海の中 2
「どう思いますか? 早瀬先輩」
建物の周りをぐるりと一周見て回ったが、黒家先輩の姿は無かった。
それにさっきの話、なんとも嫌な予想ばかりが先行してならない。
皆どことなく不安そうな面持ちで、周囲に視線を配っていた。
「まだわかんないけど……何か嫌な感じだね。 もしも怪異と会ったんだとしても、流石に一人で突っこむ事なんてしないだろうし、ホントどうしたのかな」
そんな会話をしている内に、浬先生に連絡を取っていた俊君が戻ってきた。
ちなみに天童先輩は一足先に温泉宿から離れ、周囲の探索に移っている。
「先生に事情は伝えておきました。 近くで人の行きそうな場所を探してくれるそうです」
ギリッと悔しそうに奥歯を噛み締めながら、項垂れる彼。
本当なら真っ先に探しに行きたいだろうに、私達のせいでそれが出来ない。
こちらとしても、なんとも歯がゆい気持ちだ。
「私”狐”使って周りを見てくるよ!」
言ったと同時に耳と尻尾を生やした早瀬先輩が、飛び出そうとする。
確かにそっちの方が早いかもしれないけど、こうもバラバラに行動してしまって良いのだろうか。
そんな不安を覚えた瞬間、手に持っていたスマホが着信を知らせた。
画面を覗き込むと、そこには天童先輩の文字が。
「どうしました? 黒家先輩見つかり——」
『——ごめん! 悪いんだけど皆こっち来てもらっていい!? 多分コイツ……あぁもう! ”離れろ!”』
「え? ちょっと天童先輩!?」
『”上位種”! 多分コイツ”上位種”!』
「なっ!?」
本当に次から次へと、何がどうなっているんだ。
————
天童先輩の元まで駆け付けると、そこには大きな烏と睨みあっている彼の姿があった。
私たちの元から余り離れていなかった事が幸いして、すぐに合流することが出来たのは不幸中の幸いだろう。
「天童君!」
言った側からケモミミを生やした早瀬先輩が、目の前の烏を蹴り飛ばした。
とは言え大した効果はなかったのか、少しバランスを崩した程度で烏は持ち直し、大きな羽を広げて木の枝に舞い降りた。
まるで重量なんて持っていないかのように、その大きな身体が小枝の先にとまる異常な光景。
そして何より、烏の足が三本あるように見えるのは気のせいだろうか?
「さんきゅー早瀬さん! 何かコイツおかしいんだ。 足止めみたいに通路は塞ぐくせに、一向に襲い掛かってこない。 『上位種』ってこういうもの?」
「いや、そんな筈は……」
——クアッ。
図体とギャップのある軽い声。
天童先輩の言う通り、襲ってくる様子はない。
何なんだコイツ、敵意らしい敵意を感じないんだけど。
本当に足止め? だとしたら何の為に?
もしかして、黒家先輩と合流させないために……なんて事、あったりするんだろうか?
「何か……変な感じ。 まるで”狐”を初めて見た時みたいな……」
早瀬先輩が呟いた瞬間、正面から誰のモノともわからない声が響き渡った。
「もういいよ、ありがとう。 君はあっちをお願い出来るかな」
声の方向へ視線を投げれば、私たちの前にはいつの間にかどす黒い霧の塊が立っていた。
ゾクッ! と全身に冷たさが走る。
まるで『上位種』と対面した時のようだ。
でもその姿ははっきりとは見えない、ということは『なりかけ』?
蛇も廃墟であった少女も『上位種』であれば、私の目でもその姿が確認出来た。
しかし目の前の”彼女”? だろうか、ソレからは酷く恐ろしい気配はするのに、姿が見えない。
何だコイツは……
——クアッ!
彼女言葉に従う様に、三本足の烏は飛び去って行く。
同時に2体を相手する必要がなくなったのはありがたいが、とてもじゃないが目の前の存在が普通とは思えない。
部員全員が険しい視線を向ける中、一人だけ困った様に周囲を見回していた俊君が声を上げる。
「あの、皆さん。 目の前に何か居るんですか? さっきの烏は見えたんですけど……他にも何か?」
困った様子の俊君は、とりあえず正面に向かって構えている。
不味いな、彼は見えもしないし聞えもしない、間違いなくこの場に居るべき人物ではない。
これ……今までで一番ピンチなんじゃ。
「あー鶴弥さんでいいんだよね? 悪いんだけど通訳して貰ってもいいかな? あと喋る時は天童さんを通して欲しいかな。 私の方も、君たちの声がまだ良く聞えないんだよね。 敵意は無いから安心して?」
警戒心などまるで無いような声が、その場に響き渡る。
私の『耳』だって、”カレら”の声は多少ノイズが混じっているような、喉が枯れているような耳障りなモノに聞える筈だった。
だと言うのに”彼女”はどうだ。
まるで普通に生きている人間と喋っているかの様に、何の問題もなく耳に残る。
他の人には喋っている内容が伝わらないというのが信じられない程に、見た目以外はとてつもなく普通だった。
「えっと、天童先輩……私の言った事を繰り返してもらっていいですか?」
「え、何急に、どうしたの?」
「いいから」
渋々といった感じで頷く天童先輩を横目に、私は口を開いた。
「これでいいですか? 対話出来るみたいですけど、どういった御用件でしょう? 敵意が無いと言うのは本当ですか?」
「えっと……」
「はやく」
「お、おう」
天童先輩が”声”を使って同じ内容を喋り出すと、黒い霧は頷くように頭の位置が揺れ、再び喋り出した。
信用しきれない相手の表情が分からないまま会話するというのは、どこまでも不安が尽きない要素ではあるが、今はそれどころじゃ無い。
会話でもなんでもいい、とにかくこの場を切り抜けて黒家先輩を探さないと……
「まず初めに、俊には今日昼間遊んだ海岸に行ってもらいたいの。 そこに巡は向かってるから、なるべく急いでって伝えて?」
信用していいものなのだろうか……とは言え、このまま黙っていても仕方ない。
彼女の言葉をそのまま俊君に伝えると、彼は一つ頷いてから走り出した。
目の前に居る黒い霧のすぐ隣を通り抜けて、すぐさまその背中は小さくなっていく。
「あの……つるやん。 『耳』ならこの人の言ってる事がちゃんと聞こえてるんだよね? 私にはノイズみたいにしか聞えないんだけど……普通の”ヤツら”みたいに『見えてる?』とかも聞いてこないし」
早瀬先輩の不安そうな質問に対して頷くと、彼女は再び目の前を向いた。
その表情は、どこか警戒心を緩めているようだが……『眼』にはどう映っているのだろう。
「それじゃあ君たちにも色々話しておかないとだから、手短に——」
「——あの……私からもいいですか?」
彼女が話している途中に、早瀬先輩が口を挟んだ。
まあ本人からしてみれば話しているのかどうかなんて分からないだろうから、仕方のない事なんだろうが。
早瀬先輩の言葉を聞いてか、彼女は首を傾げながら周りを見回す。
視線があった事に気づいたらしい天童先輩は、慌てて口を開いた。
「あ、えっと。 早瀬さんが聞きたい事があるって、そう言ってます」
「どうぞどうぞ」
すぐにその返事が返ってきたことを伝えると、早瀬先輩は頷いてから真剣な眼差しを彼女に向け、意を決したようにその言葉を紡いだ。
「貴女は……巡のお姉さん?」
「は?」
思わず声に出してしまった。
先輩の言った言葉に、一瞬思考が停止した。
その瞳に、彼女はどう映っているのか。
今だけでいいから”異能”を交換してほしい。
天童先輩の通訳の元しばらくの間を開けて、再び彼女は喋り出す。
予想だにしなかったその言葉を、はっきりと口にする。
「自己紹介がまだだったね。 初めまして、私は黒家 茜<くろや あかね>。 巡の姉です。 これからよろしくね?」
信じられない言葉を呟いた彼女は、恐らく微笑んでいるのだろう。
怪異とは思えない優しい声が、周囲に響き渡った。
————
怪異とは思えぬ暖かい笑顔で、彼女は微笑んだ。
巡とよく似た顔立ち、仕草。
『眼』を持っているからこそ見える光景。
だというのに、私には彼女の言葉も聞き取れなければ、言葉を伝える事も出来ない。
聞きたい事がいっぱいある、言いたい事もいっぱいある。
だというのに、私一人では何もできない。
何とももどかしい気持ちだ。
「あの、詳しくは聞いてないんですけど……巡、貴女の事探してますよ? どうして巡に会ってあげないんですか?」
私の声を天童君が代弁し、彼女の返事をつるやんが口にする。
『巡は”眼”も”耳”も持っていないからね、私が近づけばあの子の”感覚”が否応なしに”敵”だと告げる。 そんなの、悲しいじゃない』
もしも巡の異能が私かつるやんと逆だったら、結果は変わっていたのかもしれない。
でも、それは叶わない現実。
その事実がこの上なく憎たらしく感じる。
だがそれも終わりだ。
この場には”眼”も”耳”も”声”だってある。
こうやって意思疎通すれば巡だってきっと……なんて声に出そうとしたその時、彼女は首を横に振った。
『うれしいけど、それは駄目だよ。 例え君たちの言葉であっても、あの子は私を”怪異”としか見ない。 巡の目的は呪いをかけた相手を殺し、呪いを解く事。 そして、”私を成仏させる事”の二つ。 もしも、片方を成し遂げるチャンスが目の前に転がっていたら、あの子は迷わないよ。 だからこそ会えない、私にはまだやる事があるし』
悲し気に笑う彼女を眼にしていると、こっちまで辛くなってくる。
なんだそれ、ふざけんなよ。
二人とも思い合ってるのにも関わらず、お互いはお互いに交わらない。
全部本音を曝け出しちゃえば状況も変わるかもしれないけど、きっとこの人も巡も絶対にそんな事しないだろう。
決意を固めた様な彼女の表情が、巡のソレと同じだったからこそ、私には分かる。
『私の目的はね、ある意味巡と同じ。 私を殺した怪異をぶっ飛ばす事と、巡に掛けられた呪いを解く事。 だからまだ、私は消える訳にはいかないの』
聞けば聞くほど、二人が追っている”呪いをかけた相手”というのが憎たらしい。
本当に何様のつもりなんだろう。
何で二人にこんな思いをさせるんだろう。
もしも出会ったら、私だって絶対ぶん殴ってやる。
ギリギリと音を立てながら拳を握る私を見て、彼女はふふっと小さく微笑んだ。
『これからも巡をよろしくね? それから、もう時間も無いから手短に言うね?』
改めて話を戻すように、彼女は喋り始める。
先程の優しい笑顔とは違い、真剣な表情でつるやんを見た。
「えーっと、まず鶴弥さん……って私か。 はい何でしょう? え? あ、はい。 持ってきてますけど、はい。 あ、はい分かりました」
何やら指示を出されたらしく、”耳”を持たない私達には彼女達の会話は聞えない。
いつの間にか通訳に徹していたつるやんは、自分の名前が出た事にも気づかなかった様子で、あわあわしながら話を聞いている。
つるやんの返事をそのまま口にしている天童君も、ちょっと不気味だが。
『次に天童君。 これだけは覚えておいて、貴方の”声”は水の中にまでは届かない。 だからこそ、使いどころが来たらとにかく迷わず使う事』
「は、はい! 了解です!」
『最後に早瀬さん』
「はい」
真剣な顔がこちらに向き直る……が、数秒視線を合わせると、彼女は再び柔らかい笑顔で微笑んだ。
『巡の側に居てあげて、多分それは貴女しか出来ない事だから』
「はい?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
なんか私だけ明確な指示が来なかったんですけど。
なんて混乱している内に、彼女の身体が黒い霧に呑まれ始める。
『じゃあ、そう言う事で。 よろしくね? 先生も私の方で呼んでおくから、皆そのまま昼間の海岸に向かって』
「え、あの、ちょっと! 何で私たちの事とか詳しいんですか!? っていうか先生とも知り合い!? もうちょっと詳しく説明を!」
言いたいことは言ったぜ、とばかりに消えていく彼女に対して私は叫んだ。
時間が無いのは分かるが、こっちの聞きたい事がまるで聞けてない。
私たちの事情に何故そこまで詳しいのか、巡は今どうなっているのか。
そして先生との御関係はいかに、っていうか貴女何なんですか。
どういう存在なんですか。
質問は尽きないが、困った様に笑いながら彼女は足元から消え始める。
他の”カレら”と違って、黒い霧が消えて無くなっている訳ではないので、多分成仏とかそういうのとは違うんだろうけど。
『ごめんね、本当に時間がないから。 先生と一緒に居る限りまた会えるよ、さっきの烏が居ても今度は蹴らないでね? それから、私そろそろ”上位種”になると思うから、次はもう少しスムーズに会話できると思う。 それじゃぁね!』
「え、ちょ……」
言いたいことだけ言って、彼女は黒い霧に包まれながら消えていった。
色々と消化不十分な感じが否めないが、もう語り合う相手はこの場には居ない。
諦めるしかないんだけど、ないんだけど……マジでどういう事なんだろう。
草加先生と一緒に居る限りまた会える? なにそれ、彼に憑りついてるんだろうか?
そんなバカな、触れただけで消されてしまいそうな『腕』の持ち主に憑りつくとか、出来るの?
しかも最後に何て言った? そろそろ『上位種』になる?
色々と頭が痛いぞ、どうしよう。
「と、とにかく。 昼間の海岸に行ってみませんか? 彼女の言葉が嘘だとは思いませんし、時間が無いと言うのであれば急いだほうが……」
それもそうか。
色々と頭はパンクしそうだが、今は巡だ。
最近部員に色々任せっぱなしで、今回に関しては完全やらかしたあのポンコツな部長様を引っ叩いてやらねば。
人の事は言えないが、今はそれくらい極端な方が動きやすい。
だからこそ、やる事は一つだ。
「行くよ! 絶対一発引っ叩いてやるんだから!」
「え、あ、はい?」
釈然としない顔のつるやんと天童君を引きつれ、私は暗い夜道を一直線に走り始めた。
カタカナ表記でとんでもない誤字報告が来てた……何故間違えた俺。
毎度毎度申し訳ない。
決して覚え間違えでジャイ”ン”アントスウィ” ”グなんて書いたわけじゃないんだよ!
ホントだよ!? そんな新しい技僕知らないよ!
今日はもう一話午後に更新します。





