夏の夜
日が落ちた。
街の街灯も明るく灯され、行き交う人々は疎らになる。
よっしゃ、今日もやりますか。
一人部屋の中で気合を入れながら、自分の部屋を飛び出した。
「お母さーん、ランニング行ってくるねー?」
「またこんな時間に……気を付けるのよ?」
「涼しくなってからの方が走りやすいんだって、それじゃいってきまーす!」
そう言ってから玄関を飛び出す。
目の前に広がるのは数々の明かりを灯した夜景。
右を見て、左を見て。
よし、誰もいない。
「ではでは」
ニョキッと頭から狐の耳を生やして、いざ行かん。
「そぉい!」
特に意味もない掛け声を上げながら、向かいのアパートの屋上までジャンプした。
最初こそ建物の間を飛び越えるのは怖かったが、今ではなんて事はない。
これくらい朝飯前だ、正確にはさっき夕飯を食べたばかりだが。
「さってとー、今日はどこへ行こっかな? 先生のアパートか、それとも巡の部屋か。 あえてつるやんとか天童君の所に遊びに行くのも悪くないかも……」
なんてニヤニヤしながら、とりあえず建物の上を移動した。
パルクール、とても楽しいです。
普通はもっと近い位置にある建物とか、段差を意識しながら移動するんだろうけど、正直言って私には関係ない。
何たって4階のアパートの通路から7階建ての隣のアパートの屋上に飛び移れるのだ、もう高低差とかどうでもいいよね。
そんな事を思いながら空中でクルクル回転したりして、カッコつけながら人の家の屋根に着地してみたりする。
バレたら一発で通報されそうだけど、楽しいんだもん仕方ないよね。
むしろ捕まえられるのなら捕まえてみろとばかりに、他人様のお家の上を飛び回る。
たまに電柱とか蹴飛ばしながら三角飛びをかまし、当時の先生みたいにベランダを走ってみたりする。
ビルからビルへ、時には大通りを飛び越えて、自由気ままに跳ね回る。
普通に生きていたら絶対に味わえない感覚だろう。
この感覚に、私は多分魅了されているんだ。
巡に知られたら絶対怒られるだろうけど。
それでも止められないくらいの魅力が、ここにはあるのだ。
とはいえデメリットだってもちろんあった。
”狐憑き”の状態は”カレら”を呼び寄せる。
だからこそこれまでは街に近づかない様に走ったり、わざと引き寄せてから一気に距離を離したりなんて工夫が必要だった。
だというのに。
「いやー、便利ですなぁコレ」
手首に巻いた髪留めのゴムにくっ付けている、草加先生のお母さんから貰った鈴。
小さな狐の仮面が付いたソレ。
最初は見た目だけで気に入った、でもその効果は次の日の夜には気づくくらいとんでもないモノだったのだ。
まずこの鈴、多分つるやんが貰った音叉みたいに”結界”が作られるっぽい。
いくら”狐憑き”の状態になっても、”カレら”が寄ってこないのだ。
それだけでも凄い、もうこの時点で万々歳だ。
だというのに、それだけはない。
コレを身に着けてから、異常に体が軽い。
オマケに尻尾も増えてしまった、今では7本だ。
九尾の狐って言うくらいだから、あと2本増えたらコンプリートだよ。
ちょっとそれ以上に増えたら困るけど。
増えないよね……?
今でさえ結構モフモフモサモサしているのだ。
これが9本を超え、十数本とかなってみろ。
常に背中がモフモフだ、流石にそこまでは望まない。
「まぁ、7本でも結構邪魔なんですけどねぇ……」
背後に視線をやれば、金色のモフモフがモフモフしている。
肌ざわりは良いが、如何せん見せる人が居ない上に触れる人もいない。
草加先生に見せたらどういう反応をするんだろう。
ちゃんとモフモフしてくれるのか、それとも引かれるのか。
後者はちょっと避けたい、出来ればモフモフして頂きたい。
彼が触った尻尾から、順次抜け落ちていく様な気もするが。
「まぁそれはいいとして、今日はどうしよう……巡の所行こうかなぁ……でも夏休みに入って一番ダレそうなの、巡だしなぁ……」
そんな事を思いながら腕を組んで悩んで居ると、下の方で見知った顔が見えた気がした。
下の方と言っても今立っているビルの下、その駐車場付近でバイクに跨っている二人が見えると言う、とんでもなく遠距離な訳だが。
ほほぉ、これはまた。
ちょっと気になるじゃない。
「これはアレかな、ストーキングしてみようかな」
悪い笑みを浮かべながら、私は隣のビルに飛び移った。
————
「毎晩付き合わせてすみません」
「まぁ俺にとっては日課みたいなもんだから別にいいんだけどさ、大丈夫?」
バイクに跨ったまま、私たちは毎晩似たような会話を繰り返す。
あの合宿から何日が経っただろう? あれから私はこうして彼と夜の街を彷徨っている。
片手には、おばさんから貰った音叉を持って。
「相変わらず、”調整”はやっぱ難しい?」
握りしめた”ソレ”に天童先輩も視線を向けて、苦笑いを浮かべている。
そりゃそうだろう、コレを使いこなすために彼に同行してもらっているのに、成果は未だ芳しくないのだから。
”結界”がしっかり張れる成功率なんて、それこそ三回に一回くらいなものだ。
「すみません、やっぱりまだしっかり張れなくて……調整がシビアなんですよねコレ」
手に持った音叉。
本来振動を加えれば一定の音で響く筈のソレだが、コレは全くの別物だ。
持ち手に弦が貼られ、ペグ……いや、この場合糸巻とでも言ったほうがいいのか。
とにかく弦を張られている持ち手の先には、調整用の部品が取り付けられている。
4本の弦が張られている訳だが、それがまた厄介な代物だった。
何もない所で、一番響く音をに調整すればいい訳じゃない。
相手の距離、数。
そして恐らく怪異の強さ。
それに合わせて、弦を調整しなければいけない。
とてもじゃないが、連発出来る物ではなかった。
調整した”音”より”怪異”が強ければ、響いた筈の音はすぐ止んでしまい。
逆に弱くても同じ結果になる。
欠陥品も良い所だ、こんなんじゃとてもじゃないが普通の人は使えない。
だとしても、今私が頼れるのは”コレ”以外にありえないが……
「もう少し回ってもいいですか? 場所は……出来る限り探しますので」
「別に構わないけど……無理しないでね?」
心配そうな視線を向ける彼は、私の返事も待たずにフルフェイスを被り直す。
ブゥゥン! とちょっと軽い音を立てながら、ゆっくりとバイクが動き始めた。
普段彼一人の時より随分とゆっくりと走っているのだろう。
それが手に取る様にわかるくらい安全運転だ。
ちょっと飛ばしてる車なんかには平然と追い抜かれる速度。
たまに煽られる様な事もあるが、天童先輩は気にした様子もなく何度も道を譲りながらまったりと夜道を走り抜けた。
”カレら”の声聞き逃さない為、という配慮もあるのかもしれない。
もちろんそれもありがたいが、後ろに乗っている私としてはこの安全運転は非常に乗り心地がいい。
振り落とされると思った事など一度もないし、曲がる時なんかも私に分かる様にハンドサインを送って来たりする。
ここ数日で色々気づかされたが、この人結構運転上手。
というより気を使った運転をしているとでも言えばいいのだろうか。
なんともまぁ有難い話だ、感謝感謝。
とかなんとか関係ない事を思いながら彼の後ろに座っている私の”耳”に、カレらの声が響いてきた。
「天童先輩、見つけました。 次の交差点を右に、その後止まってください」
「あいよ」
見上げる先にあるのは……
「あーうんと、その。 非常階段でも探そうか」
「……ですね」
やけにド派手な色合いで塗られた、ピンクとか赤とかのLEDが光り輝く建物。
その正面にはご休憩がおいくらだとか、お泊りがいくらという表記が成されている。
これはもう、言うまでもない。
高校生が立ち寄っちゃいけない系のホテルだ。
二人して無言のまま裏手に回り、少し高い位置にある梯子を見つけて頷き合う。
「……ふっ!」
短い掛け声と共に天童先輩が壁を蹴り、梯子に掴まる。
自分の身体が安定する辺りまで登り、足を掛けると今度はこちらに向かって手を伸ばしてきた。
「ていっ!」
如何せん先輩に比べると情けない声を上げながら飛び上がった私の腕を、彼の手が掴むとそのまま上に引っ張り上げられる。
少し前まで考えられなかったコンビネーション技だ。
「最近随分逞しくなりましたね、鍛えました?」
思わずそんな事を呟きながら梯子を登ると、下から苦笑いを浮かべた彼が答えた。
「そりゃまぁ、あんな二人を見ればね。 これでも一応男なんで」
彼も彼で、前回の合宿はやはり思う所があったようだ。
それも当然と言えるのかもしれない。
何だかんだ言っても、この人は私と同じく”待っている”事しか出来なかった側の人間なのだから。
彼も私と同じで、何かせずにはいられなかったのだろう。
「無理は、しないでくださいね」
「お互い様だろう?」
全くだ。
彼も察している通り、私は少しでも早く何かしらの”力”が欲しくて道具に頼った。
そして彼は前衛である事もあり、浬先生や俊くんのような”身体”を欲した。
やっている事は全く別物だが、多分私たちは似たもの同士なんだろう。
今の何もできない自分が許せなくて、一日でも早く変わろうとしている。
だからこそ、多少の無理も押し通す。
そんな気持ちで、私たちはここに立っているんだ。
「こんな俺たちを見たら、黒家さんは何ていうのかねぇ……」
梯子を登り切り、階段を上がっている間に天童先輩は口を開く。
その声はどこか今までの軽い口調ではなく、思いつめたモノだったが。
「多分また同じ事を言うでしょうね。 合宿から帰ってきた後、黒家先輩に相談した時ときっと同じです。 私たちは、そこまで成長していませんから」
あの後、夏休みに入るまでの間部活動はほぼ休止状態になっていた。
合宿はもちろんの事、探索なんかも禁止。
ただ一つ許されたのは部室でのミーティングのみ。
あれだけの事があったのだ、浬先生の判断も当然だと言えるが。
そのミーティングで、私たちは黒家先輩に今の活動の事を相談した。
少しでも役に立つ為に音叉の練習がしたい。
私の提案に便乗するように、天童先輩も夜の活動を再開する旨を伝えた。
その時に彼女が言ったのは……
『構いませんよ、ただし無理はしない事。 不味い状況になりそうなら逃げるか助けを呼ぶか、どちらかにして下さい。 何か勘違いしている様ですが、私たちは一人一人では何の役にも立たない集団です。 それをちゃんと覚えておいて下さい』
そんな台詞を、無表情で私たちに言って聞かせた。
「一人じゃ何の役にも立たない集団……かぁ。 黒家さんとか早瀬さんが言っても、あんまり説得力ないんだよなぁ……あと草加ッちとか」
確かに彼の言う通りだ。
黒家先輩はどこへ行っても冷静に指示を出してくるし、早瀬先輩は”見える”上に”狐憑き”になれる。
浬先生は言うまでもない。
誰もかれも突起した実力を持っているからこそ、遥か遠い所にいる存在に思えるが、それでも黒家先輩が言っていた事は、”そう言う事”じゃないんだろう。
黒家先輩だけなら対抗手段が何もない。
早瀬先輩は多分一番例外に近いんだろうけど、それでも『感覚』や『耳』の様に感知に優れている訳じゃない。
『眼』に見える相手を、制限時間付きで屠れるだけ。
そして浬先生は……もはや言うまでもないだろう。
彼はアレだ、大砲みたいなモノだ。
狙う人と引き金を引く人が居て、初めて機能する。
それが彼なのだ。
「気持ちはわかります。 でも、黒家先輩の言っている意味が分からない訳じゃないんでしょう?」
「ま、そりゃね」
屋上まで辿り着いた私たちは、静かに前方を見据えた。
そこにはやけに短い白いワンピースの女性。
ちょっとあまりにもスカート丈とか短いので、もしかしたらそういうお仕事の人なんだろうか。
「そうは言われても、俺らが弱い事のいい訳にはならないっしょ」
パンッ! と拳で掌を叩いた天童先輩が、妙にドヤ顔で紡ぐ。
「まぁ、そりゃそうですね。 こっちにも意地がありますので」
もはや突っこんでいる暇が勿体ない。
返事をしてからすぐに走り出し、音叉を叩く。
——キィィン! と甲高い音が鳴り響き、彼女の身体から黒い霧が霧散していく。
良かった、今回は上手く行った。
そう思った瞬間、後ろから叫び声が聞えた。
「まだ終ってないよ! ”雑魚”が散っただけ! ”止まれ!”」
彼の言葉に視線を上げれば、彼女の身体からはいっそうドス黒い霧が這い出して来る。
まさか『上位種』……いや、多分”なりかけ”だろう。
あの圧倒的な恐怖を、今は感じない。
「いくよ! 鶴弥ちゃん! 調整して!」
「はい! もうやってますのでご心配なく!」
今日もまた、私たちの活動は続いていく。
本日はもう一話、午後に更新します。





