我が道を行く
椿の連絡を受けて、何とも足を踏み込みずらい地域に来てしまった。
前の前にあるのは『女性限定』というデカデカとした文字列。
こんな事を書かれてしまっては、世の中のおっさんという生き物は迫害される一方なのである。
もしもこれがイケメンの若い男だったらどうだ。
多分何も言われないだろう。
いやむしろ、チラチラとソイツを見ながら頬を染めて小声でキャッキャウフフと話始めるかもしれない。
だが俺はどうだ?
まずそんな事態、間違いなくあり得ない。
周辺をウロウロしているだけで、「なんか不審者が……」なんて通報されるのがオチだろう。
いつだって声を掛けてくれるのは可愛い顔した女の子ではなく、険しい顔したポリスメンなのだ。
それくらいに、世間は世知辛いのだ。
困った、コレは困ったぞ。
そんな想いを胸に看板の前で停車していた俺の車に、バンバンとやけに響く音で叩く御仁が現れた。
これはもしや「アンタここで何やってんの!? こっから先は女性専用だよぉ!?」っていうアレだろうか。
これはもはや謝るしかない。
いやしかし、俺はまだ看板の先へと侵入した訳ではない。
謝るべきか、反論すべきか。
その結論が出ないまま、とりあえず運転席の窓を開けてみた。
相手の出方次第だろう、どうにでもなれ! なんて気持ちだったが、聞こえてきた声は良く知っているその人だった。
「草加君! こんな所で何やってるの!? 住所送ったじゃん! 早く来てよ!」
やけに慌てている様子の椿が、人の車の天井をボコスカ殴っていやがる。
やめろや、天井って板金できないんだぞ?
「そうは言ってもよ、看板見ろよ。 俺性別おっさんだしなぁ」
「招待された人が来るくらい誰も文句言わないって! っていうか性別がおっさんて何!?」
そんな訳の分からない事を叫びながら、助手席に乗り込んでくる。
なんだなんだ、本当にどうしたお前。
『ちょっとマズいかも、黒家さんと早瀬さんがマズい』なんて連絡を受けたから足を運んだものの、まるで状況が理解できない。
なんこれ詳しく、なんて言っても多分コイツは説明してくれないんだろうなぁ……
「いいから! はやくコンビニ!」
「え? あ、コンビニなの? お前ん家じゃねぇの?」
未だ理解しがたい状況のまま、車を反転させると近くのコンビニに向かった。
解せぬ、これはつまり足にされただけなのでは……という疑問を胸に、両手いっぱいにコンビニ袋を持った彼女を再び車に乗せ、『女性限定』とやらのアパート地に再度足を向けた。
————
「うーっす、お邪魔しまーす。 ウチの部員を回収しに来ましたー」
「ちょ、ちょっと草加君! もう少し丁寧にって言ったじゃん!」
玄関を開けて一声かけると、隣に居る椿がとんでもなく慌てた様子で声を荒げた。
多分お前、その声部屋全体に聞こえてるぞ? なんて思いはしたがここは言わないでおくのが吉というモノだろう。
聞いた話によるとこの先に待っているのは、”あの”過激な手紙を寄越したお婆ちゃんなのだ。
あんまり年寄相手って好きじゃないんだよなぁ……なんて、両親やら親戚人相手の経験により苦手意識を持ってしまった俺。
それでもここにアイツらがいるなら、まあ致し方ないだろう。
さっさと回収してさっさと退散しよう。
「んで、どこよ」
「あ、えっと。 そこの襖の向こう」
部屋の奥と言っていいのだろうか、俺の部屋に比べればずっと奥まった位置にある襖を、椿が震える指で指さす。
あぁあそこね、くらいな気持ちでズカズカと上がり込む俺に対し、何やら反論の声が上がったが今は放置でいいだろう。
呼んだのはお前だ、俺は知らん。
そのままの勢いで襖をスパーン! と良い勢いで開ける。
この際だから言っておこう、決してこんな調子で開けるつもりはなかった。
襖ってこう、もっと渋く動くモノじゃん? こんな滑るような動きで開くモノじゃないよな?
なんて心の中でいい訳をかましつつ、室内に視線をやった。
そこには……
「草加先生……あの」
「まさか、こんな所にまで登場するとは思いませんでした……」
なんて、弱々しい言葉が届いた。
黒家は床に突っ伏しており、早瀬は右腕に痛々しい傷跡を残してる。
おい、なんだこれ。
何があった、おい。
なんて混乱したまま黙っていると、目の前で突っ立っている御老体がキッと目を釣り上げた。
この人が椿の言う”お婆ちゃん”なのだろうか?
「ま、また忌み子!? 全く、今日は何という——」
「——オイ」
最後まで喋らせてやるつもりはなかった。
なにせコイツは、ウチの面倒くさい親戚人と同じ目で俺を見ていたのだから。
そしてこの惨状、説明を求める前に”相手”を無力化するのが先だろう。
ウチの両親からは、そう教わった。
相手がどんな姿であろうと、身内を害するなら容赦などするな、と。
「なっ!? お前! なにをっ!」
「うるせぇ」
御老体とは言え容赦などしない、彼女の右手を掴んだ。
婦女暴行の現場なのだ、犯人と思われる人物に情け容赦など必要ないだろう。
ん? まて。
この場合俺も婦女暴行の犯人にならないか? ちょっと頂けない事態だが、なんか扇子振り上げてたし、黒家の様子から見て下手すりゃスタンガンか何かの可能性だってある。
とりあえず正当防衛という事にさせていただこう。
「コイツらに手を出したのはお前って事でいいんだよな? 何しやがった、ウチの生徒に」
ギリッと嫌な音が彼女の手首から響く。
いかん、頭に血が上り過ぎた。
年寄り相手に本気を出しては、マジで一大事になりかねない。
加減しなければ。
「は、離せ汚らわしい!」
男の子に対して右手を汚らわしいとか言わないで欲しい。
確かに未だ独身だが、そう言われては色んな意味でピュアなハートが傷ついてしまうじゃないか。
男の子という歳ではないが、言動には気を使ってほしいものだ。
「俺の勘違いならすぐにでも土下座でも何でもするがよ。 黒家はなんで畳に這いつくばってる? 早瀬の右腕は何だ? お前がやったのか? 年寄りのご教授にしても、ちょっとやりすぎじゃねぇかなお婆ちゃんよ」
「黙れ忌み子風情が! ……何故だ、何故”神術”が効かぬ!? お前は何じゃ!?」
「あーもう、うっせぇなぁ……」
右手の指を開いて、彼女を開放する。
よほど痛かったのか、それとも混乱しているのか。
彼女はその場で座り込んだ後、後ずさるようにして部屋の隅まで移動してしまった。
愚策だなぁ、それじゃ追い打ちされた時に逃げ場がないだろうに。
なんて事を考えながら、老女を見下ろした。
「こ、この忌み子風情が! 寄るでない! 私は椿の当主——」
「——囀ってんじゃねぇよ、いいから質問に答えろや。 こいつらを痛めつけたのはお前かって聞いてんだ」
「なっ……」
さっきから鬱陶しい言葉を並べる御老体に、妙に怒りが湧いてくる。
珍しい事もあるもんだ、誰かに対してこんなに頭にきたのは随分久しぶりである。
やはり二人に傷を負わせたのが大きいんだろうか、だとしたら俺は随分立派な教師になったものだ。
それともやはり、彼女の言動が記憶の奥底の地雷を踏み荒らしているのか。
——忌み子。
いつ以来だろうか、そんな侮辱的な言葉を聞いたのは。
多分学生の頃だったら、有無を言わさず思わずぶっ飛ばしている。
「待ってください、先生……私たちは大丈夫ですから、多分。 夏美、腕は平気ですか?」
「え、あ、うん。 大丈夫」
床にくたばったままの姿勢で、黒家が声を上げる。
正座しながらそのままぶっ倒れたんだろうか、何やら服が乱れているが今日は黒である。
その光景を眺めつつ心を落ち着けて、改めて御老体に視線を向けた。
良く考えると、本当に訳の分からん現場が広がっている。
マジで何があった。
とにかく今日は黒だ、悪くない。
「こんな状態ですし、率直に聞きます。 夏美は大丈夫なんですね? 今後影響が出るとか、そう言った事はないんですね?」
未だ這いつくばった黒家を挟んで椿の祖母と向かい合う状況。
足先とか伸ばしちゃったら、見えてる黒い布に指先が触れてしまいそうな勢いだが、ここは我慢だ。
そんな事をしたら俺が捕まってしまう。
「え、えぇ……彼女には随分馴染んでいる様子ですから。 これから先も何ら問題は起きないと思います……」
震える声と共に、部屋の隅で膝を抱えている老女は青い顔をしている。
あらら、これは流石にやり過ぎた感が凄い。
この場において、最も捕まりそうな容姿をしているのは俺だ。
不味い、これは非常に不味い。
もうさっさと退散しようぜ。
「であれば、私から聞きたい事は他にありません。 ありがとうございました」
よくわからん会話をした後、黒家が不格好な体制のまま手を伸ばしてきた。
何やってんだコイツ、ヨガでも始めたのだろうか。
「先生……見て分かりませんかね。 動けないんで運んでください、もうここに居る用事もありませんので」
そう言いながら、へにゃっとした黒家が手をひらひらしてる。
ついでに言えば黒いレースがチラリズムである。
「え、あ! そう言う事なら、私も運んで下さい草加先生!」
なんて言いながら、右腕を負傷した元気いっぱいな女子高生が抱き着いて来た。
なんだこれ、すげぇな。
顧問やべぇわ、合法的に女子高生抱っこ出来るの? 天職じゃん。
そんな今更な事を思いながら、二人を担ぎあげた。
そういえば以前もこうして二人を抱えた事があったな、元々天職だったわ。
「こ、これはちょっと……予想してたのと違うかな……」
「世に言う、お米様抱っこ……ですね。 っていうかいつの間に耳消したんですか? 気づいたら無くなってましたけど」
「そりゃもちろん、声が聞こえた瞬間に引っ込めましたけど何か?」
なんて、良く分からない会話をしている二人を肩に抱き、そのまま部屋を後にしようとしたその時。
「覚えておきなさい。 忌み子には、必ず不幸な未来が待っています。 今は良くても、今後必ず取り返しのつかない厄災が貴方達を襲うでしょう。 その時貴方達は後悔する事になります、自分が死んでおけばよかったと。 そう言った人間を、私は何度も見てきました」
負け惜しみとも思えるその発言だったが、思わず足が止まってしまった。
昔から親戚人や周りの奴らから、何度も言われてきたその言葉。
その度に俺は怒り狂い、その後に両親からぶん殴られて育ってきた。
だからこそ、今なら余裕の笑みを浮かべながら返せるというものだろう。
「お袋は言っていた……忌み子だなんて、馬鹿にしてくる奴は放っておけばいい。 ビビってるだけの腰抜けだ、とな」
キリリッとキメ顔で振り返りながら、未だ青い顔の老女の瞳を見つめた。
「そしてそんな事言ってくる奴らは大抵器が小さい上に、下手に手を出せば大体は熊よりも簡単に死んじまうってな!」
決まった、間違いない。
どっかのヒーローに似た台詞を吐いて、このまま去って行けば、間違いない。
誰がどう見ても格好良いシーンの出来上がりだ。
「びっくりするぐらいドン引きな殺人予告止めてもらっていいですか? そりゃ熊よりか簡単に殺せるでしょうよ」
「えっと……草加先生はお母さん好きなんだね? 私はそう言うの大事だなって思うよ?」
どうやら効果は電子を謳う蚊取り線香よりも薄かったらしい。
左右から冷たい眼差しと、慰めるような眼差しの板挟みになってしまった。
ちっくしょう、せっかく格好良く決まったと思ったのにこの仕打ちですよ。
あのババア今からのでも振り返って行動不能にしてやろうか。
なんて泣きそうになった所で、ババ……御老体から声が掛かった。
「貴方は何なんですか? 忌み子だというのに、ここまで活力に溢れ……抗う力がある。 こんな人間見た事ありませんよ」
まだ言うか、なんかこの人と話してるとイライラするんだが……なんだろう、カルシウム不足かな。
帰ったら牛乳飲んで煮干しを喰おう、おっさんたるもの無駄にイライラしてはいけない。
「この人は、特別ですよ」
肩に担がれた黒家が口を開いた。
「そうですよ、草加先生は特別なんです」
反対側の肩に担いだ早瀬も、上機嫌な様子で口を開く。
なんだなんだ、どうしたお前ら。
ここはもういっちょキメ台詞でも吐くべきか?
なんて思い始めた所で、二人が口を揃えて言い放った。
「「この人は、私のヒーローですから」」
その一言と共に、二人は脱力して大人しくなった。
あぁもう、格好付ける場面取られてしまった気分だ。
どうでもいい、今日はこいつら送迎して部活終わり!
なんて、少しだけ気恥ずかしい思いをしながら椿の部屋を後にした。
静かになった二人を車に放り込み、エンジンを掛ける。
随分と失礼な訪問になってしまったが、後悔なんて欠片も無い。
多分、これでよかったんだろう。
瞼を閉じる二人をバックミラーで確認しながら、いつもの古臭い車を俺は転がし始めた。
————
「……美希」
「は、はい!」
少しだけ遅れてきた返事に、普段なら叱咤の声を上げていただろう。
とは言え、今はそんな活力などありはしないが。
「まさかとは思いますが、アレが意中の男性……なんて事はないでしょうね?」
「え、あーその、なんていうか。 あーもしかしたら、あるっていうか、その」
煮え切らない様子でもごもごと口にしながら、必死で視線を反らす孫娘。
何という事だ、この子はあんなモノに惹かれてしまったとでもいうのだろうか。
「止めておきな」
「それは嫌です!」
「私の言う事が聞けないのかい!? あんなものとは幸せになんかなれないよ!」
「こればかりはお婆ちゃんの言う事も聞けません! 例え駄目だったとしても、私の気持ちには嘘をつきませんからね! 今回ばかりは絶対に!」
やけに強気な孫娘に、思わず間抜けな顔で答えてしまった。
全く、昔は何でも言う事を聞く素直な子だったのに。
「聞いていいかい? なんだいあの男は?」
正直、彼には嫌な感じ……というか不吉な匂いしかしなかった。
あれは本当に人間か? なんて思ったほどだ。
ウチのお家芸である神術を、呑気な顔してぶち破ってくれた様な忌み子。
本当に分からない、何だアレは。
呪われているだの何だの以前に、その存在自体がオカシイ。
そう感じるまでに、強大な代物だった。
あれはまるで——
「普通の教師だよ、お婆ちゃん」
孫娘の言葉が、静かに思考を停止させた。
生娘のように頬を赤らめて、夢見る乙女のように胸に手を置きながら。
「あの人は、凄く変で。 それでも人一倍教師らしい教師だよ。 面倒くさそうにしながら、周りの事が放っておけない。 そんな優しい人だよ」
そう言って微笑む顔に、私は何も言えなくなってしまった。
全く……何も”見えて”いなければ、あの若造はそういう風に映るのかい。
苦虫を噛み潰した、なんて表現はこういう時の為にあるんだろう。
彼が”忌み子”でなければどれだけ祝福したか、どれだけ応援したかわからない。
そうならない現実に、無意識の内に奥歯を噛み締めた。
現代を生きるこの子達に、何故古臭い呪詛やら何やら……そんなものが関わってくるのか。
思わず先祖を恨んでしまう、呪詛を殺し切れなかった私自身を恨んでしまう。
こんなモノさえなければ孫娘の恋を、素直に喜べたのに。
「まぁ、頑張んな。 アレは中々骨が折れるよ? それじゃ私は今日帰るから、電車の時間調べとくれ」
そんなぶっきら棒な台詞を吐くくらいしか、私には出来なかった。
どうか叶うなら、この子に厄災が降りかかりませんように……





