10 報告、本陣に異常なし
「やった……やったぞ! ついに成功だ!」
夢を見ている。そこには、いつも不機嫌で暴力を振るうばかりだった男の、今までに見たことのないほどに上機嫌な姿があった。
「間違いない……これこそが私が追い求めていた理想そのもの……ここまで本当に長かった。ようやく私の努力が報われる日がきたのだ!」
「……あの」
「ん? ……なんだお前か。私は忙しいんだ、邪魔をするんじゃない。向こうでじっとしていろ」
「はい」
「……貴重なサンプルだったとはいえ所詮あいつは失敗作。実験が成功した以上、もう用済みだな。まあ、どうせ傍においても役に立たない欠陥品だ、近日中に処分するか」
言われるがままに立ち去る間際に聞こえた言葉に、夢の中の自分は大きく動揺した。焦燥と悲しみ、孤独。感情が希薄で鈍感な性質の心が、今までに経験したことのない揺らぎに襲われる。以降、男が暴力を振るうことはなくなったが、それは機嫌がいいか悪いかの話ではなく、こちらに一切の関心を抱かなくなったことの表れだった。
男からの暴行はたしかに恐怖の対象であったが、夢の中の自分に男そのものに対して怯える気持ちはなく、しかしならば愛情を抱いているかと言われるとそれも少し違った。むしろその逆で、夢の中の自分はその男からの愛情を求めている。それはまるで子が親の愛を求めるような、純粋無垢な承認欲求だ。
愛してほしい。認めてほしい。それだけが胸中にうずまく感情のすべてだ。殴るのでも蹴るのでも、怒鳴るのでも、実験体にされるのでもなんでもいい。少しでもいいから、僕を。
僕のことを見て、母様。
*
探偵が持っていた懐中時計は今夜の見張りリレーのバトン代わりに貸し出され、それがあったおかげで正確に時間を計りながらの番が可能となった。夜明けも近い暁八ツ半、寅の上刻のころに目を覚ました赤兵は扉の横の椅子に腰かけたまま、雫希が眠っているソファの傍らでじっと座っているフィストに目を向けた。
「あんた、寝てなくていいのか」
彼は交代のために赤兵を起こしてからも寝入るどころか横にすらなっていない。声をかけてみると、ちらりと雫希を見てから立ち上がって赤兵の隣の床に腰を下ろす。
「もう十分に間に合っている。見張り番がまわってくるまでの時間はすべて睡眠に充てていたからな。お前のほうこそ、横になって休まなくてよかったのか? ずっと座ったまま寝ていたのだろう」
「言ったろ。あたしはどこでだって寝れるし、座ったままだろうが立ったままだろうが関係ねえんだよ」
「たいしたものだ」
「夢喰い鬼ってのは寝なくてもいいもんなのか?」
「いいや、夢喰い鬼とて人間だ。食事の内容が違うだけで食わねば死ぬし、一睡もしない日々が続けば疲労で死ぬ。一般的な系統能力者よりは長く持つだろうというだけだ。生物としての根本的な部分はお前たちとなにも変わらない」
「ふうん。ま、なんにせよ無茶だけはしないこった。あたしがこの中で戦力として期待してんのはあんたくらいのもんだからな。あの双子に関してはまだ知らないことだらけでなんとも言えないし、あのジオって子は頼もしいが、中身のやろうとすることのスケールがデカすぎて、ちょっとした補助程度に収まってもらうほうがよさそうだからねえ」
「俺もお前の腕にはおおいに期待している。あの完全に不意を突いた奇襲と、怒涛の猛攻は見事だった。赤兵、お前の能力は身体強化の類か?」
「あん? 残念ながら能力なんて持ってないねえ。あたしゃ非能力者だ」
「なに、ではあの力強さは」
「そりゃあ、毎日の鍛錬の賜物ってやつさね。警備隊は隊員のほとんどが能力者だ。女ってだけでもナメられるってのに、そのうえ非能力者で弱いとあっちゃ、あの組織で生き抜けない。あたしは強くないといけない。そのために人一倍でも十倍でも百倍でも、とにかく鍛えなきゃなんないのさ」
「……おどろいた。非能力者でありながら、あれほどまでに……俺が負けたのも道理だな。能力はなくとも、間違いなく天性の才が宿っている。並の能力者では太刀打ちできない傑物だ、まったくもって底が知れない」
「ちょっと買いかぶりすぎじゃないか? ま、それほどでもあるけどな。ただ、あんたは別にあたしに負けたわけじゃないだろ」
「どうだかな。俺は勝てないと思ったから逃げたのだ」
「それこそどうだかねえ。あんたがもう少し粘ってたらどうなったかわからないぜ」
実際、あの場において優勢なのはこちらであると赤兵自身もそう感じていたが、同時に、これ以上長引けば劣勢になるとも予感していた。この男は強い。理屈でなく本能がそうささやいていた。赤兵はフィストを討つつもりで、たしかな殺意を持っていたのだ。対するフィストには殺意どころが戦意すらなく、あったのは奇襲への困惑だけ。にもかかわらず赤兵の攻撃のほとんどを躱し、いなし、受け流した。与えたダメージは最初の一撃と噛みつきくらいのもので、もしフィストが本気で赤兵を殺すつもりでかかってきたなら、太刀打ちできないのは赤兵のほうだっただろう。
あの目にも留まらぬ高速移動をもって間合いを詰め、床を踏み抜き粉砕できるだけの膂力を食らえば、非能力者の耐久力ではよくて即死。最悪の場合、言葉のとおり粉微塵になっていたはず。底が知れないのはこの男のほうだ。彼の買いかぶりと謙虚で温厚な性格に助けられているだけで、少なくとも赤兵にこの男は殺せない。数多の死線をくぐり抜けて培ってきた戦士としての勘がそう告げている。
「能力があるかないかってだけで、こうまで基礎ステータスに差があるとはねえ。……いや、違うな。あんた、普段はどんな鍛え方してるんだ?」
「鍛え方?」
「あたしも、あんたの強さには目を見張るもんがある。こっちは警備隊なんていう体育会系実力主義のむさくるしい男社会で生きてんだ。その中であたしは誰よりも強くなる。そのためには吸収できるもんはなんでも吸収しなきゃなんねえ。あんたの強さだって、能力によるところってだけじゃないんだろ?」
「鍛え方……と言われても、俺は別に鍛えているつもりはないぞ」
「そんなはずねえ。なんかあるんだろ、隠してんじゃねえよ」
「そう言われても……」
赤兵は生まれてこの片、己の体を鍛えて技を磨き、戦士としての勘を研ぎ澄ますことだけに心血を注いできた。どれだけ無駄な悪あがきだと笑われようと、まわりの能力者たちの何十倍もの努力を重ねて、来る日も来る日も休むことなく、朝早くから夜遅くまで血反吐を吐くような思いで力をつけて警備隊に入り、非能力者の女だというだけで見下してくる連中を見返したい気持ちで、強くなりたい一心でのし上がってきた。それでなんの鍛錬もしていない能力者に負けるなら、赤兵の今までの努力はいったいなんだったのか。非能力者はどうあっても能力者には敵わないと? そんなことは許さない。彼の強さにはそれを裏付けるなにかが絶対にある。そうでなければ理不尽だ。
「じゃあ、あんた普段はどこでなにしてんだ? どこに住んでて、どんな生活してる?」
「拠点はない。言ってなかっただろうか、俺は根なし草の放浪者だ。一日でも同じ場所にはとどまらずに、基本的には世界中を練り歩いている。いつもは、そうだな、眠るとき以外は歩いていると思っていい。人目につかない場所を探して寝泊まりしているんだ。だいたいは山か森の中だな」
「拠点がない?」
「ああ。夢喰いの能力が周囲の人間に悪影響を与えてしまうからな、俺はひとつの場所に長くとどまれないんだ。この姿では列車や船にも乗りづらいし、転移装置など言語道断。山を越えるにも森を抜けるにも徒歩が基本だ。大陸を越えるために船に乗ることもあるにはあるが、ほとんどの場合は泳いで海を渡ることになる。大陸間の遠泳は本当につらい」
「大陸間を泳いで渡る?」
「ああ、といってもひと息に泳ぎきるのではないぞ。合間にある孤島などをいくつか経由して、定期的に休息をとりながら泳ぐんだ」
「……なるほど、そうやって鍛えてるってことか」
「鍛える? いや、これはそういうものではなく、ただそれが生活のために不可欠な要素というだけだ。参考になりそうな答えが出せなくてすまない」
「ちなみに、今までで心身ともに一番しんどかった旅路は、どんな場所でのどんな旅だったんだ? やっぱ今言った海か?」
「今までで一番……むずかしいな。旅を始めたばかりのころの俺はまだ幼かった。やはり未熟であったころに感じた苦悩の記憶は色濃く残っているが……そのほとんどは今にして思えばなんともなかったような……いや、未熟といえば今も未熟なのだが」
フィストはぶつぶつ言いながら眉間にしわを寄せて考え込んでから、顔を伏せた一瞬わずかに悲しそうな表情を見せた気がしたが、すぐに今までどおりの穏やかな笑みを赤兵に向けた。
「そうだな。心身ともに――というのであれば、一番こたえたのは……セルーシャの凍土横断だ。今から約二年前の遠征だが、それはそれは過酷なものだった」
「セルーシャねえ……そういや、写真や映像で見たことあるだけで実際には行ったことないな。永久凍土の銀世界なんだって? そこではなにがあったんだ?」
「辺境の村から王都に向かうために四十日近く吹雪の中を歩いた。同行者も一人いたが、到着したころにはお互い心も身体も限界ギリギリでな。食事も睡眠も十日ほど絶っていたから、俺も全身がボロボロだった。……北大陸にはセルーシャとそれ以外の国との間に巨大な岩山があるだろう? 行きも帰りもあの山を越えることになるのだが、帰りの山道でとうとう動けなくなった。そこで転んだ拍子に岩場で頭をぶつけて、このとおりだ」
言いながらフィストは額の折れた角をさすった。彼の二本角のうちの一本が根本から折れているのはそういう事情だったらしい。
「よ、四十日もあんな雪しかないところ歩いてたのか? 雪山で遭難してんのと同じようなもんだろ……」
「ああ。つらいことばかりではなかったが、あれほど追い詰められたのはあのときが初めてだ。帰路で身体が動かなくなったときは、とうとう俺もここまでかと覚悟したものだが……まさか生き延びるとは。わからないものだ、本当に運が良かった」
「……なるほどね。そりゃあ、あんだけ強いのも納得だ」
彼は単純に、その放浪が自身の肉体強化の鍛錬に繋がっているということに気付いていないのだ。そうせざるを得ないからそうしているという事実が前提としてあり、日常に欠かせない要素である以上それは強くなるための努力ではない。鍛えていないのではなく、鍛えているという自覚がない。異能力者である恩恵として備わった基礎的な体力や体質だけでなく、彼が日常と呼ぶ何年もの休みない放浪こそが強さの秘訣であり、そうやって赤兵以上の過酷な経験を積んで死線を越えてきたのであれば、今の赤兵が彼に勝てないのも無理はない。因果が足りないのだ。
「安心したよ。あんた、ただのバケモノじゃないみたいだ」
「バ……そ、そうか……よくわからないが、とにかく安心できたならよかった」
「しかし……ふうん、なるほど……泳いで海を……へえ……」
「……赤兵?」
「今に見てろよ。あたしはいつか、あんたより強くなるからな」
「お前はもう既に尋常でなく強いと思うのだが……最初に蹴られたところがまだ痛むぞ」
「ハ、あばら骨にヒビでも入ってるかもよ」
「ありえない話でもないのが恐ろしいな」
それからしばらくあと、ちょうど外では日が昇ったであろうころになると、眠っていた仲間たちも目を覚ました。最初に探偵、次に三月とジオ、少し遅れて善丸と雫希が覚醒し、最初にこの部屋にやってきたときのようにテーブルを囲む。
「とりあえず無事に夜を越せたみたいだな。最初のアクシデント以降は通気口からの魔獣の侵入もなかったし、あとはここからどうするかだけど……」
三月が探偵の発言を待って言葉を切ると、フィストが控えめに手を挙げた。
「なあ、ひとつ報告というか……言いそびれていたことがあるんだが、いいだろうか」
「どうしたの、フィーさん」
「実は昨日、赤兵と出会う少し前に生存者を発見したんだ。念のため声をかけてみたんだが、牢の中にいて探索に出る決心がまだついていないのか、はたまた俺を警戒しているのか、そのときはいい返事をもらえなかった」
「あら、そうだったの?」
「雫希が眠っている間のことだったからな、知らないのも無理はない。とにかく、ともに行動する仲間も増えて状況も好転したことだ、もう一度その彼に会いに行きたいと思うのだが……」
「俺はいいと思うけど。ね、三ちゃん」
「そうだな。他に差し迫った用もないことだし、通気口から入って来れるような魔獣がいると分かった以上、せっかく見つけた生存者を一人だけで残しておくのは得策じゃない。探索の役に立つかどうかはともかく、目の届く位置に置いておきたいところだ。探偵、それでいいか?」
「異論はない、貴様がいると私がなにも言わなくとも話が進むから楽でいいな。フィストティリア、その生存者の居場所までの道筋は覚えているのか? 狂犬から逃げるのにずいぶんと必死になっていたようだが」
「ああ。たぶん……大丈夫だ」
「一人を迎えに行くのに全員でってのはちょっと大げさだねえ。二手にわかれて何人かはここで待機するか、別のところを調べとくってのはどうだい?」
「たしかに、あんまり大勢で押しかけてもビックリさせるだけだろうし。既に面識があるフィーさんが行くのは当然として、半分はここに残ろうか」
「なら俺と雫希と赤兵が残って、フィストと探偵と善が生存者の回収ってことでどうだ」
「ジオはどうするのよ?」
「ジオ・ベルヴラッドは一度ギルドに帰還し、ロア・ヴェスヘリーに我々の状況を報告せねばならん。ギルドの連中にはまだ待機するよう伝えておけ。既に済んでいるとは思うが水無月水晶の保護も忘れるな。……ああ、それと、もう手遅れかもしれんが……」
探偵はためらうように、わずかな間を置いてからジオに短くなにか耳打ちして、懐から取り出した鍵を彼に預けながら続けた。
「……寿が暴れている場合、事務所に入れてやればいくらか落ち着くだろう。寿を動かすなら秋人を呼ぶといい。私があの男をここにつれてこなかったのは、それを任せるためだ。貴様らはくれぐれも寿に近寄るなよ」
ジオが頷いて一同に背を向けると、次の瞬間にその背中はぱっと消えた。善丸がフィストの肩を叩き、探偵と顔を見合わせて扉のほうへ向かう。
「じゃあ三ちゃん、しーちゃんのことしっかり見といてね」
「ああ。探偵の護衛は任せたぞ」
雫希が心配そうにフィストを見上げた。
「フィスト……」
「心配するな、すぐに戻る。三月と赤兵から離れるんじゃないぞ」
*
ギルドの司令室にはロア、礼、郁夜のいつもの三人と水無月水晶の姿があった。ジオが部屋に入るとロアが立ち上がり、礼と郁夜も顔を上げる。冷静さを欠いている者は一人もおらず、礼はジオを見るなりソファの背もたれに寄りかかってうなった。
「うーん、そうなるよなあ」
「ジオ、探偵たちは見つかったのか」
郁夜の問いにジオは頷く。
「森の地下にある建物の中だ、全員ほぼ無傷で合流している。こっちはまだ待機だ。もう少し事態の全貌が明らかになってくるまで手を出さないように。念のため水無月水晶にはこのままギルドに滞在してもらう」
「雫希たちは無事なのだな。……わかった。では皆が帰還するまで世話になるぞ、礼」
「うん、じゃあ客室にはあとで案内するよ」
「俺はまた向こうに戻る。伝言があれば今のうちに」
「探偵に、涼嵐はもう知ってるって言っといて。手遅れ手遅れ」
「そうか……寿は今どこにいる?」
礼からの報告にため息をついたジオにロアが苦笑を向ける。
「目を覚まして探偵が傍にいないことに気付くや否や大暴れさ。そこらじゅうを叫びながら跳び回って、今はほら、そこで固まってる」
ロアが指差したのは部屋の奥の本棚だ。書物や資料が詰め込まれ、壁に沿ってずらりと並んだ背の高い本棚の上にうずくまった寿の姿がある。礼も寿のほうを見ながら補足した。
「一晩中ずっとあのまんまで降りてこないんだよ、まさか探偵が近くにいないだけであんなふうになるなんてなあ。俺たちがなに言ってもあそこから動こうとしなくてさ、零羅が――あっ」
「あっ、バカ礼!」
郁がはっとして礼の肩をつかみ、礼があわてて言葉を切った。ジオは鋭い目で二人を睨んで言及する。
「……零がどうした」
「い、いや……」
「べ、別になにも……」
「……祖国、どういうことだ」
「口止めされていたんだけどなあ……実は昨日、零羅に言って寿をあそこから降ろそうとしたんだけど、私たちの想像以上に気が立っていたみたいで腕を噛まれたんだよ。それで一晩あのまま動かせなかったんだ。とはいえ寿も咄嗟に噛んだだけで本気じゃない。少し血がにじんだ程度のかすり傷、ちょっと歯型がついただけさ。もう手当ても済んで勤務に戻っているから心配いらない。あれなら傷痕は残らないと涼嵐も言っていたし、彼の回復力ならもう治っているだろうさ」
見ると寿がいる本棚の傍に脚立が倒れている。探偵が言っていた寿に近付くな、という忠告はこのことだ。もし寿が本気で噛みついていたなら、人間の腕など簡単に噛み切れてしまう。ジオは呆れとも安堵ともとれるため息をつき、礼に向き直った。
「事務所の鍵を預かっている、あの部屋に戻せばいくらか落ち着くはずだ。秋人を呼べ。あいつなら噛まれてもたいした怪我にならない」
「俺が呼んでこよう」
ソファから腰を浮かせる郁夜を礼が呼び止めた。
「郁、秋人を呼ぶついでに或斗に連絡して、お前の部下の居場所がわかったって教えてやって」
「或斗にか」
郁夜がジオに目配せするので、ジオは口を開く。
「ロワリア部隊の隊員、班長階級の赤毛の女が探偵たちと一緒だ。赤兵と名乗っていた」
「なるほど、わかった。ロア、フェルノヴァ部隊とスーリガ部隊には話が通ってるんだったな」
「ああ。今は森の出入り口を封鎖して誰も中に入れないようになっているよ、もちろん警備隊員も例外なくね。或斗には直接会いに行って話したほうがいいんじゃないかな。彼、その話を聞いたら後先考えず飛び出していきそうだし」
「それもそうだな。じゃあ秋人を呼んで、或斗のところに行って……ついでに、アリアに水晶が使う部屋の用意を頼んでおく」
「おお、手間を取らせてすまないな」
「郁、アリアには俺から声をかける。お前は秋人と或斗に」
「いいのか」
「あいつに用がある。そのついでだ」
「わかった、じゃあ行ってくる」
郁夜が足早に出て行くのを見送り、礼はジオの横顔をじっと見た。
「今日のジオはやることが多いなあ。久しぶりにいっぱい喋って疲れないか? 水あるから持ってきなよ。……あ、待機って言っても物資の支給くらいはできるよな、なにか必要なものは?」
「今はなにも……いや、靴とカバンだ。水晶、雫希の足のサイズは」
「はて……たしか二十三センチだったと思うが」
「なるほど、あの子の靴は歩きまわるのには向いていないものばかりだからね。でもあの子、平らな靴なんて持っているのかい? いつもだいたい踵が高いだろ」
「見たことはないが、一足くらいは持っているのではないか? もっとも、屋敷のどこに仕舞ってあるのかまでは把握していないが」
「ロアの靴のサイズは?」
「私のだと雫希には少し大きいよ」
「あー、ロアって意外と手足大きいもんなあ」
「静來か紅音あたりのがちょうどいいんじゃないかい? バックパックは勇來がいろいろ持っていたような……大きさの希望は?」
「脱出にあまり時間をかけるつもりもない。ひとまず水と食糧が入る最低限のもので十分だ」
「わかった。余っているのがないか聞いてくるよ」
「礼、アリアは礼拝室か?」
「この時間帯ならそのはずだよ」
礼の答えを聞くと、ジオが消える。転移だ。水晶が腕を組んでうしろにもたれて息をつく。
「……ラウの領主はあんなにたくさん喋れたのだな」
「零羅といるときはいつもあれくらい喋ってるし、なんなら自分から軽口叩きにいくけどね。そうでなくても、こっちから話しかければ普通に喋るよ、あいつ」
「普段のジオは余計なことを言わないように黙っているだけさ。もともと物静かな子ではあったけど、今ほど極端ではなかったし。じゃあ私も行ってくるよ。またあとでね」
次回は明日、十三時に投稿します。