


「そう……だな、あまり考えたくはないが、たしかにそういう可能性もある」


長い通路の先に昨日と同じ真っ白の広い空間が広がる。二箇所ほど床の砕けた部分があるのを見て、善丸がそこに駆け寄って粉砕された床材を眺めた。


「うわあ、なにこれ。ここに来るまでにも何度か天井とか壁にこういう感じの見かけたけど、フィーさんたちが昨日ここに来たときもこんなのあった?」


「あ、いや、それは」


善丸が右足で床を何度か強く踏みつける。


「つまりはこんな床や壁をぶっ壊せるほどのバケモノがいるってことだよなあ。こりゃあ、本格的にそいつの安否を心配したほうがいいかもしれないぜ」


「ぜ、善丸……」


探偵は二人のやりとりを聞きながらフロアを見まわす。


「ふむ、あの部屋だな。フィストティリア、貴様が前を歩け」


「あ――ああ、わかった。二人とも、ついてきてくれ」


「おう。うしろは任せて」


引き続きフィストの先導で例の生存者――朱雀がいる牢への扉を開けた。弱々しい灯りだけが室内を照らす暗い部屋に、扉から伸びた白い光が広がっていく。昨日にやってきたときとなにも変わったところはなく、牢の奥にはあの少年、朱雀がうつむいたまま膝を抱えて座っている。


「朱雀。俺だ、フィストだ」


声をかけると朱雀はようやく顔をあげる。長い前髪で顔がほとんど隠れているのと、彼が外からの光が届かない奥の壁際に座り込んでいることもあって、その表情まではうかがえない。


「あれから仲間と合流できたんだ。今ここにいるのはこの二人だけだが、他にも昨日俺が背負っていた娘も含めてあと四人いる。外との連絡手段も得られた。それと昨夜のことだが、俺たちが休息をとろうとしていたところに魔獣が通気口を通って侵入してきてな。昨日はああ言ったものの、この場所も絶対に安全だとは限らないことが発覚した。なので、やはり一緒に来ないかどうか、今一度考えてみてほしい」


言いながら歩み寄る。朱雀は戸惑うようにもじもじと足先をこすり合わせ、困ったような苦しむような声を返した。


「んん……その、それは」


「もちろん、嫌なら無理にとは言わない。一人でいるよりは一緒にいたほうが安全だが……ついて来るかどうかはお前の意思で決めていい」


「うう……」


「なにか一緒に来れない理由でもあるの?」


善丸がフィストのうしろから声をかけたが、朱雀はうめき声をもらすばかりで明確な答えを出さない。しばらく様子をうかがっていた探偵がフィストの肩を軽く押しのけて前に出た。


「貴様、名はなんという」


「あ……朱雀、です」


「いつからここに閉じ込められている?」


「わか、りません。……あまり、長くはない……と思います」


「この牢から出ない理由はなんだ」


「理由……? 誰にも、言われてないから……です」


探偵と朱雀の一問一答に善丸が首をかしげた。


「……言われていない、って?」


「つまり裏を返せば、誰かに命じられたからここにいる、ということだな」


「それはどういうことだ、探偵」


「朱雀。貴様はこの研究所の外から連れてこられたのではなく、最初からこの内部にいた――そうだろう?」


「えっ」


善丸が探偵を見、答えを急かすように朱雀を見る。フィストも同じように彼を見ていた。朱雀は頷く。


「はい」


「研究所の内部関係者ってことか? 敵?」


善丸が警戒心を含んだ声でぼそりとつぶやいた。質疑応答は続く。


「この施設における貴様の役目はなんだ」


「役、目? 僕は……」


「この牢に来る前は主になにをしていた?」


「母様の……研究の、お手伝いです」


「……母様?」


「貴様はその母様とやらの命令でこの場所に来たのか?」


「はい」


「ここの人だったならこの場所が危険だってことくらい知ってたはずだろ。なのに武器もなくそんな格好で? そんなの捨てられたようなものじゃないのか。そんな命令されて、はいわかりましたって言うとおりにしたのかよ?」


「はい」


「おいおい……お前、命令されたらなんでも聞くのか? なんで?」


「はい。他に……なにをすればいいのか、わからない、ので」


「……指示待ちロボットの究極系? またクセの強いのが現れたなあ……」


「ほう、つまり貴様は指示さえあれば必ず従うということか」


「はい」


「ここにやってきたのはそう命令されたから。ここを動かなかったのは、次の命令がなかったから。指示がなければ動かない。つまり命令を出した者は、その特性を理解したうえでこうしたのだ。おそらくそいつはこれを使いこなせなかったのか、そうでなければこいつ自身が正真正銘の無能かのどちらかだな。朱雀、貴様は誰の命令にでも従うつもりはあるか?」


「はい? ……はい。母様以外に、誰もいないから……母様の、言うとおりに……あ、でも……」


朱雀は身を守るように自分の膝を抱き寄せた。


「僕は……役立たず、だと。母様は言いました」


「だからってこんなところで放置されちゃ死んじゃうよ。役に立たないって言っても、そんな理由で子どもを捨てる親がいるかね。なあ、フィーさん」


「そうだな、俺も半ば捨てられたような身ではあるが」


「おっと藪蛇……と、とにかくさあ、なんかこう、反抗しようとしなかったわけ?」


「反……抗?」


「この様子では選択肢のうちにも入っていなかったのであろうな」


探偵はため息をついた。フィストが朱雀を庇い立てするように探偵と向かい合う。


「……探偵、俺はなんとしても朱雀をここから連れ出したい。性質を理解したうえで彼をここに放置したその人物には、明らかに彼をここで殺処分にする意思があっただろう。だが朱雀は、こんなところで終わっていい命ではないと、そう思うのだ」


「ふむ……貴様がそうまで肩入れするのには理由があるな? おおかた、貴様がこの研究所に収容されて以降に見ていた夢の主がこの朱雀だといったところか」


「さすがにお見通しか。……ああ。面と向かって事情を聞いてみて、今ようやくわかった。あれは朱雀の記憶だ。俺は夢の中とはいえ、朱雀の過去と、感覚と感情を共有してしまったんだ。彼はこれまで自分自身で思考して行動するという自由とすべての選択肢を奪われて、常に命令だけを与えられ、成果の是非を問わず理不尽に虐げられてきた。この朱雀が無能など、たわごとだ。俺はどうあっても彼を見捨てることなどできないだろう。この生命がただ一度の自由すら知らぬまま潰える姿を見たくはない」


真剣な眼差しでまっすぐに答えるフィストに、探偵は少し黙り込んでからあきらめたように肩の力を抜いた。


「あまり気は進まないが仕方あるまい。これがどれだけ動けるのかは知らないが、基本的なスペックはそれなりのものが備わっているはず……貴様がそう言うのであれば、おそらく役立たずと断じられたのも指示の出し方が悪かったからだろう。そもそも、こいつにはまだ聞かねばならんことが山ほどあるのだからな。……朱雀」


「はい」


「我々とともに来い。ここを出るまで私の指示に従え。この先もし貴様の母と対峙したとして、向こうの命令には一切従わないように。そいつよりも、私が貴様をもっとうまく使ってやる」


「……わかりました」


朱雀はすんなりと頷いてみせる。


「じゃあ続きは三ちゃんたちのところに戻りながら話そうか。あ、俺は不知火善丸、こっちは探偵だ。よろしく朱雀」


「よろしく……おねがいします」


「立てるか?」


「はい」


フィストが手を貸すまでもなく、朱雀は静かに立ち上がった。善丸が隅っこに置きっぱなしになっていた食糧などを集めて持ってくる。牢の中の様子を見るに、朱雀はそれらに一切手をつけていないようだ。明るい場所に出てから、ようやく朱雀の姿をしっかりと確認する。


ボロボロになった白い布切れを衣服の代わりにまとい、裾からは痩せ細った手足が覗いていて、思っていたより小柄だ。白く長い髪で隠れているので、やはり顔はよく見えないのだが、毛束にまぎれておよそ人間のものとは思えない長い耳が生えており、爪は黒く分厚く尖っている。容姿を再確認するなり善丸がその長い耳を無遠慮に指でつまんだ。


「おお、俗に言うエルフ耳ってやつ? ちょっと違うかな。あ、意外と厚みがあるんだ。猫の耳みたいに薄っぺらいのかと思った。犬と猫の間くらい? 柔らかいなあ、へー。フィーさんの耳より尖ってる」


フィストは思わず自分の耳に手をやった。善丸はとくに警戒せずべたべたと朱雀の手の爪や耳を触っている。水晶や雫希という護衛するべき最重要人物が近くにいない場合だとこうなのだろうか。


「朱雀って人間以外の種族? カルセットには見えないけど……いや見てわかるもんでもないけど。それともなんかとの混血? ああ、フィーさんみたいに能力の影響ってこともありえるのか。ちなみに、さっき言ってた母様は人間?」


「はい。母様は人間です」


「じゃあ父様は?」


朱雀は首をかしげる。


「とう、さま……?」


「そうだよ、お父さんは?」


「……わかりません」


「じゃ、父親はいないってことか? まあそれぞれ家庭の事情ってあるからなあ」


「父親……って、なんですか?」


「え? なにって言われても……んん? 父親は父親だろ。男がいて女がいるから子が産まれる。子を産んだ男と女が父と母になる。片親だとそういう概念が欠けてる場合もあるのか? それか母様の教育が行き届いていないってことかな」


「わか、りません。すべての生命は、母から生まれる。だから、僕を生み出したあの人は、母様で……、父では、ありません」


「そりゃあ母親は母親であって父親じゃないさ」


「その話はひとまず置いておけ。ここに貴様の母以外には誰もいないのか?」


「はい。母様と、僕だけで……あ、でも、今はサク――いえ、エイル、が母様といます」


「エイルって?」


「母様の、娘です」


「つまり朱雀の姉妹ってことか」


「そう……ですね。妹、です」


「研究者は朱雀の母さんだけ?」


「はい」


「つまりそいつが俺たちをここに連れてきた黒幕なんだな」


「貴様の母がこの研究所でなにをしようとしているかは把握しているのか」


「はい。全部……じゃないかも、しれません、けど」


「ならば知っている限りを話してみろ」


「母様の目的は、ほぼ達成されています。母様は――」


朱雀が話を続けようとすると、地響きのような揺れとともにかすかな轟音がどこからともなく響いてきた。胎動のごとき揺れと音に数秒耐え、やがてそれがおさまるとフィストがあたりを見渡した。


「地震……地下にしてはよく揺れるな」


「地下だと地上の半分ほどしか揺れないんだっけ?」


「歩きながら話せ。それで、続きは」


「あ、はい。あの、母様は……エイルを、つくりたかったのです」


「エイルって今言ってた朱雀の妹?」


「母様の娘です。母様は、エイルをつくるために……何年も、ここでそのための研究を……続けていました。完成したのは……たぶん、つい最近です」


「……どういうこと? エイルは人造人間ってことか? それとも娘っていうのは比喩で、ロボットとか?」


「いいえ……エイルは、僕と同じ……生命体です」


善丸とフィストが探偵を見る。探偵は片眉をつりあげてどうでもよさげに二人に目線を送ると、顎に手をあてて二秒考えた。


「こいつの母の目的は娘である『エイル』を創り出すこと。状況から察するに、ここにいる合成獣キメラはそのための試作品ということか。ふむ……朱雀、貴様もその試作品のうちのひとつということだな」


「えっ」


「はい」


フィストがはっとして奥歯を噛みしめ、悔しそうな声をもらす。


「……だから失敗作なのか。だから……捨てられたのだな、お前は」


「どういうこと? フィーさん」


「試作品の合成獣キメラたちのなかでももっとも成功に近い失敗例、それが朱雀だった。失敗したとはいえ実験のための貴重なサンプルだったが、サクヤは完成してしまった。実験が成功した以上、失敗例は用済みだった。だから廃棄処分のためにここに連れてこられた。そういうことか、朱雀」


「はい。サクヤが……あ、いえ、エイル、です。エイルが……生まれたことで、母様の目的の、大部分は達成されました」


「おいおい、俺だけおいてけぼりにしないでくれよ、フィーさん」


「俺も朱雀が知っている以上のことは知らないのだ。ただ、エイルは生まれたというより取り戻した……と表現するべきか。死んだエイルの代わりを創り出した、それがサクヤだったと」


「ええ? つまり……エイルっていう娘さんがまず最初にいて、なんかが原因で死んじゃって、エイルの母親が死んだ娘を取り戻すために生体実験を繰り返して、成功に一番近い失敗例の朱雀が生まれて、最近それが本当に成功しちゃった……ってことでいいのか?」


「はい」


「ひとつ聞くが、朱雀。貴様がまとっているその神性はなんだ」


「しん、せい……?」


「彼が光属性だということか、探偵」


「こいつだけではない。この研究所内部に合計で三つ、光属性の気配がある。うっかり見落としそうなほど微弱だが、貴様がそのうちの一体のようだが、もう一体はそのエイルとやらか? 残りのひとつは獣だそうだな」


「探偵、なぜ光属性の気配がわかるんだ?」


「……貴様らが寝入ったあとにベルヴラッドが再び現れ、私に伝えたのだ。獣型がひとつと人型がふたつ、神に準ずる生命体を感知したと。ということは……」


一度立ち止まった探偵は朱雀の正面に立つと、彼の顔を覆う長い前髪をかきあげた。あらわになった両側のこめかみあたりには黒い点があり、よく見ると、それは小石のようなわずかな突起――角のようだ。次に親指を唇の隙間にねじ込んで口を開けさせた。すぐに背後にまわって、朱雀が着ていたボロ布の裾をひっつかんで背中までめくりあげたり、袖をまくって指先や腕の様子を観察している。朱雀の身体を見るなり、探偵は不機嫌そうにぴくりと眉を動かす。


「……全身アザだらけだな。こっちは火傷の痕か、状態からして液体と煙草によるものだろう。腕のこれは……ずいぶん乱雑だが針の痕だ。切り傷、擦り傷、打撲痕――いたるところに傷痕が残っている。責任者はよほど非人道的なおこないをしてきたらしい」


「ああ――」


うつむいている朱雀よりも、なぜかフィストのほうがつらそうな顔をした。強く拳を握り、感情を押さえ込むように歯を食いしばっている。探偵は朱雀の負傷具合を調べるために身体検査をおこなっているわけではなく、またフィストのような感情移入をする理由もない。すぐに切り替えて得た情報をまとめた。


「長く尖った耳。分厚く丸い爪。額には生えかけの角。半端な牙。腰に尾。背中には不完全な羽根。おい、瞳孔を見せろ。ふむ……」


言いながら探偵は再び朱雀の前髪をかきあげる。朱雀はされるがままだが、探偵の行動の真意が掴めないのかやや怯えた様子だ。善丸が探偵のうしろから覗き込んだ。


「ふうん、フィーさんの蛇みたいな目と違って、朱雀は瞳孔が横長でヤギみたいだね」


「お、俺は蛇か……そうか」


「探偵、それでなにかわかるんだ?」


「さあな。神獣を材料に創られたのが朱雀とその妹のエイルとやらだということくらいだ。どういった獣が使われたのかまでは特定のしようがない。……神獣と呼ぶことも憚られるほどの微弱な神気だが、かといって人間でもない。今のは朱雀がどれだけ獣に近いのか確認しただけだが……なんとも厄介で生きづらい身体に生まれたものだ」


「特定できない?」


「これは人間でいうところの個人特定に近い。たとえば初めて会う子どもがいたとして、それが人間の子どもであることは理解できても誰の子どもかというところまではわからないだろう。ひと言に神獣と言っても、ヒト型、獣型、鳥型など姿かたちはさまざまだが、それ以上の詳細や容姿というものはただの個性に近い」


「獣っぽいか鳥っぽいかっていうのも、人間でいうところの出身による肌色の違いぐらいの感覚で、カルセットみたいにはっきり種類分けできるわけじゃないってこと?」


「そうだ。種族を把握しているかどうか以前に、そういった分類の範囲外にある存在で、見たことがない以上、私はそれを知らないし知っているはずもない」


「にしても、なんで神獣を組み込んだんだろう。っていうかどうやって捕まえたんだ?」


善丸の疑問にフィストは同意するように頷く。


「神獣はカルセットのように、ひと気のない場所を歩いていれば出会えるものではないからな。よほど運が良かったか、神獣について熱心に調べた末に知識をもって居場所を突き止めたか、さもなくば神獣の気配でも感じ取れるのか……」


「ちなみにさっき一瞬出てきたサクヤって?」


これにはフィストが答えた。


「エイルのことだ。エイルという名はあくまで母の死んだ娘のこと。本来サクヤと呼ばれるべき神獣の子を、無理にエイルと呼んでいるだけにすぎない」


「……フィーさんどこまで把握してんの?」


「夢を通して得た情報だけだ。朱雀の主観で捉えた情報だからな、朱雀が知っていることの多くを俺も知っていることになる。そしてさっきも言ったとおり、朱雀が知らないことは俺も知らない」


「それって、もし朱雀がなにかを間違って覚えていたり、捉え違いをしてた場合は?」


「俺では間違いに気付けないだろう。なので慎重に吟味してくれ」


「……ところで話は変わるのだが、不知火善丸」


フィストと善丸の会話を聞きながらなにかを考え込んでいた探偵が腕組みをほどいて切り出した。


「ここに来るまでにも破壊された壁や天井を見た……という言葉だが、その記憶はたしかか?」


「え?」


朱雀がいる牢へ続く、あの広いフロアでの発言だ。彼はたしかにそう言った。フィストは首をかしげたが、善丸は頷く。


「うん、そうだけど。それがどうかしたのか?」


「なんの話だ、探偵」


「あの床を踏み砕いたのはフィストティリアだが、フィストティリアが破壊した床以外に、この男は破壊の痕跡を目にしているということだ。今日、あのフロアに辿り着くまでに壁と天井が破壊された通路は使わなかった。不知火善丸は外部から水路を伝っての侵入先の部屋で我々と合流したが、部屋の外にはまだ一歩も出ていない」


「えっ、あれフィーさんだったの?」


「だ、だが善丸がここに来る途中と言えば、そこは水中だろう」


「俺は水中でも目は見えるよ、むしろ地上での視力より水中視力のほうがいいくらいだ。水路は真っ暗だったけど……ルサルヴォレスだっけ? あの子自体が発光して周囲を照らしていたからまわりが見えたんだよ」


「……水路はどうなっていたんだ?」


「湖から近いところは普通だったけど、奥に進むにつれてときどきこっぴどく破壊されてるところがあった。瓦礫でふさがって通れないところもあって、何度か迂回の道を探して泳ぎまわったんだ」


「俺以外に……いや、俺以上の破壊が可能ななにかがいるということか」


「だろうなあ。一段と狂暴なのが暴れまわったのか、それともでっかいなにかが通ったのか……」


轟音と地響きがその場を通り過ぎていく。先ほどより大きな地震だ。近い――と直感的にそう思った。フィストと善丸は顔を見合わせ、探偵を見る。


「俺だけかなあ? なーんか、嫌な予感がするんだけど……」

次回は明日、十三時に投稿します。

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