海の中 3
地元の夜道を、こんなにも全力疾走したのはいつぶりだろうか?
多分高校時代に深夜徘徊の末、チャリに乗った警察官を振り切ったのが最後だと思う。
結局その後家に押しかけて来たチャリンコ警察官に厳重注意を受けたが。
まあ今はそんな事どうでもいい。
人気のある場所、無い場所。
そしてもし地元の悪ガキ共が関わっていた場合、溜まり場になりそうな場所もあらかた回り切った。
だが目的の人物は見つからない。
事あるごとに「髪がこんくらいで、背がこんなもんで、やたら胸のデカい浴衣の女子高生を見なかったか!?」なんて聞いて回ったが、有力な情報は得られず。
逆に通報されてしまい、俺を引き留めたチャリンコ警察官にも協力を要請して、現在もまた走り回っている。
「あぁもう、どこ行きやがった黒家の奴!」
いつの間にか街はずれ……まあこんなド田舎じゃどこでも街はずれな雰囲気だが。
人気のない路上をひた走っていた。
こんな所に来て問題起しやがって、もしも無事に帰って来なかったら絶対その乳揉んでやるんだからな!
なんて訳の分からない苛立ち方をしながら、汗だくになって走っていた時だった。
街灯の下に、誰かが立っている。
見た目、というか背丈は黒家そのもの。
そう思った瞬間に怒鳴り声を上げた。
「黒家! てめぇこんな所で何してやがる!」
怒鳴り声を響かせながら、その姿に向かって全力疾走。
今のおっさんなら100メートルを9秒ジャストで走れそうな勢いで、その人物に急接近した。
そしてそこに居たのは……
「やっほー先生。 久しぶり」
黒髪ストレートに黒いセーラー服。
いつぞやの忍者先輩が、手を振っていた。
「え、あ、どうも」
汗だくで高速接近した中年に対しても、彼女は笑顔を溢していた。
女神かな?
って、今はそれどころじゃ無い。
超高性能ナビゲーター&忍者先輩にはお帰り頂こう。
もはやセーラー服着た女子が出歩いていい時間ではない。
なんて思った瞬間、彼女は微笑みながら掌を突き出し、俺に待ったを掛けた。
「とりあえず、敬語はやめましょう。 私どう見たって先生より年下ですし、それに忍者じゃないです。 あと急いでますよね? サクッと話を進めましょう?」
「え、あ……おう」
「よろしい」
どうやら忍者ではなかったらしい。
表には出さないが、結構ショックが大きい。
俺の転職計画はどうなってしまうのか、幸先が不安になる事態だ。
その場合は教師を続ければいいのか、そうか。
「昼間遊んだ海岸、覚えてますよね? そこに巡は居ます、急いでください。 皆が先に向かってますけど、対処できるかどうか」
「マジか、逆方向じゃねぇか」
どういう事なんだろうか。
皆ってのは部員メンツの事か? しかも対処できるか分からないって、マジで何が起きた。
集団の酔っ払いにでも絡まれたか?
そもそもなぜ黒家の居場所を知っているのかとか、聞きたいことは山積みだが彼女にはこれまでの実績があるのだ。
ワタクシ、信じちゃいます。
今回もいう事を聞いておけば、きっと悪い事にはならないだろう。
とはいえどうしても聞いておきたい事があった。
「なぁ、あんたの名前、何て言うんだ?」
忍者先輩と呼ぶわけにもいかないのなら、俺はこれから彼女の事を何と呼べばいいのか。
そんな俺の質問に対して、彼女は子供みたいにむふふーなんて笑っていた。
「まだ秘密です。 ちゃんと思い出してくれたら、教えてあげます。 でも数回チラッと見ただけですから、思い出せないかもしれませんねー」
どうやら俺と忍者先輩……じゃなかった、この子は知り合いらしい。
不味い、全然覚えてないんだけど。
どうしようと視線を彷徨わせている内に、再び彼女は笑った。
「仕方ないですよ、状況が状況でしたから。 顔を覚える位ガン見してたら、ちょっとびっくりです。 なので、気にしないでください」
「つってもなぁ……」
気まずくなって、頭をボリボリ掻いていると「コラッ!」とばかりに、彼女は指先を目と鼻の先にビシッと向けた。
「そんなことより、やる事があるでしょ? 頑張ってくださいね、先生」
「……おう」
それだけ言うと、今来た道を再び全力で逆走し始める。
今は目の前のセーラー服より、消えた浴衣の女子高生だ。
俺の好みの話ではない、本当だぞ?
とにかく彼女の言う通りなら、場所は分かったのだ。
後は、とりあえず急ぐばかり。
悪い事態にはなっていない事を祈りつつ、おっさんは懸命に両足を動かした。
頼むからどうか、何事もなくいつもの迷惑行為であってくれ。
淡い願いを胸に、おっさんは足で車を追い抜きながら街中を突っ切っていった。
————
「姉さん!」
昼間とは違う、どこか不気味な雰囲気を醸し出す海岸を探していた彼女は歩いていた。
正確には半分くらい水に浸かった状態で、フラフラと沖に向かって歩いていく姿を発見した訳だが。
「姉さん! 何してるの!?」
バシャバシャと水しぶきを上げながら、慌てて駆け寄りその手を掴むと、正常だと思えない位に冷え切った体。
かなりゆっくりと歩調だった為間に合ったとも言えるが、そのせいで結構な時間海に入っていたみたいだ。
肌は青白く染まり、唇は紫色になっている。
スマホのライトだけを頼りにここまで来たが、照らし出された彼女はとてもじゃないが生気を失っている様に見えた。
一体何があったのか。
とは言えこのままでは不味い、早く海から出ないと。
そう思って、姉を引っ張って帰ろうとしたその時。
姉は初めて反応を示した、抵抗という形で。
「……歌が、聞える」
「歌?」
僕の手を振り払った彼女は、ぼんやりとした表情のまま再び沖に向かって歩き始めた。
おかしい、今の姉さんは絶対に変だ。
どんどんと深い場所へ踏み込む姉を、どうにか止めようと手を掴むが結果は同じ。
何度掴んでも振り払われてしまった。
なら……
「絶対に行かせないから!」
姉の身体を抱きしめ、無理矢理岸へと引き返す。
今までにないぐらい暴れる姉さん。
手足を振り回し、肩に回した腕には思いっきり噛みついてくる始末だ。
だとしても、絶対に放してなんかやらない。
姉さんに拒絶されても、どんなに痛くても、この手だけは絶対に放さない。
3年前から、僕の決めたルール。
どれだけ自身が傷つこうが、もう家族は奪わせない。
誰にも、”何にも”。
だからこそ強くなると決めたんだ、先生みたいになるって、そう決めたんだ。
「出てこい化け物! これ以上姉さんに近づくなら、今すぐぶっ殺してやる!」
普段なら絶対言わないような罵倒を吐きながら、姉さんを腕に抱いて撤退していく。
あと少し、もう少し岸につく。
そうすれば逃げられるし、助けも呼べる。
もしも姿が見えるなら、僕だって時間稼ぎくらいは……
——オイデ?
すぐ隣の水面から、その声は聞えた。
思わず視線を向ければ、海から首だけ出した老婆の顔が浮かんでいる。
見ただけでも分かる、これが”怪異”なんだと。
彼女の肌は荒れ果て、シワシワのリンゴみたいに潰れていた。
なにより目に付くのが、どう見ても腐っているようにしか見えない黒い肌。
そして彼女の眼球は、死んだ魚の眼の様に、白く濁っていた。
紛れもない”化け物”が、僕の隣を泳いでいる。
「ヒッ!」
思わず漏れてしまった悲鳴をかみ殺し、不安定な体制ながらも足を振り上げ、隣を泳ぐ何かに向かって踵を叩き込んだ。
「避けられた……」
右足には水を貫く感触しか伝わってこない。
さっきの気色悪い奴を叩き潰した感触は、まるで無い。
不味い、これは不味い。
派手に水しぶきを立ててしまったせいで、周りの水中が良く見えない。
しかも光源はスマホのライト一つ。
更に言えば、腕の中で姉は未だに暴れているのだ。
とにかく岸に向かって進むしかない、でも海に向かって背中は絶対に見せられない。
一度でも振り返って走り出した瞬間、”アイツ”は襲ってくる。
直感だが、確信があった。
”アイツ”は今でも僕達を見ている、隙を見せれば一瞬で持っていかれる。
今までに感じたことのない恐怖を味わいながら、一歩ずつ確実に、僕は姉さんを抱えたまま後ろに下がった。
そんな時、背後でチャプンと小さな水音が響く。
「なっ!」
振り返ってしまった。
後ろに”アイツ”が居るんじゃないかと、怖くて仕方なかった。
しかし振り返ってライトを当てると、そこには小さな波紋を残して小魚が泳ぎ去って行く姿が映った。
あ、不味い。
肌で危機感を感じ取って、急いで正面に光を当てた。
そこには……
——若イ女、肉。 永遠……命。
ぶつ切りにしたようなノイズ交じりの声が、目の前から響いて来た。
光に当てられたその姿は、恐ろしく醜い。
腐ったような黒い肌、死んだ魚の目。
痛み切った肌に、海藻のように張り付いた長い髪。
そして、腰から下は傷ついた魚の身体をしていた。
まさに”人魚”たる所以。
その特徴を持っていても、おとぎ話に出てくる”人魚”とは到底思えないその見た目に、思わず足が出た。
「——ふんっ!」
彼女の腹に右足の踵が突き刺さる。
グチャッ、とカエルでも踏みつぶした様な嫌な感触。
普通の人間なら、多分内臓を傷つけるくらいの衝撃があったはずだ。
だというのに……
——ソノ子ハ、ワタシノ肉……
少しだけ怯んだ様子を見せたが、それでも”ソイツ”は近づいて来た。
両手を広げ、大きな口を開けながら。
「姉さん! ちょっと動くよ! ゴメン!」
姉に断りを入れてから強く抱きしめ、右足、左足、そして右回し蹴りと立て続けに踵を叩き込む。
やはり少しだけ怯んだように動きを止めるだけで、効いている様子はない。
でも、そんな事はどうだっていい。
”少しでも怯んでくれる”なら、他の皆が到着するまで僕は時間を稼ぐだけだ。
何たって僕は、憧れた”ヒーロー”にはなれないんだから。
「うああぁぁぁぁ!!」
姉さんを腕に抱いている為、足しか動かせない。
しかも下半身は海の中だ、いつも通りになんて動ける訳が無い。
それでもやるんだ、諦めれば二人とも死ぬ。
だからこそ、上体をグルングルン回転させながらも、必死で蹴りを叩き込んだ。
顔面、腹、肩、腰。
どこに蹴りを入れたって、相手はろくに反応しない。
それでもやるんだ。
攻撃しながら、少しずつ下がればいい。
水の抵抗でバランスを崩しそうになりながらも、なんとか踏んばって回し蹴りを顔面に叩き込む。
いい加減岸に着くか、一発でもいいからダメージが入って欲しい所なのだが……
なんて思った矢先、”ソイツ”は僕の踵に噛みついて、動きを止めた。
ズキンッ! と鈍い痛みが全身に伝わった。
こっちの攻撃は通らないのに、相手は噛みついただけでとんでもない痛みを与えてくる。
そんな不条理に涙を浮かべながら、”ソイツ”の口から無理矢理自分の足を引っこ抜いた。
——男ノ肉ハ、イラナイ。
食っておいて何て言いぐさだ。
多分噛み千切られた訳じゃない、単純に踵辺りを噛まれただけだ。
アキレス腱も大丈夫、まだ行ける、まだ戦える。
——早ク、ソノ子ヲ。
「黙れよ」
”コイツ”が姉さんを欲する度、どす黒い感情が湧き上がってくる。
お前らみたいな化け物が、また奪おうっていうのか?
僕の家族を、”また”殺そうっていうのか?
ふざけるな。
「やってみろ……やってみろよ! 絶対守ってやるからな! お前なんぞに奪われてたまるか! 最後の姉弟なんだ! これ以上殺させない、必ず助ける! 僕を殺すまで、この人が食えるなんて思うなよ!」
痛みに耐えながら、再び右足を”ソイツ”の顔面に叩き込んだ。
しかし……
——ジャァ、死ネ。
ニタッと笑うその顔が、足の裏で微笑んだのが分かった。
ダメだ、俺じゃ”コイツ”に勝てな——
「——格好いいじゃん、俊君!」
物凄い勢いで、金色の光が隣に降ってきた。
まるで水面に着地するみたいに重力を無視した動きで、波が立つ前に目の前の”人魚”をぶん殴る。
その拳は僕の足を避けて、”ソイツ”の顔にめり込みながら後方に吹っ飛ばした。
唖然とする中、すぐ近くに降ってきた”ソレ”に視線を送ると7本の尻尾が揺らいでいる。
暗い海の中、太ももまで水に浸かりながら、金色の彼女は満面の笑みで振り返った。
「お待たせ! リベンジマッチといくよ!」
場違いなほど美しい黄金の”狐憑き”が、ピースサインを送りながら僕に笑いかけた。
明日も問題なく更新できそうです。
もうちょっとで3章も終了致します。





