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巣窟の女神  作者: 氷室冬彦
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8 狂犬は鬼をも喰らうか

「雫希、そろそろ行くぞ。ここより安全な場所を見つけて、そこで今一度休むとしよう。ベッドの代わりになるものがあればいいのだが……」


十五分ほどの時間が経ち、フィストは立ち上がるが、暗い顔でうつむいていた雫希は、座り込んだままでぐずりはじめてしまう。


「あたし……もう動きたくない。こんなわけわかんないところで、変なカルセットは出るし、外には出られないし、疲れるし、足も痛いし……」


「……大丈夫だ、きっとなんとかなる。ここから出る方法だってすぐに見つけられるさ」


そうさとしながら肩に触れるフィストの手を雫希は払い除けた。


「わかんないじゃない! もし出られなかったらどうするの? ずっとこんなところに閉じ込められて、食べる物だっていつ見つかるかわからないし、安全な場所なんてどこにあるのよ!」


「しかし、だからといってここでじっとしているわけにもいかないだろう。少なくとも今この瞬間、お前は生きている。気をしっかり持つんだ」


「無理よ、あたしはフィストみたいに強くないの! なにが起きているのかもわかってないのに、いつバケモノに殺されちゃうかもわかんないのに、なんの根拠もなく大丈夫だって信じたりなんかできない!」


「雫希!」


フィストは雫希の肩を両手でつかむ。細い肩は震え、その顔は不安に青ざめていた。


「大丈夫だ、雫希。足が痛むなら俺がお前を背負う。食糧は俺が探してくるし、魔獣が恐ろしいなら俺が残らず殲滅する。この先なにがあったとしても絶対に、俺の命に代えてでもお前を守ると約束する。だから立つんだ」


雫希を引っ張り立たせようとするが、恐怖にくじけてしまった彼女はいつにも増して感情的で、泣きながら駄々をこねるように抵抗した。


「やだぁ! 怖いの! ほんとに大丈夫かなんてわかんないじゃない! 離して! もうやだよぉ、はなしてぇ、いやあーッ!」


「しず――」


ぴり、と空気がしびれるような感覚。嫌な予感にどくりと鼓動が跳ねる。通路を確認しようと体の向きを変えた瞬間、ずどん、と右の脇腹に強い衝撃と痛みが走った。食いしばった歯の隙間から低いうめき声がもれる。しかしそれと同時に左側から突き出されてきた棒状のなにかを咄嗟に掴み止める。そこでようやく相手の姿を確認した。


そこにいたのは一人の女性だった。雫希とあまり歳が変わらないように見える。その紺色の服はなにかの制服だろうか。いや、見覚えがある。左胸になにかのマークが書かれたバッジと、そこから垂れた一本の飾り紐。赤みがかった髪に、獣の如き獰猛さを湛えた目は煌々と燃え盛る炎のようだ。フィストが掴んだのは鞘のついた剣だった。その手を振りほどこうとして繰り出された蹴りを空いた手で防ぐ。そのまま押しのけて距離を取ろうとするが巧みな脚運びで間合いを詰められ、フィストは咄嗟に彼女を突き飛ばそうと手を突き出す。


だが赤毛の女は半歩うしろに下がるとフィストの手に噛みつき、こちらが怯んだ一瞬の隙を見逃さずに足払いをかける。うしろに倒れながら手を床につき足を振り上げて襲撃者の首に絡め、そのまま後方転回に合わせて投げ飛ばした。尋常ではない身のこなしだ。へたをすれば首の骨が折れてしまうところだが、赤毛の女はフィストの足が絡まる直前に左腕を首の横に滑り込ませて首を守り、またフィスト自身の力加減もあって骨折には至らなかった。女は受け身を取って素早く体勢を整え、横薙ぎの蹴りを繰り出す。フィストは腕で受け止めようとするが、刹那、本能的な危機を感じ取って上半身を大きくうしろに反らした。鉄槌を思わせるほどの力強い蹴りが鼻先をかすめて空を切る。


今のは――受けていればいくらフィストでも無事では済まなかっただろう。骨の一本は軽く持っていかれたかもしれない。万全と言えない体勢からこれほどまでの膂力りょりょくを出せるその身体能力に戦慄を覚える。だが渾身の蹴りを避けられたあせりか、あるいは怒りか、赤毛の猛獣は舌打ちをするとついに剣を抜いてフィストに斬りかかる。危うく躱しながら間合いを取ろうとするが、さがればさがったただけ詰め寄られる。距離を稼ぐ隙すら与えてはくれない。太刀筋は粗いものの乱れはなく、きちんとした教えのもとで磨かれた剣術なのが見ていてわかる。


反応速度、身の運び、力のコントロール――勢いや技術だけではなく、野性的とも呼べる「勘」で動いているようにも見えた。無論、これまで積み重ねてきた経験という裏付けあっての「勘」だ。フィストが今までに向かい合った誰よりも優れた戦闘センスを備えている。加えてこの膂力。彼女の戦闘能力が先天的なものか、あるいは努力だけでここまで研ぎ澄ませたのかはわからないが、もしも後者なのであれば勝機は薄い。


どうあれ武器を持ち出された以上、素手で相手をするには分が悪い相手だ。一気に防戦に徹することになったフィストはその剣戟けんげきをかいくぐり、うしろに跳んで広く間合いをとった。互いに出方を探るような睨み合いが続くかと思いきや、おそらく彼女からすると、次の瞬間フィストの姿が視界から消えた。


コンマ一秒遅れて、直前まで彼の立っていた地面がえぐれるように沈む。縮地。瞬く間に彼女の真横を抜き去ったフィストは、呆然と二人の仕合を見ていた雫希の目の前に着地し、さっとその体を担ぎ上げると、一目散に逃げ出した。一瞬の浮遊感と、理解の追いつかぬうちから勝手に流れだす視界に雫希が悲鳴をあげる。


「えっ、な、なに? なにっ?」


「待てッ!」


背後から制止の声がかかる。無論のこと待てるはずもない。赤毛の女との間には十分な距離が空いていたはずだったが、フィストが全速力で走っているにもかかわらず、なぜかいつまでも振り切れない。距離が変わらない――いや、それどころか、じわじわと距離を詰められてすらいる。そのことに気付いたとき、フィストはぞっとした。ただならぬ豪傑ごうけつであることは先ほどの立ち合いで十二分に理解した。だが、まさかこれほどまでとは。


大前提としてフィストは人間である。しかし事実として鬼でもある。夢喰い鬼の能力によって、人との関わり合い、心のぬくもり、豊かな生活――そういった人間性ものを捨てる代わりに、どのような環境での暮らしにも適応できる順応性と、強靭な肉体に高い身体能力を得た。フィストは他の能力者に比べても明らかに丈夫で強かった。慢心も油断もするつもりはないが、それでも自分自身の強さにある程度の自信はあったし、自覚もあった。


ゆえに、まさか自分に追いつけるような人間が存在するなどとは思っていなかったのだ。単純な力比べならフィストのほうが上かもしれないが、少なくとも今この瞬間、そして直前の戦闘に関してもフィストのほうが劣勢であった。戦いのセンスが桁違いだ。勝てない相手なのだ。たしかに、もしも勝てない相手が現れたら――という話はしたが、まさかこうも早く現れるとは思っていなかった。フィストは今、追い込まれている。ほとんど一本道だった廊下を抜けたころ、あの女性は――狂犬とでも呼ぶにふさわしき猛獣のごとき赤毛の女性は――既にすぐ背後にまで迫ろうとしていた。


「ね、ねえ、追いつか、れちゃ」


「口を閉じろ、舌を噛むぞ。それと歯を食いしばれ」


忠告に従って雫希が口を閉ざしたのを確認すると、フィストはいっそう強く床を蹴って跳躍した。天地がひっくり返る。天井に足をつき、今は新たな床をしかと踏み込み、今まさにフィストの肩に触れそうになっていた追手のうしろに着地した。赤毛の彼女は急には止まれず、また突然鬼の姿が視界から消えてうろたえたが、背後での着地音に気付いて振り返る。フィストは着地と同時に雫希を抱え上げたときのような、目にもとまらぬ瞬間的な高速移動で大きく距離をあけてみせた。


「くそッ、往生際の悪い……やい、待ちやがれ!」


女のイラついた声が響く。フィストが追いつかれるのが先か、あの狂犬のごとき剣幕がフィストについてこられなくなるのが先か。総合的な戦闘能力、足の速さ、それで負けているならあとは持久力で競うしかないのだが、はたして。フィストが縮地と呼ぶこの超高速移動は十メートル程度の距離であれば瞬時に詰められる。最初に雫希を救出した際にフィストが間に合ったのも、切り札としてこの移動法があったからだ。しかし身体への反動が大きく、既に最初にもらった脇腹へのダメージに響いていることもあり連発はできない。それに雫希を抱いた状態でこれを使えば、彼女の身体にも負担がかかってしまう。よくてあと一回が限度だ。


いやそもそも。そもそも、だ。なぜあの赤毛の女性がここまでフィストに攻撃的なのかがわからない。フィストもあの女性も同じ状況に置かれた生存者であって、……嘘だ。襲撃の理由など明白だろう。あのフロアにやってきた彼女が見た光景といえば、魔獣はびこるこの空間で、鬼が泣いて嫌がる少女をどこぞへつれ去ろうとしている場面に他ならない。であれば逃げるのは逆効果だ。だが今さら足を止めたところで話し合いの余地などないし、最初の襲撃時に弁明したところで彼女は耳を貸さなかっただろう。決めつけるのはよくないが、あの場に現れたのが彼女でなくてもフィストを疑ったはずだ。ここはどうにか逃げ切り、時間をおいて互いの頭が冷えたころを見計らって出て行くほうが和解できる可能性が高い。どこかに隠れるのでもいい。とにかく今はあの追跡を振り切らないことにはどうにもできない。


速度を上げて廊下の角をデタラメに曲がり、彼女を撒くことに尽力する。こちらの気配を察したのか、壊れた扉の奥からのたのたと大きな体の魔獣がやってきたが、今は魔獣ごときに構っている場合ではないし立ち止まる暇も惜しい。跳躍して飛び越えるついでに蹴り殺して進んだ。余裕がなかったため血を出さぬようにとはいかず、破壊された頭部の破片があたりに散らばった。雫希を頭を自分の肩に押し付けて、その無残な光景を見せまいとするが、うまく隠せたかどうかはわからない。ただ、足に返り血が付いたのはまずいと思った。


さらに速度をあげてトの字型の通路に差し掛かり、角を曲がろうと飛び出したときだった。目の前に二人分の人影が現れ、フィストは目を見開いた。ろくに相手の姿を確認できないまま反射的に跳躍して衝突を防ぐ。咄嗟のことに力が入りすぎて床がいっそう派手に砕けた。爆発するような突然の破壊音と共に出現したクレーターに一瞬だけ足元に気を取られた前方の二人は、すぐにフィストを見上げる。


跳躍から三秒経ってもフィストが着地することはなかった。左腕で雫希を抱きかかえ、右手で天井をつかんでいるのだ。凹凸おうとつなどないに等しい真っ白な天井に指先が食い込み、第一関節の握力だけで二人分の体重を支えていた。そこまできてようやく、フィストはその二人の正体を認識する。


「うおっ!? なんだ……あっ、フィスト! 雫希!」


「みっちゃん!?」


「さ――三月! それに探偵まで……なぜお前たちがここに?」


そこにいたのは不知火三月と探偵だった。思いがけない再会にお互いあっけにとられるが、背後から迫りくる足音を思い出し、フィストは天井とつながったままの身体を揺らすと二人の頭上を飛び越えて着地した。そのまま探偵の大きな背中のうしろに隠れる。


「そ、それどころじゃなかった、かくまってくれ!」


「かくまう、って……」


ずざざ、と靴底が床に強くこすれる音。呼吸の荒くなった猛獣がその場に追いついた。


「てめぇ、ちょこまかと――!」


「うわっ、今度はなんだよ!」


目の前の明らかな人類二人を前に、赤毛の女は急ブレーキをかけて立ち止まる。めんどくさそうに戸惑う三月に対し、探偵は即座に状況を理解したらしく、ああ、と小さく息をついた。


「おい、あんたら! 今ここを鬼が――あッ! てめぇ見つけたぞ!」


フィストは探偵の背中に小さくなって隠れる。雫希も一緒になって息を止めるが、もう遅い。身を乗り出そうとした赤毛の女の肩を三月が押さえる。


「ああーっ、待った待った、ストップだ。事情はなんとなくわかったぞ。えーっと、とりあえず落ち着けよ、なあ。いきなりこう言われても納得いかないかもしれないけど、こいつはお前さんが思ってるほど危ないやつじゃないぜ」


「はあ?」


三月の言葉に噛みつくような勢いで抗議の声をあげる赤毛の女。探偵が顎に手を当てて、ふむ、と冷静に観察する。


「その制服に装飾紐――警備隊の班長階級か、覚えがあるな。外見からの推測だが二十歳を越えて間もないと見える。実力主義かつ男性優位の警備隊において、女性でありながらその若さで班長の座を預かるのは並大抵ではない。だが見るからに頭脳でのし上がったわけではないな、単純な戦闘力としての腕を見込まれたのだろう。最年少での入隊を果たした赤毛の女性隊員。誰の命令にも従わない傍若無人の問題児。猪突猛進の狂犬のごとき獰猛さ。……ならば知っているぞ。元セレイア部隊B班副班長、現ロワリア部隊A班班長、赤兵あかへい隊員」


彼女の個人としての正体をつらつらと看破していく探偵に、狂犬――赤兵は静かに息を呑む。その動揺を隠すように、ふん、と鼻を鳴らすと、仁王立ちで目の前の紅茶色の男を睨み上げた。


何者なにもんだ、あんた。あたしのこと知って……」


言いながら赤兵はぽかんと口を開けた。そこから覗く長い犬歯はあの獰猛さを目にしたあとでは強靭な牙にしか見えない。赤兵は探偵に一歩詰め寄り、まじまじとその顔を見上げながら顔のすぐ前で指をさす。探偵は動じない。


「あ! あんた、あの探偵だろ。本部でも報道紙でも見たことある顔だ」


「探偵、このねーちゃんと知り合いか?」


「私は狂犬赤兵の名を噂に聞いたことがあるだけだ。実際の面識はない」


「……んで、問題はそこの鬼! おい、隠れてんじゃねえよ、バレてんだぞ!」


「う……お、俺は鬼ではないし、れっきとした人間で」


「嘘つけ! てめぇ、さっきはよくも!」


「はいはいはい、落ち着け。ステイ、ステイ!」


探偵の背中に腕を伸ばしてフィストの肩をつかむ赤兵。また三月が仲裁に入るが、赤兵は装束をつかんだ手を離さない。探偵は巻き込まれまいと素早く身を退いた。彼の背中をあてにしていたフィストは愕然としながらその無情な退避を目で追いかけ、すぐに我に返って赤兵に向き直る。


「さっきはよくも、と言われるほどのことをした覚えはないぞ。なにか誤解をしているようだが、俺はあのような襲撃を受けねばならないようなことはなにも……うぐっ、し、しずき、首、首がしまっ」


「フィ、フィストはなにも悪いことしてないわ! 見た目は怪しいかもしれないけど優しいんだから! 逮捕しないで!」


抱えられたままの雫希が赤兵のほうにぐい、とめいっぱい身を乗り出した。フィストは雫希を落下させまいとして離さないのだが、おかげで首が締まっている。三月が雫希の腕をフィストの首から自分の肩に移して救出した。赤兵は雫希の供述に首をかしげる。


「嬢ちゃん、あんた襲われてたんじゃないのか」


「ちがうのよ。あ、あれは……その……」


「雫希が休みたがっていたのを俺が急かしてしまったんだ。強引につれて行こうとしたのはたしかだが、敵意や悪意があっての行動ではないし、彼女を傷つける意思もないと断言する」


「んだよ、まぎらわしいなあ……」


赤兵はがしがしと頭を掻いて呆れた顔をするが、すぐにフィストに向き直った。


「おい、鬼! なんか知んないけど、誤解だったなら悪かったな」


「鬼……ではなく、フィストティリアだ」


「はあ? なんだって?」


「フィストだ」


「そうかい、あたしは赤兵だ。んで、あんたらは?」


赤兵が三月たちを見る。三月は一度全員を見まわしてから答えた。


「俺たちか? 俺たちはそうだな……チーム『ミイラ取りがミイラに』だ」


毅然きぜんと答える三月の隣で、そのあまりに的確で自虐的な紹介に探偵が小さく笑って顔を背けた。珍しいことがあるものだ。おそらく疲れているのだろう。すぐに咳ばらいをしてごまかすと、探偵は赤兵に自らの事情を打ち明ける。水無月邸とフィストの関係から、雫希がフィストを連れ出したまま行方知れずとなり、二人を捜しに出た三月も帰らなかったために探偵が出張って来たこと。探偵が所属する組織の者にも既にこのことが伝わっているであろうことまでを手短に、過不足なく。


「助手を確実に逃がすために自分が囮になったってわけねえ。あんた、顔に似合わず根性あるじゃんか。なにがあっても体張るようなことはしないタイプだと思ってたよ」


「それも間違いではない。極力ならこういう手段は取りたくないものだ、自己犠牲など論外だとも」


「あたしたちの事情はそんな感じだけど、赤兵ちゃんはどうしてここに?」


「ちゃん、はやめろ。寒気がするぜ。……あたしは単純に仕事帰りだ。三日ほど前から昨日までフェイムのほうに出張してて、そっちでの仕事が片付いたからロワリアに帰還するとこだったんだ。でもフェルノヴァから森に入ってしばらくしたあたりからの記憶がねえんだよなあ」


腕を組んで記憶を思い越そうとする赤兵だが成果はないようだ。フィストは尋ねる。


「だがフェイムといえばフェルノヴァの東にある隣国だろう、それでなぜあの森に? 位置関係からして帰り道にはならないはずだ」


「鍛錬を兼ねてスーリガの港まで走って行こうとしてたんだ。ダウナのほうを走るルートも考えたけど、なんの障害もない街道を走ったところで鍛えらんねえだろ。だからちょっと遠回りして森にな。そんで、たしか森の中で急にめまいがしたから、少し休憩しようと座ったところまでは覚えてんだけど……」


「フェイムからスーリガまで走るって……」


「それはともかくとして、結局ここはなんなんだ? 見たことのねえカルセットが出るわ、人間と行動してる鬼も出るわ、出口は見当たらねえわで意味わかんねえんだけど」


「詳しい話をする前に移動したほうがよさそうだな、ずっとこんなところで立ち話ってわけにもいかないし。少し戻ったところに鍵のかけられる部屋があったから、今日のところはそこで休まないか?」


三月が提案するので、フィストたちは頷いた。三月と探偵が前を歩き、雫希を背負いなおしたフィストと赤兵がそのうしろに続く。そのとき、どこからかふわりとゆるやかな風が吹いた。頬をなでるそよ風に探偵が足を止めたので、一同も思わず立ち止まる。


「探偵? どうした」


「……来たか」


言いながら探偵が振り返る。つられてうしろを見たフィストは、声すら出ないほどの喫驚きっきょうにしばし呼吸の仕方までもを忘れてしまった。五人だけだったはずの最後尾に、いないはずの六人目が立っている。翡翠のような緑の目に黒い髪で右目を隠した少年。


そこにいたのはジオ・ベルヴラッドに他ならない。赤兵が大きな声をあげて飛び退いた。


「うぉわっ!? な、なんだあ? あんた、いつからそこに……」


「寿は無事に到着したようだな。ダウナにロア・ヴェスヘリーがいるなら必ず貴様も同行している。あれが私の手帳の存在に気付けば、来るのは貴様だと確信していた。貴様がこのような些事にロア・ヴェスヘリーの手をわずらわせることをよしとするはずがないからな」


「無論だ。祖国が動くまでもない」


突如として現れた少年に動揺することなく静かに語りかける探偵。赤兵は二人を交互に見てから探偵の肩を小突いた。探偵は目だけで赤兵を見る。


「なあ、こいつもあんたらの知り合いかよ?」


「ジオ・ベルヴラッド。ロワリアに住むなら名前くらいは聞いたことがあるだろう」


「え。知らねえけど」


「……チッ」


「風の守護神、ベルヴラッドの宝珠と契約した領守。いわゆる風神の現身ってやつだよ」


三月が横から補足すると、赤兵は思い出したように手をぽんと叩く。


「ああ! 守護神の話か、それならあたしの相棒からなんとなく聞いたことがあるよ。そういうのって本当にいるもんなんだな。……ん? いや、スーリガが実際にいるってことは他の守護神もそりゃ当然いるのか」


「スーリガに会ったのか」


ジオが意外そうに言葉をこぼす。いつもは極めつけの無口で通しているはずが、今日は口数が多い。本人も自覚したのか、わずかばかりはっとしてそれ以上は口を閉ざした。赤兵は気付かず答える。


「あたしは今はロワリア部隊だけど、元々はセレイア部隊だったんだ。そのころに一回だけ会ったことがある。セレイアもなかなか話のわかるやつだったが、あいつもあいつでなにかと気の利く男だったな」


「話が逸れたな。とりあえずジオも探偵も所属は同じだから、探偵の救援要請を受け取った結果、ジオが来てくれたってことだ。ギルド側が本格的に動く前に下調べの偵察って腹積もりか?」


「あの組織内でもっとも身軽なのがジオ・ベルヴラッドだ。今回、これが斥候として出陣するのは当然の流れと言える。……私個人としては、できればあまり頼りにしたくはなかったのだが」


「どうあれ戦力が増えるのはありがたいからな。とにかく向こうで詳しく話そう。ジオもついて来てくれ」


三月が移動を再開するので、ジオは頷いて一同のあとに続いた。辿り着いたのはダイニングの様相をした部屋だった。六人掛けの簡素なテーブルと、部屋の隅に古びた本棚と安っぽいソファがあり、奥には水路のようなものが見える。話に聞いていたとおり扉には鍵がかけられるようになっていて、部屋の隅の天井には通気口と、そのすぐ傍に監視カメラが設置されている。


「ここでならゆっくり話せるだろ。……おい雫希、お前はいつまでフィストに担がれてんだよ」


「足が痛いそうだ。ずっと歩き通しだったのだから無理もない、俺の采配が悪かったんだ」


「そんな靴ばっか履いてるからだ。フィスト、甘やかさなくていいからな」


「なによお、みっちゃんのいじわる」


「黙れクソビッチ。どうせ今までずっとワガママばっか言ってフィストに迷惑かけてたんだろ」


「うっ……」


「そんなことはないさ、雫希は雫希で頑張っていたぞ。しばらくゆっくりさせてやりたいのだが、あのソファを使ってもいいだろうか」


フィストが問うと、三月は探偵のほうを見て判断を仰いだ。


「私はかまわん、赤兵隊員と話し合うがいい。だが休むよりも情報共有が先だ。各々が目を覚ましてから今までに得た情報をここで整理する。先に休ませておくのでもいいが……フィストティリア、その場合は貴様があとでその娘に事の説明をするのだぞ。私は同じ話を何度もするのは好かん」


「別にいいわよ。あたしもちゃんと聞いてるから、気にしないで」


六人掛けのテーブルにフィスト、雫希、三月が並び、その正面にジオと赤兵が腰掛ける。探偵は立ったままだ。全員が席に着くと、まず三月が屋敷を出てから探偵と合流するまでの経緯を話した。彼は屋敷を出て、まずフェルノヴァで雫希とフィストを見た者がいないかを探し、そのあとスーリガに戻って同じように聞き込みをおこなってから森に入った。その途中で急なめまいに襲われて気を失い、牢の中で目を覚まし、他に同じ状況の仲間がいないか捜していたときに探偵を見つけたそうだ。


その探偵はスーリガでフィストたちの目撃証言を集めたあと、三月が残した目印を辿って森の中を進んだ。捜査の内容や目にした情報を事細かに書き留めており、彼も三月と同じ場所で意識を失うが、その手帳を助手の寿に持たせて自分が囮になることで彼を逃がし、ダウナへ向かわせた。


そしてダウナにはダウナ国の化身、ダウナ・リーリアとロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリーが対談中で、ロアの護衛であるジオもそこにいた。探偵の手帳を持った寿が到着し、それを見たロアは寿をつれて一度ギルドへ帰還。一方でジオが森の調査に来た。ジオは三月たちに猛威を振るった睡眠ガスの出どころである獣型のスケルトンと対峙し、それを解体してから地下に広がる空間を見つけ、空間転移で内部に侵入したのちにフィストたちの気配を察知して合流に成功したということだ。


「その骨の魔獣なら俺も見ている。二人で森を歩いていたら雫希が眠いと言って倒れてしまったんだ。どうにか起こそうとしていたところにその魔獣が現れて……情けない話だが、俺一人ではどうにもできなくてな。気を失って気付いたらここにいた」


「でもまあ、そいつはジオが倒したってことでいいんだな」


「その場で解体しただけだ。おそらくまだ死んでいない」


三月の確認を否定するジオに、一同はやや怪訝な顔をする。


「なんでトドメささなかったのよ?」


「放置したところで大した障害にはならないと」


「いやいや、全員それにやられてここに来てるんだよ……」


「俺に至っては真正面から戦って敗北しているのだが……」


「フィストのは雫希を守りながらだったんだからしょうがないさ」


「あたしの記憶が森の途中でトんでるのも、そいつのガスで眠っちまったからってことか……嬢ちゃんはともかく鬼と、ジオだっけ? あんたはなんで平気だったんだ?」


「だ、だから鬼ではなくフィストだと」


「フィストには強い毒耐性があるんだ。ジオは風の守護神の契約者で、風の恩恵を一番に身に受けてる風神の現身だ。睡眠ガスなんか吸い込む前に吹き散らすし、そもそもそんなもんが漂ってることにすら気付いてなかったんじゃないのか?」


「毒耐性? 便利なスキルがあるもんだねえ」


「あー……うーん、先にこいつのこと説明しといたほうがいいかなあ」


三月は頭を掻き、探偵にひと言断ってから赤兵にフィストの正体が夢喰い鬼であることと、夢喰い鬼とはなんぞやという子細に至るまでを手早く、できるだけ簡単に説明してみせた。じろじろとフィストを観察しながら話を聞いていた赤兵は、三月の説明が終わるとため息をつく。


「ずいぶんとまあ、生きづらそうだね、あんた」


「それはともかく、今回の一件が無事に片付いたとして、警備隊や報道にも俺の素性は伏せておいてはもらえないだろうか。夢喰い鬼は世間一般にはほとんど知られていない能力だ。いたずらに人々を動揺させたくない」


「ここがロワリアだったならできなくはないだろうけど、フェルノヴァもスーリガもあたしらの管轄じゃないし、そいつはあたしの権限でどうにかなるような話でもないからねえ。悪いけど約束はできないよ。まあ、できる限り協力はしてみるけどさ」


「そうか……いや、ありがとう。では話を戻そう、探偵」


次回は明日、十三時に投稿します。

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